NTRおっさん魔法杖職人の伝説~オープン初日に婚約者と義弟の裏切りにあった俺、ブチギレて自由気ままな旅に出る~

やまたふ

第1話 おっさん、旅に出る

「タツオ。ごめんなさい、あなたとの婚約を破棄させてほしいの」


 ……何を言われたのか、一瞬理解できなかった。


 場所は東京都内のはずれにある、新築したばかりの工房兼新居のリビング。

 壁には木の香りが残り、床にはまだ養生シートの跡がついている。


 今日はオープン初日だった。


 それなのに、俺――【天草タツオ】は、人生最大の爆弾を食らっていた。


「え、婚約を破棄って……ど、どうしてだよジュンコ?」


 相手の【冴木ジュンコ】は、冷静そのものだった。


 普段から真面目で礼儀正しい彼女が、こんな唐突な言葉を口にするなんて想像もしていなかった。


「ほんとにごめんなさい。でも、気づいちゃったのよ」

「気づいた? 何に?」

「真実の愛――よ」

「……は?」


 意味がわからず固まる。

 すでに俺の思考回路はショートしていた。



【世界大厄災(ワールドブレイク)】――あの日を境に、世界は変わった。


 突如として発生したモンスターたちにより、社会は半壊。

 強い魔力を持って生まれた【魔法使い(ウィザード)】と呼ばれる人間たちが前線で戦うようになり、彼らの力を増幅させる武器――魔法杖の需要は一気に跳ね上がった。


 そんな社会にあって、俺は杖職人として工房を営んでいる。

 先代である親父が築いたものを引き継いだ形だ。


 親父は十年以上前に病気でこの世を去った。

 以来、俺はずっと一人で黙々と杖を作り続けている。


 ジュンコはそんな俺が杖を卸している会社の職員で、たまたま社内にいた共通の知人を介して仲良くなった。

 後で知ったが、その友人が三十過ぎてまだ独身の俺に気を利かせてくれたらしい。


 ちなみに当時俺が三十三で、ジュンコが二十一。

 おいおい十歳差とかマジ?と思ったが、俺たちは付き合い始めた。


 それから五年。


 三十八歳でアラフォーに差し掛かった俺は、満を持してジュンコにプロポーズ。

 無事にオーケーをもらい、結婚式の準備も済み、新しい工房まで建てた。


 すべてが順調に進んでいると思っていた――なのに、まさかこのタイミングで「婚約破棄」だなんて。



「し、真実の愛ってどういうことだ……? ジュンコ」

「ごめん、タツオ。他に好きな人ができたの」


 その瞬間、ジュンコの視線が俺の背後を向いた。

 リビングの扉が開き、そこに立っていたのは見覚えのある顔。


「よぉ、タツオ兄貴」


 ……声を聞いた瞬間、全身が凍りついた。


「お、お前は……ユイト!」


【天草ユイト】。


 俺の十歳下の弟だ。


 野暮ったい俺と違い、茶髪にピアス、服装まで全部がチャラい。

 あとは商売上手で口も達者。


 ――まさか。


「も、もしかして、ジュンコの“真実の愛”の相手って……」

「もちろん、このオレだよ」


 マジかよ。

 それってつまり――。


 俺は、自分の弟に“婚約者を寝取られた”ってことか?


