第4話貴族令嬢と思いがけない火種
王子との会話から数日後。
屋敷の中は相変わらず落ち着かない雰囲気だった。
どうやら視察の余韻はまだ残っているようで、侍女たちはお茶の時間ですら落ち着かず、ひそひそとある噂を囁き続けていた。
「王子さま、誰かに声をかけていたらしいのよ。しかも庶民の女に」
その言葉が聞こえるたび、わたくしは背筋を固くしてパンを噛みしめるのが精一杯だった。
「ミリア、気にしないでよ」
リナが横で囁く。
でも目は完全に好奇心で輝いている。
「気にしていませんわ…」
気にしていないふりをしているだけ、かもしれない。
前世でわたくしは、お嬢様Vとして多くの視線を浴びて生きていた。
注目されるほど危険が増すことも知っている。
人気が上がるほど嫉妬も増えることも痛いほど理解していた。
だからこそ気配には敏感だった。
その日の午後、食堂で昼の片付けをしていると、背後から鋭い視線が刺さった。
「あなたがミリア、という子かしら」
振り向くと、そこに立っていたのは十七、八ほどの若い貴族令嬢。
透き通る金髪に真珠色のドレス。
そして、完璧に整った姿勢と、美しい微笑み。
まさに絵画のような貴族の少女だった。
「お、お嬢様…?」
わたくしが言葉を失っていると、令嬢はふわりと近づいてきた。
「わたくしはティアナ・ルーエン。この屋敷の当主の姪にあたる者よ」
名乗りながらも、その瞳はわたくしの全身を舐めるように観察している。
まるで、汚れでも探すような目。
「聞いたわよ。あなた、王子さまとお話ししたそうね」
…来た。
侍女たちの噂話は貴族の耳にも届いてしまったらしい。
わたくしは慌てて首を振った。
「いえ、ほんの偶然で…わたくしなどが王子さまとお話など…」
ティアナは笑った。
けれど、その笑みには冷たさが混じっていた。
「偶然ね…。でも、庶民のあなたが王子さまの視界に入るなんて、とても珍しいことだわ」
声は柔らかいのに、言葉は刺のように細く鋭い。
前世で何度も浴びた、女からの嫉妬の視線。
配信のコメント欄で、わたくしに敵意を向けた女性リスナーたちの言葉。
それらが、一瞬で脳裏に蘇る。
ティアナはさらに一歩近づいた。
わたくしの顔を覗き込むようにして言う。
「あなた、前にどこかで会ったかしら。妙に人目を引く顔をしているわね。
掃除係にしては、ずいぶん姿勢も所作も整っているし…」
心臓が一瞬止まる。
前世の癖だ。
配信者として、どんな場でも見られることを意識していた。
リスナーからお金を頂いていた以上、プロとして身だしなみも、仕草も、視線の使い方も。
なのに、それをこの世界でも自然にやってしまっていたのだ。
「あの…特別なことは何も…庶民ですし、ほんのただの掃除係で…」
ティアナは満足げに微笑んだ。
「なら良いわ。身の程をわきまえているなら、わたくしも怒らないもの」
怒らない。
つまり、少しでも控えめでなければ怒る、という意味。
そして、最後にわざとらしいほど優雅に言い放った。
「王子さまに近づかないでね。彼はわたくしの未来の夫になる方なのだから」
背筋が凍りついた。
ティアナは踵を返し、侍女を引き連れて去っていった。
食堂には水滴が落ちるような静けさだけが残る。
リナが皿の陰から顔を出し、青い顔で言った。
「ミリア…あれは完全に嫉妬だよ。気をつけてね」
「分かっていますわ」
…前世で、ああいう敵意には慣れていますもの
そう思いながらも、胸は微かに震えていた。
また嫉妬の渦に巻き込まれるのだろうか。
それでも、前世と違うのはひとつ。
ここでは、わたくしの人生はわたくし自身で選ぶ。
誰かのコメントでも、嫉妬でも、もうわたくしの運命は決めさせない。
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