第9話 超人TV-3
事務所の入ったビルが遥か下方に見えるようになり、気温に体温が奪われる。
デバイスを没収された怜は、春咲に付いていくしかキョウイと出会う術はない。
冷たい風に曝されて、怜はまた一つ冷静になる。
そしてそれは春咲もまた同じで――細い指を服の内側に突っ込んで何かを取り出す。
怜のデバイスだ。
「これぇ……返す」
受け取ったデバイスは、しっとりと温まっていた。
「怜はまぁ、そ~いう目で見ないってわかってるからふざけられるけど、皆の前であれはマズったかな~……」
「複雑なんだけど」
「実際そうっしょ? 自分の名前も明かせなかった意気地なしさん」
どこまで春咲はヤマモトから聞いているのか。
怜は春咲のことをキッと睨む。
いつもならあっかんベーでもして返してくるところだが、春咲は柄にもなく薄ら笑いを浮かべた。
「ただ、怜の痛みはアタシじゃ肩代わりできないからさ」
トーンを落としたこごえだっただが、怜は聞き逃さなかった。
「怜がどんな気持ちでその子と話したとか、アタシにはわっかんないけど」
雨のように滔々と言葉を紡ぐその口を、怜は凝視する。
「ただ、今日事務所に来たってことは――独りじゃいられなかったんでしょ」
いつになく、春咲は饒舌だ。
そんなことない。
零れそうになった強がりを、怜はぐっと仕舞い込む。
「なら、その勇気を称えてじゃないけど――せめて、一緒に傷つくくらいはしてあげるよ」
「そんなの、痛みが増えるだけで何の意味も無いから、やめろ。」
いつになく、強い言葉が怜の口を衝く。
「これ、あたしの自己満足?」
「ああ、何の意味も無い」
「ほんとに?」
怜は答えない。
視線を向けられた気がして、顔を突き合わせたわけでもないのに怜は虚空を眺める。
そこには空があった。
「でも、自己満足でもいいんだ。見てるだけしか出来ないのは、辛いから」
言葉を待たずに、春咲は続けた。
端から会話ではなかったのかもしれない。
「別に、独りが寂しかったとか、ちょっと色々思い出したとか――今日来たのはそんな理由じゃねーよ。だから、優しさで空振るのはやめてくれ」
「空振りならいいんだけどね。……怜もちゃんとバディつけよ? こうやって本当に辛いときに味方になってくれるのは、バディだけなんだから。もし怜さえよければ――」
「それ以上は!」
言葉を遮って、それから怜は呼吸の仕方を思い出す。
すぅと薄い酸素を吸って。
「……大丈夫だから。優しさに溺れたら、俺は何もできなくなる」
「そんなことないよ、怜は」
「だから、今は誰にも頼らない」
「でも、今日だって」
「ほら、見えてきた――あの辺だろ」
却ってきた十一インチの大きなタッチパネルの上では、怜が指さす方向にピンが立っている。
言葉を紡ごうとする春咲を振り切って、怜は加速する。
『応援力』だけで言えば怜は春咲よりも多くの力を持っている。
「ちょっ――怜!」
はるか上空からでも見える大きな土煙。
倒壊した街の近くで、十七メートルにも及ぶ巨体が雄叫びをあげていた。
「三十人級のキョウイ……腕が鳴るな――」
巨大な怪物に近づこうと怜は急降下する。
絹のような雲をすり抜けると、人里がより大きく見えてくる。
逃げ惑う住民や、救命活動に当たる救急隊の姿、鳴り響くサイレンにパトランプ。
世界の終わりのような光景のすぐそばで、一筋に立ち昇る光があった。
わぷっ、と素っ頓狂な声が怜の後ろで聞こえる。
急に止まった怜の制動力についていけず、春咲が怜に衝突する。
「急に止まらないでよ! 危ないんだから!」
柔い身体を押し当てながら苦言を呈する春咲だが、怜にはそれを堪能している余裕はなかった。
なぜなら、巨大なキョウイのいるステージに目を釘付けにされてしまっていたから。
ワァ――――ッ、と黄色い歓声がどこからともなく聞こえてくる。
そこは災害の中心地なはずなのに、これから何が起こるかわからない、敵意剥き出しの危険なキョウイの前なのに――その場にいるだけで安全だと思わせるようなオーラがあった。
一台のカメラと、いくつものライト。
それぞれのスタッフがカメラに映りこまないように寸分狂わず連携を取り合って忙しなく動いている――その真ん中に、彼女はいた。
『ライブ、始まるぜ――!』
焚かれた光の真ん中で、トレードマークのマイクを天に突き出して高らかに宣誓する。
二股に結った三つ編みに、黒縁の眼鏡。
一見どこにでもいそうな髪型の彼女は――だが、白色のスーツに身を包んでマイクに声を乗せる。
『僕のライブは配信中だ、現地での視聴は遠慮してくれよな!』
彼女に向かって群がる群衆は、近くにいた他のライバーたちに阻止される。
他のライバーたち、というよりも“彼女の取り巻き”のほうが正しいのかもしれない。
統率の取れた動きに無駄はなく、誰一人として彼女に人を近づけることなく、安全地帯へと誘導していく。
