第8話 最後の晩さん
翌朝早く、部屋をノックする音に身体を起こす。ドアを開けると、穏やかな笑みを携えたスレイトが立っていた。
「おはよう、昨日はごめんねえ」
すっかり元気を取り戻した様子の彼女は、心配そうに見つめる二人に柔らかく微笑んでみせる。昨日の様子とは打って変わって、何か憑き物でも落ちたような清々しさを感じさせる。
彼女はしぃ、と口元に人差し指を寄せて部屋に入り、静かにドアを閉めた。改めてアプリコ達に向き直すと、変わらぬ表情で口を開いた。
「……指先に、痒みがあるの」
「え……それって……」
「わたしもじきに、あの化け物になるのよね」
淡々とそう言って、いつものように笑ってそう言った。戸惑う二人に対して、彼女は平然とした様子で続ける。
「やっぱり、少しでもあの霧に触れたらダメなのね……わたしも、きっと子ども達も、いずれ……」
「……そんな」
「――だから、わたしたち……明日、服毒して死のうと思う」
まるで新しい門出のように清らかな表情で、凛とした瞳でそう言った。言葉を失っているレドの隣で、アプリコは不思議そうに首を傾げている。
「わたしが化け物になってあの子たちを食べてしまったり、たとえそうでなくても、いずれ子ども同士が殺し合うことになるでしょ? そうなったら、あまりにも辛すぎるから」
「それは性急じゃない? すぐに化け物になるかも分からないし」
「ううん、わたしたち……まだ『人間』でいられるうちに、向こうに行くわ」
アプリコが訝しげに問うが、スレイトの意思は固く揺らがなかった。真っ直ぐで力強い言葉に、死への恐怖は無い。最早覆ることのない決意に、アプリコも反論する余地を失った。
ただ、彼女はそんな決定事項の報告をする為にここに来たわけではない。何とも言えない顔をしている二人に、スレイトは手を合わせて柔らかく微笑んだ。
「だからね、最後に二人にお願いがあるの! 明日の晩、あの子たちにとびっきりのご馳走を振る舞いたいの。それを手伝ってもらいたくて」
「ご馳走……?」
「そう、最後は美味しいものをお腹いっぱい食べさせてあげたいの!」
彼女は二人が初めてその笑顔を見た時のような眩しい笑顔で笑って、初めて二人に子ども達のことを話した時のように愛おしげな声色でそう言った。
明日の晩には自ら命を絶とうという人間には到底見えなかった。「最期のお願い」というにはあまりにもささやかで、ちょっとした記念日を前にしているようだった。
その願いを、アプリコとレドが断る理由は無かった。
――――
その日は朝から晩まで一日中、街中を駆け巡った。ひたすら走り、うろつく化け物を蹴散らし、スレイトに手渡されたメモに従って食材を掻き集めた。
持ち主の居なくなった家を漁り、誰も経営していないスーパーを探索し、リュックいっぱいに詰め込んだ食材を教会に運んではそれを繰り返す。疲労も心もないギアたちは、それは何の苦痛もなく容易くこなしてみせた。
翌日――最後の日は、朝から料理に勤しんだ。大量の食材とスレイトが徹夜で料理本を読み漁って探し出したレシピに向き合って、ドタバタと動き回った。
沢山の料理からデザート――それは料理本通りとはいかない。電気の通っていない家やスーパーの生ものはとっくに腐り果てているし、野菜や果物は基本的に缶詰しか残っていない。
それを何とか他の食材で代用する。牛乳はスキムミルク、卵はパックの代用卵、肉は……加工肉の缶詰をアプリコが上手いこと加工してそれっぽく。後は調味料で何とか誤魔化して……。
味も見た目も、かつて人間が日常の中で食べていたものとは程遠い――が、この閉ざされた生活の中で生きていた子どもたちにとって、とびきりの贅沢になりますように。そう願いながら、スレイトはオーブンの中で膨らんでいくスポンジを見つめて微笑んだ。
「――わっ、なにこれー⁉」
「すごー! いい匂い!」
「えーっ! これ、こんなの食べていいのー⁉」
夕食の時間、食堂のテーブルには煌びやかな料理が所狭しと並んでいた。
チーズのいっぱい乗ったピザにミートソースのパスタ、アツアツのクリームシチュー。小エビの入ったとろけるグラタンにジューシーな香りのハンバーグ。デザートにはフルーツのたくさん乗ったケーキ!
