第22話 『魔導拳士』

 扉を開けた瞬間、むわっと鼻を突く薬品と焦げの匂い。

 床一面に散乱した羊皮紙と魔石、壁には煤のこびりついた板が立てかけられている。

 ……何度目かの訪問だが、この惨状はちっとも改善されていない。


(やっぱりか……。これで“学術院最高権威”って言うんだから世も末だな)


 思わずため息が漏れる。


「おお、アレン君、来たか!」

 白髪頭を振り乱しながら、オルフェンが机の奥から顔を出した。両手には得体の知れない液体の瓶を二本、逆さにしたまま持っている。


 横でカイエルがこめかみに手を当てていた。どうやら片付けを頼まされていたらしく、埃をかぶった羊皮紙の束を整えている。

「いつ来てもこの有様ですが……先生はこうでないと落ち着かれないのです」

「落ち着かれても困るんだよなぁ」俺は肩を竦めた。


 ――まあ、この混沌がオルフェンらしいといえばらしい。

 俺は気を取り直し、カイエルの方へ視線を向けた。今日も本格的な訓練が始まる。


「では、始めましょうか」

カイエルが杖を軽く掲げ、静かに告げた。その声音は礼儀正しく落ち着いているが、妥協を許さない厳しさが滲んでいた。


「まずは循環です。アレン殿、学んだ要領で魔力循環を行ってください。ただし――今回は私が外部から干渉します。小さな乱れでも即座に指摘しますので、覚悟を」


「……脅すなよ」苦笑しつつ、目を閉じる。

(循環、循環……呼吸に合わせて、流れを整える。これはもう慣れてきたはずだ)


 体内を流れる魔力が脈動し、全身を温かく満たす。ほんの少し乱れそうになった瞬間、カイエルの杖先から細い光が走り、俺の肩口に触れた。


「はい、今の乱れ。意識が逸れましたね」

「……まだ言い終わってもいねぇうちに突っ込んできたな」

「訓練とはそういうものです。実戦では誰も待ってはくれません」


 正論すぎて言い返せない。


 数度繰り返すうちに、ようやくスムーズに全身で循環させることができた。だが、すぐに次の指示が飛んでくる。


「よろしい。では圧縮に移ります。魔力を集め、圧し固めてみなさい。形を保つことが最初の課題です」


「圧縮か……失敗した時を考えると胃に穴が空きそうなんだけど」

「心配には及びません。穴が空く前に私が止めます」

「いや、止められる前に死んでたらどうすんだよ……」


 軽口を叩きつつも、呼吸を整えて集中する。

 魔力を胸に集め、圧し固めていく。強く押し込むほど抵抗が生まれ、外へ逃げようとする流れに額から汗が滲む。


「――耐えなさい。魔力は水と同じ。器を小さくすれば、密度は増す」

「言うのは簡単だな……っ!」


 視界が揺れ、息が荒くなる。それでも、必死に押しとどめる。

 次の瞬間、胸の奥でぎゅっと圧縮された魔力が震えた。


「……できたか?」

「形にはなっています。ですが粗い。隙間から漏れ出しているのが分かりますね?」カイエルの声は厳しいが、その眼差しは確かな期待を帯びていた。

「ここからさらに繰り返し、圧縮した魔力を循環させていく必要があります」


「……やれやれ。俺に休む暇はねぇらしいな」

「鍛錬とはそういうものです」

「真面目だな、あんた」

「当然です。私は王立学術院の講師であり、勇者部隊の一員でもあるのですから」


 最後の一言に、思わず目を見開いた。だがカイエルはそれ以上何も言わず、淡々と次の指示を告げた。


 圧縮を保ち、荒い息を整えている俺を見て、カイエルはゆっくりと杖を下ろした。

「……基礎は掴めましたね。では次の段階に進みましょう」


「まだやんのかよ……」

「実戦で役に立たなければ意味がありません。鍛錬は常に実用を見据えるべきです」


 言うが早いか、カイエルは杖先を地面に突き立てた。周囲の空気がびり、と震え、小石が浮かび上がる。


「循環と圧縮を維持したまま、私の攻撃を捌いてください」

「おい待て、いきなりって――」


 言い終える前に、カイエルが地を蹴った。細身の体からは想像できない速度で迫り、杖が横薙ぎに振るわれる。反射的に剣で受けた瞬間、ずしりと衝撃が走った。


(重っ……! 軽く振っただけだろ? それでこの威力かよ……やっぱ化け物揃いだな、勇者部隊ってのは!)


