第五章 少女は誰かの別れの悪夢を傍観している

第十話 悪夢

 フロス、君に流星群を見せたい。

 私が、この館を出て行く前に。

 一緒に見たいんだ。

―夢創造人から、夢創造人へ―



 夢を見た。

 美しい少女が腕の中に白い髪の少年を抱いている姿を。周りに人々が倒れ込み、油の匂いが漂う周囲の惨状の中でも二人は雪のように美しく純粋である。

 二人の間にはだれにも踏み込めない。

 だれにも。

 そう、誰にも。

 それが少年の血縁者であったとしても、だ。

 

 少女の紅の瞳は、ある種の解放と狂気を纏っていた。その少女の名前を私は知らない。でも、途方もなく胸が痛むのはこの少女に共感してしまったからだろうか。



 夢を見た。

 見覚えのある切り株で二人座って、空を眺めている。五十年に一度、ペガサス座流星群と同じ方角、同じ光。私も現実で見たことがある。

 ハイドに連れていかれた崖に近い場所。荒れた場所でなく、手入れの行き届いたきれいな秘密基地。紫色の花が咲き乱れている。

 前に教えてもらった花だ。紫のクロッカスの花言葉は『愛の後悔』だったか。

 大人の落ち着いた雰囲気が漂う景色だ。夢の登場人物、女性の方は口から血を吐くほどにひどい咳をしていた。男性は背中を支えながら心配そうに眺めている。女性は一言真剣な表情で何かを呟いて、男性は目を見開く。

 しばらくして男性が背を向けて何かを話した瞬間、彼女は崖に向かって歩き出した。

 振り返った瞬間、女性はもういなかった。


 私はその朝、目覚めた瞬間に吐いた。

 カメリアの世話で忙しい母にバレるわけにはいけないと、自分一人で片付けた。そんな私を父は見つけたのにも関わらず、見なかったふりをして再び部屋に戻っていった。大丈夫。最初から期待なんてしていなかったのだから。

 

 

 夢を見た。

 幻影郭のステンドグラスの絵に似た金髪の少女が柳の下で眠っている。白狐はそれを見守っている。

 白狐はしきりに少女の頰を舐め、そして大きな狐の姿に変化すると少女の身体に覆いかぶさって丸まった。

 少女は目覚めることもなく、冷たくなっていく。

 あぁ、君も、おいていかれたんだね。

 

 目覚めた時、質素な天井を見上げて私は目尻の涙を拭いた。きっとカーテンから射す陽の光が目に直接あたったせいだ。



 夢を見た。

 妹を庇って、兄らしき男が兄妹と同じく耳の尖った人々に弓を向けられる。そのまま兄は妹の手を引いて、走り出す。妹を押し出して、兄は人々に捕まった。

 そうして、二人は散り散りになって、別の人生を歩む。

 

 弟がいる分、私は兄に感情移入した。

 妹は住んでいた森を離れ、外の素晴らしい世界を知る。

 それだけで、兄は幸せだったろう。

 でも、愛し合った家族との別離は悲しいもので。

 私にとっては十分に悪夢だった。

 


 夢を見た。

 青年が星に見初められその心に炎の魔法が宿った。

 青年の掌の炎は生きているように跳ねる。意思があると伝えるが如く青年の大切な人々を燃やし尽くす。

 雨の中、消えない炎の上に立っている。

 街一つ、全てが燃えた光景を見た。

 青年は濡れた体を拭くことなく只々立ち尽くしている。

 その周りには炎がじゃれつく子供のように飛び回っていた。

 

 青年は何を思っていたのだろう。涙を流すこともせず、怒ることもせず、悲しむこともせず、生まれたばかりの赤子のような純粋な瞳で。何を思って黒い煙と赤い炎に包まれた街を眺めていたのだろう。私にはわからない。

 だから、私は大きな声で叫びながら起きた。甲高い声が耳の中にこびりついている。自分の声をここまで不快に思ったのは初めてだった。


     *** 


「なんだ、これ…。」


 前に進んでも進んでも別の悲惨な何かが広がっている。もういくらか進んだだろう。その中の多くが穏やかな雰囲気の中、夢に出てくる人々は感情を露わにすることはない。子供のように喚き散らすわけでもなく、ただそこに存在しているだけであるといった異様な光景である。ある少女は狂気、ある女性は絶望、ある動物は寂しさ、ある青年は…わからない。人の感情を数多と見てきた俺でも、無限に広がる夢の世界では人の感情を予測することすらままならない。ランジアは言っていた。


