◆stage:9
4月下旬。真白は数日前に加伊から救出され、ハカタ湾の玄関口に位置する陸繋島に停泊しているツクシ洲政府アスシソの母艦・アマテラスの医務室で過ごしていた。
帰還した真白を強く抱きしめ、医務室に訪れては慈愛に満ちた言葉をかけるミンネルはまるで母親のようだった。
「寒くはないですか?真白。ポテ丸ちゃん、ここに居ますからね。今度買い出しに行くので、その時になにか動物の本を探してきますね。」
「⋯。」
行方不明から帰還した真白は錯乱状態にあり、鎮静剤を打たれ続けていた。
「私はブリッジに戻りますね。何かあったら知らせてくださいね、真白。」
ミンネルは一点を見つめて動かない真白の頬をそっと撫でてから、タオルケットを真白の肩まで引き上げた。
***
俺はおかしくなったんだ。
約3ヶ月、あの建物で自分の身の回りの世話をし、世界のあるべき姿を教えてくれたチエルを兄だと錯覚して過ごしていたらしい。でも、自分を介抱してくれていたのは間違いなく兄だった。
「だって⋯、あれ⋯?チエル⋯、兄ちゃん⋯?だった⋯よ?な。」
真白は自分でも理解できない制御不能な焦燥感に気が狂いそうだった。
「⋯。
⋯光 怖い 悲しい 消える。
核 動物 人間 死ぬ!? だめ、だ⋯
でも、お月様⋯ 平和 世界 救われる⋯
チエル 兄ちゃん 俺が⋯!!」
ミンネルは真白がチエルと出遭ってしまったとき、純粋な真白がチエルの思想に染まってしまうかもしれないと懸念していた。これ以上真白とチエルを遭わせたくないと思っていた。しかし2人は約3ヶ月も同じ場所で過ごしてしまった。そして今、真白は本来の自分とチエルの思想の間で苦しんでいる。
ミンネルをはじめとするアスシソ隊員達は医務室を訪れては、真白が以前の自分を取り戻せるように、それぞれ思い思いの言葉をかけた。
「マロ、元気になったら俺と動物公園にでも行こう。まだお前が知らない世界を発見できるぜ、きっと。」
真白が不在の時にアスシソに加入した加伊は、真白が少しでも早く自分と打ち解けるように“マロ”と言う愛称をつけて毎日何度も真白に声をかけた。
***
仲間たちが毎日のように真白に各々の想いを伝えても、彼の中ではチエルの存在がこれまで以上に大きくなっていた。
「ぐす⋯、逢いたい、チエル兄ちゃん⋯。」
使い物にならなくなったエースパイロットとはいえ、真白は各国から回収した核爆弾の正確な保管場所を覚えていた。
鎮静剤で朦朧とする意識の中、真白は兄・錫が「平和な未来」の為の“ギアステイツ・サンクチュアリ”の制作に参加したことを思い出した。それはいつしか、チエルが語った「核による平和制裁」という過激な思想が混ざり合っていた。話の通じない脅威国との戦闘に疲弊しきった真白の心は、チエルの思想に強く共感し、安らぎを見出していた。あのゲームの制作に関わった兄は、平和な未来を願っていたはずだ。そしてチエルは、優しい世界を作るために、怖い存在が生まれる場所を光で灼き払うことを望んでいる。
真白はチエルの熱が恋しくて切なくなり、自分の腹をなでた。
「兄ちゃん、⋯俺、救世主、できるかな⋯?」
真白もまた、兄の面影と、自分を愛おしそうに扱うチエルに、依存にも似た感情を抱き始めていた。
真白は頭に痛みを感じながら身体を起こし、サイドテーブルのポテ丸を手に取った。
「ちゃちゃ!?“電源OFF、見守りを終了します。”」
真白は電源を切ったポテ丸を枕元に置き、ベッドから降りた。
ふらつく身体で服を着替え始めたその時、医務室のスライドドアが静かに開いた。
そこに立っていたのは、ハザイ軍の軍服を纏ったチエルだった。
「迎えに来たよ、真白。」
チエルは優しい、しかしどこか歪んだ笑みを浮かべていた。真白は、目の前のチエルが、自分を愛してくれた兄の面影と重なり、とうとう区別がつかなくなっていた。
チエルは自分を優しく扱ってくれた。
真白はその存在を、救世主としての導き手、そして最も愛しい肉親だと錯覚した。
「あぁ、兄ちゃん⋯!!」
真白は嬉しさに駆られ、着替え途中のままチエルに抱きついた。チエルは真白の背中を優しく撫でた。
「いい子だ、真白。あぁ、こんなところに閉じ込められて⋯、かわいそうに。さあ、行こう?ボクたちの平和で美しい世界を完成させに。」
