第3章 必要とされても
第12話
翌日、村田はコタツを点けたままネコを置いて、少し早めに出勤した。始業前だが、いつも朝の早い加藤の席に向かう。村田から事情を聴き、加藤は嬉しそうに顔を輝かせた。
「鶏むね肉はいいチョイス。でも仔ネコ用のフードをちゃんと買った方がいいよ。あと、鼻水が出てるんなら、早く獣医さんに見せなきゃね。」
「いや、僕が飼うわけじゃないんですけど。」
「何言ってるの。里親に出すとしたって、目くそ鼻くそ治して、予防接種して、ふわっふわの可愛い仔にしないと引き取り手が見つからないよ?」
「そうなんですか…」
「そりゃ、そうよ。誰だって飼うならキレイで可愛い仔が欲しいな、って思うでしょ。慈善事業じゃないんだから。」
加藤の言うとおりである。村田は当てが外れて、肩を落とした。
「ゲンちゃんとは仲良くしてるの?」
「え、ええ、今のところ。」
想定していなかった質問が来て、村田はいささかどもった。自宅には架空のネコがいることをうっかり忘れていた。設定を新たに追加しておかないと。むしろ、ゲンは家出したことにするか。
「それからね、男の仔だっけ。」
「はい。多分ですけど。」
「里親に出す前に去勢しなさいね。たまにたちの悪い里親がいて、避妊去勢しなくて多頭飼い崩壊ってなっちゃうから。」
去勢と聞いて、村田は一瞬、微かに顔を曇らせた。加藤はそれには気付かず、機嫌良さそうに裏紙にメモを書き始めた。仔ネコ用フードなど、村田が取り急ぎ用意しなければならない物や、獣医に伝えるべきポイントのリストのようだ。
「はい、これ。参考にね。」
「ありがとうございます、助かります。」
「あと、今日は午後半休取って、動物病院行って、買い出しに行きなさい。これは先輩の命令。」
「いや、仕事が…」
「私がフォローしとくよ、それくらい。仔ネコちゃんのためなら、まっかせなさい。」
ベテランの加藤に任せられるなら、仕事の進行については全く心配は無い。正直なところ、村田はたかが仔ネコ一匹でと思うが、それを言い出すとかえって加藤は怒りそうだ。せめて、午前中にできるだけ仕事を片付けておくべく、村田は自席に急いだ。
落合のいない課内は、静かで穏やかである他は何も変わらなかった。昨日は誰もが半分心ここにあらずで浮足立っていたが、さすがに一晩明けると落ち着いてくる。やらねばならない仕事が目の前にたんと積まれているのだ。粛々と業務を遂行するしかない。誰かが欠けようと増えようと、組織の総体は変わらない。細胞が一つ二つ死んだところで生体に何ら影響が出ないように。それが組織というものだろう。
村田は水も飲まず一心不乱に急ぎの仕事を片端からさらった。いくらネコ好きの加藤がドンと胸を張ったとはいえ、あまり迷惑はかけられない。完全に仕上がったとは言い難いが、明日に少し手を加えれば片付く状態まで整えて、村田は正午を迎えた。寝不足で昨日の疲れが抜けきっていないうえに根を詰めすぎて、遅くまで残業した後のようにくたびれていた。
すぐに席を立って社を出る元気が出ず、椅子の上でぐったりとしている村田に、横から薄い冊子が差し出された。
「お疲れだね、村田さん。これ読んで元気出せよ。」
見上げると、萩野が昼食の入ったコンビニ袋をぶら下げて立っていた。萩野が持っている冊子を一瞥すると、『週刊プレイボーイ』のグラビア写真の表紙である。が、よくよく眺めると、様子がおかしい。光沢紙ではなくて、安いコピー用紙に荒く印刷されている。どうやら、萩野がどこかで画像をカラー印刷したもののようだ。
「何だこれ。萩野さん、なに遊んでるんですか、もう。」
「元気出るだろ。」
「萎えますよ。」
村田は冊子を萩野から受け取った。グラビアの紙は冊子にクリップで留めてあるだけだった。こんな印刷をされた紙を裏紙に回すのも気が引けて、村田はグラビアを外して小さく折りたたみ、ごみ箱に捨てた。誰かに見られたら変な誤解をされそうだ。
冊子本体は、村田が企業広告の原稿を出したコミュニティ雑誌だった。ようやく刷り上がったらしい。
「村田先生が登場予定のページ、結構良かったぞ。」
村田はパラパラと頁をめくった。まずは原稿を出した企業広告欄をチェックする。何度か校正したので当然ではあるが、全く問題は無い。文体が固すぎるだけだ。
そこじゃなくて、と萩野に言われ、村田はさらに頁を繰った。やがて、手作り和菓子特集の見出しが目に飛び込んできた。これが、柴山が言っていた、読者に記事を書かせるという企画紙面だろう。記名記事になっており、何人かの書き手がいることが窺われる。読者投稿欄のようにただ文章を列挙してあるだけではなく、紙面としてまとまりのある仕上がりになっているのが見た目でも伝わってくる。
「な?書き手ごとの個性が出てるけど、全体としては統一感があるだろ。編集者もなかなかのもんだな。」
「そうですね、完成度が高いですね。」
「どうも、実名じゃないっぽい人もいるんだ。この、古池かわず、とか。俺も村田さんのペンネーム、考えとくよ。聖飢魔Ⅱみたいなやつ。」
「要りませんってば。」
そういえば、あれ以来柴山から連絡は無い。この話は立ち消えになっていてくれれば、それに越したことはない。
村田は紙面を詳細に読むのは後回しにして、コートを着た。雑誌をカバンに突っ込んで、席を立つ。加藤に挨拶してから、村田は会社を出た。
村田は自宅の最寄り駅から一本手前で降り、ペットショップを併設しているショッピングセンターに向かった。加藤に指示された物に加え、トイレ用品とキャリーバッグを買ったら、かなりの荷物になった。運ぶのも一苦労である。木枯らしが寒々しい音を立てている最中に汗をかきながら、村田は何とか自宅まで帰り着いた。
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