第一楽章 ⑤ 聖歌団の歌の響く

 大陸において教会は、どの町や村にも必ず一つは設けられている。

 そこは住民の信仰の場であり、逃れ人の聖域であり、権威の象徴であり、そして街を敵軍から防衛するための「障壁」でもあった。


 一世紀前であれば、都市の周囲に建てられた城壁が山賊や獣の侵入をふせいでいた。

 だが今日、敵軍の攻撃から住民を防御するのは、教会に設置された【パイプオルガン】や【カリヨン】などの音響兵器の役目である。


 これらは、ともに《移動できない盾》として最上級の楽器とされる。


 カマールの教会は、城内を壁で区切った各エリアに一つ以上は設置され、最も面積の大きい中央のエリアである「市街しがい地区」には大小合わせて五つが存在する。

 ちなみに、それらを指導する大聖堂は、要塞の防御能力を高めるために重要施設が集結する第三の「しろ地区」に置かれている。


 外界との唯一の門が設置された、もう一つの端のエリアが「城門じょうもん地区」であり、ここには一つの教会が最大級の【カリヨン】を装備して正門の守りを固めている。

 カマールは、城門地区の正門からのみ入城が可能。そのうえ、城地区へ行くためには市街地区を通り抜けなければならないという横並び構造になっている。

 エーカとルチアの家や小学校も、中心の市街地区内にあった。


 学校から近い場所にも小さな教会が建てられているが、今日は一五分ほど余計に歩いて地区内最大の教会に足を運ぶ。

 そこでは教会の聖歌団が集まり、合唱練習をしているのだ。


 本来なら聖歌団は、教会障壁の強度を上げる効果を持つ譜面を歌唱するために組織された合唱隊。

 しかし、カマールでは子供が歌を習える身近な音楽教育機関として利用されており、たくさんの学生が放課後に集まって声を合わせている。


 エーカたちと同様、それを聴く目的で教会に祈りを捧げに来る住民も多い。


 ラファエル教会の聖堂に入ると、おごそかな和音が体を包んだ。

 二人は後方の会衆席に腰をすべらせる。案の定、聖歌団は楽廊がくろうに納まりきらず、身廊や側廊まで使って聖歌をつむいでいる。


 エーカは歌声を見るように天井へ視線を移し、やがてなめらかにまぶたを閉じた。


 隣に座っていても、死んでいるのではないかと思うほどに呼吸を感じない。

 響き渡る聖なる歌を背景に、まるで神様に命を吸い上げられているかのようだとルチアは感じた。


 神秘的な光景に見惚みほれていると、芸術品に化けていた親友が突然、目を開いてルチアの方を向いた。


「ルチアちゃん、何か言った?」


「……何も言ってないけれど?」

 見てはいたが。


「そう……? 話しかけられた気がしたんだけどなぁ」

 聖歌団の歌声を、ルチアが話しかけた声だと勘違いしたのだろう。目を閉じていると雑音までよく聞こえるから、そういうこともある。


「綺麗だねぇ……」

 聖歌団を見ながらエーカがつぶやく。


 ルチアは溜息ためいき交じりに返した。

「あんた、音楽聴いたときの反応がいつもそれね」


「むぅ。だって、綺麗なんだもん……」

 語彙ごいの少なさを指摘されてほほを膨らませるエーカに、ルチアは聞いた。


「あんたも入りたい?」


「何に?」


「聖歌団によ」


 ルチアの言葉に、エーカは目をほんの少し見開いた。だが、すぐに顔を下に向けて黒髪の中に隠れてしまう。

 そこからかすかな声がした。


「だ、だって、わたしは……」

 弱々しく、何かを諦めたとでもいうような声。

 途端とたん、熱い何かがルチアの胸に湧き上がった。


「音に人種は関係ないわ!」

 声をおさえながらも、ルチアは力強く言った。


 いや、もはや他人に聞こえるからといって何だというのか。

 そんな些事さじを気にするより、目の前でおびえる女の子に伝えなければならない言葉があると、そう魂が叫んでいた。


