第八話 アブラムシ
「ランジアは…、どんな夢を見るの?」
幻影郭のスターチスの咲き乱れる花畑の中で、丁寧に花の間をかき分け幾度も生き汚く生えてくる雑草を抜いていく。雑草取りやドライフラワーづくりはいつもは仕事の時間の合間にやる仕事であったが天井の修復作業が終わるまでに一旦畑全体の手入れを終えてしまおうという話になったのだ。
「…悪夢ばかりだよ。核へ渡す夢の究極の失敗作みたいなものばかり。別れ、惨状、悲惨すぎる。」
夢というのは私にとって恐ろしいもの。御伽噺では現実離れした楽しい物も沢山あったのに、どうして私は悪夢だけを見るのだろう。私が置いていかれるのを最も恐怖する理由もここにあると思う。
核様はいいな。羨ましい。
夢創造人のみんなが優しいおかげでいつも良い夢ばかりを見ることができるのだから。
「良い夢は見たことないの。」
そういえば、一つだけ…。
「カメリアの大人になった姿とその隣に綺麗な女の人がいる夢を見たことがあるの。二人共雪のような白髪で綺麗だった。二人で焚火をしてて、幸せそうだったな。…嬉しかった。でも、それが唯一の幸せな夢。」
弟に関する夢の中ではあの夢が一番好きだ。他の夢は二人で一緒にいたことはなかったから。約束を守れないなんて、約束を一番守ろうとした本人が悲しそうな顔をして伝える言葉じゃない。
最も印象に残っている夢を思い出すと、胸が苦しくなる。
これは夢の話、現実じゃないのだから今思い出して落ち込む行為に意味はない。
「カメリア?」
「私の弟。もうすぐ一歳なんだ。めちゃくちゃ可愛いんだよ!」
そういえば、ハイドには私の家族のことを話したことがなかった。お互いに今まで家族のことにはなんとなく踏み込んではいけない気がしていたから。しかし、大切な人のことを、信頼している人には話したくなるのは至って自然なことだ。
弟のことは存分に自慢しよう。
「そんな小さいのに、大人になった姿を見て弟だってわかったの…?」
話を真剣に聞いていたハイドは雑草を竹籠に手早く突っ込みながら、不思議そうに呟く。
「そりゃ分かるよ。私の可愛い可愛い弟だもん。」
「そっか…。お姉ぇたちも、分かるのかな?」
「ハイドの?わかるんじゃないかな、愛されてるみたいだし!」
「……そう、なのかな。」
街の中ではぐれた時、必死に探してくれる家族がいるのだ。愛されてるに決まっている。
「お姉さんとお兄さんがいるんでしょ?どんな人?」
「お姉ぇは…、頭が良くて優しい。いつも驚くような発明とかしてて尊敬してる。お兄ぃは背が高くて、ムキムキで…武芸の天才って言われるぐらいに強い。アネモネといい勝負になるかも。」
「凄い人なんだ…。ハイド、家族のことあんまり話したがらなかったけど大好きじゃん。」
「二人共恋愛癖があって遊び人なとこは嫌い。」
家族の話をするハイドの顔は嬉しそうでありながらときおり寂しそうな感情を漏らす。私の家族に抱く似た感情を感じる。
愛しているのに…、寂しい。
それにしても、何故こう…雑草にはアブラムシが多いのだろう。手袋をしているとはいえ触るところから布が赤く染まっていく光景は気分が悪い。
「反抗期…?あんたもチャラの片鱗あるよ、大丈夫。」
「ないよ‼︎」
一途だし…、と口を動かしたのには気づいていた。
私の耳が良いのはとっくに知っているでしょう、ハイド。
悪戯にハイドの肩にぶつかって雑草を集めた竹籠を持って遠くへ逃げる。無意識に焦ったのか私は逃げ出す瞬間に脚を縺れてこけてしまった。
「大丈夫⁉︎」
駆け寄って来るハイドを横目に転んでしまった目の前にある靴の主を確かめる。
デファレととんがりさんである。
「ランジアちゃん、大丈夫?…君たち、朝早くから頑張ってるねぇ。」
手袋を外したハイドにスカートをはたかれながら身を起こす。そこで、いつもデファレととんがりさんはフロス爺と一緒にいることが多いが庭の何処にもフロス爺がいないことに気づく。
「あれ、フロス爺は?」
「…ちょっと。腰やっちゃったみたいで。最近ちょっと動きすぎてたからね。」
「あ…ごめんなさい。」
悪化の要因には心当たりがある。私が変に暴走したせいで探し回らせてしまったからだろう。
「ランジアちゃんのせいじゃないよ。」
「でも…。」
夢創造人の人たちは優しい。仕事を休むことになってしまっている現状でも私のことを怒らずに心配してくれているぐらいだ。だからこそ、私は祈りの力を使いたいのだ。信頼と優しさを裏切るのは怖いから。
「ランジア、お昼休みお見舞い行こっか。」
「うん。有難うね、ハイド。」