 「一日に見る夢は一つじゃなくて、日によって違いがあるんだ。七個の時も、十個のときも、三個の時もある。生まれた時から何千何万と見てきた。そのほとんどを、私は覚えてる。」


 ランジアが夢に対して恐怖心を持っていること、不思議に思っていた。

 納得だ。

毎日毎日寝るたびにどこの誰とも知らない人々の悲劇を見せつけられるのだ。一日に七個の夢を見ると仮定して、十四年。概算で三五七七〇回の悪夢を体験したことになる。他人の不幸は蜜の味なんて思うような変態でもない限り、普通の人はノイローゼになって苦しみ続ける。


「…。」


 俺に理解できる規模の話ではない。辛かったねなどと声をかけること自体が失礼に値するだろう。

 ランジアは一体、どれだけ…。

 そういえば、ランジアは何処にいる。

 俺が夢の中で体を持っていると言うことはランジアも何処かの夢の中にいるはずだ。

 そしておそらくはそれが夢の柱として機能している。

 探さないと…。


     *** 


 夢を見た。

 それは、悪夢をアネモネが壊してくれるお話。ハイドがよい夢を私に創ってくれるという都合の良い物語。

 そして、アネモネは悪夢に呑まれる。私の目にはもう映っていない。

 ハイドは知らない場所、でもどこか懐かしく感じる場所でフウロの花の匂い袋を抱き締めて倒れ込んでいる。その隣に私はいない。

 とても苦しそうにしていて、目も当てられない。白くて清潔に保たれていた服があの潰されたアブラムシたちの色で侵されていく。

 なんて悪夢だ。

 夢だとわかっていても吐きそうになる。

 夢の中の私は体はあれど、夢に干渉することはできない。実体がないと言うことであろう。にも関わらず、腹がちぎれそうなほど痛む。

 ハイド、やめて。その血、止めて。おいてかないで。

 夢だとわかっている。

 だけど、痛い。全身が痛い。

 大丈夫。これは夢の中だから。

 現実じゃない。

 もしそうだったら、私はとっくに壊れている。

 私が痛みに苦しむ間、ハイドの出血もどんどん広がっていく。

 それでもハイドは何処か穏やかに微笑んで、歯を食いしばって匂い袋に問い掛けた。


「ランジアっ…、目覚めの時間だ。」


 音のない夢の世界に低い声が響く。


   ***

 

 意識が空に吸い込まれるような感覚の中、私は目を覚ました。

 頰が熱い。

 きっと赤い薔薇の紋が浮き出ているのだ。

 肩に重みを感じてその方向を向くと鶯色の髪に少し隠れた幼い寝顔が目に飛び込んでくる。早かった脈が落ち着いて、私は少しあがった息を整える。


「ランジア、起きたね。」


「アネモネ、ハイドは…。」


「眠りこけているでしょう?安心して、落ち着いている。もう直ぐ目覚めるとおもう。」

 

「今までで一番苦しい悪夢だった。でもハイドの声で、起こされた。」

 目覚めた私の顔色をじっと観察していたアネモネは、しばらくするとほっとため息をついて隣に腰掛けた。

 

「もし悪夢だとしても、ワタシも夢をみてみたいな…。」


 そう呟くアネモネの表情は何処か寂しそうであった。中庭に先ほどいた蜜蜂はいつの間にか三匹に増えていて花の周りを元気に飛び回っている。

 

「機械人形って夢みれるの?」

 

「見れないに決まっているでしょう?だから言ってるの。涙も出ないわ。」

 アネモネが自身が機械人形であることをよく思っていない事は薄々気づいていた。もしかしたら、私達はお互いにお互いを羨ましくおもっているのかもしれない。

 

「そっか…。ワタシはちょっとアネモネが羨ましいかも。泣く機能がないなら必要以上に自分の悲しみを実感せずに済む。」

 

「ワタシと真逆ね。」

 

「…、いつかアネモネにも夢を創ってあげるよ。とびきり幸せな夢。」


 核様の為に夢を創れるのだから、機械人形の為に夢を創ってもいいじゃないか。この祈りの力が誰かを喜ばせることができたのなら本望だ。

 

「楽しみにしてる。」


 どんな夢を創ろうか。 

 

「なんたって、私は夢創造人だからね。」


 少なくとも登場人物は、私とハイド、そしてアネモネの三人であろう。

 