「そ、そんな、いつの間に……?」

「そうだなぁ。あんまはっきり覚えちゃいねーが、かれこれ三年くらい前からだったっけか」


 ユイトは薄く笑いながら、ジュンコの肩に腕を回した。


 ジュンコは恥ずかしそうに目を伏せる。

 あの冷静な女が、恋する乙女の顔をしていた。


「ユイトは私に、いろんなものを与えてくれたの。一緒にいると毎日が新鮮で楽しいの。……タツオ、あなたと違ってね」

「し、新鮮って……」

「あなたはいつも仕事ばかりで、私のことなんて見てくれなかった」

「そんなこと……そりゃ、仕事は忙しかったさ。でもジュンコだって言ってただろ、『一生懸命頑張るあなたが好き』って……」


 たしかに、俺の毎日は仕事漬けだったさ。

 でも仕方ないじゃないか。


 人々を守るためにウィザードたちが命を懸けて戦ってくれている。

 だったら、彼らが使う道具を作る俺だって、同じく命を懸けないといけない。それが職人ってもんだ。


 しかも俺の場合、他の職人と少し事情が異なる部分もある。

 生前の親父はかなり名の知れた職人だったようで、普通の仕事とは別にいくつも【特殊な案件】を抱えていた。

 そして当然、跡を継いだ俺もその仕事を引き継がざるを得なかった。


「わかってないな、兄貴」


 ユイトが鼻で笑う。


「女ってのは、基本寂しがり屋なんだぜ? 放っておいたら気持ちが離れてくのは当然。そんなことだから、昔から兄貴はモテねぇんだよ」

「っ……!」

「兄貴は仕事にばっかかまけて、ジュンコを優先しなかった。こうなって当然だろ」

「だ、だからそれは……てか、それをお前が言うのかよ! 俺が忙しいのは主にお前のせいだろうが!」


 うちのメイン取引先――【天草商会】。


 名前で察するかもしれないが、俺の実家だ。

 正確には母の実家が代々やってきた商会。


 たしか親父とおふくろも、俺とジュンコのように取引先同士の関係から発展して結婚に至ったんだとか。

 ただ、二人は長いこと子に恵まれなかった。そこで孤児だった俺が引き取られた。


 ……だが、人生とは皮肉なもんで。


 俺が家に来た翌年、待望の実子が生まれた。

 ユイトだ。


 つまり俺とユイトは、血のつながりはない義兄弟。


 その扱いは対照的で、おふくろは自分の腹を痛めて産んだユイトを溺愛した。


 一方で、俺はまるで空気。それどころか、孤児院に送り返す案まで出ていたらしい。

 親父が止めてくれなかったら、今ここに俺はいない。


 そうして見兼ねた親父が、「いざというときは一人で生きていけるように」と自分のやってた杖づくりの仕事を叩き込んでくれた。


 その後、親父は病で倒れ、続くようにおふくろも逝った。

 よって天草商会の現代表はユイトとなっている。


 で、問題はそこから。


 俺にとっては大口の取引先である天草商会からの発注は多く、かつ毎回スケジュールもムチャ振りレベル。

 つまり、俺が忙しい原因のほとんどは天草商会――そのトップであるユイト、こいつだ。


「あ? なんだよ、なにか文句でも? 職人なんて仕事あってナンボだろ。むしろこっちは仕事回してやってんだから、感謝してほしいくらいだぜ」

「ふ、ふざけんな! 俺が頑張らなかったら、今ごろ天草商会は潰れてたんだぞ! よくもそんなこと言えるな!」


 ここだけの話、天草商会の経営は一時期かなり傾いていた。

 それを俺が大量の杖を納品することでなんとか立て直したという経緯がある。


 しかし、そう激しく反論する俺に対し、ユイトもジュンコもなぜかぽかんとした顔をした。


「プッ、なに言ってんだよタツオ兄貴。経営が上向いたのは、そのころ偶然、大手の仕事がいくつも入ってきたからだろ。運が良かっただけだっつの」

「ぐ、偶然……!?」


 何言ってやがんだコイツ!


 運なんかじゃない。

 あれは俺がさっき話した【特殊な案件】によりつながりのあった、国の機関や大手ウィザーズギルドに頼み込んで発注してもらったものだ。


 ちなみにそのことはユイトにも話したことがある。

 なのに、まさかこいつ……忘れたってのかよ!?


「ジュ、ジュンコ……君もそう思ってるのか? ただの偶然だって」

「いいえ、そんなことないわ」


 ほっ。よかった、君はわかってくれていたか。


「私とユイトの愛の力よ。二人の強く愛し合う想いこそが、きっと仕事を呼び込んだに違いないわ」


 ……そうか、お前もか。


 なんでわかんないんだ。

 今まで一度も取引のなかった大口の相手から、突然仕事が舞い込むなんて偶然なわけがないだろ。


 ましてや愛の力? バカか?


「はは……」


 渇いた笑いがこぼれる。


「だいたい、なんだってこんなタイミングなんだよ……。プロポーズして、新しい工房ができて、これから再出発ってときに……」


 そもそも改築を言い出したのはジュンコだ。


 俺は正直、父さんの残した古い工房を壊すのに抵抗があった。

 あそこは形見みたいなもんだったからな。


 それでも「いずれ子どもができたら手狭になるから」と説得され、泣く泣く了承した。


 ……なのに今となっては、このなんの思い入れもない工房で――俺ひとり。


「つーわけで兄貴、とっとと出てってくれよ」

「は?」


 は?


