第九話 突拍子もねえ

「はぁ⁉︎」


 低い声と高い声が混じり合った二人揃っての大声が修復後の天井に張り巡らされたステンドグラスにビリビリと響き渡る。この数日ガーディアンたちによって驚くほどの速さで修復を終えた核様を模したそれは、もうやるなよ?と私に圧をかけてくるが如く光を透過して、さらに神々しくなられたように感じる。

 いやいやそれよりも、こんなこと聞いてない。

 目の前には正座をしたデファレとそれを冷たい目で見下ろすとんがりさん。後ろからやって来たシレネにおんぶされたフロス爺が目ん玉が飛び出そうなほどの大きく口を開けて気絶している。なんて混沌だろうか。

 

「ベイア様に君達に伝えてねって仰せつかった事を忘れてしまっていました…。」

 

「どうしてそんな重要なこと忘れられるのかわからないよ、デファレ。まだ任命式が終わってないと気づかなかった僕も悪いけれど。」


 要するに、私たちはまだ正式な夢創造人でなく、公的な任命式が二週間後に行われる予定である。事前に伝えられるはずであったこの情報がデファレの過失により伝わっていなかった。というわけである。

 え、なになに。私はなにをすればいいの?

 上流階級の営みに巻き込まれなければいけない感じ?

 礼儀作法とか何一つとして身についてないけれど大丈夫だろうか。

 夢創造人の身分は核の使いの下につく星望者と同等である。つまり、あまり自覚はないが夢創造人という立場自体、この国ではめちゃくちゃに高位の身分なのだ。貧民街出身の私には自覚のしようがない。

 血筋による血統が守られてきた他家系の高位身分の者たちとは違い、私たちは完全に素質により選出されている。

 核様への捧げ物をするという神職に集中するため、小説で出てくるような醜い権力争いからは守られている。とはいえ、任命式とは正式な儀式だ。

 細いことはまだ何も聞いていないからなにも知らないけど…。

 こんな礼儀もなっていない小娘が出席したらとんでもない目で見られるに違いない。

 ハイドは…?

 だめだ。座って話を聞いている姿勢からしてもう紳士の背格好だ。ハイドは幻影郭では私と同じような無邪気な子供の様子を多く見るが、食事の摂り方、扉の開け方、遊びに行った時の控えめな行動など、ところどころから育ちの良さが垣間見える。実家が由緒ある家系であることはなんとなく話していて察していたけれど、それでもなお底がしれないのが怖いところだ。

 あまりの衝撃に思考が錯乱していたがまだ任命式の詳細を聞いていない。聞けば思っていたより軽いものだという可能性もまだある。落ち着いて話を聞こうではないか。

 

「民衆の前で捧げ物の創造をする⁉︎ランジアがまだ力を使いこなせていないことはお二人もご存知でしょう。ランジアに負担がかかりすぎます!」


 耳に入ったハイドの言葉に自身の目の色が濁り、血の気が引いて行くのを感じた。

 

「本当に、ごめんなさい!」

 

「…仕事後に詳細を聞きます。ランジア、いこ。」


 今の混乱した状態のままでは冷静に助けを求めることどころか正確な情報を聞くこともままならないと判断したのだろう。ハイドは呆然とする私の手をとって仕事場の三階、私たちに割り振られた作業場へ、螺旋階段を上がっていく。デファレは普段頼りになる先輩だが、この失敗は流石に参ってしまう。

 しかし、元から私が祈りの力を上手く使えていれば良かったという問題でもある。吹き抜けによりよく見える下の階を覗くとデファレがやってしまったというように頭を抱えてうずくまっている様子が確認できた。

 

「なんか、大変なことになってるのね。」

 

「アネモネ!」


 三階の出窓からさっとアネモネの体が作業場に滑り込んでくる。屋根の上にいたのかな、アネモネ。

 

「ちょっと久しぶりに話す気がするね。ハイド、ランジア。」

 

「…。う、うん…。」

 

「それどころじゃないって感じね。」

 

「…本当に!それどころじゃないよどうしようアネモネぇ!」

 