「んん…。」

 

「ぴゃっ。」


 肩に寄りかかっていたハイドの息が首筋にかかり体が跳ねる。びっくりするではないか。

 ハイドはのそのそと身体を起こすと目を擦りながらベンチから立ち上がって前に歩き出した。寝ぼけているのだろうか。歯を食いしばっていてまるで今見た夢の姿のような…。脳裏をあの惨状がよぎった瞬間、背筋に冷や汗が辿る。

 落ち着け。夢の中の話だ…。

 

「ハイド…。」

 

「近づいてこないで。距離をとってて。」


 じゃあ、今まで音の無かった夢でハイドの声だけが鮮明に聞こえたのは何故?

 

「ちょっと待って。何しようとしてるのか知らないけど…。」

 

ハイドの静止の言葉も聞かず、嫌な予感を信じて近くへ向かおうと足が動く。 

 

「アネモネ!」


 合図と思しき声が耳に響く。

 私の体がアネモネによって固定されると同時にハイドのいる方向から膨大な祈りの力の圧が髪を激しく靡かせる。

 大事に育てられていた花壇の綺麗な花が力の暴発により発生した風で薙ぎ倒される。

 祈りの力の存在を発動時以外に体感したのはこれが初めてであった。

 

「今は危ない。動かないで。」

 

「放してアネモネ!ハイドッ、ハイド!」

 

「大丈夫だから。あの人がまかせてって言ったんでしょう!最後まで信じなさいランジア!」

 

「でもっ…。」


 ふと、ハイドを取り囲む白い光が私の時とは違う動きをしていることを直感的に感じ取る。

 白い閃光が天高く突き上がっていくのではなく、球状に祈りの力が停滞している。先程の暴走だと思われた力の圧はハイドの周り直径二十メートルほどに集中して白く発光している。

 段々と祈りの力の流れが穏やかになっていく。

 依然として白い球状の光の中にいる。無事であったならそれだけで十分だ。しかし、内部で何が起こっているのかがわからない以上、ハイドの状態も予測できない。

 そもそも何故、ハイドの身体からこんな膨大な祈りの力が?

 私の祈りの力が移っている?

 一つ考えられること、ハイドは私の夢の中で何かをした。

 夢に関する吟遊詩人の唄を聴いたことがある。

 『目醒ノ時夢忘却ニ帰ス。夢ヲ眺メル瞬間スラ朧気。』

 カタコトの言葉で、変な歌詞だった。東方の旅の者だったのだろうか。

 トラネスの中央で見慣れぬ北方の服を身に着けたセリーヌと名乗る女性が唄っていた。裕福な西区の民と貧しい東区の入り交じるトラネスの中央の噴水広場では、豊かな者は立ち止まってその唄に耳を澄ませ、余裕のないものは女性を睨んで去ってゆく。かくゆう私は「嘘ばかりだ。」と女性の前を素通りした。

 そんな小さな悪夢でも鮮明に記憶に残っているのは、それ自体が夢だったか、はたまた無意識のうちに気にしていたかのどちらかだろう。

 …ハイド。

 君は、私がみた夢を忘れることはない。出来ない。

 あれを見て、何かをしたのかな。

 でも、君が自信を持って、任せてと答えたことを私は信じることにする。

 大人しく待つから、どうか、祈りの力の暴走を引き起こさないで。

 自分の体の容量以上の力が暴走してしまったら、君の身体はひとたまりもないだろうから。

 呼吸が浅くなり息を吸う回数が増える。その度喉奥がヒューヒューと、喘鳴を引き起こす。

 落ち着け。アネモネに守らせると、君が言った。任せて、と胸を叩いてむせていた。

 私はハイドを信頼しているから、今すぐに駆け寄りたい衝動を抑えてアネモネの後ろに立っている。


「もぉ…、どうしてっ…ラン、の祈り…ちか、は言うことを聞かないんだっ…。本人に、…そっくりだ!」


 光の中から途切れ途切れに悪態をつく荒い息混じりの声が聞こえた。私の目の前まで迫っていた白い光が拡散して跡形もなく消える。

 中から姿を現したハイドは脚に力が入らなくなったのか膝から地面へ崩れ落ちた。 


「ハイドっ!」


 なんとか体が地面に打ち付けられる前に受け止めることができた。

 髪から解けた組紐がひらりと宙を舞う。支えを失った髪が重力に従って下に落ち、そこから滝のように汗が伝う。相当な体力を消費したのであろう。体中が汗でびっしょり濡れている。

