第一楽章 ① 音楽戦争Ⅰ
トランペットが鳴っている。
しかし、早朝のトランペットを吹くには少々遅い時間だ。もうすぐ小学校も朝の鐘を鳴らす頃。
だというのに、ルチアの眼前にある家の玄関はなかなか開く気配を見せてはくれなかった。
「エーカ! もう、ルチアちゃん外で待ってくれているわよ。早くなさい!」
「はーい、いま行くって!!」
家の中から、この要塞内では珍しい東洋の言葉が漏れてくる。
母親と愛娘のいつもの声だ。
自宅と外で使用する言語を切り替えるのは
そう思った時、ルチアが首を長くして待っていた人物が、ようやく玄関の扉から顔を見せた。
彼女は黒髪を弾ませながら笑顔を作り、
「Buongiorno! Lucianna!(ルチアちゃん、おはよう!)」
「Ciao Eica(おはよ、エーカ)」
黒髪の少女──エーカは、自宅から飛び出た瞬間、話す言語を帝国語から、この国の公用語である王国語に切り替えた。彼女は母親以外の人間と会話するとき、母国語ではない王国の言語を使わなければならない。
外国人が王国で生活をするためにそれは必須の能力であるとはいえ、実際に目の前で二つの言語を自由に使い
エーカは申し訳なさそうな顔で言った。
「ルチアちゃん、ごめんね。遅刻しちゃった?」
「歩けばぎりぎり、走れば普通に間に合うわ」
木や
なぜかと言えば、エーカは黒髪・黒眼で、この
さらに、それをよく誇張するように彼女の髪は背中を覆うほどに長く、黒い
一方、併走するルチアの方は肌と顔立ちは王国人にありふれた見た目をしているのだが、その肩で切り
「やぁ、エーカ! また遅刻かーい?」
野太い声が、走る二人の左手から聞こえてきた。とっくに営業中の雑貨店の主人が、自店の前を通りかかったエーカに話しかけたのだ。
王国において、東洋人は差別の対象となりやすい。だからこの男がこれほどの好意を持ってエーカに接しているのは、まさに彼女の人柄の
「走れば大丈夫だよー!!」
嬉しさを
「そっか、気ぃつけてなー!」
彼はこちらに手を振って見送ってくれた。
対して、街を行き
当然の反応である。
「敵国民が……」
ふいに、そんな声がルチアの耳に届いた。街行く者たちの一人が
その通り。
王国の民にとって、エーカは「敵国の民」。
何故なら現在、この王国と彼女の祖国(正確には彼女の母親の祖国)である帝国は──戦争中なのだから。
友人として「気にしなくていい」くらいの言葉はかけてやるべきかと、ルチアは自身の隣を見た。すると、先ほどまで併走していたはずの彼女の姿がどこにもない。
十二歳の少女には、やや辛い速度だっただろうか……。
しかし、《
それよりも、あの子がいないのなら理由は明白。ルチアが立っている場所は、ちょうど楽器屋や写譜屋が並んでいる通りだから。
「うわ──ッ!!」
ルチアの思考を
その方向に振り返ると、目を輝かせて楽器屋の窓ガラスにへばりついている黒髪の少女が発見される。
「ねぇねぇルチアちゃん見て見てッ。アルマーティ製の
音楽に興味があるのは、別に悪いことではない。
だが、放課後にしてくれないだろうか?
「エーカ……」
呆れ顔でルチアが近づくと、こちらに文句を言わせる暇もなくエーカの口から
「綺麗だねー……」
陳列窓に心を奪われたような顔を浮かべるエーカに、ルチアも別の意味で溜息を漏らす。仕方なく彼女と同様に窓ガラスの向こう側を見た。
確かに、綺麗ではある。
ホルン、トランペット、コルネット、トロンボーン、ユーフォニアム。楽器屋の陳列棚には、いくつかの金管楽器が飾られていた。
『金管楽器』とは金属からできているという意味の分類名ではないのだが、金属製の品が多い。
その材質上、
されど、ルチアは冷めた声で呟く。
「そりゃ人殺しの道具なんだから、魅力的でしょうね……」
ルチアの瞳には、楽器の光沢で反射した光すら吸い込んで映さないような虚無があった。
銃や刀と同じく、人を殺すための兵器という物は、そこに存在するだけで魅惑的な何かを
音楽に──つまり兵器に興味を抱くのは、別に悪いことではない。
少なくともルチアはそう思う。問題なのは、それが人を殺すために作られている代物だと認識をしているかだ。
この子は、目の前にある楽器のベル(アサガオの花に似たラッパの先端部)から弾が飛び出る事実を理解してはいない。
その弾が人間を貫き、敵陣を破壊する使命を与えられている現実を知らない。
それが解らなければ、音楽に手を出す資格はない。
窓ガラスを破る権利はないのだ。
だからこそ、自分がこの純粋な少女の手を引いてやらなくてはと、ルチアは自身に言い聞かせた。エーカが間違った方向にアクセルを踏みそうになったら、自分がブレーキをかける。
「……ほらエーカ、行くよ」
ルチアが手を引くと、彼女は甘えた声で鳴いた。
「ええー、中見ていきたいよー」
「なに言ってんの! 取扱い免許もないのに、入れるわけがないでしょ!?」
冗談なのか本気なのか分からない
「──それより学校!!」
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