「わっ。何かできることはあるの?出来る限り協力するから。」


 アネモネは突然抱きついた私に少し後退しながらもしっかりとした体幹で受け止める。ハイドに向かって会話を返しながらではあるが、自然に頭を撫でられたので少し胸キュンであった。


     ***


 

「よし。終わった。」


 午前中のうちに今日分の夢の創造を終えてランジアの祈りの練習場となっている中庭へ出ようと螺旋階段の手すりに手をかける。すると、頭上から聞き慣れた綺麗な声が落ちてくる。


「ランジアの件、シレネとベイアの魔法での通信を盗み聞きしたんだけど当然上にもあの子が祈りの力を使えていないことが伝わってるの。このままじゃ、彼女が幻影郭にいることもままならないこと。ハイドなら理解しているよね。」


「アネモネ…、君、変なところにいつも居るよね。」


 修復が終わったばかりの天井のわずかな装飾の凹凸にぶら下がっている。機械人形の身体能力恐るべしかな、俺だとしたら掴まることも出来ずにずり落ちて大惨事だ。極度の集中力を必要とする祈りの力の行使後フラフラとする頭を覚醒させるために頬をつねりながら、アネモネの声を聞こうとそちらへ注意を向ける。本当は一日かかる作業を午前中だけで終わらせたのが裏目にでたのだろう。 

 

「高い場所は人の観察に適してるのよ。それで?」

 

「当たり前だよ。理解してる。」

 

「じゃあ、どうするの?」

 

「…夢を見る。」

 

「どういうことなの?ワタシには理解できない。」

 

「…理解できなくていい。知りたかったらランジアに聞いて。そっちこそ、いつランジアに話すんだ。秘密にはしたくないと考えているのはわかってる。」

 

「さっさとハイドの口から言ってくれれば楽なのだけどね。」

 

「そういう大事なことは自分の口から伝えるべきだよ。」


  機械人形のことも、ランジアの夢のことも、話すなら本人の口からであるべきだ。決して他人の口を経由して聴くことではない。

 個人の秘密というのは、当人から説明することをせず噂として出回ってきた話では一部が切り取られたりなど間違った情報が伝わりやすい。それと同じで、俺のような第三者が当人たちの問題の仲介人になろうなどとすれば話が拗れる可能性が高くなる。しかも、アネモネとランジアは十分に仲が良い。二人を繋ぐ役割の人物は必要ない。


「ハイドが不器用な根本的な要因は頑固な事だと推測するよ。」


「自分なりの優しさがこうってだけだ。不器用っていうな!」


「クルクル、不器用、馬鹿、頑固者。」


「俺が言われたくない言葉、ファイリングでもしてるのアネモネ…。」


「コンプレックスがわかりやすいだけよ。それとランジアを独り占めしてる八つ当たり。」


 独り占めになんてしてないよ…。

 

「もういい、俺はランジアの様子を見にいく。」

 

「そのこと。ワタシも行く。」

 

「そうなら早く言ってよ…。一緒に行こう、か…。」


 階段の途中、意識が遠のくのを感じて反射的に手すりに摑まる。集中のしすぎで頭が疲れてしまったのだろうか。ポケットに常備している飴玉を口に放り込むと再び階段を一段一段踏み締めていく。アネモネが慌てて手を伸ばすが、杞憂だったと行き場を失った手で口を覆いため息をついた。

 

「ハイド。」 

 

「何?」

 

「ワタシと違ってあなたは人間よ。無理しすぎると体が壊れてしまう。」

 

「うん。それは、俺が一番理解してる。」


 体の無理は一番問題に支障をきたしやすいと、昔から俺はよく知っている。そして、自分の体の限界ラインを把握出来ているのも自分なのだ。

 まだ、大丈夫。

 疲れてはいるけれど、あの頃のように倒れるほどではない。

 

「ならいいけれど…。」


 三階の手すりを滑るようにして降りていくアネモネを見送りながら、俺は自分のペースで中庭へ向かう。口の中でコロコロと飴玉が転がって小さくなってくると、だいぶ頭の疲れが和らいだのを感じた。

