第17話 地を穿つ巨影
グラディアに来て、もう4週間が過ぎた。
アンデッドの残党もほとんど見なくなり、一時期他の地域から流入した魔物も少なくなってきた。街の空気はようやく落ち着きが戻りつつある。治療施設で忙しくしていたミリアも、ここ数日は少し顔色がいい。
(――《災厄の王》と《因果の糸》)
あれから時間を見つけては練習を重ねた。
無軌道に暴れ狂う力を、糸で無理やり引きずり回す。最初は制御しきれず、周囲の木々を焦がしそうになったことも一度や二度じゃない。けど、今は少なくとも“人に見せられる形”にはなってきた。
範囲を縛り、軌道を導き、狙いを一点に絞る。やり方次第で、《災厄の王》はただの災害じゃなく、武器として使える――その感触を、少しずつ掴んできた。
(……それでも、まだ怖ぇな。)
力の奔流は、常に胸の奥でうねっている。ほんのわずか気を抜けば、自分ごと焼き尽くしかねない。
だが、このまま逃げ腰じゃ意味がない。前に進むためには――あの力を手懐けるしかないのだ。
今日は久しぶりにソロでの討伐依頼だ。相手はオークの群れ。数はそこそこだが、中級冒険者なら一人でも対処できる難度。
こういう時こそ、鍛えた力を試すにはもってこいってわけだ。
◇◇◇
草原の外れ、獣道の奥。
依頼にあった通り、奴らは野営の痕跡を残していた。焚き火の跡、かじり散らかした骨、踏み固められた土。鼻をつく生臭さは、やつらが近い証拠だ。
(……五、いや六か。これなら問題ない)
気配を数えながら剣を抜く。糸を張れば、奴らの動きは手に取るようにわかる。張り詰めた感触が指先に伝わり、足音の重みが近づいてきた。
最初に現れたのは、粗末な鉄斧を抱えた一体。濁った目で周囲を探っていたが、気づいた時にはもう遅い。
糸を軽く弾き、足をもつれさせた隙に一閃。刃が肩口から腰を抜け、血と怒声が弾ける。
「グルァァッ!」
仲間の咆哮が続き、木立からぞろぞろと現れる。小隊規模だが、連携は雑だ。
俺は後退しつつ糸を張り直し、矢継ぎ早に仕掛ける。
横合いから飛びかかってきた一体は、糸で首を引き寄せ、剣を突き立てて沈める。
背後から迫る気配は、糸の震えが教えてくれる。振り返りざま、剣の腹で受け流し、そのまま足を払う。倒れ込んだ頭に踵を叩き込み、呻き声ごと潰した。
(数は多いが……《災厄の王》を使うほどでもねぇか)
呼吸を整え、残りに狙いを定める。糸で武器を弾き飛ばし、喉元へ刃を走らせる。
最後の一体が逃げに転じるが、糸で足を絡め取って転ばせ、容赦なく突き刺した。
静寂が戻る。
血の匂いと草の匂いが入り混じり、汗が背を流れる。剣を払って納めながら、息を吐いた。
(よし……依頼分は片付いたな。これで報酬も手に入る)
オークの死体を一か所にまとめ、依頼証明用の耳を切り取る。革袋に収めたところで、ふっと腰を下ろした。
(……ふぅ。順調だな。街に戻れば冷えたビールと肉料理が待ってる)
そんな甘い想像をしていた、その時だった。
――地面が、震えた。
最初は風かと思った。だが、次の瞬間には違うとわかる。
土の下から「ずず……ずずず……」と這いずるような振動が伝わり、靴底が細かく揺れる。
「……なんだ?」
腰を上げた瞬間、大地が裂けた。
草地が盛り上がり、巨大な甲殻がずるりと現れる。黒褐色の外殻には岩のような硬質の光沢、無数の脚が大地を掻きむしり、触角が鞭のように空気を裂いた。
「――ッ!」
地穿ムカデ。
本来なら地下深くに潜むはずの魔物。しかもこの辺りに生息する生き物じゃない。
巨体が全貌を現すたびに、地面が揺れ、土煙が舞い上がる。鋭い顎がカチリと鳴り、まるで目の前の人間を「獲物」として見据えているようだった。
(……冗談だろ。なんでこんな大物がここに……!)
剣を構え直す。
依頼は終わった。だが、さらに厄介な相手が現れた。
地穿ムカデの胴体がのたうち、十数対の脚が一斉に地面を掻いた。
その一撃一撃が土をえぐり、まるで大地そのものが牙を剥いたかのようだ。
「……おいおい、オーク退治の後におまけが付いてくるとは聞いてねぇぞ」
冗談を吐きつつも、手は震えている。
ムカデの頭部が振り下ろされ、鎌のような顎が迫る。アレンは転がるように回避し、剣で脚の一本を狙って切り上げた。
――ギィン!