「おいおい、んだよそのマヌケ面。兄貴だって元カノと弟が二人で住む家に居候とか、恥ずかしいだろ?」

「そ、そりゃそうだけど……。でも、だからなんでお前らがこの家に住む気満々なのか、って話なんだが……」


 至極当たり前のことを言ったつもりだった。


 けれど、ユイトはまたしてもキョトンとした。


「だってオレ、金ねーし」

「はぁ!? 知らねーよそんなの! お前、社長だろ! 金ならいくらでもあるだろ!」


 俺が卸した杖を売りさばいて稼いだ金が!


「いや、それがそうでもねーんだわ。最近車買っちゃったし、ジュンコと新婚旅行は絶対ハワイ行こうぜって決めてたし。な?」

「ねー?」

「ま、とにかくいろいろ入り用なんだよ。なにより……」


 ユイトの口元がゆっくり吊り上がる。

 嫌な予感がした。


 案の定、ユイトはジュンコの腰に手を回し、彼女のお腹をそっと撫でた。


「これからは、“三人分”を養わなきゃいけねぇもんでよ」

「はぁああああああああああああああ!?」


 頭の中が爆発した。


 嘘だろこいつら。浮気だけじゃなく、もう子どもまで……!?

 俺が必死こいて汗まみれで仕事してる間に、こいつらは裏でズッコンバッコン――。


「だからさ、これくらい許してくれよ。兄貴って今年で三十八っしょ? もう完全におっさんじゃん。前途ある若い夫婦のために、ちょっと早い出産祝いと思ってさ、な?」

「…………」


 開いた口がふさがらない。

 なにが祝いだ。めでたいのはお前の頭だろうが。


 ジュンコもジュンコだ。

 口では「あなたといると落ち着く」とか言ってたくせに、結局若い男の方がいいってことかよ……。


「……ざけんな。ふざけんなよ!」


 気づけば怒鳴っていた。

 当然だ。これでキレない方がおかしい。


「んだよ、うっせぇーなぁ。いきなり怒鳴るなよ、兄貴」

「そうよ、やめてタツオ。お腹の子が怯えちゃうわ」

「っ……!?」


 もう限界だった。

 ここにいたら、脳みそが壊れちまう。


「……ああそうかい。わかったよ、出ていくよ……出ていきゃいいんだろ! いいさ、家も店もお前らの勝手にしろよっ!!」

「あ、待ってタツオ」


 ジュンコの声が背中に刺さる。


「……なんだよ? 引き止めても無駄だぞ。俺はもう、お前らを許す気はない」

「そうじゃないの。出て行ってもいいけど、仕事はちゃんと続けてね」

「………………………は?」


 こいつ……今、なんて言った?


「ユイトの会社に、この店の杖を納品してもらわないと困るの」


 ――怒りで頭が真っ白になった。


 浮気して、家を奪って、子どもまで作っておいて……こいつらはまだ俺に貢げと?


「もう知らん! 俺は出てく! 仕事もやめてやる!」

「なっ!? そんな、タツオ。あなたそれでも職人なの? 無責任すぎるわ!」

「黙れ! 浮気したお前に責任がどうこうなんて言われたくない!!」


 怒鳴り返し、ドアを勢いよく開け放った。


「ちょっとタツオ!」

「ほっとけよジュンコ。大丈夫だって。しょせん、杖なんて割り箸みてーなもんだろ? オレでも作れるっつの。オレ、図工“5”だったし。それになんたってオレは――“血のつながった”親父の息子だしな」


 ――は?


 俺でもできる? 馬鹿が。できるわけないだろ。

 親父がいくら誘っても、「めんどくせぇ」のひと言でろくに修行もしてこなかったくせに。


 俺がいなくなれば、この店は間違いなく終わる。

 ここだけじゃない、天草商会もだ。


 大手の取引先との契約は俺のツテで得たものだ。

 俺を追い出したと知れば、彼らは即座に契約を切るに決まってる。


 けど、もう知らん。

 あいつらがどうなろうと、俺の知ったことじゃねぇ。


 そうして俺は、すべてを捨てて町を後にした。


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