 激しい呼吸のためか空気を吸うこともままならずに過呼吸に近い状態を起こしていた。

 暫くの間動かずにハイドを支えていると段々と呼吸のリズムも落ち着いてきて、掠れてまともに出ていなかった声が少しずつ出るようになり始めた。

 

「ラン…ジアっ、この力はもう、使いこなせる…。だから…、あとアネモネ…意図を汲み取ってくれてありがとう…。」


 業務報告のように真面目な顔で情報を伝えてくるハイドに馬鹿かと怒鳴りたくなる。確かに、結果だけ見れば彼の言葉に嘘はなかった。

 ハイドは私の祈りの力の制御を奪って私の夢を見ていた。私の祈りの力を使いこなして見せた。そのおかげで祈りの力が使える状態になった。

 本当に使えるかはまだ未確認であるが、結果だけ見ればハイドの言葉に嘘は何一つとしてない。

 でも、言われてない。


「私、聞いてない!夢を見ること、制御を奪うこと、私の祈りの力を使うことをする時も。全部をする度にハイドにかかる負担のこと、何一つとして聞いてない!」

 

「言わなかったん、だよ…。」


 全部想定内だったというのだろうか、ハイドは何処か落ち着いた表情で目尻を下げて微笑んでから意識を失った。

 

     ***


「脈は正常、体温が低い。脚の傷も開いてる…。」


 幻影郭の診療所に着いて、ハイドをベッドに寝転ばせる。どうしてかシレネが既に診療所の椅子に座っていてハイドの様子を診てくれている。


「あーもう!ハイドがランジアが暴走起こした時から頑固の不器用なりに色々考えてたとしても、自己犠牲が最短の道だとしてもっ、最良とは絶対に言えないわ!なのに、あの馬鹿!」


 アネモネが怒っている。珍しい、というか初めて見た。


「…。」

「ランジアが言わないならワタシが叫ぶわ。ハイドは馬鹿で頑固のおたんこなすぽんちっち糞野郎よ!」


 アネモネはハイドを心配している。


「…。ハイドは頭良いし鋭いけど、その使い方が間違ってる。昔の癖が抜けてない。それに気づかないのは愚かだよ。」


 静かに消えていく青薔薇の紋を撫でながら私は毒を吐いた。

 ハイドが無理をする気質なのは理解していても、先程見たばかりの夢のデジャヴが脳裏をよぎってしまうのだ。

 ハイドも私の夢を覗いたのならわかるでしょう?

 現実で私に同じ思いをさせないで。


 

     ***


―ランジアは夢は夢だと、よく理解して割り切って眠りに就く。

 現実ではない。だから、いくら悲惨でリアルな夢を見ても大丈夫。

 現実は夢の中ほどに悲惨なことは起こらない。―

 


 俺は、何年にも渡って夢を見続けていたような感覚を覚えていた。夢の中では腹も空かないし、体力を消費しない。ただ時間が過ぎていく感覚があるだけである。

 幾つも、幾つもの夢を渡り歩いて、……第一一九四二章。

 とてつもなく長い年月を夢の中で彷徨い歩いてずっと見つけることのできなかった灰の髪の少女の姿が視界に入る。

 ランジア、見つけた。

 俺が君の祈りの力の付与を解いてあげるから、そうしたら一緒に目覚めよう…?

