美しい死の処方箋 ——闇クリニック「タミヤ内科」の終焉
奈良まさや
第1話
死に方を選べるクリニックがある。
「延命」ではなく、「美しい死」を処方する場所。
そこに辿り着けるのは、
もう生きることに疲れた四十代以上の大人だけだ。
依頼者たちは、皆、満足そうな顔で死んでいく。
愛されたまま、尊敬されたまま、惜しまれたまま——
まるで一枚の写真のように整えられて。
その裏側で、三人の人間が静かに手を組んでいた。
闇医師・田宮涼介。
看護師・桂木梨々香。
心理カウンセラー・三枝佳子。
彼らは、信じていた。
「これは殺人じゃない。
人間にとって一番大切な“最期の表情”を守る仕事だ」と。
——ただ一つだけ、誰も気づいていなかった。
完璧に演出された死は、
いつからか“本人のもの”ではなくなっていたことに。
夜の雨が、静かに街を洗っていた。
タミヤ内科クリニックの玄関灯だけが、
薄く白い光を落としている——。
◆◆◆ 第1章 ——蔦見凛子、依頼者になる夜 ◆◆◆
夜の雨が、静かに街を洗っていた。
の玄関灯だけが、
薄く白い光を落としている。
田宮涼介(三十九歳)は、
その光の下で待っていた。
表向きは“在宅医療の専門医”。
しかし、限られた合図で予約した者だけが、
裏メニューを知っている。
——「結核で美しく死のう」。
冷たいスローガンだが、
その言葉に救われる人間が、確かにいる。
今日の客は、その第一号だ。
インターホンが鳴った。
モニターに映った女性の表情は、雨に濡れ、
まるで“この世に未練を残しすぎた幽霊”のようだった。
「……蔦見凛子さんですね。どうぞ」
扉を開けると、
凛子(四十二歳)は小さく会釈した。
「先生……。
本当に、あの……最期を、整えてくださるんですよね」
「ええ。
あなたが望む形で、終わらせます」
その一言で、
凛子の肩から微かに力が抜けた。
診察室に入り、
温かいお茶が置かれる。
凛子は震える指で湯飲みを持ちながら、
静かに話し始めた。
「私……家族がいません。
結婚もせず、40代まで来てしまって。
仕事も中途半端で……
生きている意味が、ずっとわからなかったんです」
涼介は黙って頷く。
ありふれた“諦めの形”だが、声の奥は深く沈んでいた。
「でも……
一つだけ、やってみたいことがあるんです」
「何ですか?」
凛子は両手を胸元に置き、
まるで祈るように言った。
「“美しく死んでみたい”んです。
誰かが『惜しい人を亡くした』と思うような、
そんな終わり方を……一度でいいから味わいたい」
涼介はゆっくり息を吸った。
「結核という選択に魅力を感じたのは?」
凛子は恥ずかしそうに笑った。
「昔、祖母が亡くなった時、
亡くなる直前が、
なんだか……“綺麗”だったんです。
肌が白く薄くなって、
頬がこけて、目が大きくなって……
儚くて、怖いのに、宝石みたいで」
「それを……再現したい?」
「はい。
少しずつ弱って、
でも、最後の一ヶ月は“生きている実感”が強くなるような……
そんな死に方をお願いしたいんです」
それは、
もはや “死” ではなく “作品” のオーダーだった。
涼介は机の引き出しから、
一枚の契約書を出した。
「では……あなたの最期を美しくするために、
まず“人生の整理”をしましょう」
凛子は息を呑んだ。
「全財産を、ここに書いてください。
死を演出するには、実行資金が必要です。
葬儀、部屋の整理、衣服、最終的な演出……
全部、こちらで整えます」
凛子は迷わなかった。
まるで、この瞬間のために生きてきたかのように、
スラスラと記入した。
・普通預金:1,540万円
・死亡保険の解約返戻金:340万円
・祖母の指輪と時計:推定300万円
・その他:生活物品一式
合計——2,180万円。
涼介はそれを確認して頷く。
「ありがとうございます。
この資金で、あなたが望む“完璧な終わり”を作ります」
凛子は、初めて涙を流した。
「生きていて……よかったのかな、私」
「ええ。
あなたは最期に、人生で一番美しくなれます」
診察が終わり、
凛子が静かに帰っていく。
雨は上がり、夜気が透明になっていた。
田宮は裏の部屋に入り、
銀色の冷蔵庫を開く。
そこには、
大学病院時代に手に入れた“極めて純度の高い”結核菌——
彼の闇ビジネスの核心が眠っていた。
小さなガラスシャーレを前に、
田宮は孤独な微笑みを浮かべた。
「蔦見凛子……
あなたには、淡い影が似合う」
感染量の調整、
免疫反応の誘導、
症状の起伏の演出——
それら全てが、
彼にとっては“医療”ではなく“芸術”だった。
今日、
最初の依頼者が生まれた。
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