 

 白い閃光の如き白い光が中庭の花々を照らしている。俺が中庭に足を踏み入れると、その足音を聞きつけて、光源を失った光が拡散して消えていった。ランジアは手のひらに乗せたスターチスのドライフラワーが、祈りの力のせいで燃え尽きていくのを見届けるとこちらへ首を傾けた。

 

「あ、きたね。アネモネも一緒だ。」


 やはり祈りの力を使った時に現れるのだろう、橙薔薇の紋がランジアの頬には浮かび上がってれている。ちらっと、薔薇に視線をやってからランジアの紫の瞳孔へ視線を戻す。

 

「調子はどう?」

 

「見ればわかるでしょ?祈りの力の調子はひどいもんよ。」

 

「体調は大丈夫そうだね。祈りの力は…暴走ギリギリ、制御がほとんど効いてない…。」

 

「わかってるなら聞かなくていいのに…。何か用?」


 ランジアの体力、精神面の状態を確認するための声掛けだったのだが、誤解を生んだままランジアはスターチスの花のドライフラワーを睨み付け、もう片方のごぶしを握りしめる。俺は手を後ろで組んだまま、それをしばらく眺めていた。

 

「実験をしてみたい。」

 

「あれのことだよね?」


 俺の言葉を聞いたランジアは眉間に皺を寄せて、拳をさらにギュッと握りしめた。花を持つ方の手も少し震えていたように思える。もはやキーワードとも言える《夢をみる》という言葉を想起したのであろう、ランジアの瞳孔が小さくなる。

 ランジアは夢をみることに恐怖を感じていることは確かだ。

 でも何故、怖いと思っているのに、何故そこまでして夢について知ろうとするのだろう。

 俺は夢を見たことがないから理解できない。御伽話の中の楽しそうな出来事、現実とかけ離れたふわふわした世界。そういうイメージしか持っていない。

 自身の眠りは、虚無であり真っ暗。目を閉じたらすぐに朝が来るの繰り返し。眠っている時に何かを経験したことなど一度もない。

 ただ、ランジアが夢をみるというのはこの目で見たこと。毎日眠る度に夢をみる彼女にとっては切っても切り離せない存在であることは容易に予想できる。もしかしたら、ランジアは夢を消したいのかもしれない。

 話が逸れたが、おそらく、ランジアが夢をみることと祈りの力をうまく使えないことは関係している。

 もし、そうであれば…。

 

「ワタシは今、理解不能の状態に陥っている。誰か助けてくれない?」


  周りの様子を観察して考え込んでいる間にアネモネに今の状況を説明することをすっかり忘れていた。アネモネは不機嫌そうに腕を組んでこちらに視線を送っている。ごめんなさい…。

 

「ごめんアネモネ。色々話してなかった。」

 

「…。」

 

「ランジア。」

 

「わかってるよ。」


 ランジアはもう自分がするべき事を理解している。アネモネを連れて中庭に一つ寂しく設置されているベンチへ向かう。すれ違う瞬間にありがとう、と紫色の瞳が告げていたような気がする。

 俺は視界から靡く灰色の髪が消えるとベンチに背を向けて歩き出した。


     ***


 勢い良く尻からベンチに飛び込む。隣ではアネモネが音を立てることなく穏やかにベンチに腰をかけている。緊張をほぐすために前方を眺めても中庭の狭い視界の中では、花壇の上を飛ぶ蜜蜂ぐらいしか見つけることが出来なかった。その花壇はハイドが幻影郭に来てから手入れし始めたものだ。安心を求めて探していた背中はもう何処にも居なかった。

 

「えーと、私さぁ…夢をみるんだ。」

 

「うん。わかった。」


 思っていたよりも小さなリアクションに思わず素っ頓狂な声が漏れる。

 

「はぇ…、もっと驚かれるとかするかと思ったのに。」

 

「ワタシには人間に関する知識が不足しているから、自信はないのだけれど…。人間は夢を見ない。でも貴方は夢をみる。それはランジアが特殊だということで、それに恐怖を感じているということであっている?」