金属同士を叩いたような音が響く。刃は弾かれ、火花が散った。
「くそっ、硬ぇな……! さすが地の底で岩を食って生きてるだけある」
頭上から尾が鞭のようにしなり、アレンを襲う。とっさに剣を横にして受けたが、衝撃は肩から背骨にまで突き抜けた。
地面に叩きつけられ、肺の空気が一瞬抜ける。
(速い……! こんな巨体で、動きはノロマじゃねぇのかよ!)
起き上がったところに、脚が突き刺さるように迫る。
咄嗟に《因果の糸》を張り、軌道を逸らす。だが力任せに突き進む巨体の勢いは殺せず、かすめただけでも腕に裂傷が走った。
「……はっ、もう少し優しくしてくれりゃ、こっちも気が楽なんだがな!」
軽口を叩いてみせるが、額から流れる汗は止まらない。
強固な外殻と、巨体に似合わぬ速度。まともに剣を当てても埒が明かない。
地穿ムカデの触角が地を舐めるように揺れた。獲物の動きを探り、逃げ場を潰そうとしている。
(……こりゃ長引けば不利だな。どうする…?)
地穿ムカデの脚が地面を抉り、破片が雨のように降り注ぐ。
その合間を縫ってアレンは身を滑らせ、剣を振り上げる。狙いは節のつなぎ目――だが鋼のような甲殻はびくともしない。
「……ったく、弱点探すのも骨が折れるな!」
次の瞬間、巨大な顎が地面を抉った。砕けた土塊が弾け飛び、視界を覆う。
アレンはとっさに《因果の糸》を張り、飛び散る破片の軌道を逸らしながら横へ跳んだ。背後で土柱が立ち、衝撃が腹にまで響く。
(硬さと速さ……正面から斬り合って勝てる相手じゃねぇ。なら――俺の“得意”で仕留めるしかない!)
アレンは息を荒げながら剣を構え直す。
糸を数条張り巡らせ、ムカデの脚に引っ掛けるようにして軌道を操る。
右から薙ぎ払ってきた脚を、糸でわずかに角度を変えさせる。空振りになった巨脚が地に叩きつけられ、土煙が上がった。
続く尾の一撃も、糸を強く震わせて逸らす。尾はわずかに的を外れ、背後の岩を粉砕する。
「……お前、力任せに動く分、誘導には引っかかりやすいな」
軽口を叩きながらも、糸を操る指先は汗で滑る。
この巨体を相手にするには、限界まで神経を研ぎ澄まさなければならない。
――隙を作るんだ。そこに《災厄の王》を叩き込む。
アレンは大きく息を吸い、糸を張った。
幾筋もの感触が、空気の振動と巨体の動きを手元に伝えてくる。
ムカデが頭を振り下ろす瞬間、その動きを糸でわずかに逸らす。顎は地面を深く抉り、巨体が前のめりに沈んだ。
「――今だ!」
胸の奥から、焼けつくような熱を引きずり出す。
《災厄の王》が応じ、炎の奔流が掌に凝縮される。
糸で誘導した先へ、灼熱の塊を叩き込んだ。
轟音と共に炎が奔り、ムカデの頭部から胴へと焼き走る。硬い甲殻が弾け、肉の焦げる臭いがあたりを包む。
巨体がのたうち、断末魔を上げて地を引き裂いた。
それでもなお暴れる脚を、アレンは糸で絡め取って動きを縛り、さらに炎を重ね、押し潰す。
――やがて。
地穿ムカデは黒焦げの巨塊となり、痙攣する脚を最後に動きを止めた。
アレンは大きく膝をつき、荒く息を吐き出す。
「……っは、はぁ……くそ……想定以上に……消耗した……」
全身を巡る倦怠感が重く、胸の奥が焼けつくように熱い。
指先は痺れ、さっきまで操っていた《因果の糸》の感触がまだ残っている気がする。何十条も同時に張り巡らせ、硬い甲殻を縛り続けた反動だ。
さらに《災厄の王》を全力解放したことで、体内の魔力は底を擦るように減っている。
額からは汗が滝のように流れ、息を吸うたびに胸が痛む。
――まだ動けなくなるほどではない、とはいえ……。
普段の戦闘と比べれば、ここまで魔力を削られるのは久しぶりだった。
「……はぁ……はぁ……やれやれ。オーク退治のついでに……地底の怪物なんざ、聞いてねぇっての……」
軽口を叩きながらも、声に力はない。
背筋に残る震えや倦怠感、吐き気は単純な魔力切れに近い症状だ。
立ち上がり、焦げた風を吸い込む。鼻を刺す焼けたムカデの匂いが、さらに胃をむかつかせる。
視線の先では、煙を上げる地穿ムカデの残骸が沈黙していた。
(……だが、なんでこんな奴がここに? 流入してきたって言っても生息域はもっと地下深く、アスモリア魔王国近くのはずだろ……)
疲労に霞む思考を振り絞り、疑念だけを胸に刻む。
燃え残る炎がじりじりと木々を照らす中、アレンは剣を鞘に収め、ただ黙ってその巨体を見下ろした。
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