第四楽章 ⑥ 遠い記憶

 まぶたの裏に、一人の男の子が映った。


 唯一の肉親である弟だ。

 自分も、もうすぐあの子と同じ場所へ行く。


 ルチアは、両親の顔と名前を知らない。

 何故なぜならルチアと一歳年下の弟は、物心が付いた頃には帝国の軍人の家で生活していたから。


 家の者と自分たち姉弟きょうだいに血の繋がりがないことは、瞳や肌の色の違いから説明されずとも理解はしていた。

 手頃な孤児院が見つからなかったのか、詳しい経緯も不明だが、ルチアの両親は幼い子供二人を帝国軍に譲渡じょうとしたのである。


 白人の子供は、諜報員の養成が課題だった帝国軍が熱望した最たる人材だった。

 当然にルチアと弟は幼い頃から諜報員になるための教育をほどこされ、潜伏先となる外国の言語・文化・風俗を体に染み込ませた。


 不審ふしんに思われぬように。誰にでも成り済ませるように。最初からそこに居たかのように。まかり間違っても、敵国から派遣されているスパイではないかと微塵みじんも悟られぬように。

 無意識にでも任務のための行動を実行し続けられるように。


 いざという時は、味方にも敵にも知られずに死ねるように。


 諜報員となり、仮想敵国に「転校生」として派遣されて間もなく、自分の特務機関長から伝えられたのは『弟が死んだ』という情報だった。


 派遣先は違うので死体を直接見たわけではなく、暗号にり込まれた不確かな情報で死亡と判断されたに過ぎない。

 でも、それが真実であろうとなかろうと関係はなかった。


 この職務にく以上、死ぬのは時間の問題で、再会するときは靖国やすくにで会いましょうと……そう誓って別れたのだから。


 いつか御国に帰ったとき、どちらか一方がいなくなっていても笑って喜んで、決して涙は流さないと。

 そう、約束したのだから。


 泣かなかった。

 信じられぬ気持ちと、悲しみと恨み。そして、次は自分も命を落とすかもしれないという実感のなかった不安が押し寄せ、涙が出なかった。


 それでも自分の重責に対する使命感と、身元が露見したら殺されるという恐怖をかてにしてルチアは諜報任務にはげんだ。

 そんな時、最初にルチアに声をかけたのがエーカだった。


「その髪、とってもキレイだね!」と彼女が言い、

「あんたの髪は死神みたいね」とルチアが返す。


 いま思い返しても笑える始まりだった。


 帝国にいた頃は髪と瞳の色で差別されたので、人種的に同胞の王国へ行けば差別は受けないと思っていた。

 されど、珍しい色のブロンドに奇異きいの目を向けられるのは何処どこでも同じだった。


 本人が周囲に心を許さないのも合わさり、エーカ以外の人間は誰もルチアに心を開こうとはしなかった。


 ルチアとエーカが次第に仲良くなったのは必然だ。二人とも居場所がなかったから。


 いつか一緒に祖国へ渡り、あの子だけでも居場所を見つけられたらいいと思った。家族との幸せな暮らしは叶わなかったが、代わりにエーカだけは幸せにしてあげたかった。


 ふと、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた。

 記憶の中の弟の声……ではない。



 ──ルチアちゃん



 まぶたを開く。

 すぐ目の前を光る蝶が横切った。


 催眠譜さいみんふの副作用である幻覚かと一瞬考えたが、違う。これはまぎれもなく下級精霊。

 それが、何匹もルチアの周りを旋回せんかいしている。


 体が軽い。痛みが消えた。エーカの治癒魔法だ。


 根拠こんきょはない。しかし、ルチアは直感的に赤色の蝶をエーカが呼び出した精霊だと確信した。


 あの子は戦っている。

 あの臆病おくびょうな親友が今、一人で暗闇を進んでいるのだ。


 なのに、自分が先に諦めてしまってどうする。この男をエーカの前に立たせるわけには断じていかない。

 走馬灯そうまとうなどをながめている時間はないのだ。


 ルチアは石のように重く感じる両足に力を込め、こちらに一歩を踏み出した男に向き直る。


 まだ、動ける。


「死ねぇええ!!!」

 男の口から獣のような咆哮ほうこうが発せられた。


 それに従う気は毛頭ない。

 最後の最後まで足掻あがいてやる!!!


 決意の瞬間、ルチアの身体にまとう紫色の音響がまばゆ桔梗キキョウ色に変化し、そして弟の存在を魂に近い場所で強く感じた。

 愛器あいきえる。


 すべての現象を静かに受け入れ、ルチアは地面をった。

 





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