 相変わらず、アネモネは不思議な物言いをする。自分がその輪の中におらず妙に客観視しているような…、第三者の視点から物事を語るのだ。特に、主観的な観点において。


「あってる。冷静な人ってすごいね…。」

 

「ワタシも特殊な例だもの。」

 

「なに?」

 

「『感情を持たない機械人形』なの。」


 第三者視点からの物言い、何処か人間的でない言葉遣い、行動、胸に支えていた疑問点がスッと飲み込めたような気がした。

 

「うんうん。機械人形か…。」

 

「意外とそっちも落ち着いてるね。信じてもらえないかと思ってた。」


 機械人形とか云うファンタジー的存在を目の前にして心が踊らない人はこの世にはいないだろう。中身を見た訳でもないのに全肯定で信じると言うのも客観的視点から見ればおかしな話であるが、普段冗談を言わないアネモネが言うことである真実なのだろう。感情を持たないと言う点を除いては。

 

「いやいや、アネモネの真似してるだけで心臓バクバクだよ今。でもさ、それは嘘でしょ。感情を持たないって。機械人形は信じるよ。ガーディアンはみんなそうなの?そんな技術あるならもっと普及させてよ!」


 アネモネは出会った初期に比べてあまりに多くの表情を見せるようになった。私には満面の笑みと安心した表情をよく見せる。ハイドには悪戯っぽくにやけたり、心配している顔を度々向けている。それぞれ人との関わり方は違えど、はっきりとわかる。アネモネの感情のない、と言う言葉は嘘だ。

 たとえ人でも、人でなかったとしても私に今まで見せた表情に嘘は全く感じなかった。


「ワタシ以外の機械人形とあったことがないけれど…。他のガーディアンと会ってみてもみんな人間だったからわからない。それにしても、ハイドから本当に何も聞いてないのね。」


「何も。てかハイド知ってたの、アネモネの秘密。」


「うん。ランジアには知られたら怖がられると思って少し怖かったの。」

 

「ワタシのこと舐めてるでしょ、ハイドなんかよりよっぽど度胸あるからね。ハイドに言う前に聞きたかったなぁ。」


 アネモネの頬をつついて、髪を人差し指でクルクルと巻く。

 

「言うも何も、ハイドは言う前からワタシが機械人形であることに勘づいていたのよ?」

 

「うわぁ…。どれだけ鋭いの怖すぎでしょ…。」

 

「ランジアもハイドもワタシのことを知っても変わらずに関わってくれたのは少し嬉しかったの。」

 

「私は細かいことは気にしない主義だから。…ってのは置いといて、ハイドは人の心に敏感だから、そういうの察してくれてたんだよ。」

 

「感謝してるの。二人には。」

 

「ほら、やっぱり感情はある。今、嬉しそうだったもん。」

 

「…、そうね。で、ワタシのせいで話が逸れてしまってごめんなさい。その夢について、貴方が今直面している問題と関係があると言う解釈で良い?」


 少しの沈黙の末、アネモネは少し俯いて話を本筋に戻した。気を悪くさせてしまったかと心配して顔を少し傾けて覗き込む。口角が微妙に上がったアネモネの横顔が見えたため私は満足げにベンチに背をもたれた。

 

「うん。今から話すよ。ちょっと、頭の整理をさせて…。」


 ハイドが長長と説明してくれたことを思い出しながら話を始める。ハイドがやりたいと言ったことは至ってシンプルなことであるはずなのに、どうしてこうも長い説明が行われたのだろう、とかまとまりきらない言葉の中で考えていた。

 単純だけれど、複雑な事情の上に行われることだから説明しにくいのだろうか。

 それとも、自分の中でハイドの説明に抜けた部分があると、この回転の遅い頭で無意識に察していたのだろうか。


      ***

 

 昨日の夜のことである。

 

「ランジアの夢の中を知りたい。夢を覗くのを許してくれたら、…ごめん。おかしなことを言っているのはわかっている。ランジアが夢について怖いと思ってることもわかってる。…でも、絶対に、ランジアの祈りの力の暴走と夢を観ることについては関係があると思うんだ。」


