第29話 白豚君は夜を駆ける



「舞夏?」

「……ハク」


 時間が止まる。


 パントリーに爽やかで、淡い匂いが立ち込めた。この香は、舞夏の香水だろうか。いつもの舞夏からすっかりと幼さを剥ぎ取って。今は大人の女性(マイカ)がココにいる。


 クラクラする。


 かたや僕は汗だくで。焼き飯おにぎりを頬張る白豚が一匹。対比するにしても、あまりにシュールすぎじゃないだろうか。


 舞夏がクスリと笑んで、僕の隣に腰をかける。微かに軋む。それすら、舞夏の魅力を際立たせる。どう表現したら良いのだろう。怪しさ、危うさ、儚さ。全部が混ざり合って。そして、溶けて。舞夏がどこか遠い世界の人に感じてしまう。


「……どうかな、ハク?」


 いつもと変わらない、そんな声音(トーン)で僕に聞く。

 一方の僕は、舞夏を正視できない。

 どう、言葉にしても。思うように声にできなくて。


 ちゃんと彼女を見られない。舞夏を見ていない。そんな気がする――。


「……きれ、い。だと、思う」


 擦れた声が出た。ようやく、それだけ言えた。


「そっか」


 まるで鈴が鳴るような笑顔。

 嬉しそうに、舞夏は笑う。


 舞夏が、僕に笑う意味が分からない。

 同じ笑顔を、他の人に向けると思うとイヤで厭で仕方がない。


「安心した」

「……」

「ハクにそう言ってもらえたら、ちゃんと笑えそうな気がする」


「へ?」


 それは、どういう――。

 顔をあげる。

 立ち上がった。舞夏は、もう背中を向けていた。


「ありがとう、ハク」


 今、舞夏はどんな顔をしているんだろう?

 フローリングの床板が小さく軋む。



 ――行ってほしくない。行かないで。


 喉元まで、そんな言葉が出かかって。

 結局、意気地なしな僕は、何も言えない。



 ほどなくして。

 静かに、パタンとドアが閉まる音だけが、虚しく響いた。







■■■






「おい、白都。顔が死んでるぞ」

「そんなことないと思うけど?」


 新汰の言葉をなんとか否定する。そして笑って見せた。

 今も耳元で、噂話の声が響く。


 それを打ち消そうとすれば、今度はミスが増える。流石に、お一人様に対して醤油ラーメン・半炒飯(チャン)セットを、デラックスセット3人前と注文を聞き違えたのは、大失敗だと思う。







「坊、今日はもう上がって良いぞ」


 しびれを切らした、大将が声をかける。孔君も明比ちゃんも鳴ちゃんも部屋に戻っている。最後まで心配してくれた、鳴ちゃんの体温が手のひらに残っていて。本当に申し訳ないっていう思いしかない。


「あ、あの。すいません……」

「勘違いするなよ。今夜はお客さん少ないからな。この面子で大丈夫だから。お前らも、な。初日、お疲れさん」


 と大将が新汰と理彩さんに目配せする。


「挨拶、もうちょっとまともに言えるようになってくれよ。坊、そこらへんの指導も頼むぞ」

「え~?! 完璧じゃんっ!」

「遺憾」

「……えっと、ちゃんと教えます」


 思わずから笑い。そりゃ「らっしゃい」に「よく来た」はダメだと思う。新汰はガラが悪い。理彩さんは愛想が悪すぎる。


「それと、坊」

「へ?」


 大将が見せたのは、困ったような――苦笑だった。


「……お前の心配、的外れだからな」


 そう言葉を投げかける大将は、どこまでも優しくて。

 強面の極悪アンアンの笑顔なのに。








 父親って、こういう感じなのかな?

 消化不良のまま僕は、小さく頷くことしかできなかった。









■■■







「じゃぁ、ね」


 僕は小さく手を振って、踵を返す。

 本当なら、安芸白兎の配信について打ち合わせをするべきなんだろうけど。もう、何をどう考えれば良いのか分からなくて。正直、目の前が真っ暗で――。

 突然、ぐぃっと手を引っ張れた。僕は思わず転びそうになる。


「……新汰?」

「聞いたぞ、理彩たそから」

「……樋ノ下、ごめん」


 理彩さんが俯いて、かろうじて言葉を漏らす。でも、別に理彩さんに謝られるようなことは何もしていない。ただ、僕が舞夏のことを――安西さんのことを何も知らなかっただけ。分かっていたつもりになっていた、ただそれだけで――。




「ばーか」


 新汰が乱暴に、僕の胸を揉みしだいた。

 え゛?

