第68話 九つの尾の獣
【我に従え!】
ぴくり。
獣たちはいっせいに立ち止まり藍冴を見上げ、そして、威風堂々とした藍冴に、獣たちはのろりとした動作ながらも、皆ひれ伏した。
やべぇ。
「言霊」は俺に向かって使われたんじゃねぇのに、思わず
それは快感であった。
脳髄に響く、甘美な命令。
見れば、朔も嵐たちもぶるっと身体を震わせ、藍冴を見上げている。
変な感じだろうな。
八尋はそう思い、思わずくすりと笑う。
存外、嫌なものじゃないはずだぜ?
「藍冴さまの、『言霊』! あたしにもしてくださいっ」
「あたしにも、藍冴さまっ。『言霊』されたいんです!」
琉々葉が羽根をぱたぱたさせながら言い、莉々葉はふわふわの毛を藍冴にすりつけながら言う。
「この惨事が終わったら、存分にしよう」
「きゃーん、約束ですよっ、藍冴さまっ」
「約束ですよっ、藍冴さまっ」
「では行こう。この者たちの獣化の解除は後ほど行う。先に捕らえられているものを助けたい。まずは地下施設へ向かうとしよう。【案内せよ!】」
獣の群れに八尋たちは続く。
BHC‐Tラボ棟の職員たちはいるようだがあまり気配はなく、研究室の中からひっそりとこの異常な事態を見ているだけに見えた。
一階ロビーに降り立ち、その白さが却って不気味な感じがするなと八尋は思う。
白く清潔な雰囲気の建物だが、やっていることは倫理に反している。
地下に続く入り口には当然警備のものたちがいたが、獣たちに気絶させられた。
これだけの獣が相手では敵うはずもない。
指紋認証と虹彩認証の電子ロックを警備員で解除しようとしたが、解除出来なかった。
「なんだよ。こいつはこの入り口にいるだけかよ」
八尋はそう言って、電子ロック部分を殴りつけた。異常音が鳴り響く。
「八尋、扉をこじ開けてみろ。警報システムは士浪が無効化しているし、先ほどサーバールーム内の機器をかなり破壊したから、開くんじゃないのか?」
藍冴に言われ、八尋は銀色に光る金属製の扉を、無理やりスライドさせた。ぎぎぎぎぎ、と扉が開いていく。少し隙間が出来ると、獣たちが力を貸した。数分で人が通れるほどに開き、藍冴たちは地下研究室に入っていく。
「なんだ、これは」
八尋は眉をひそめた。
そこには、なれの果てと思える獣のサンプルがホルマリン漬けにされていた。
或いは、肉体の一部だけのものもあった。
「気持ちのいいものじゃねぇな」
八尋の言葉に、朔たちも頷く。
朔たちにしてみれば、一歩間違えば、自分たちもこうなっていたのだ、と思うと全く他人事ではなく、恐ろしさが足元から這い上がってくるようであった。
いくつものホルマリン漬けの横を通り過ぎると、人体実験をしていたであろう場所に辿り着く。冷たい寝台がいくつもあり、そこには拘束具と身体をモニタリングする機器があった。
「ここで人体実験していたんだ……」
皇幹が呟く。
「妹は……華怜は……」
櫂十は青ざめてその冷たい寝台を触った。そして、なおも奥へいこうとした、そのときだった。
黄褐色の巨大な獣が奥から踊り出て来た!
キツネ――だが、尾が九つありしかも、八尋よりは小ぶりながらも二メートルを超える巨体だった。毛は硬く強く、鋭い爪と牙を持ち、赤く燃える眼で、八尋たちを睨みつけた。
黄褐色の九尾のキツネは、八尋に鋭い爪を振りかざす。八尋は応戦し、キツネにヒグマの力で殴りつけた。
研究室内で戦闘が続く。
二匹の巨大な獣の闘いを、誰もが固唾を飲んで見守っていた。
九尾のキツネが床を蹴り、ヒグマに襲いかかる。ヒグマは後ろに下がり、そこからジャンプをして逆にキツネを殴りつける。研究室内のあらゆるものを破壊しながら、彼らは闘い続けた。
数分闘い、やがてヒグマの方が優位に立った。
九尾のキツネは身体中を血で染め、奥へと後退って行く。
「待て!」
八尋は逃げるキツネを追いかけて行き――奥の部屋で驚くべきものを見つけた。
ヒグマのホルマリン漬けだ。
八尋と同じくらい大きなヒグマ一頭と、それよりは少し小さなヒグマ一頭。
八尋はその姿に見覚えがあった。
一緒に森と駆けた。ヒグマのままくっついて眠ることもあった。あたたかい、その存在。……父さん、母さん……!