 話そうとした言葉は腹部の激痛によって痛みに喘ぐ掠れた唸り声として口から出ていった。


「はっ…ぁゔ…。」


 目線を下にやると着ている服が赤に染め上げられていく光景がある。腹部を、剣が貫通している。

 ランジア、君はなんて夢をみているんだ。

 君は今、俺が死ぬ夢をみている。

 痛みによって溢れ出る涙で視界が曇っていく中、目の前の手に握られた匂い袋を抱きしめる。

 どうしてだろう、夢の中の誤差だろうか。現実より手が大きく、骨張っていてまるで大人の男性のようだ。俺はまだ成長期真っ盛りの子供であるというのに。

 …そんなことはいい。

 このままでは夢の柱を破壊するどころかランジアと一緒に夢から醒めることもままならない。

 ハイド・ルフレス、俺はすべきことを理解しているはずだ。どうすべきかの優先順位は既に決まっている。

 ランジア、そんな絶望に塗れた顔をしないで。

 今、この地獄から連れ出してあげるから。


「ランジア、目覚めの時間だ。」


 腹に目一杯の力を入れて歯を食いしばりながらできるだけ落ち着いた声を絞り出す。夢のはずであるのに妙にリアルで、出血の量が増えたような体感があった。

 今まで何を喋ろうとしても聞こえていないかのように反応がなかったランジアはこの一言を口にした瞬間だけ目を大きく開いてそれから意識を失って地面に倒れた。

 ランジアの祈りの力自体を一時的に俺の身体に移すことに成功したのだ。

 これでランジアは夢から醒めた。


「よし。大丈夫。」


 青薔薇と橙薔薇の紋は祈りの力の出力場所であり、自分の祈りの力だけでなく幻影郭に同時期に来た『ペア』の祈りの力にも対応している。フロス爺の話がそれを裏付けてくれた。

 あの場で言葉にはしなかったが、彼のペアが祈りの力を失ったのは何らかの理由で祈りの力が漏れ出てフロス爺の体に渡ってしまったのが原因であろう。そして、祈りの力と夢の創造において重要な役割を果たすペアのどちらかの異常は双方において重要な問題になり得る。

 どうやら全員のペアに出る紋でないらしいことが疑問に残るが、紋が祈りの力の出力源となっているという確信が持てていればそれだけでよかった。

 凶器になりえる祈りの力をランジアの身体から切り離すことで安全を確保することが最優先事項の目的だから。

 ランジアが夢から醒めたことで今回の夢の登場人物である俺は腹の痛みという縛りから解き放たれた。俺は目元を拭きながらフラフラと立ち上がる。目の前に広がる惨状は変わらないものの腹部を貫く激痛から解放されたためか幾分動きやすくなった。とはいえ、自分の体が貫かれている状況を目の当たりにした心の動揺は俺の精神を少しすり減らした。

 ランジアが夢から醒めてこの夢の中に残った彼女の身体は唯の抜け殻である。予想通り、身体には膨大な祈りの力が付与されている。

 見つけた。

 これが夢の柱だ。

 付与を解いて、ランジアの祈りの力を自由な力にする。ランジアが祈りの力を使おうとして暴走を起こしたのも、既に付与状態にあった祈りの力を無理矢理他の夢の創造に使おうとしたからだ。付与を解けば、ランジアは祈りの力の行使を出来るようになる。

 付与を解くのは意外と簡単だ。

 問題は…、解放された膨大な祈りの力を俺が受け止めきれるかどうか。…やるしかない。

 兄姉の才能に敵わないとはいえど俺だってそれ相応に努力して、夢創造人になってからも頑張っていたんだ。出来る筈だ。


「付与、解除。」


 自分の首筋が一層冷たくなっていくのを感じながら目を閉じた。


 夢から醒めた。


 身体を取り囲むのは中庭に射す陽の光に暖められた肌触りの良い空気、なんかではない。暴れまわる白い光、祈りの力が周りを渦巻いている。

 既に暴走は始まっている。どうやらランジアは巻き込まれていないようだ。アネモネが俺の真意を汲み取ってくれたようで良かった。

 祈りの力に意識の大半を使い、解放されたものの制御を少しずつ獲得していく。

 うん、出来る。

 大丈夫。

 最初にランジアの夢に入る時に祈りの力を侵食したのと同じように、暴走する熱い熱の中に自分の祈りの力を注ぎ込んで鎮静化させてゆく。その感覚はとても概念的なもので例えるのは難しいが、敢えていうと熱湯に冷たい水を注いで飲めるようにしていく…ようなことだろう。

 あまりに集中しすぎたのか、それからの記憶はあまりない。あるのはただ汗でびしょびしょになった服が気持ち悪いという感覚だけ。それは今も続いている。

 後々になって考えてみると、ランジアの熱水に比べて余りに少ない冷水で温度を下げようだなんて到底無理なことに思えた。でも、やるしかないのだ。自分の独断は自分で責任を取る。


「多分、立ってはいられないかも…。」


 祈りの力から漏れ出る圧力が次第に弱くなっていくのを朦朧としながら感じた。過剰な心配をかけまいとして立っていようと抗ったものの、足に力は入らずに地面に向かって崩れ落ちていった。

 

   ***

 