 そういう時って、乱暴に髪を撫で回すとかじゃないの? なんで胸?


「理彩たその話を聞いたうえで、俺は思うんだけどさ。あのオオカミも不器用すぎるけど、白都も白都。理彩たそも理彩たそだって思う。友達が心配になるのは百歩譲るとしても――」


 新汰が理彩さんに視線を送る。リサさんは目を逸らした。それから、僕を見る。


「白都らしくないじゃん。人を見た目や噂で判断するの、お前が一番嫌いだろ」

「……別に僕は正義の味方ってわけでもない――痛(い゛)っ?!」


 新汰、なぜ乳首を掴む。なに? 欲求不満なの? おっぱい星人なの?


「気になるなら、素直にオオカミに聞いたらよかったんだって」

「だって、僕が土足で聞いて良い話じゃ――」


「少なくとも、友達なら聞いても良い。俺は白都に心配されて、土足で上がられたって思ったことなんかないぞ。族の縄張り争いに顔突っ込んできた時、俺、心臓が止まるかと思ったんだなからな」


「いや、あれは。その喧嘩はよくないって思って――」

「じゃぁ、安西もそれで良いじゃん」

「へ?」


 僕は目をパチクリさせる。


「俺らの戦争を止めようとした時と一緒じゃんか。友達が、火遊びをしているのかもしれない。していないのかもしれない。でも、友達だから心配する。それだけだろ?」


「あ、新汰……」

「だから、乗れ」


 話している間に、新汰が駐輪場から引っ張ってきたのは、KYAWASAKI-SINOBI 250CC。新汰の愛車だった。エンジンが点火し、魔改造したマフラーから爆音が響き渡る。でも、行くっていっても、どこにいるのか場所も分からないのに――。


「あの、樋ノ下。二重にごめん」

「え、理彩さん?」


 さらに頭を下げる理彩さんに面食らう。


「その……あの女が樋ノ下に悪さしたらって、思って。まずは敵を知る必要があるって思ったから。だから、貼り付けたの。あの女にモノタグを」

「はへ?」


 忘れ物防止GPS対応タグ、モノタグである。置き忘れが多い人の強い味方であるとともに、ストーカー被害に悪用されないか懸念事項がある商品で。


 母さんの経営するWHITE PICと大手IT企業が共同開発した逸品だった。まさか、この場で聞くと思わなくて――って、それストーカー行為! そういうのダメ! 商品の悪用、絶対に駄目!


「どぅどぅ、白都。理彩たそも、お前のことを心配してのことだし。ここはおおらかにだな――」


「新汰は理彩さんに甘すぎるよっ!」

「でも、これで居場所は分かる」

「んぐっ……それは、そうだけど……」


 新汰が片手で、僕に向けスマートフォンを放り投げた。


「な、なに? なんなの?!」

「ばーか。俺が運転しながら見たら、逮捕(パク)られるだろ? 道案内、頼むぜ」

「え? 新汰と二人乗りで行くの?」

「理彩たそを後ろに乗せたいけど、今はそんなことを言っている場合じゃねぇだろ。大勢で押しかけるものでもないし。白都が聞けば良いだけ。俺はおまけ。Are you Ready?」


 新汰が講釈を捲し立てるうちに、僕はその場の流れで後部座席に座らされてしまう。理彩さん愛用の白豚デコレーションのヘルメットを被せられて。

 女の子が被るならまだしも、明らかに僕は似合っていなくて――。







「行くぞっ! 喋るな、舌噛むぞっ」

「ちょ、ちょっと、待って?! 心の準備が――」





 ――VRRROOOOM(ブロローーーーーーーン)!!


 爆音が、耳に痛いくらい響いて。

 バイクが、車道へと滑り出す。







「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ?!」




 夜の安芸市に、情けない僕の悲鳴が響き渡ったのだった。







▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥





GPS機器とバイクはご使用の際、ルールを熟読のうえ、一般常識の範囲でご活用ください。

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