チエルは、真白の頬に手を添えた。
「⋯!?⋯う、うん。でも、やっぱり怖い⋯、あっ!す、少しだけ。」
「⋯ふふ、大丈夫だよ、真白。オレがついてるから心配しないで。」
チエルは、真白の不安をすべて飲み込むように微笑んだ。
「でも、たくさん殺すことに⋯。」
「殺すんじゃない。救うんだよ?⋯真白の好きな動物だって無慈悲な人間が引き起こす戦争や紛争の犠牲になってかわいそうだろ?⋯だからね、真白。みんなを恐怖や苦しみから解放するんだ。光が世界に平和で優しい未来をもたらすんだよ、真白。」
チエルは、真白の耳元で、甘い毒を注入するように囁いた。
「それに、平和になって戦いがなくなったら、もう誰もボクたちを邪魔しない。真白はオレとまた2人で静かに暮らしたくないのか⋯?」
悲しそうなチエルの顔を見た真白は心が痛んだ。
「そんな、俺だって⋯!俺も2人で、また暮らしたい!兄ちゃんと一緒に⋯。」
「うん、真白は素直でかわいいね。これは、オレたちの幸せを取り戻すための光でもあるんだよ。」
“だから、真白がみんなを救ってあげないとね?”
チエルは強く、そして優しく言い聞かせた。
「大丈夫だよ、真白。お前ならできる、俺の愛する弟だろ?優しくて平和な未来のために、力を貸してくれるよね。」
その言葉は愛であり、そして命令でもあった。真白は兄の瞳の中に、自分たちの未来の光を見たような気がした。
「平和な未来のため⋯。愛する⋯。」
兄の言葉に、真白の恐怖は消え去った。
「ふふ⋯、真白は心配性だったね。⋯そうだ、お兄ちゃんが真白に勇気が出るおまじないをかけてあげるよ⋯。」
チエルは真白の下腹部から胸の間、そして顎にかけて自分の指をすべらせた。
***
「ふふ、真白。そろそろ行こうか?」
真白の身なりを整えたチエルは、真白の手を取り医務室から静かに抜け出した。
ふらつく身体で壁を伝いながら歩き、格納庫へ向かう通路に出た時、廊下の角から水城が姿を現した。彼は書類の束を抱えていたが、真白の姿と、その横にいるハザイ軍服の男を見るや否や、その表情は一変した。
「真白くんから離れなさい!」
水城は咄嗟に持っていた書類を床に投げ捨て、腰のホルスターから銃を抜き、チエルに銃口を突きつけた。チエルは一瞬微笑みを消し、その瞳に冷たい光を宿した。
「静かにしてよ?」
水城が引き金を引くよりも早く、チエルは懐から取り出したナイフで水城の胸部を深く突き刺した。水城は口から血を吐き出し、そのまま膝から崩れ落ちた。真白は血の海に倒れる水城を見て、全身が凍りついたように固まった。
「衛さん⋯?」
真白は目の前で起こった出来事に思考が停止し、立ち尽くした。水城は血を流し、よろめきながら真白に手を差し出した。
「⋯真白くん、その男から、⋯離れるんだ。」
真白は混乱と恐怖でチエルを抱きしめたまま立ち尽くすことしかできない。チエルは真白の髪を優しく撫で、耳元で囁いた。
「そんなのいいからさ。さあ、行こう、真白。スサノオが待っているよ。」
真白はチエルの言葉に導かれ、血を流し倒れ込む水城に背を向け、格納庫へと歩き始めた。
***
二人が格納庫の前のドアに辿り着いた瞬間、扉の向こうから出てきたのは整備士の川端橋架だった。
「ハザイ軍!?⋯ちょっとあんた、真白ちゃんをどうする気?」
川端は真白の顔から読み取れる混乱と、チエルの軍服、そしてその場の異様な空気に気が付き、怒りの声を上げた。
「邪魔。」
その瞬間、チエルは迷うことなく水城を刺したナイフを川端に向け、突き刺した。
刃物は川端の腹を貫き、川端はそのまま床に倒れ込んだ。真白は目の前で倒れた川端を見て、全身を震わせた。目の前のチエルは、確かに自分を愛してくれた「兄」の面影を持つ。しかし、彼は今、真白が心を許した仲間を、ためらいもなく殺した。
「あ⋯、あぁ⋯、かわ⋯。」
「大丈夫だよ、真白。さあ、いこうか。」
チエルは真白の動揺を気にすることなく、ドアを開け、格納庫へと入った。
格納庫のスサノオの前に着いたチエルは、真白の肩を掴んで、その顔を覗き込んだ。
「できるよね、真白。ボクたちの平和で美しい世界、優しい未来の為に。」
チエルの目は、真白への依存と、世界への狂信的な理想に満ちていた。
チエルは真白の頬を優しく撫でつけた。その眼差しは、真白が心の奥底で求めていた兄の優しさそのものだった。
