第2話 「お義兄ちゃん、隣座ってもいい……?」

 楠木小夏は俺の一つ年下の、義理の妹である。

 ミディアムショートな黒髪が家ではオレンジ色のカチューシャで束ねられていて、クリっとした大きな瞳には四角い縁なしレンズのメガネがかけられていた。

 制服の時とは違い日焼けした肌を見せたくないのか、薄手の生地で上下長袖の紺色寝間着を身に着けている。


 学校の時とは正反対な、とても大人しい部屋着スタイルだった。


「お、お義兄ちゃん……? 隣、座っても、いい……?」

「……おお、良いぞ」


 夜、リビングのソファにて。

 大きなビーズクッションを胸に抱き、口元を隠した小夏が、俺の隣にやってきた。

 俺もそれに倣って隣に置いてあったクッションを膝の上に乗せると、その空いたスペースに小夏がチョコンと座る。


 身長差はもちろんだが、小動物チックなその動きが俺の庇護欲を刺激に刺激していた。


「…………」

「…………」


 テレビに映るお笑い番組の賑やかな音声が、リビングに響いている。

 それに対して俺と小夏はとても静かだった。

 帰りの通学路で腕を組んでいたのが嘘のように、今は握りこぶし二つ分ぐらいはお互いの距離が離れている。


 見えない壁みたいなものが、俺達の間に展開されているようだった。


「…………」

「…………!」


 チラッと隣を見ると、メガネ越しの丸い瞳と目が合い、すぐに逸らされた。

 誰がどう見たって、自分から腕を組んでダル絡みをしながら「たはーッ!」と大口を開けて笑う女の子には見えないだろう。


 仕草だけで見るのなら、今の小夏は図書室で読書に赴く文学少女みたいだ。


「小夏?」

「ひゃぅ……!?」


 しまいには、少し名前を呼んだだけで肩がビクッと跳ねた。

 それに合わせてお笑い番組のガヤがドッと大笑いして、気まずい時間が流れていく。


「わ、悪い……!」

「う、ううん……。どうしたの? せんぱ……お、お義兄ちゃん……」

 

 お互いに、緊張しているのだ。

 高校の部活で知り合って三ヶ月。

 異性として意識したと思ったら両親の再婚で義理の兄妹になってからは早二ヶ月。


 長い長い夏休みだった。

 先輩後輩の関係だった俺達にとっては突然発生した同棲とも言える新しい家族の時間は、互いの距離を縮めこそしたが……よりギクシャクする結果となってしまった。


「……いや。その、もうちょっと、近寄っても良いか?」

「あ、うぅ……いい、よ?」

「ありがとな」


 ――俺が本気で、小夏の事を好きになってしまったからである。

 学校での活発的で生意気な姿と、家での大人しく健気な姿、そのどちらにもだ。


「うあ、うぅ……」


 小夏は二重人格とかそう言うのではない。

 ただ公私の『ON』と『OFF』が人よりちょっとだけ激しいのだ。

 誰だって学校で過ごす友人との馬鹿なノリを、家でそのまま両親にはしないだろう。


 楠木小夏は、いや、楽々浦小夏という人間は……自分を育ててくれた母親に心配をかけない為、とてもに生きてきた事を俺はこの二カ月で知った。


 両家の顔合わせの日、学校とは正反対な姿を見せた小夏を見た時は言葉を失うぐらい驚いたものである。


「あ、あ、あの……お、おに、お義兄ちゃん……?」

「どうした?」

「ど、どうしてあ、頭……撫でてるの?」


 気づけば俺は無意識に、小夏の頭を撫でていた。

 風呂あがりだからかミディアムショートの黒髪は少ししっとりしていて、手触りが凄く良くて……夢中になってしまったみたいである。


「嫌だったか?」

「い、嫌じゃ……ない、けどぉ……!」


 小夏は撫でられているのが恥ずかしいのか俺を直視できないようで、顔の下半分をビーズクッションに埋めて食い入るようにテレビに映るお笑い番組を見つめていた。


「……自慢の義妹が、今日も頑張ってたからな」

「ぁぅ、あぅぅ……」


 そう、自慢の、だ。

 先輩と後輩の関係から先に進む前に、俺達は義理の兄妹になってしまった。

 近づいたのに遠ざかった、とても心地が良いその距離感。そんな兄妹の関係に、俺と小夏は囚われてしまっている。


 だけれども、俺が小夏の兄である事は変えようのない事実だ。だから小夏がそうしたいのなら、いや、そうするしか出来ないのなら……。

 ひたむきな義妹の為に、俺も家では立派なお義兄ちゃんになってやる。


 そう、思ったんだ――。


  ◆


「せんぱ~い! おはようございますっス~!」


 ――だと、言うのに。


「可愛い可愛い後輩の私が起こしに来てあげるドキドキイベント発生っスよ~!!」

「うぶぉぉあっ!?」


 次の日の朝。

 カチューシャと眼鏡を外し、寝間着から制服に着替えたモードの小夏が俺の部屋の扉を激しく開いて突撃してきた。

 そして勢いそのままに、俺の決意なんて知る由もせず、ベッドで眠る俺に飛び込んでそのまま馬乗りにのしかかってくるのだった。

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