八尋の目に涙が滲んだ。
懐かしさと共に抑えきれない怒りが、八尋の中に込み上げてくる。
「お前! お前が父さんと母さんを殺したのか‼」
九尾のキツネはいやらしい笑い声を立てる。
「お陰で、なかなか進まなかった研究が加速度的に進んだんだよ。お前の両親のDNAは優秀だった。TGRVは最高だろう? 血筋に反応して獣になれる。これで獣一族を復活出来るぞ。獣の王国を作れるんだよ。私は褒められていいことをしたんだ。そうだろう? ……なあ、どうして我々が戦うんだ? 仲間じゃないか。共に、獣一族を反映させようぞ」
八尋は九尾のキツネに襲いかかった。
キツネはそれをかわす。
「だから、どうして戦うんだ? 同じ、仲間じゃないか」
「違う! 父さんと母さんを殺したやつは、仲間なんかじゃない!」
「……お前の両親も頑固だった。獣一族の、獣化出来る生き残りとして、TGRVの開発に協力してくれたらよかったのに。彼らは頑なにそれを拒んだんだ。もう、滅びゆく種族だからと。なぜだ? なぜ再興に協力しなかった? おまけに、子どもの存在も隠していた――」
九尾のキツネの赤い眼がじろりと八尋をとらえる。
「素晴らしい! 素晴らしいよ。八重樫八尋。お前も私の研究に協力したまえ」
「するわけねぇだろ! 死ね‼」
八尋がキツネの喉元に爪を突き立てようとした瞬間、「八尋、やめろ!」という藍冴の声が響いた。
「藍冴、でも! こいつ、許せねぇ。俺の父さんと母さんを殺したんだ!」
「分かってる。でも、やめろ。お前が手を汚す必要はない」
藍冴はキツネを鋭い目で見つめた。
「お前は、院瀬見晧月だな?」
「そうとも。御子神藍冴さま。ずっとお会いしたかったんですよ。御子神家のガードが固くて、会うことが叶いませんでしたが」
「ふん」
「ねえ、あなたも望んでいるでしょう? 獣一族の繁栄を」
「私は獣たちの幸せを望んでいるのであって、お前のような望みは抱いていない」
「ははっ! 何を言う。獣一族を統べる人間が。獣一族を復活させ、そうして繁栄していきましょう」
「昔と今は違うのだ。時代は変わったのだ」
「いいや、今だからこそ! 世界中で戦争が起きている。我らの力はまさに神の力では? そらそこの、ヒグマ。自然界のヒグマよりも何倍も強くて力もあって、しかも人間の知能を持つ。改良を重ねれば、我々は世界をも牛耳ることが出来る」
「……夢物語だな」
「私を見給え! TGRVを改良し、TGRV‐3を投与したのだ。どうだ? 強く美しいだろう?」
「いや、醜いな」
「どこが醜いのだ!」
「何もかも――百獣の王が命ずる」
「やめろ! やめてくれ!」
院瀬見晧月である九つの尾を持つキツネは顔を引きつらせて叫んだ。
しかし、容赦なく藍冴は続ける。
「【獣化を解除せよ!】」
「いやだ! ああああああああ!」
キツネの絶叫。
黄褐色の大きな獣は、絶望しながら、しゅうううと音を立て姿を小さく変えていく。
「【獣化を封印する!】」
「どうして! 私は獣一族のためを思って……!」
院瀬見晧月は最後まで言葉を言うことは出来なかった。
「獣一族のためじゃなくて、自分のためだろう?」
藍冴は呟くと、奥の扉に目を向けた。
「行こう。あっちだ」
そこは鉄格子の中に入れられた、中途半端に獣化した人たちが収容されていた。
皆精気を失くした目をしている。
「そう言えば、この地下の職員たちはどこに行ったんだ?」
八尋の言葉に藍冴は「そこにいるだろう」と後ろの獣たちを指さす。
「まさか、彼らが……?」
「たぶん、な。自分たちも人体実験させられていたんだよ。或いは、今打たれたのかもしれないが」
藍冴は鉄格子から出した、中途半端に獣化人たちとつき従ってきた獣たちをまとめて、獣化を解き、さらに獣化を封印した。皆、気を失って倒れた。
「華怜!」
櫂十の声がして、見ると少女を抱きかかえていた。
「妹さんか?」
「そうです」
「……よかったな」
「はい、よかったです! 生きていてくれるだけでいい」
皇幹はシャツを脱いで、華怜にかけた。
「ありがとうございます!」
「お礼は藍冴さんに言うといい」
皇幹に言われ、櫂十は藍冴に頭を下げた。「本当にありがとうございます!」
「いや、私は私の使命を果たしただけだ。礼はいい。お前はお前の使命を果たせ」
「はい! 必ず、このことを記事にします」
「……それはまずいな。私たち、獣一族のことは秘しておいて欲しい」
「分かりました」
「私は、院瀬見晧月のように、獣一族の再興や繁栄を願っているわけではない。この時代、利用されて傷つくのを見るのはごめんだ。静かに暮らしたいのだよ」
「……分かります」
「だから、うまく書いてくれ。私は皆が笑って過ごせる世の中にしたいのだよ。獣も人間も。私の力はそのためのものだ」
藍冴は笑った。
皆の心に光が灯るような笑いだった。
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