 言っていることは、「ランジアの夢の内容を教えてくれ。」という一言で済む事柄なのだが、ハイドは人のことを異常に観察しているが故に機嫌を伺う節がある。そのせいか話が長い。私はハイドの考えることにいちいちイチャモンをつけるほど性格は捻じ曲がっていないし、もしそれが自身にとって嫌なことだったら嫌だとはっきり言うタイプの人間だ。 

 つまり、長いご機嫌伺いは別にしてハイドに素直に考えを聞きたかっただけなのである。

 

「はよ、その方法とそう考えた理由を簡潔に述べよ。ご機嫌伺いはいらん。私は細かいことを気にしない人間だ。」

 

「…、そっか。ちょっと心配してたんだ。じゃあ、簡潔に。とは言っても長いと思うけど。」

 

「はぁ。」


 どのくらい長いのだろう。

 

「まず、前提として祈りの力って夢の創造にしか使えない限定的な力であるって、デファレが言ってた。ランジアの場合、その前提崩れてるんだよね。祈りの力を剣技の時に自身の体に使ってたり、眠っている時に無意識のうちに発動させてたり。で、考えたんだ。俺も祈りの力を汎用的に使えるんじゃないかって。スターチスへの付与ができるんだったら、人へ祈りの力の付与もできるんじゃないかってね。結果、デファレ、とんがりさんは無理だった。でも、フロス爺はできたんだよ。俺も、大分不完全だけどできた。だから、おそらく汎用的な使い方にはそれ相応の祈りの力の量がいるんだ。」

 

「うんうん…。」

 

「で、もう一つ。ランジアは器用だし無意識のうちに祈りの力の発動と付与を自身の体にできてる。あと、夢を創ることも。ランジア、君が夢を観る要因はそれだよ。」

 

「おお…。でも、そうしたら…。」


 私が祈りの力を使えない理由に説明がつかない。

 

「なんで祈りの力を使いこなせないかって話だよね。多分、ランジアの祈りの力が自身の体に付与されてしまっていることが原因じゃないかなって思ってる。でも、夢について見たことない俺は理解が浅いのかも知れない。だから、ランジアの夢について知りたい。」

 

「いいよ。」

 

「え?思ってたよりあっさり…。」


 真剣に語っていたハイドの声が少し高くなる。あまりに簡単な返事に困惑しているようであった。

 

「ハイドのことは信用してるからね。別に変なこと言ってないでしょ?」

 

「ちょっとキュンとした…。」


 素直に言葉を口にしただけでなぜキュンとされなければいけないのだ。無駄に恥ずかしくなるではないか。私は、目を合わせないようにハイドから顔を逸らした。

 

「っ…どうでもいいでしょ。それで、さっきは直接みるみたいな言い方だったけど、どうやるの。」

 

「ランジアの祈りの力の制御を俺が握る。ランジアの祈りの力へ干渉して、ランジアの夢を見る。もし、付与された祈りの力を自由にできる余裕があれば、付与を解除する。」

 

「ちょっと心配なこと聞いてもいい?ハイドに膨大な祈りの力を操り切れる技量はあるの?自分以外の祈りの力を制御するなんて…。」

 

「それは自信を持って答えられる。任せて。自分の仕事しながら君の祈りの力の暴走を抑えてたの、誰だと思ってるの。」


 日が沈んだ後、暗闇の中でよく見えない。でも、ハイドの表情は容易に予想できる。明るくない場所では顔が見えないと安心していて、でも念の為に髪はおろしている。不安げな顔をしているだろう。

 それなのに、声だけは自信を交えたはっきりとしたものが鼓膜に響いた。


「そういえば、そうだったね。ありがとう。」


 昨日の夜はもう夏が近づいてきている頃だと体感するくらいに暖かかった。薄い長袖の服を羽織り、崖上の切り株に座って二人で話していた。ここに来ると少し胸がざわつき、背筋が冷たくなる。昔見た夢の舞台に似ているからだと思う。もはや二人の秘密基地のようになった場所であるため、胸騒ぎがすると同時に心が落ち着く場所でもある。