「意識が散っています。圧縮を保ち続けなさい!」

「分かってる……っ!」


 剣で押し返しながら、胸の奥に圧縮した魔力を必死に維持する。気を抜けば今にも弾けそうだ。


 カイエルは間髪入れず追撃を繰り出す。杖を槍のように突き込み、回転して体術を織り交ぜる。まるで舞うような流麗さ――だが一撃ごとに正確に急所を狙っていた。


(一撃一撃が鋭い! 杖ってこんな武器だったか!?)


 額に汗が滲む。防戦一方のままでは崩れるのは時間の問題だ。

 俺は《因果の糸》を張り、足元の石を蹴り飛ばすように軌道を変える。


 カイエルは軽やかに跳んで回避したが、その口元がかすかに緩んだ。

「よろしい。工夫が出てきましたね」


「……褒めてる暇があるなら手を止めろよ!」

「手を止めるのは、あなたが実戦でも圧縮を維持できたときです」


 またも杖が迫る。心臓が爆ぜそうなほど鳴り響く。

 剣を合わせるたび、圧縮した魔力が揺らぐ――必死で食いしばり、繋ぎ止める。


(……これ、俺が崩れるか、圧縮が完成するかの我慢比べじゃねぇか!)


 カイエルの杖が滑るように動いた。

 先端が俺の肩口へ突き込まれる。咄嗟に因果の糸を張り、軌道をわずかに逸らす――だが同時に、足元が沈み込むような重圧が走った。


「ぐっ……!」

 重力が一瞬だけ増したかのように膝が沈み、バランスを崩した俺の胸元へ、杖の柄が迫る。


「油断なさらぬように」

 淡々とした声が耳元で響いた。


 咄嗟に糸を張り巡らせ、杖を受け流す。その反動で空いた脇腹を狙って剣を振り上げる――だが、今度はふっと体が軽くなった。重力が逆に抜け落ちたような感覚に踏み込みが空回りし、間合いを外す。


(……ちっ、読み切れねぇ! 何か仕掛けてきてるのか? いや……違う。ただの身体の使い方と間合いの読みで、ここまで翻弄してるのか!)


 カイエルの目は相変わらず柔らかく、口調も穏やか。だが、その動きは一分の隙もなく、俺の反応を先回りしているかのようだった。


「アレン殿。今のは――ご自身の“魔力の巡り”に気を取られておられた」

「はぁっ……! 巡りに、だと……?」

「はい。糸の制御は見事ですが、それに気を取られて私に糸を引く力を利用されてしまっては、意味がありません」

 そう言いながら、再び杖が横薙ぎに迫る。


 俺は咄嗟に《災厄の王》を、刃先に微量だけ纏わせた。迂闊に大火力は使えない――圧縮を意識して、小さな炎を密度高く編み込む。


「――っ!」

 杖と剣が打ち合い、火花が散る。普段なら消える程度の炎が、圧縮によって杖の表面を焼き焦がした。カイエルの瞳がわずかに細まる。


「今の一閃――ようやく“圧縮”が形になりましたね」

「ハァ、ハァ……まだ狙って出せるもんじゃねぇがな……!」

「ですが、確かに兆しは見えました」


 彼は杖を収め、一歩下がる。

「実戦で求められるのは、常に乱れない循環と、瞬時に圧縮した魔力を使用する技量です。今の感覚を忘れないように」


 息を荒げながら、俺は握った剣を下ろした。

(……やっぱ勇者部隊ってのは規格外だな。俺が必死に食らいついて、ようやく褒められる程度かよ……)


 だが、胸の奥には確かな手応えがあった。


 床に倒れ込むように座り込み、荒い呼吸を整える。喉の奥が焼けるように渇いて、額から汗が滴り落ちていた。

(……くそ、全身が鉛みてぇに重い。あの人、ほんとに人間か?)