「⋯うん、兄ちゃん。俺、がんばるから。⋯優しい世界のために。」
真白は頬を撫でるチエルの手を愛おしそうに、しかしどこか悲しみを湛えた瞳でそっと握った。
真白は意識朦朧のなかチエルに見守られ、スサノオのコックピットに乗り込んだ。
スサノオは太陽が沈みかける中、エリアゼロへ飛翔した。
***
エリアゼロの核兵器保管庫は、フチュウの街の地下馬道を拡張して作られていた。
保管庫に着いた真白は、次々と核兵器をスサノオに搭載した。
「真白!どうしたのですか!危険です!戻ってください!!」
「バカ真白!あんた何やってんのよ!!あたしの許可なく出撃するな⋯。あんた、⋯なんで、こんな、⋯ぐすん。もぅ、どんだけ世話がやける弟なのよぉ⋯。」
水城から報告を受けたのであろう。スサノオを追跡してきた母艦・アマテラスのブリッジから、ミンネルの抑止と香椎の涙声の叱責の通信が届いた。
「⋯ミンネル、みんな。⋯あのね、もう対話じゃ⋯、分かり合えないんだ。⋯永遠に。兄ちゃんが望んだ平和を、俺が完成させるから。」
真白はスサノオをハザイ帝国とラロゼア連邦の軍事拠点を中心とする脅威国の領土へと向かわせた。ラロゼア連邦の軍事拠点に向かうスサノオをアスシソのパイロットたちが囲み、攻撃態勢に入ったが、真白は威嚇で先制攻撃を加え、周囲のアスシソ機を振り払い目的地に到着した。
***
ラロゼア連邦の軍事拠点上空。
真白はスサノオのカーゴハッチを開き、最初の核爆弾を投下した。
⋯数秒後、遠い地で巨大な閃光が炸裂した。
それは、太陽を思わせる白色の灼熱の光。
周囲は一瞬にして純粋な白に塗りつぶされた。時を過去へと巻き戻す、数秒間の強制的な正午が訪れた。直視できないほどの光芒は、大気を一瞬で蒸発させ、直径数キロメートルの火球を作り出した。
最初の白い閃光が全てを包み込んだ。
爆発の瞬間に放たれる熱線は、コンクリートをも溶かすほどの灼熱だった。
人体は水分の瞬間的な蒸発により、物理的な残骸を残さずに気化して消滅した。彼らが立っていた地表には、熱線を遮断したことによる残影のみが焼き付いた。
距離が離れていた者たちも、その運命は凄惨を極めた。
熱線に焼かれた彼らの皮膚は瞬時に水ぶくれとなり、剥がれ落ち、眼球は焼け溶けて流出した。衣服が燃え上がり、彼らの身体は炭化した。生きたまま焼かれる痛みは、彼らを絶叫させたが、すぐに熱が彼らの声を奪った。
閃光の直後に到達した衝撃波は、街全体を一掃した。
建造物は粉々に砕け、その破片は人間を容赦なく襲った。激しい圧力が内臓を破裂させ、脳を揺さぶった。全身の骨が折れ、肉体が引き裂かれて、瓦礫と肉片が無秩序に混ざり合った。
数キロ離れた場所では、熱線が直接届かずとも、その強力な熱風が窓ガラスを割って飛び込んできた。割れたガラスは、室内にいた人々の皮膚や肉に深く突き刺さり、彼らを切り刻んだ。
その場にいた何万もの命が、軍の標的とは無関係に、一瞬にして、あるいは苦悶の内に、塵へと帰した。
これを真白が行っているのか⋯
ミンネルをはじめとするアマテラス隊員は、ブリッジのメインスクリーンに映し出される映像を見て、息を呑んだ。
巨大な火球が立ち昇り、原子雲となって空を覆い尽くす。その熱線は、周辺の建造物や生命を一瞬にして灰に変えた。
数秒後、爆心地から伝播してきた衝撃波が、アスシソ艦隊の存在する空域にまで届き、アマテラスを揺らした。
理想のために犠牲になっていく人々。
そして、愛玩動物看護師を夢見た少年の手によって犠牲になっていく、この地で生きていた動物たち。
消えていく命の悲痛な声が真白に届くわけもなく、真白の脳裏には、兄の笑顔と、チエルの言葉だけが響いていた。
彼の無慈悲な行為により、次々と脅威の存在が消滅していく。
アスシソ隊員は彼の行いを信じたくなかった。
「真白⋯。」
ミンネルはやりきれない思いで目を閉ざした。
***
真白の最後の標的は、兄を傷つけたハザイだった。
「マロ!お前、自分がしてることで何が起こっているか考えろ!!」
加伊のアイヌラックが、スサノオを追って飛んできた。
真白が容赦なく無慈悲な行為を続けている。今、灼かれていく人々は、真白や真白の大切な人に刃を向けた事があったのだろうか?