「ん…なんか…夢を見ていた気がする…。」


 朧気な記憶と共に寝心地の良いベッドから上半身を起こす。体重を乗せようと後ろに手をつくとぐにゃあ…と柔らかい何かが潰れた感触があった。


「ひっ…。」


 何かと驚いて素早く手を引っ込ませて振り返る。潰れていたのはランジアの頬…、恐らくずっと見守っていてそのうちに眠ってしまったのだろう。つつきたい欲求に駆られるも、ぐっと手に力を込めて我慢する。…頼めば頰をつつくくらいは許してくれるだろうか。


「お触り厳禁よ。」


 後ろめたい気持ちからだろう、肩が大きく跳ねる。恐る恐ると目をやると、ランジアの背後でずっと俺を眺めているアネモネがいた。


「そんなことしないし!アネモネは俺への信用度が低い!」


「…冗談よ。それに信用している。でも、不安感はある。貴方は大事なことは言わない!ハイドがランジアと私を心配して色々行動してくれていることは知っている。でも、あなたを心配している人がいることも忘れないで。私も、ランジアも。」

 

「…。わかってるけど…、ううん。ありがとうアネモネ。」

 

「もういいよ。」


 反論をしようとしたが、アネモネの珍しく怒った表情を見て素直に感謝の気持ちを述べる。


 心の中では、人には言うべきことと言うべきでないことがあると思っている。二人に感謝はしているし、心配して貰うのはとても嬉しい。だが、ランジアとアネモネにこの問題の全てを言ったとしたら危険だと止められていただろう。

 則ち、夢について知ることなく時間が過ぎていく、ランジアは祈りの力を使えないまま幻影郭を去る。

 俺にとっては最悪の結末だ。

 自分に自信があるような人間ではないが、今回取った行動については断言出来る。これが最良だった。

 ただ、こんな反論を持ち出しても心配してくれている人の心を曇らせるだけだ。意味のない余計な言葉で人を傷付けるくらいなら口に出さないほうが得である。

 アネモネはきちんと心を持っているのだから人と人との関係のように、お互いの心を大切に扱うべきだ。

 

「…、ハイド?」


 小さな声が静かな部屋の中に響く。ランジアが長い睫毛を揺らしてゆっくりと目を開く。菫色の瞳の周りはすっかり充血していて、よほど心配をさせてしまったのだと実感した。罪悪感で胸が痛むのを無視して、落ち着いてランジアへ返事をした。

 

「うん、そうだよ。」

 

「身体は…大丈夫?」

 

「大丈夫。」


 初めて自分の体へ意識を向けて気づいたことだが汗でびしょびしょだった服が綺麗なものへ取り替えられている。誰かが着替えさせてくれたのだろう。

 ランジアは俺の言葉を聞くとホッと溜息をついて「じゃあ、また来るから。しっかり休んでね。」と笑った。そして、すっと部屋を出ていった。正直に言うと俺は心の中で少しアネモネが心配して怒ってくれたようにランジアも何か言葉をかけてくれるんじゃ無いかと期待していた節があったように思う。

 だから、そっけなく部屋を出て行かれたときは、いくらか動揺して何かを掴むわけでも無い手を少し動かした。

 

     ***


 部屋を出てすぐ、ついてきたアネモネに問いただされた。

 

「ねぇ、ランジア。聞きたいこといっぱいあるんじゃないの?」

 あるよ。いっぱい、起こりたいことも怒鳴りたいこともたくさんある。

 

「聞きたいこと、あるよ。でも…聞かないって決めたんだ。ハイドになんで詳細まで説明してくれなかったのって言いたいって思ってる。でもね、あの人は多分こうなることも予測していてそれが最良だと思ったからこうした。なら、それだけでいい。」

 祈りの力を使えない当事者である私に伝えずに行動したと言うことは紛れもない事実である。でも、私の体に危害を与えることと、ハイドが無理をすることを天秤にかけたとき、ハイドは必ず自分が無理をすることを選ぶ。もし自分が逆の立場だったとしたら私もそうする。

 

「無理をする前になんで私たちに説明してくれなかったの?そうしたら、私も非力ながら力を貸せたかもしれないのに!」

 なんて、頭お花畑のチャランポランなことは死んでもいえない。私は子供だけれど、何も知らない純粋無垢な子供ではない。現実問題、私が自分で解決できずに抱え込んでいた難題なのだから力を貸すも何もない。私にできる事はないのだから。

 だから、ハイドを信じることにした。

 私がハイドにとって、救いたい存在であることを受け入れることにした。

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