第27話  白銀は、すべてを飲み込む

俺は、エルの視界を通して白雪剛羅を見ている。


近い。

思っていたより、ずっと。


雪を踏み割るたび、低い呻きが腹の底に響く。

叫び声――ではない。

空気を震わせる、濁った呼気だ。


銃声が走る。

乾いた破裂音が、雪原に吸われていく。

効いていない、と理屈で考える前に、感覚が答えを出す。

反応が鈍い。

止まらない。


ニャースケの短い指示が、切れ味だけを残して飛ぶ。


「距離、維持にゃ」


クレアの声は、相変わらず落ち着いている。

速さも、音量も変わらない。

そのこと自体が、緊張を増幅させる。


つかさは、余計なことを言わない。

解析に集中している気配だけが、背中に貼りつく。


エルが踏み込む。

銃口が揺れ、雪煙が弾ける。

白雪剛羅の腕が、空を裂く。


剣に切り替わる。

金属が噛み合う音。

刃が、雪を切り、毛を切る。


ザリ、と鈍い感触。

切れている。

だが、浅い。


距離が詰まる。

息がぶつかるほどの近さで、白雪剛羅が吠えた。

咆哮が、鼓膜ではなく、骨に来る。


俺は、地鳴りの前触れを感じ取る。

まだ決定的じゃない。

だが、下で何かが動いている。


髪に、雪がつく。

エルの動きに合わせて、白が視界の端を掠める。

溶けない。

冷たいまま、貼りつく。


次の瞬間に起きることを、

全員が、待っている。


白雪剛羅は、止まらない。


踏み出すたび、雪面が沈む。

その重さが、遅れて追いかけてくる。


距離を取っているはずなのに、

気づくと、もう近い。


銃声。

雪煙が弾ける。


進路を切るための撃ち方。

当てる気はない。

前に来させないための線を引く。


ニャースケの声が、短く割り込む。


「右、もう一段下にゃ」


エルが、踏み替える。

視界の端で、地形が変わる。


雪が割れている。

細く、長い裂け目。

クレバスだ。


白雪剛羅が、腕を振る。

避けた軌道の余波が、身体を押す。


一瞬、体勢が崩れる。


――わざとだ。


エルが、踏ん張らない。

そのまま、下がる。


白雪剛羅が、追う。

迷いがない。

ただ、前に来る。


ニャースケ。


「……今度は、左にゃ。

 そこの縁、薄い」


銃声。

雪面を削る。


裂け目の縁が、欠ける。

小さな崩れ。

だが、確実に広がる。


エルは、さらに下がる。

一瞬、背を向ける。


――隙。


白雪剛羅が、跳んだ。


重量が、前に来る。

踏み込みが深い。


ニャースケ。


「今にゃ!」


エルが、跳ぶ。

前ではない。

横でもない。


上へ。


白雪剛羅が、突っ込んでくる。

その勢いのまま、

裂け目の上へ。


雪が、鳴く。


低い、嫌な音。


クレバスの縁が、崩れる。

白雪剛羅の脚が、沈む。


動きが、止まる。


完全じゃない。

だが、挟まった。


エルが、落ちるように踏み込む。

剣が走る。


首元。

視界が、雪で遮られる。


切れたかどうかは、分からない。

ただ、刃が通った感触だけが残る。


その瞬間――

背後で、別の音が立ち上がった。


低く、長い。


山が、動き始める音だ。


低い音が、背中側から押し寄せる。


轟音ではない。

怒鳴り声でもない。


長く、重い。

山が、擦れる音。


エルが、反射的に身を引く。

剣を引き抜くより早く、

雪が視界を塞ぐ。


白雪剛羅の身体が、動く。

挟まった脚が、裂け目をさらに押し広げる。


クレバスが、鳴く。


嫌な音だ。

割れる前の、氷みたいな音。


次の瞬間、

白が落ちてくる。


前からじゃない。

横でもない。


上だ。


空が、崩れる。


視界が、急に狭くなる。

雪が、叩きつけられる。

方向が、消える。


リンク越しに、

圧だけが押し寄せる。


重い。

だが、痛みは来ない。


何かに、ぶつかる。

止まる。

また、動く。


白雪剛羅の姿は、もう見えない。

エルの視界も、白に潰れている。


次の瞬間、

完全な暗転。


光が、消える。


――切れていない。


圧が、残っている。

微かだが、確実に。


動こうとする気配が、伝わってくる。

だが、動けていない。


雪の音が、続いている。

止まる気配はない。


遠くで、別の振動が重なる。

山全体が、揺れている。


ニャースケの声が入る。


「……状況、確認するにゃ」


返事は、すぐには来ない。


雪は、まだ落ちている。

白は、まだ動いている。


戦いは、終わっていない。

災害も、終わっていない。


それでも――

ここから先が、始まってしまった。


雪の音が、通信を削る。


風と白が混ざり、

どこまでが音で、どこからが振動なのか分からない。


戦える状態じゃない。

それだけが、はっきりしていた。


クレアの声が入る。


「……予想外のことが起きたわね」


抑揚はない。

状況を受け取っただけの声だ。


次の動作が早い。


小さな端末が、つかさの手に渡される。

黒い。

表示は、まだ点いていない。


「二箇所、なぞるように」


短い指示。


「急いで」


つかさは、何も聞き返さない。

端末を受け取り、画面に指を置く。


一瞬だけ、

オービタル

という文字が見える。


意味は、分からない。

だが、軽い準備じゃないことだけは伝わる。


雪の音が、さらに大きくなる。


エルの反応は、まだない。

リンクは、切れていない。


クレアが、もう一度だけ言う。


「時間がないわ」


誰も、否定しない。


現場は、もう一段深い場所に入った。

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