第13話 エルの中で、誰かが動き出しちゃったんだ。

雨が弱まり、森の音がすっと遠ざかっていく。

つかさのジャミング装置が最後に火花を散らし、

黒影ハンターは、まるで未練もなく霧のように森へと消えた。


「……逃げた、のか……?」

悠斗の声は、まだ震えを含んでいた。


あれほど執拗だった敵が、突然追ってこない。

その異常さが、逆に胸をざわつかせる。


破壊されたシェルターを抜け出した三人は、

湿った地面に横たわるエルを囲むように身を寄せていた。


エルの身体は、戦闘形態とは思えないほど軽い。

抱き上げる悠斗の腕に、骨ばった細さがそのまま伝わる。


胸のコアが——


 「ト……ト……」


弱々しい光をかすかに点滅させるだけだった。


つかさが額の汗を拭い、ポータブル端末を急いで開く。


「……やばい。

 負荷が下がるどころか、逆に上がってる……!」


声が掠れる。


ニャースケがエルの顔の近くで必死にスキャンする。


「第二階層……無理に使いすぎたニャ……

 この光……第三段階の前兆ニャ……!」


悠斗の胸がざわつき、喉が強く締まる。

何度呼びかけても、エルは反応しない。


「……エル……戻ってこいよ……」


つかさはエルの胸の光を凝視し、

次の瞬間、息を呑んだ。


「……待って。これ……おかしい。」


「おかしいって……どういう——」


悠斗が問いかけた、その瞬間。


つかさの表情が一気に強張る。


「……エルの体内で……

 “誰かがアクセスしてる”。」


風の音すら消えたように感じた。

冷たい感覚だけが、胸の奥へ落ちていく。


森の奥へと進むほどに、

エルの身体は悠斗の腕の中でじわりと熱を帯びていった。


「……熱い……」


悠斗は思わず呟いた。


エルの体温は、歩くほどに上がっていく。

抱きかかえる悠斗の腕に、じりじりと熱が伝わった。


つかさが険しい顔のまま端末を叩く。

画面の数値が揺れ、赤いアラートがいくつも点滅した。


「……ダメね。

 内部のアクセスが止まってない。

 エルの中で“誰か”が動いてる……!」


「動いてるって……誰が……?」


悠斗の問いに、つかさは答えられない。

ただ、唇を噛んで前を向き続けた。


雨脚が弱まった森を抜け、三人は街道へ辿り着く。

その途端——


エルの指が、悠斗の胸でふいに動いた。


空中へ、ゆっくりと“数字”を書く。


「……ゼロ……いち……

 ゼロ……に……

 ゼロ……さん……」


つかさの顔が一瞬で青ざめた。


「ちょっと待って……その数字……

 時間指定プロトコル……!」


森に吹く風の向きさえ変わったように思えた。

空気が確実に、“次の段階”へ移っている。


悠斗は抱き上げたエルの顔を見る。

冷たい汗が額に滲んでいた。


「エル……聞こえてるのか……?」


返事は無い。

ただ、胸のコアがまるで脈を乱した心臓のように点滅を速める。


三人の足が自然と速まる。

向かうのは、森を抜けた先に見える古びた廃工場。


そこへ近づくたびに——

エルの身体から立ち上る熱が、明らかに強くなっていく。


「……このままじゃ……持たない……!」


つかさの焦りが、森の静寂の中でやけに大きく響いた。


廃工場の影に入った瞬間、

エルの身体がぴくりと跳ねた。


「エル……!?」


悠斗が抱きかかえたまま足を止める。


胸紋の光が、

まるで“ノック”みたいに ドン、ドン…… と内側から響いた。


つかさが端末を覗き込み、息を呑む。


「っ……内部アクセスが活性化してる……!

 誰かが、エルの“深層域”を……!」


その時だった。


エルの両瞼が、

ひっそりと震え——

ゆっくりと、開いた。


だがその瞳は、

悠斗たちを見ていなかった。


光の焦点は、

どこか遠くの、さらに奥深くの“別の場所”を見ている。


「……ゼロ……さん……」

「……き……ろく……よみこみ……ちゅう……」


それはエルの声なのに、

まるで“別の人格”が喋っているようだった。


つかさが震えた声で分析する。


「……これ……深層アクセス……

 エルの内部……“第三階層”に触れてる……!」


「第三階層……!?」

悠斗の声がかすれる。


第二階層だけでも、

あれほどの自動戦闘能力だった。


その“さらに奥”。


胸の奥が冷たくなる。


エルはゆっくりと手を伸ばし、

空中に何かを書くように指を動かした。


──■

──□

──△


幾何学模様が浮かびかけては消える。


「……しろ……い……ひかり……」

「……き……ろく……よみだし……」


耳に届く声は、

どこか幼い。

まるで時系列が壊れているかのような、不安定な音。


つかさの指が震える。


「……記憶領域……!

 エルの中で誰かの“記録”が開いてる……!

 でも、誰の? 何の……?」


その時。


エルの瞳が一瞬だけ“正気”を取り戻す。


「……ゆう……と……さん……?」


ほんの一秒。


しかし悠斗には、それで十分だった。


「エル!! 戻ってこい!!」


伸ばした手が触れた——その瞬間。


エルの胸紋が閃光を放つ。


——パァンッ!!


工場内の空気が一気に押し返され、

埃が渦を巻いて舞い上がる。


エルは、

悠斗の腕の中で完全に力を失い、

すとん、と崩れ落ちた。


「エル!!」


つかさが駆け寄り、端末を素早く当てる。

表示された結果に、顔が凍りつく。


「……信じられない……

 深層アクセスが途切れて……

 “誰かの記録”だけが残ってる……」


「記録……?」


悠斗が震えた声で問い返した。


つかさはゆっくりと顔を上げる。


「ユウトくん……

 エルの中で目を覚まそうとしてる“誰か”……

 その人の記憶……よ。」


静寂が工場に沈む。


胸紋だけが、

まるで遠い心臓みたいに微かに明滅を続けていた。


——暗転。

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