 ところが、ルチアの口から出てきた台詞は嘘だった。事実、人種は大いに関係がある。敵国の人間というのも足枷あしかせになる。


 でも、それで皆と一緒に歌う夢を諦めてほしくはなかった。

 音楽は一人で発音するのも気持ち良いが、何より他人と自分の音を一つにする瞬間が、神と一つになると形容されるほどの歓喜かんきを生むのだ。


 エーカが音楽をやりたいと思っているのは一目瞭然りょうぜん。それはこの幼い少女が、本当は皆と繋がりたいと密かに願っている何よりの証拠ではないのか。

 ならば音楽を諦めることは、人間関係を諦めるという意味になってしまう。


 普段は感情的にならないルチアの豹変ひょうへんに驚いているのだろう。目を丸くするエーカに、ルチアはさらに顔を近づけて言った。


「肌の色で妥協だきょうすることを覚えないで、エーカ。諦めるのはまだ早いわ。幸いにも、ここは教会よ。人種の壁は城壁よりも低い!

 ……はず」


「はず」で失速したルチアの言葉に、エーカは唐突とうとつに笑顔を取り戻した。


「ふふっ。ありがとう、ルチアちゃん。でもいいの。わたし、歌もいいけれど……」


「楽器がやりたい?」

 言葉を続けられないエーカに代わり、ルチアがその先を口にする。


「…………うん」

 エーカはか細い声とともに弱々しく、けれども確かに肯いてみせた。


「楽隊かぁ。一番保守的なのよね」

 親友が自己主張してくれた嬉しさを溜息で隠しながら、ルチアは宝物にも似た会話を続ける。


「やりたい楽器は?」


「オーボエとかクラリネットとか、かな」


「嘘。それは〝やらされそう〟な楽器でしょ。本当は何がやりたいの?」

 黒髪の少女は答えない。


「サックスとかは?」

 それを聞いたエーカは、途端とたんに顔を赤らめた。


「そそっ、そんな目立つ楽器はダメだよぉ! せめてファゴットとか、フルートとかじゃないとぉ……」


「フルートめんな」

 間髪かんぱつを入れず、ルチアは冷やかな声でエーカの言い訳をさえぎった。


「えぇ……、ごめんなさい……」


「木管がやりたいの?」

 ルチアはいた。

 先ほどから会話に登場してくる楽器は木管楽器ばかりだ。


 エーカは目を泳がせたまま、なかなか口を開こうとしない。いったい何を躊躇ためらっているのか。

「神様の前で嘘はつけないわよ?」


 猫に似た嗜虐しぎゃく的な笑みを浮かべるルチアの催促で、彼女は眼差まなざしのみを祭壇さいだんに向けた。

 そこに居る見えない何かと葛藤かっとうするようにうなってから、エーカは再びこちらの顔をのぞく。


「……誰にも言わない?」


 さも当然という顔をしながら、ルチアは「うん」と頷いて見せた。

 そうして、ようやくエーカはルチアに耳打ちで告白を始める。でも本当のところ、答えはすでに分かっていた。


「うん……、やっぱりトランペットか!」

 楽器屋の窓から見ていたのは。


「あああああ、こえがおおきいいよおおおおおお!!」

 あんたの方がよほど大きいよ、とルチアは思う。


 教会は、合唱中でも細かい音まで耳に届くよう造られている。

 ルチアたちの前方に座る、練習を聴きに来ていた──もとい、祈りを捧げに来ていたけいけんな信者数人が鋭い目つきでこちらを振り返った。


「そ、そろそろ帰ろうか?」

「追い出される前にね」


 口をつぐんだ二人は、会衆席を離れる前に手を組んで祈りを捧げる。

 大天使ラファエル様、どうかあのクソガキが地獄に堕ちますように……。


 そして目を開けて隣を見ると、エーカはまだ熱心に何事かを祈っていた。


 この子が何を願ったのか、ルチアにはだいたい予想がついた。








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