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 今日は、四月八日。

 夢にまで見た、公立千極高等学校の入学式。


 辛く苦しい受験勉強を乗り越えて、合格通知を受け取った時は嬉し泣きした。泣きすぎてバスタオルをまるまる三枚ビチャビチャにして、パパとママに呆れられたっけ。


 そんなこんなを経て、ついにピカピカのJKとなった記念すべき初日。


 しかし私は、待ちに待ったはずの入学式に出席しなかった。正確には、できなかった。

 何をしていたのかというと、一応学校には来た。けれど自分のクラス分けだけを確認して、校内を彷徨い歩いて人気のない場所を探して、やっと見つけた中庭のベンチでメソメソと泣いていた。ベッドから這い出て登校しただけでも自分を褒めてあげたい。


 とはいえ、人目を避けてひっそり涙していた理由は、それほどドラマティックなものじゃない。人によっては何だそれくらいでと笑うかもしれない。

 簡単に言うと、昨夜の放送で推しが死んだのだ。シリーズものの刑事ドラマのキャラの一人で、確かに主要キャラではなかったけれど、脇役の中でもムードメーカー的な立ち位置で緊迫したシーンでもやんわりと雰囲気を和ませてくれる優しくて頼もしい人だった。なのにそんな彼が殉職するなんて今でも信じられない。何故なの……何故あの現場に彼が行かなくてはならなかったの……!? ダメだ、思い出すとまた泣けてきた。つらい、つらすぎる……!


 そう、実は私、涙腺が人よりちょっとばかり脆い。欠点の一つだと自覚しているけど、治しようがないんだから仕方ない。


 さらに言うと、先週発売の漫画雑誌でも別の推しが死亡した。そこに追い打ちをかけて訪れた、昨夜の推しの死。二次元と二・五次元で、私は心の支えを一度に失ったのである。

 オタクと呼べるほどディープなハマり方はしていないけれど、リアルが無風の平坦ロードな私にとって、二次元や二・五次元の世界はドキドキワクワクできる大切な場所だった。現実では叶わない夢を、目を開けたまま見られるんだもの。自分ではできないことをやり遂げるキャラに燃えたり、自分には到底手の届かない素敵なキャラに萌えたり、想像したり妄想したり……そんなひとときが本当に楽しくて幸せだった。だから推しキャラの立て続けの死が本当に本当につらくてしんどくて、入学式どころじゃなかった。それに式に出ていたら、ずっと泣き倒して皆に迷惑をかけたと思う。なのでこの選択は間違っていなかった――この時の私は、そう信じていた。後で激しく悔やむことになるとも知らずに。


 暫くシクシクベソベソしていると、こちらに向かってくる足音が聞こえてきた。入学式が終わったのか、近くに人が来たようだ。どうやら二人組らしく、甲高い声と低い声が何やら話し始める。でも、落ち込みのズンドコ沼に沈んでいた私には関係ないことだった。


 すると不意に、足音が一つ、私の座るベンチの真後ろにまでやってきた。もう一つの足音も、後を追って続く。でも、私には関係ないことだ。


「これだ、これ。これ、我が恋人」


 真上から、無感情な低い声が降ってくる。聞き惚れるようなイケボだ。でも、私には関係ない。


「はあ? この人が? たまたまここにいただけでしょ。なんかものっすごい泣いてるし、嘘つくにも相手を選んだ方がいいんじゃないの?」


 次いで、刺々しい甲高い声が落ちてくる。でも、私には関係ない。


「嘘じゃない。俺は嘘なんかつかない。今日という日を生き延びられたと喜んで、嬉しくて泣いてるんだと思う。多分」


「そんな理由で泣く!? それに多分って何よ! いろいろと適当すぎるでしょ! この人が恋人だというなら証拠を見せてよ!」


「証拠、証拠か。おい、我が恋人」


 何やら揉めてるみたいだ。ちょっと気まずい。でも、私には関係ない。

 そう言い聞かせて俯いていたけれど、限界だった。背後から両脇の下に手を差し込まれて、無理矢理立たせられたからだ。


 そっと顔を上げてみれば――涙でぼんやり滲んだ視界に、既知レベルを振り切った未知なるとんでもねぇ超絶イケメンが映った。


 は!? 何ですか誰ですか夢ですか!? そうだよね、夢に決まってるよね!


 ちょこちょこ跳ねのある黒髪は陽の光を跳ね返して後光みたいに艷やかに輝いてるし、切れ長の目元は鋭く涼やかで神がかった造形美だし、おまけに伏し目がちだから瞼に長い睫毛が影を落としてただならぬ色っぽさまで漂わてけしからんし、高く真っ直ぐに通った鼻筋はひたすら美しすぎるし、引き締まった唇の形も綺麗な曲線を描く輪郭も美に満ち溢れまくってて、何もかもどこもかしこも現実に存在するなんて信じられないアンビリバボーっぷり!

 ここまでくるともはや三次元じゃない、立体感のある二次元に分類にすべき!

 こんな美形、この世にいるわけがない! つまりこれは夢だ、いやもう夢でもいい! 推しを失って悲しみに暮れる私に神が遣わした、美天使様だと思うことにする!

 ィヨッシャー、だったら悲しみが癒えるまで眺め倒してくれようぞ! ソーレソレソレ、眼福眼福ワッショイワッショーイ!


 妄想妄言全開フルスロットルで脳内全力疾走していたのは、現実ではほんの十数秒だったようだ。


 そう、現実。この夢のような超絶イケメンは、ちゃんと現実に存在している――らしい。

 その証拠に、超絶イケメンは呆然とするばかりの私に顔を寄せて、耳元でそっと囁いたではありませんか!


「……踊るぞ」


 耳奥にじわりと染み入るイケボに、うっとり昇天し――かけた魂は、すぐに引き戻された。彼の背後にいる女子が、般若みたいに怖い顔をして睨んでいたからだ。


 ものすごくキレてるように見えるけど……やっぱりこの超絶イケメンのせいだよね? 超絶イケメンが私を、飼育員さんが動物の子を体重計に乗せるみたいな感じでずっと抱えたまんまなせいだよね?

 このままじゃ視線だけでなく物理で刺されかねないと感じたので、私はスーハーフッヒッフーと深呼吸してから全力の勇気を振り絞ってイケメンに話しかけた。


「ああああの、はなはな離してもらえます?」


 つっかえ噛みかけ詰まりながらも口から出たのは、面白みも何もない至って普通のお願いの言葉だった。実に私ならではといった凡庸さだ。


「マイムマイムか、わかった。ついてこい」


 ところがだがしかし、現実離れしたイケメンは聞き間違いも異次元レベルだった。


 どこへ!? と問い返すより早く、彼が私の左手を取る。

 イケメンに手を繋がれた!? いやいや神様、いくらなんでもサービスが過ぎますよ! あなありがたや、あなありがたや……なんて喜んだのは一瞬で、神への感謝は秒で吹っ飛んだ。

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