「うん、いっぱい食べていいよ! まだまだあるからね~」
「やったー‼」
夢のような食卓に、子ども達は食堂に訪れるなり歓喜の声を上げた。お腹を空かせた子ども達は夢中で料理を頬張って、楽しそうに笑って騒いでは平らげていった。
子ども達の騒ぎ声を聞きながら、全てをやり遂げたアプリコとレドは達成感に満ちた表情で彼らを眺めていた。
「ふふっ、レド、笑ってる」
「……だから何だよ」
「……良かったなあって思って!」
「……まあ、そりゃ、そうだな」
ふとぱちりと目が合うと、互いに思わず口元が緩んでいる。アプリコがくすりと笑うと、レドは一度表情を引き締めようときゅっと口を結ぶ――が、そのうちまた穏やかな笑みになるのを見て、少女は嬉しそうに目を細めた。
すると、不意に背後からぽんと肩を叩かれる。振り返ると、にこにこと満面の笑みのスレイトが食卓を差していた。
「アプリコちゃんとレドくんも、どうぞ!」
「えっ、ボクたちは不死身だから、食事は不要だよ。それよりも皆が食べたほうが……」
「んー、不要かもしれないけど、美味しいよ? せっかくなんだから食べなよ!」
相変わらず食事への参加を渋る二人の背中を押して、スレイトは食卓の空席へ案内する。着席すると、目の前は先程自分たちが作った料理で埋まっていた。
アプリコとレドには心が無い。だから、美味しそうな料理を前にして、それを美味しそうだと思う事すらない。
だから、彼らを動かしたのはスレイトの言葉だった。アプリコは先日のレドの言葉を思い出す。彼女の表情は、どうもボクらにこれを食べて欲しいという風に見える。だから、わざわざ何度も断るのも……。
「……えっと、じゃあせっかくだし……いただこうかな!」
「そう! どうぞどうぞ!」
「あ、そうだ。味覚と……あと、嗅覚も調整してみて……レドも」
おずおずとそう言って、黒い髪を持ち上げて項をかちゃかちゃと操作する。レドの首元にも手をやって、そうして挑むように料理たちに向き合った。
銀色のナイフとフォークを携える。使い方は、食事中の子ども達を見ていたから凡そ理解できている。アプリコはハンバーグにナイフを入れ、一切れフォークで口に運んだ。
「じゃあ……んむぐ……ん…………、ん⁉」
大口を開けてぱくりと頬張って、もぐもぐと咀嚼した――瞬間、知らない感覚にアプリコは声を上げた。
「……な、なんかこれ……すごく……いい! もっと食べたくなる感じ……⁉」
口の中で広がる芳醇な香り、噛むとほろりと崩れて舌にまろやかな肉の味が伝わってくる。ごくんと飲み込むと、鼻に抜ける甘酸っぱいソースの香り。
アプリコは無意識に、もう一切れを口に運んでいた。
「あはは! それ、きっと『美味しい』ってことだよ! すごい、初めて美味しいを知った人の反応ってこんななんだ……」
「ねえレド、これ『美味しい』よ! ピザ食べてみてよ!」
「……もう食べてる……」
赤く色づいた頬に手を当てて目を見開く少女を見て、スレイトは弾けるような笑い声を上げた。彼女の反応を他所に、アプリコは夢中でハンバーグを平らげ、次の料理の皿に手を伸ばしている。
レドも彼女ほど分かりやすくはないが、静かに淡々とパスタを平らげ、シチューのスプーンを何度も口に運んでは往復させている。
ピザのチーズを伸ばして目を輝かせている少女を見つめながら、スレイトは幸せそうに目を細めた。
「はーい、ミートパイが焼きあがったよ~」
「やったー! ちょうだーい!」
「あ! ボクも! ボクも食べたーい!」
キッチンから焼きたてのパイを運ぶスレイトに、子ども達とアプリコの嬉しそうな声が上がる。切り分けたミートパイを前にして、少女はまた目をきらきらさせた。
最後の晩餐の夜、教会の食堂には幸せな笑い声がずっと響いていた。とてもとても幸せで満ち足りていて、思わずこの人生が名残惜しいと感じるくらいの夜だった。
いつまでもこの時間が続けばいいと、スレイトは願った。
次の更新予定
ラクエンツイソウ 須賀雅木 @ichimiya131
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