第8話 白豚君、アルバイト初日②
「それで今日はどうするつもりなの?」
美晴さんに尋ねられ、思案する。
「……僕が決めても良いんですか?」
「基本的には白都君にお任せしたいって思っているからね」
「……それなら、鳴ちゃんと明比ちゃんのリクエストに答えようかな?」
そう応えた瞬間、鳴ちゃんと明比ちゃんの顔に笑顔が咲いたのを、僕は見逃さなかった。
■■■
「お姉ちゃん、お兄ちゃん達、はやくっ!」
鳴ちゃんがぶんぶん、手を振る。明比ちゃんに手を引かれているから安心だ。普通に出歩いたら灼熱真っ只中。本日も熱中症警戒アラート発令中。最早、日本の夏の風物詩だ。さんなの、いらんけど。
でも、小川にそって歩くこの雑木林は、うだる熱を和らげる。まぁ、僕の知るとっておきポイントの一つだ。そうは言っても暑いのは暑い。
でも準備は万端。白豚印のネッククーラーを装着。麦わら帽子もよく似合ってる。
お手製のスポーツ飲料。明比ちゃんは、師範のスポーツ飲料は大嫌いらしいが、僕のお手製ドリンクは飲んでくれたから
理解してもらって良かったと思う。閉じこもっていたら、折角の夏休みも味気ない。
今日は美晴さんもお店に出るらしい。この猛暑、そこまで長い外出は難しい。繁忙時には戻る算段。これで安西さんの同伴も問題ないはずだった。
「「は~や~くっ」」
明比ちゃん、鳴ちゃんの催促の声が重なる。
「まぁ、早くは無理だと思うよ」
音哉君、クールに苦笑していないで、助け船の一つや千艘だしてくれても良いと思うのだ。
「ハク、余所見する余裕あるんだ?」
「ぶひっ?!」
「豚さんの真似してもダメ。そういう時、全力で誤魔化しにいっているでしょ?」
「……そ、そんなことないよ?」
鋭い。だいたい自虐ネタで攻めたら、みんな明後日の方角を向いてくれるのに。これまで騙されなかったのは、母さんと理彩さんだけだったのに。まるで昔から付き合いがあるかのような洞察力。姉御、お見それいたしやした。
なお新汰はすぐに騙される。
「……今、姉御って思ったでしょ?」
「オモッテナイヨ」
「ハクってウソつけないよね。顔にすぐ出る」
というか〝ハク〟呼びは定着ですか。
「ソンナコトナイヨ」
これでもポーカーフェイスの白都と定評があるのだ。僕の脳内会議では。
「……それよりも、ちゃんと呼んで?」
「きょ、距離が近くないですか?」
「そう?」
無頓着に首を傾げる。良いですか、安西さん。男女にはパーソナルスペースというものがあるんです。この距離はけしからんワケです。男女たるもの正々堂々と、半径5キロは距離を置き、節度ある交際をですね――。
「遠いよ、半径5キロ」
音哉君、僕の心のなかまでツッコマナイデ。
「お兄ちゃん、声に出てたよ」
鳴ちゃんがニコニコ笑顔、上機嫌だ。今日の目標は、明比ちゃんと鳴ちゃんを徹底的に楽しんでもらうこと。それに尽きる。ある意味、ミッション・コンプリートと言っても良い。
「姉さんとのミッションもコンプリートしてくださいね、白都さん」
「ブヒィ?!」
音哉君、軌道修正をかけるのは止めて。全力で逸らそう僕の努力が無駄になるじゃないか。
「じゃ、そろそろ私の名前を呼んでくれても良いよね?」
「いっ?」
そう僕が直面している由々しき事態は、まさにこれだ。ずっと避けていた、名前呼び問題である。
自意識過剰と言われようがなんと言われようが、男女が名前で呼び合う。これは、いらない妄想を抱かせかねない。僕はともかく、安西さんにそんな誤解を与えるのは、よろしくない。それは彼女の幼馴染みである高天ヶ原典司君似も申し訳ない。僕はあくまでモブなのだ。モブ男、もしくは今まで通り樋ノ下、もしくはオークCぐらいが丁度良いと思う。
「あ、あの提案なのですが。安西さんは僕を――」
「舞夏って呼んでってお願いしなかった?」
撃沈である。
クール女子、オークCに快心の一撃。
「名前ぐらい呼んであげたら良いのに」
明比ちゃんの一撃。オークC、瀕死状態に陥った。
「白都お兄ちゃんって、実は弱虫?」
鳴ちゃん、痛恨の一撃。オークCは倒れた。
「……あ、ぅ。だって、恥ずかしいんだよ。今まで名前で呼んだことなかったから」
「それは私も一緒。〝ハク〟って呼び方は私だけ。だから、私だって、勇気を出した」
淡々と。でも、それで頬を朱色に染めながら、安西さんは言う。
これはマズい、熱中症の気配だ。
ここも街中に比べたら、かなり涼しいが一刻も早く目的に到着する必要がある。
「それとも、ハクは私を名前で呼ぶことはイヤ?」
「い、イヤじゃないけど」
「だったら、普通に呼んで。変に意識をしなくて良いから。私は当たり前に〝ハク〟のことを呼びたい」
「あ、ん、うん……」
