第30話 永遠に一緒に……
勢いよく階段を駆け下りると、俺は部屋着のまま財布だけを手にして玄関へ向かった。
「ちょっと、俊! あんた何処に行くのよ」
「どした、慌てて」
背中に母親と姉の声が響いたけど、振り向かずに靴を履いた。
「ちょっと出かけてくる」
ガチャ!
まだ何か言っている気がするけど、俺は無視して外に飛び出した。
もう辺りは真っ暗で、街灯がぼんやりと瞬いている。俺は転びそうになりながらも、必死に走り続けた。
「はあっ、はあっ、はあっ、走るのは……得意じゃないんだけどな」
昼間、体育祭の種目は走らないのにしようと思ったばかりなのに、何で俺は全力疾走しているんだ。
誰かのために必死になるのは、いつぶりだろう。
瑛理子先輩……。
『大崎君……もうダメ……私、書けない……』
今にも消えてしまいそうな瑛理子先輩の声が、俺の中に残り続けている。
瑛理子先輩! 瑛理子先輩! 辞めちゃダメだ! 瑛理子先輩は、俺に執筆の楽しさを思い出させてくれた恩人なんだ。
「瑛理子せんぱぁああああああぁい!」
胸が苦しい。脇腹が痛い。それでも俺は走った。
◆ ◇ ◆
電車で一つ隣の駅を出て、再び俺は瑛理子先輩のマンションへの前に立っていた。
緊張しながらインターホンを押す。
『大崎君……』
すぐに瑛理子先輩が出て、オートロックの玄関が開いた。
最上階に上がりドアを開けると、暗く沈んだ表情の瑛理子先輩が顔を出す。泣いていたのだろうか。瑛理子先輩の目は、赤く腫れていた。
「どうしたんですか、瑛理子先輩」
「大崎君!」
俺が口を開いたその時、瑛理子先輩が抱きついてきた。ぽろぽろと涙を流しながら。
あらためて見ると、瑛理子先輩の肩は細く華奢だった。
背が高くて威厳があるけど、やっぱり先輩も女の子だと実感する。
「瑛理子先輩、何があったんですか? 俺で良かったら、話を聞きますから」
「うん……うん……」
瑛理子先輩の話によるとこうだ。
例の打診をしてきた自称有名編集者だが、やはり詐欺だったらしい。金銭の要求を断ると、暴言を吐かれブロックされたそうだ。
他にも被害者がいたそうで、SNSでは注意喚起の書き込みが広まっていた。
そして、もう一つ。
「これよ……」
瑛理子先輩は震える手で自作の感想欄を表示する。
そこには酷い誹謗中傷のコメントが書かれていた。
《ゴミ! つまんない。才能無いよ。辞めちまえ!》
《こんなのがランキングに入ってるのかよ! クソだな》
作者まで否定するようなアンチコメに、俺は自分のことじゃないのに怒りで震えた。
「こんなの真に受けちゃダメだ! こういうのは、筆を折らせるために嫌がらせしてるだけですよ!」
「でも……私の小説がダメだったから」
「ダメじゃない!」
俺は先輩の肩を掴んだ。
「瑛理子先輩は才能あります。それは読んだ俺が一番強く感じたんですよ。俺の小説とは、表現力も完成度も桁違いだって」
「で、でも……もうコンテストも取り下げちゃったし、打診だって嘘だったし……」
再び先輩は下を向く。涙をぽろぽろと零して。
「もう……無理よ。書けないわ。最初から私には無理だったのよ……」
「無理なんかじゃない!」
瑛理子先輩の『無理』という言葉に、俺の中の何かが熱く燃え上がった。
「無理なんて言わないでくれよ。先輩は俺の憧れなんだ。俺は中学の時、陽キャグループに小説趣味をバカにされ、一度は筆を折ったんだ……。でも、瑛理子先輩のお陰で、また小説を書きたいって思えたんだから」
想いが溢れてくる。もう止められない。
「俺だって色々調べたんだ。そりゃコンテスト授賞や書籍化なんて、砂の中から砂金を探すくらい難しいのかもしれない。でも、先輩はそれを可能にする才能と努力があるはずなんだ!」
「お、大崎君……」
瑛理子先輩が俺を見つめる。悪魔のようでもあり天使のようでもある、大きく魅惑的な瞳で。
「受賞して書籍化したって、それはゴールじゃないかもしれない! 思うように売れずに、続刊が消えてしまうかもしれない! 人気作品が書店で平積みされる中、自分のは棚の隅に追いやられてしまうかもしれない! 作品レビューでボロクソに叩かれるかもしれない! それでも!」
瑛理子先輩の肩に置いた手に、自然と力が入る。
「それでも! 瑛理子先輩は書くって決めたんだ! あと一歩、あと少しで届くかもしれない! 書けば届くかもしれないけど、書かなかったら一生届かないんだ! そんなの修羅の道かもしれない! でも、先輩が修羅の道に進むのなら、俺は何処までも一緒に行ってやる! 永遠に一緒に!」
言い切った。とんでもない発言をした気もするが、もうどうとでもなれだ。
瑛理子先輩の才能を、くだらない奴らのせいで潰したくない。先輩にはずっと女王でいて欲しいから。
「大崎君、うわぁああああああああ~ん!」
瑛理子先輩は俺の胸に飛び込み、まるで子供のように泣きじゃくる。
「大崎君! 大崎君っ! ああぁん!」
「大丈夫です。俺がついてますから」
先輩の背中に腕を回し、ギュッと抱きしめる。
そこで、俺がとんでもない行為をしているのに気づいた。
「ん? あれっ?」
今、俺って瑛理子先輩を抱きしめてるんだよな。あの孤高の女王である万里小路瑛理子を。
えっ! ええええっ!