「加伊さん⋯。心配しないで⋯、大丈夫だよ⋯。あのね、これで平和になるんだよ?⋯そしたら、一緒に動物公園⋯、連れて行ってくれるって⋯、加伊さん⋯?違う⋯、俺⋯、兄ちゃんと約束⋯。だから⋯!」
真白は兄の願いの邪魔をする加伊にスサノオの銃口を向けた。真白の声とスサノオの手は震えていた。
「もうやめろ!マロ!」
加伊はスサノオの攻撃を躱すが、核爆弾を搭載している今のスサノオに反撃することはできず、暴走をとめることができないでいた。
加伊に残された武器は、“対話”ただそれだけだ。だが、一体どんな言葉が真白の心に届くというのか⋯。
「⋯なあ、マロ。俺、移住してきてから知ったんだけど、こっちに有名なハンバーグがあるんだろ?」
加伊は真白の関心を引こうと必死だった。あまりにも場違いな言葉だと分かっていた。しかし、加伊は口を閉じることができなかった。
それと同時に、このような話題を振っておきながら、大勢の人々の命を奪ってしまった真白を食事に連れ出す未来は赦されないことだと痛いほど理解していた。それでも、加伊は言葉を続けるしかなかった。チエルの思想を実兄の望みだと信じ込み苦悩する真白を、世話のやける弟分として救いたいと願っていた。
「マロ、お前、ハンバーグ好きか?ほら、メニュー表見せてやるから、こっちにこいよ、⋯な?ほら?それで⋯、いつか⋯、いつか、一緒にハンバーグ食べに行こう、マロ!」
加伊は涙で滲む視界の中、戦犯者となった弟分に呼びかけた。
「え⋯、はんば⋯?⋯うん、兄ちゃん。」
しかし、チエルに侵された真白に加伊の声は届かなかった。
「あのね、俺、もう疲れたんだ。だって、護ってばかり、攻撃されてばかりで何も変わらないから⋯。ねぇ、一向に世界は平和にならないよ⋯。だから早く終わらせるんだ⋯、こんな⋯、怖い⋯、悲しい毎日⋯。」
真白はハザイの空域に最後の核を投下した。
「ね?これで、大丈夫⋯だよ?⋯みんな救われる、から。」
真白は、スサノオを全速力で離脱させるが、核爆発の熱線と爆風からは逃げ切れなかった。
「真白!真白!嫌です!!それでも私は、貴方と⋯!!」
加伊のアイヌラックの通信回線にアマテラスで取り乱すミンネルの悲鳴が聞こえてきた。
「見るな!総裁!さすがにこの距離は⋯!艦のやつらは早く全部のシャッターを閉めろ!お前ら、知らないのかよ!!」
閃光が、世界を灼く。
ミンネルの悲鳴とともに、真白の搭乗するスサノオは、巨大な光の一部となった。
「これで世界が救われるね⋯、兄ちゃん。」
真白はチエルから放たれた熱を思い出し、自分の腹をなでた。
チエルはその様子を、真白の死に際の通信を傍受しながら、アズラで静かに見届けていた。
「眩しいね⋯。光り輝くマシロノソラだ⋯。あぁ真白、キミは本当に素直でかわいいね。ボクが欲しかった世界をくれた⋯、キミは本当にいい子だ。」
チエルは、真白が自分の望む「核による平和」を実現してくれたことが、真白の自分への最大の愛の形だと考えた。
アズラを停止させたチエルは、機体のハッチを開いた。
「真白の聖域、やっぱり熱いね⋯!あぁ真白⋯、キミのすべてが愛おしいよ⋯!!」
自ら核爆発の爆風を抱きしめるかのような形で、光に灼かれた。
満足したような、恍惚とした表情だった。
その時のチエルの左眼からは、一筋の涙が流れ落ちていた。左眼の持ち主である天原錫の代わりに、この悲劇的な世界と、弟の選択を嘆くかのように。
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