第十一話 良い夢を

 ランジアが出て行ってすぐ、アネモネも俺を一瞥して部屋を出ていった。診療所の外で何やら話しているようだったが気分的に盗み聞きのような下品なことをする気にもなれずに布団を頭までかぶって無理矢理に目を瞑った。


 先ほどまで眠っていた間に、俺の体内に一時的に移されていたランジアの祈りの力は元のあるべき主のもとに帰って行ったようだ。俺の少量の祈りの力によってカバーされたランジアの暴走しがちな祈りの力はおとなしく主人の器に収まっている。目を瞑りながら遠くに感じる落ち着いた祈りの力を感知して少し安心した。

 技術が十分であるのならもう夢の創造ができるようになっているはずだ。初めての成功は近くで見たいなぁ、とかそんなことを呑気に考えながら眠りについた。

 ランジアはおそらく、夢は夢、現実とは違うと区別していた。

 俺は鼓動が落ち着かない心臓のあたりをギュッと抑えてわざと楽しい未来を想像した。

 その後、俺が倒れたとランジアあたりから聞いたのであろう、フロス爺とデファレ、とんがりさんが見舞いに訪れ、様子を見に来たシレネからもう大丈夫だろうというお許しが出たところで俺は自分の部屋に戻るために診療所を出た。

 

「無理をしたせいで足の傷も開いてしまっていたから何針か縫い直しました。ハイドさん、体力はもう安全なくらいには回復しましたが足の怪我がまだひどいので、安静にしていてくださいね。くれぐれも余計な事はしませんようにお願いします。」


 シレネの忠告の言葉は俺の行動に難を示しているのを遠回しに伝えてきている少し棘のある言い方だった。怪我を悪化させてしまったり、中庭の植物を祈りの力の圧力の影響で倒してしまったり、余計な仕事しか生み出していない為申し訳なく思いながらじくじく痛む足を庇って歩き始めた。

 寝ていたベッドの片隅に自分のために用意されたものだろう、松葉杖が立て掛けられていた。だが、余計なものを持つのが性に合わない俺は杖を元あったであろう壁掛け式の物置台に返しておいた。その杖には誰かのイニシャルが掘られていたことから、昔いた夢創造人の私物であると考えたのだ。茶色の古びたそれは長らく触れられておらず寂しそうに見えた。昔は大切に使われていた事は見ればわかる。

 体に負担がかかったからだろうか、ガラスで切った時にはそんなに痛まなかった足の傷の痛みが怪我をして暫く経った今、傷口が開いてしまったこともあって強くなっている。傷口にドクドクと脈を感じながら作業場へ向かう。

 先ほどデファレがきた時に落ち着いたら任命式の詳細を作業場で話すと伝えてくれた。朝、呆れを表情に出して接してしまったからだろうか、きまづい空気が流れていたがデファレが誠心誠意謝ってくれたのでその空気を打破することができた。やはり幻影郭には優しい人が多い。

 作業場に入ると一階の中心、ソファにデファレととんがりさん、その向かいにはランジアが腰を下ろしてこちらを見ている。何故か助けを求める視線をひしひしと感じる。

 菫色の瞳から繰り出される救援要請を一旦は無視して、デファレに状況を尋ねる。


「遅れてごめんなさい。もうお話は始まっている感じで?」


「少し話してたぐらいだよ。さ、座って。」


 頬にグサグサとしつこい程突き刺さってくる視線が、ランジアの必死さを伝えてくる。一旦挨拶をしただけで君を助けないつもりだったわけではないのだけれど…。一体俺がいない間に何があったというのか。


「ハイドぉ…。」


 ランジアから少し距離をおいてソファの隣に腰かけると高い声が隣から響く。とは言っても、話を終えてから話そうとしているだけで、横目で軽く見たところのランジアは先にデファレの話を聞こうとする体勢になっている。切羽詰まって俺に助けを求める目をよこしただけで今すぐといった雰囲気ではなさそうだ。今は話を聞くこととしよう。


「任命式ではまず、君たちに夢の創造を観衆の目の前で終えてもらう。それを神に奉納する。やっていることはいつもと同じだよ。それを観衆に大々的に公開するだけだ。」


「要は、公的な儀式というわけか…。なにか作法のようなものはあります?」

 