 

「ここもちょっと手入れしたとはいえまだ荒れてるよね。」

 

「うん。昔は綺麗な花畑だったんだろうな…。クロッカスの花がポツポツ咲いてる。今は雑草の勢力に負けちゃってるけど。」

 

「よくわかるねぇ…。さ、ハイド。帰ろっか。」

 

「そっか。あ、ここに咲いてる紫のクロッカスの花言葉知ってる?」

 

「知らない。」


 帰り道の途中、ハイドの花の話を聞きながら不安が少しずつ小さくなっていく感覚を覚えた。次の朝には元に戻ってしまうどころか逆に抱える不安が巨大化していくことになるのだがそんなことは知る由もない。

 

「…、眠りたくないな。」


 夜更かしの言い訳くらいにはなるだろう。

 君の話をもっと聞いていたいと、伝えるにはこれぐらいで十分だ。

 ハイドのワクワクする話は続く。

 

「じゃあ、こんな話をしようか。御伽話が花言葉のもとになっててね…。」

 

    ***

 

 昨日のことを思い出しながら、簡潔にしてアネモネにハイドの提案してくれた作戦の話をし終えるとアネモネが言う。

 

「口元が弛んでる。一部惚気だった気がするけれど、まぁ全容は理解したわ。」

 

 あれ…?

 

「アネモネ、拗ねてるでしょ。」

 

「…。」


「かわいっ。」

 

「…ほらそこ、ハイド!邪魔者は退散しようだなんて気配り屋気取りして隠れてないで。時間の無駄よ。」


 頬を赤く染めたアネモネが早よしろと、中庭奥の低木が植えられている花壇へ駆けて行く。しばらくするとハイドが首根っこを掴まれ引きずられておいでになった。

 

「だってぇ…、あの植物ここら辺の気候じゃ育たないはずなのになぜか育ってるんだもん…気になるじゃん…。」


 ハイドは姉を発明家だといっていたが、花に関しては彼もその気質を強く受け継いでいるのではないだろうか…。

 

「ランジアが待ってる。」

 

「絶対もっと話すことあったはず!アネモネが照れて早々に切り上げたのはお見通しだよ!」

 

「…、今すぐ蹴りを入れてあげようかしら。」

 

「ひえっ。」

 

 ハイドは明らかに下の方を眺めているアネモネに不穏な空気を覚えたのか、本能的に距離をとった。私の背中にまわり込んで眉間に強く力を入れてアネモネを睨みつけていた。

 

「まぁ許してあげる。で、私は何をすればいいの?」

 

「君は、ランジアを見守ってて。…守ってて。」

 

「それだけ?」

 

「うん。」


 ハイドの淡白な返事には何か別の意味が含まれていたと感じ取れたのはこの場ではアネモネだけであった。私は何にも気づかず鈍感にも温かい陽の光の中で眠りについたのである。

 

     ***


 俺は、眠りについたランジアの祈りの力の気配に意識を集中する。首筋に冷たい感覚がある。あの青薔薇の紋が現れているのだろう。予想通り、好都合。

 祈りの力の中に手を潜り込ませて核を漁る感覚で俺の祈りの力を少しずつランジアの祈りの力に浸食させていく。青薔薇の紋の鼓動が少しずつ早くなっていく感覚がする。体の違和感を拭って準備ができた、とアネモネを一瞥してから意識が遠のいていく感覚に身を任せた。

 

「あっぶないな…。頭打つ所だったじゃない。」


 倒れる体を受け止めたアネモネはランジアの隣にハイドを座らせてから一人ため息をついた。

 

「どうするって言うんだか。」


 俺がランジアの夢の中でやりたいこと。それは祈りの付与時に生じる夢の柱そのものを破壊することだ。

 ランジアの祈りの力がランジアの体に付与されているうちは、祈りの力を使いこなせない。

 だから、その祈りの力をランジアの体から解放しないと。

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