こんなのもう彼女みたいじゃないかぁああ!
急に恥ずかしさが込み上げてきて、どうしたらいいのか分からずオロオロしてしまう。こちとら女性経験が無いんだよ。
「え、瑛理子先輩、大丈夫ですか?」
「ぐすっ、えぐっ……だ、大丈夫よ」
あれから三十分くらい泣き続けた瑛理子先輩は、やっと泣き止んで静かになった。
まだ俺の胸の中で抱かれているけど。
「あのぉ、先輩、そろそろ……」
「も、もうちょっとこのままでいさせて! 今は顔を見せられないわ」
俺の背中に回した先輩の手に、ぎゅっと力がこもる。涙でグショグショの顔を見られたくないのだろう。
「大丈夫ですよ。先輩は泣いた顔も可愛いですから」
「か、かわっ♡ くぅ♡」
「どうかしましたか?」
「お、大崎君♡ そ、それ、無意識なのかしら?」
「何のことですか?」
先輩は何を言っているんだ? 前は美人とか可愛いって言っても、眉一つ動かさなかったのに。
本当によく分からん人だな。
「大崎君のバカ! バカ、バカ!」
「はいはい」
「ムカつくわ」
「そうですか」
「もうっ♡ 何で私ばかり……くぅ♡」
それからまた三十分くらいして、やっと瑛理子先輩は俺から離れてくれた。
ただ、恥ずかしいのか後ろを向いたままだけど。
「えっと、先輩、こっち向いてください」
「う、うるさいわね♡ こっち見ないで」
「そう言われましても」
「もうっ! 恥ずかしいところを見られちゃったわ。どうしてくれるのよ」
「先輩でも恥ずかしいって気持ちあったんですね」
「私を何だと思ってるのよ!」
瑛理子先輩が、チラッとこっちを向いてくれた。
すぐに顔を背けちゃったけど。耳まで真っ赤だ。
「ううっ♡ 何なのよもうっ♡ 私に恥をかかせて楽しんでいるのね」
「そんなことしないですよ」
「大崎君って、普段Mっぽいのに、たまにSになるのね」
「先輩は普段ドSなのに、たまに可愛くなりますよね」
「かか、可愛っ♡ も、もうっ♡ ばかっ」
ドキッ♡ ドキッ♡ ドキッ♡ ドキッ♡
あれっ? 瑛理子先輩が、めちゃくちゃ可愛く見えるのだが。何だコレ?
マズい、このままだと感情が抑えられなくなりそうだ。もう帰った方が良いよな。
「あの、そろそろ……」
ギュッ!
俺が立ち上がろうとしたその時、瑛理子先輩が俺の手を掴んだ。
「こ、今夜は、と、泊ってく?」
「えっ?」
今、瑛理子先輩が凄いことを言ったような?
気のせいだよな?
「ち、違うわ! 今のは違うの!」
「えっと、今、何て言ったんですか?」
「忘れなさい! 今夜の記憶を全部消すのよ!」
俺の襟を掴んだ瑛理子先輩が、凄みをきかせてきた。
「無理ですって! 忘れられないですって!」
「忘れないと踏むわよ! 踏みまくりよ!」
「先輩、分かってないかもしれませんが、瑛理子先輩に踏まれるのはご褒美です。脅しになっていません」
「へ、へぇ♡ そうなの♡ やっぱり踏まれたいのね♡ 明日からは毎日踏むわね♡」
しまった。つい本音が漏れてしまい、瑛理子先輩を勢い付けてしまった。
あの魅惑の美脚で踏まれたら、もう我慢ができないかも。俺の性癖が歪んでしまう。
でも――――
「ふふっ」
「何よ、何がおかしいのかしら?」
「瑛理子先輩に、いつもの調子が戻ったみたいで嬉しくて」
「くぅううっ♡」
また瑛理子先輩の顔が真っ赤になった。
「じゃあ、俺はそろそろ帰りますね。また部室で」
「そ、そうね……ぁ……」
帰ろうとした俺の背中に、先輩は小さな声で何か言った。
「えっ、何か言いましたか?」
「だ、だから……ぁり……とぅ」
「えっ?」
「あ、あ……がと……」
「すみません、良く聞こえませんでした」
「だ、だから、ありがとうって言ったの!」
「はい、ど、どういたしまして」
何だ、ありがとうだったのか。
恥ずかしくて言い出し難かったのかな? やっぱり瑛理子先輩は可愛いところあるな。
「では、また学校で」
「そ、そうね♡ また学校で。ううっ♡」
長い髪を指でくるくる巻いている瑛理子先輩を背に、俺はマンションを後にした。
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