「これ、作法とかあと任命式に来る偉い人のリストとか…当日、気をつけること全般を纏めておいたから。ランジアにはもう渡してある。」 


 とんがりさんに渡された資料を見て、ランジアが助けを求めてきた理由に察しがついた。「一、夢の創造、奉納の儀の際の作法 三〜四十三頁」「二、上流階級のマナー大全 四十五〜九十五頁」「三、重要人物客人リスト 九七〜一〇五頁」

 最終ページには作成者シレネと大きな字で記されている。

 頭が痛くなる。

 ランジアは傍目からみても汗でびちゃびちゃだとわかる手をスカートで必死に拭いている。俺から見てランジアの奥に置かれている資料は変に力が入ったのだろう、一部が不自然にクシャクシャになっている。

 俺が二章の内容を全て覚えていると仮定しても五十頁の暗記量。ランジアは全てを覚えなければならないだろうから単純に二倍以上。これを二週間前に渡してくる馬鹿があるか?

 俺達が愚行を許したあともデファレが後ろめたそうにして頑なに目を合わせようとしないのはこれを隠していたためか。

 これは…。有罪。

 とはいえ、公的な儀式を俺たちの一意見で遅らせたり延期させることは不可能だ。五十頁…、三日あれば良い。問題はランジアだ。普段の会話からして地頭は良い方ではあるだろう…だが、どこまで暗記できるか。

 百三頁は高い壁だぞ…。

  俺は冗談まじりに「やってくれましたね。」と思い切りデファレを睨みつけ、縮み上がったデファレは急いで冷静なとんがりさんの影に隠れた。見かねたとんがりさんに叱られていた。

 

「ランジア。」

 

「……わかってる。祈りの練習と勉強を今日からみっちりやらないといけない。私、学がないから…。」

 

「俺のところでしっかり勉強しようか。」

 

「ひ、ひえ…。」


 安心しろと満面の笑みで協力の意志を伝えるとランジアの汗を拭く手の動きが少し早くなった。

 


 すっかり日も暮れて、午後の間中眠っていた俺は特にお腹が空いているわけでもなく、ランジアの後について廊下を歩いていた。体力を異常に消費しすぎると食べる気力も無くなってしまう。

 

「ん。」


 ランジアの部屋の前に着いて、俺も隣の自室へ入ろうとすると、ランジアが俺の目の前に立ち塞がって腕を広げた。

 

「何?」

 

「感謝のハグ。」

 

「え、えっと…。」


 急なことに心の奥底で期待するのを隠すように目を逸らして一歩下がった瞬間気づく。ランジアはずっと心配してくれていた、安心したいだけなのだ。

 深く息を吸うとランジアの頭にゆっくりと手を回して自分の胸元に抱き寄せた。それからすぐに脈が激しくなって自分の中で限界が訪れた。こころなしか足の傷も少し痛みを増したような感覚がする。

 

「じゃ、じゃあ。今日は色々あったし…早く寝てまた明日勉強と祈りの練習の続きをしよう?」


 俺は早く部屋に戻ろうと、ランジアの肩を押して離れようとするがその体は動かない。灰色の髪で表情が見えないが腰に回った手にがっちり力を入れられているのがわかる。そういえば、ランジアは馬鹿力だったか、そう思い出した俺は抜け出すことを早々に諦めた。祈りの力の付与による力の補助がなくなったこともあり、以前感じたほどの強さでは無くなっていたが、どちらにせよ俺は抜け出すことを選ばなかっただろう。

 

「もうちょっとだけ。」


 耳元に響いた声はいつもより少しか細かったような気がする。

 背中に回された腕の力が抜けるまで、俺はゆっくりと息を吐いて薄目でランジアが首から下げているフウロの花の匂い袋の気配に集中していた。

 ランジアの感情を分かるよ、辛かったねと隣で共感してあげられるほどの器用さは俺にはない。

 そう言った言葉をかけるにしてもこの言葉は本当に人を傷つけていないだろうかと不安になる。今出来ることは、ランジアの気が済むまで己の身を預けることぐらいであろう。

 

「ん。満足した、ありがと。じゃあまた明日ね。」


 急に力が抜けランジアは軽やかなステップで一歩下に上がると、満面の笑みで笑った。ランジアが部屋に入る時、その後ろ姿に向けて静かな声で呟いた。きっと耳のいいランジアには聞こえたことだろう。

 

 「良い夢を。」

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