そこまで言われたら。
別に自虐的に思っているわけじゃない。ただ、処世術として、付かず離れずは楽なのだ。周りに合わせない。あえて空気なんて読まない。だからこそ、自分は自分だって貫く。そんな安西さんは強いって思う。
心臓がトクトク言う。
楽なんだ。
人と距離を置く方が。
自虐的に振る舞った方が。
体型でからかわれたり、心ない言葉を投げつけられることなんて、今まで掌から溢れるほどあったから。
「舞夏……さん」
「ダメ、ちゃんと呼んで。さん付けはいらない」
「あ……うっ、あの……舞夏っ」
言った。言ってしまった。どうしよう、キモくない? 馴れ馴れしすぎじゃない? 無理なら無理って言って欲しい。やっぱり、人間は適度な距離感が大事だって、思うから。
「聞こえない」
「えぇ?! 意地悪すぎない?」
「ハクの方が意地悪だよ。私は名前を呼んでとお願いしただけだし」
「そ、それは……そうかも、だけど……」
「だから、ちゃんと呼んで」
「う……舞夏……」
「もう一回」
「ま、ま、
「人の名前を魔改造しないでよ。なんなの『まいっか』って」
「違うって、噛んだだけじゃん!」
「なら、もう1回呼んで?」
「ま、舞夏……」
「うん、ハク。もう1回、もう1回」
「舞夏」
「ハク」
「お兄ちゃん、私も~」
「鳴ちゃん」
「私は~?」
「明比ちゃん!」
「なんで、私は噛んで、二人はすらっと言えるの?!」
安西さん、ご立腹。いや、これはきっと熱中症の予兆かもしれない。
「愛しているから?」
鳴ちゃん、意味分かって言っているのだろうか。アンアンさん、もとい大将が涙目になりそうな気がする。本日の案件は、早急に情報統制が必要だ。
「ハク……っ」
今度は安西さ――舞夏が半泣きになりそうになっている。だから……。
「舞夏」
何度も呼んだからか。今度は詰まらずに言えた。自然に――昔から、そう呼んでいたような錯覚すら憶えて。
「……なんなの、このラブコメ」
心底呆れた。そう言わんばかりの眼差しを向ける音哉君だった。
「ラブ
リクエストされたとなっては、応えなくては男が廃る。僕はおもむろにリュックから、お手製のおむすびを取り出した。
「小腹が空いたのなら、これをどうぞ」
「違うよ! ラブコメってそういう意味じゃないから!」
「塩むすびも確実に塩分補給できるんだよ?」
「炭水化物もね!」
そう言う、音哉君の顔は悪くない。うん、むしろ取り繕って、遠慮した顔より、今の素顔の方が良い。
と、舞夏が僕の手を引く。
「え? ちょ、ちょっと、舞夏――」
「明比と舞が待っている。急いであげないと」
「ぼ、僕は荷物を背負っているんですけど?」
「持ってあげるっていったのに、断ったのハクだし」
「そこは男の意地ってヤツだよ!」
「じゃぁ、最後まで頑張って!」
「ひどくない?! 持つとか言ってくれないの?」
「渡す気ないでしょ?」
「ないけどさ!」
息を切らせながらも、坂道を駆け上がる。
あと、ちょっと。
あと、少し。
もう
■■■
「「「わぁぁぁっっ!」」」
明比ちゃん、鳴ちゃん、そして音哉君まで感嘆の声をあげて――僕は思わず、微笑が溢れた。
■■■
緑のカーテンから解き放たれて。眼前に、安芸市を一望できる。
ふわりと涼やかな風が頬を撫でて。
小川を活かして作られたビオトープが、この台地に息吹を与える。この小さな湖畔には、メダカが生息しているのだ。
小学校保護者有志が作ったツリーハウスや、アスレチックを目の前にしたら、そりゃ心も騒ぐ。チビだった頃の僕がそうだったんだもん。
僕は、安西さ――舞夏を見やる。
「また、来ちゃった」
そう呟く声が聞こえた。
そりゃそうか、って思う。
秘密にしているワケじゃない。知る人ぞ知る、森の隠れ家。でも、それなのに。知っているはずなのに、舞夏は嬉しそうに笑う。
どうしてだろう。
見慣れた景色のはずなのに。
やけに懐かしく感じて。
滴る汗が目に入って。それが痛くて。思わず、目を閉じる。
ふと、柔らかい感触に包み込まれた。
タオルで汗をN迂愚割れる。
柔軟剤の甘い香り。言ってみたら、それだけなのに。
それなのに、心臓が跳ね上がって、鼓動が強く胸を打つ。
舞夏が、タオルで僕の汗を拭き取ってくれて――それだけ。ただ、それだけなのに。
でも、僕は。
この光景をどこかで見た気がして――。
脈打つ、鼓動が止まらなかった。
________________
【とある元極悪プロレスラーの対処方】
「どうする? 明比と鳴が熱中症で倒れたら!?」
「はいはい……仕込みに集中してね」
A:多少、雑に扱っても大丈夫です。
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