 横を見ると、カイエルは息の乱れもなく涼しい顔をしていた。

「お疲れ様でした、アレン殿。……初めての実戦形式にしては上出来でしたよ」

「は、はぁ……っ、あれで上出来なら、満点はどんだけ地獄なんだ……」


 そこへ、鼻歌混じりにやって来る足音。

「おー、いい汗かいてるな! はいはい休憩休憩!」

 扉を押し開け、盆に茶器を乗せたオルフェンが現れた。豪快に机をどかし、勝手に卓を広げる。

「学術院秘蔵のブレンド茶だぞ。ちょっと高い葉を拝借してきたからの、内緒じゃぞ!」


「先生……」カイエルが眉を寄せる。「また備品を勝手に……」

「研究に必要な投資だ! いいかね、心身が疲れている時ほど学びは定着するものだよ。ほら飲め飲め」


 差し出された湯飲みを受け取り、俺は一気に口に含んだ。熱い。けれど、ほんのり甘い香りと深い苦味が舌を刺激し、頭のもやが少し晴れる気がした。

「……うまいな」

「だろう?」オルフェンは満足げに頷いた。「この渋みは魔力を整える効果がある。訓練で溜め込んだ疲労を流すように、味も覚えておくといい」


 お茶請けの干し果実をかじりながら、オルフェンはさらに続ける。

「今日の成果をまとめよう。君は循環は安定している。圧縮も感覚は掴めてきた。飲み込みがいいのは君が言っていた継承の効果の可能性もある。だが――魔力を練り上げる時に“力任せ”になる癖がある。もっと余白を残せ」


「余白……?」

「そうだ。力を詰め込むばかりでは器が割れる。間を活かし、呼吸に合わせて流れを調律する。……まぁ言葉にすると難しいが、要は“急ぐな”ということだ」


 カイエルが静かに補足した。

「その点は、私も同意見です。アレン殿、焦らず一歩ずつ積み重ねましょう」

「……はぁ、分かったよ。言われた通りにしてみるさ」


 熱い茶をすすりながら、俺は息を吐いた。

(急ぐな、か……。でも、時間が残されてるかどうかは分かんねぇんだよな……)


「……ところでさっきの話だが」俺は茶器を置き、横目で彼を見た。

「勇者部隊の一員って言ってたよな。あんた、どんな二つ名で呼ばれてんだ?」


カイエルは少しだけ逡巡し、それから静かに答えた。

「……《魔導拳士》と呼ばれています」


(……《魔導拳士》っていうと、あれか)

その名を耳にした瞬間、俺の脳裏にかつてイストリアで聞いた噂話がよみがえる。


――数年前、カルヴァーンの辺境にアースドラゴンが出没した。

鱗は鉄壁、兵も冒険者も歯が立たず、誰もが絶望しかけたその時。


前に歩み出たのは、優男風の魔術師。

誰もが「後衛から魔術を撃つ男」と思っていた。


だが彼は杖を携えたまま、巨竜の懐に飛び込む。

固有スキル《浸透魔力》でアースドラゴンの鱗の隙間から打撃と共に魔力を染み込ませ、体内で爆炎を発動。

その瞬間に踵を振り下ろし、爆裂と衝撃を頭蓋に叩き込んだ。


巨体が内と外から同時に破壊され、地響きを上げて崩れ落ちた時、周囲は凍り付いた。

「魔術師が……ドラゴンを殴り倒した」


あの逸話は、酒場で酔った冒険者が何度も繰り返していた武勇譚だった。

(……ドラゴンを、素手で殴り倒した男か。伝説みたいな話だと思ってたが……)

目の前の優男然とした姿と結び付けると、どうにも実感が湧かない。


「……本当に、あんたが“それ”なのかよ」思わず口に出てしまう。

カイエルは困ったように微笑んだ。

「ええ。噂というものは往々にして尾ひれがつきますから……実際の姿を見れば、落胆する方も多いでしょう」


(……落胆、ねぇ。むしろ現実を知って、背筋が寒くなる方が多いと思うけどな)


◇◇◇


 訓練が終わり、実験場を後にした頃にはすっかり夕暮れになっていた。

 王都の石畳を歩きながら、背中の汗が冷えていくのを感じる。足取りは重いのに、妙に頭の奥は冴えていた。


 宿に戻るなりベッドへ倒れ込む。柔らかな寝具が全身を受け止めた瞬間、張り詰めていた筋肉が悲鳴を上げる。


(……くそ、全身バラバラになりそうだ)

 だが、同時に胸の奥で燻っていた不安が、少しだけ薄らいでいるのを自覚する。


 魔力を循環させる感覚。圧縮し、密度を高める感覚。まだぎこちなくて、すぐに呼吸が乱れるし、思い通りにいくわけじゃない。けれど――


(それでも……少しは前に進めたかもな)


 瞼が重くなる。

 思考が沈む直前、次の強敵と相まみえる自分の姿を、ほんの一瞬だけ夢想した。


 そして深い眠りに落ちていった。

 

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