『さぁ、始めよう――せーのっ!』
画面が切り替わる。
怜のデバイスでは、数秒遅延して彼女の映像が映し出されていた。
『(音楽)♪~♪~』
ダイヤモンドのライバーウォッチがきらりと光る。
画面の中では、少女を模したアニメーションが流れており――そして、幕が開けた。
この街の誰もが認めてやまない、世界で最高のライバー。
「『超人TV』だ……!」
「同じ現場みたいだねぇ~……。どうする?」
「どうするって……一緒に戦うに決まってるじゃん!」
鼻息が荒くなってしまったことに気が付いたが、もう抑えきれなかった。
怜はそのままキョウイに向かって一目散に飛んでいく。
ずっと、超人と一緒に戦うことが夢だった。
その隣で、彼女と一緒に戦うことが憧れだった。
誰よりも強く、そして完璧な女性ライバー、『超人』。
彼女がライブを始めれば百万人以上の視聴者が駆け付け、彼女がマイクを一度握れば倒れない敵はおらず、彼女が手を差し伸べれば救われない人はいない――絶世の救世主。
すでに超人の配信画面には高評価数が七万ほど集まっていた。
怜も自分のデバイスから一つ
グッドマークの上に『+1』という表記が付いた。
『みんなありがと~! じゃ――まずは最初の一発からッ! いっくよ~~!!!』
大きく振りかぶって、彼女はキョウイの脇腹に一発パンチを入れる。
ちょっとしたビルほどの大きさの図体が浮き、市街地から山のほうへとキョウイが吹っ飛ばされて――
「ねぇ、怜――あれこっち来ない?」
「キョウイが……吹っ飛んでるな」
「やっぱり来てるって! ちょっと逃げようよ! 悠長に突っ立ってる場合じゃないって!」
辿り着いた山の中腹で――怜と春咲は、降ってきたキョウイと図らずも対面することになった。
「いくよ~、ファイブ、よん、スリー、ツー、……」
春咲がツーまでカウントして発声を止める。
彼女の手には、ハンディカメラが一つ。
そしてカメラの焦点の先には――怜。
さらにその後ろには、超人に吹っ飛ばされたキョウイが一体。
木々の上に覆い被さるようにのびている。
『皆さん、こんにちは~……って、誰もいないと思うけど――』
いつものライブと同じように、挨拶から入る。
いつもは視聴者数は零人。
二十分くらい経ってからぼちぼちと人が集まり始める感じだ。
ただ一つ、いつものライブと違うのは――。
[怜、聞こえる~?]
『うおっ……! ……っと、なんでもない』
[ちょっと! 怜の声は全部ライブに乗ってるんだから、気ぃ抜かないでよね]
右耳に着けたインカムから春咲の声が聞こえる。
耳元で囁かれているような、奇妙な心地よさだ。
[そんなことより! めっちゃ人来てるよ!]
『いや、超人TVの裏ライブなんだからそんな訳ないだろ』
[マジだって! 嘘だと思うなら確認してみなよ!]
言われて怜は胸ポケットからデバイスを取り出す。
怜のライブを再生するとそこには――
[三万人だよ! ヤマモトのライブ並み!]
カメラに向かって手を振る。
カメラの前で戦うのも専門学校以来で頭の中が真っ白になりそうだ。
カメラを持っているのが春咲というのも、知った仲だからこそやりにくい。
ライブのコメントはいつになく盛況で、トップクラスのライバーでしか見ないような速度で文字が流れている。
『超人TV終わったから見に来た』
『普段何やってるだコイツ』
『迷惑かけて飯食ってるんだろ? 最低だな』
『消えてくれ』
『さっきの超人TVで見たキョウイいて草』
『超人TV急に放送終わってびっくりしたんだけど!』
『死ね』
『炎上商法のカスじゃん、ちぃーっす(笑)』
『低評価押したので帰ります、サヨナラ』
なるべく誹謗中傷は見ないように細目で怜はコメントを読む。
[超人TV、ライブやめちゃったみたいだね。これから始まりそうな雰囲気だったのに]
怜の代わりに、気になっていたことを春咲が調べてくれていたようだ。
『コメント欄でもたくさん出てるけど、この後ろにいるのが超人がさっき倒したキョウイ。へへっ、ちょうどいいや』
わざとらしく舌なめずりをして、怜はキョウイの足元に近づく。
『今日のライブは――超人TVが弱らせてくれたキョウイ、横取りしてみた! でお送りしようかな! マナー違反? ひとの えものを とったら どろぼう? そんなもの知らないね!』
コメント欄は今頃罵詈雑言の嵐だろう。
ライバーウォッチではコメントが速すぎて追いきれない。
今だけは好都合だ。
『それじゃ、超人がやってくる前にサクッと仕留めますか』
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過激系配信者、世界救ってみた ~俺だけ低評価で強くなる能力で戦い抜きます~ 一木連理 @y_magaki
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