「気にしないで。ランジア、あの件については責任を感じなくていいから。」
「うん。」
無理な話を言う…。
アブラムシの液で汚れてしまった手袋を眺めていると口の中に唾が溜まっていくのを感じて少し気持ち悪くなった。ついこの間までは肌寒さが残る程度であったのに、今日はどうして夏みたいな暑さなのだろう。汚れた手のせいで拭うこともできずに、そのまま首筋を伝っていく汗の感覚ですら僅かな気持ち悪さが残る。そんな午前中だった。
***
「フロス爺ー、きたよー!」
ハイドが本物の孫のように生意気な子供全開でフロス爺の部屋の扉を叩く。そのわざとらしい子供っぽい演技には少しのぎこちなさが垣間見える。
「どうぞ。」
中からおっとりとした声が聞こえて、ハイドは後ろめたそうに俯く私の方を確認してから扉をゆっくりと開けた。ハイドに促されて自分からフロス爺の自室に入る。
ハイドは大人だ。
フロス爺が簡単に許してくれるであろうことも、私が独りよがりな行動で後悔しがちなことも、ただ許してもらったとして自分の中で納得できないことも全て理解している。
だからこそ、君には自分の口から伝えなければいけないことがある、と暗に示しているのだ。
初めて入ったフロス爺の部屋は意外と広かった。私の部屋の二倍ほどはあるだろうか。もしこの部屋に住んでいるのがハイドだったらずるいと叫んでいたところだ。
私たちをベッド上で迎えてくれたフロス爺は優しく笑ってソファを指差した。私たちはそこに座っていったんおもてなしを受けることとなる。
「フロス爺の部屋広いなぁ。」
「あぁ、ここは二人部屋だからな。」
「誰か他にいたの?」
思えば部屋のカーテンも、ソファも、フロス爺が選ぶようなものじゃない。支給されたものでもない。このアンティーク調の古くお洒落な家具の数々は誰かフロス爺以外の人が選んだものなのではないだろうか。部屋のすぐ片隅には化粧台には埃が溜まってしまっている。
「あぁ…。まぁ、昔はね。」
あ。
やっちゃった。
思ったままを正直に言葉にすることは時に美徳とされ、時に人を刺す刃になり得る。気をつけていても、気遣いが及ばないことは誰にもある。そういう時に後で盛大に後悔するのが私である。
「あの、…。フロス爺の腰心配してきたんだけど…。」
人の閉ざされた部分に足を踏み込みかけてパニックになった私にすぐに気づいたハイドがすぐさまフォローに入る。
「あぁ、ありがとうね。あと今は詰まってしまったけど、ランジア、君は聞いちゃいけないことを聞いたわけではないからな。気に病む必要はない。」
「…このことも含めて、この間のことも、諸々迷惑をかけてすみませんでした。本当に…。」
「祈りの力を使いたいのだろう?」
「…!」
フロス爺はやはりそうかと、複雑そうな顔をしてゆっくりと口角を上げた。後悔混じりの老人の笑顔というのはまだ経験の浅い私たちには到底理解できない深い感情を宿していた。何処か共感出来る親近感の湧く感情のようであって、私の抱いたことのないずっと大人の複雑なもののようでもある。
要するにわからない。
「もう長くここにいるが、ここに若くして来た夢創造人たちを多くみてきた。その多くが二人同時にここにやってくる。幼馴染の少女たちがやって来たことがあった。初対面の二人の少年少女がやって来たこともあった。双子の兄弟がやってきたこともあったかな。もう、十人以上。」
「その人たちは今はいないよね?」
「そうだな。君のように膨大な祈りの力を持つ子はいなかったが、その中でもある女性の話をしようか。君の参考になるかもしれない。」
「…聞きたいです。」
「夢創造人は祈りの力を使い始めて十五年ほどで祈りの力を使い果たして夢創造人を引退する。その女性も三十歳になってすぐに祈りの力の気配が消滅していくのを感じた。その子と同時にこの館に来た男も当然それにはすぐに気づく。祈りの力の波長が合うのだから。でも、一つおかしい。」
夢創造人は引退したらどうなるのだろう。私は一生この仕事をやっていくのかとばかり思っていた。
確かに、祈りの力は消費するものであって大小があるのだからいつかは無くなってしまうことは分かりきっている。
「おかしい、とは?」
おかしい、その言葉はあまりに広範囲の異変を示しすぎていて理解できない。
「普通、同時期にこの館にやってきた二人。ペアと呼ぼうか。ペアの引退時期はほとんど同じなんだよ。ただ、男の祈りの力は減るどころか増していくばかり。それに反比例するように女性の祈りの力、それどころか体力もみるみるうちに減っていってまるで病に伏せったかの様になってしまった。」
「…。」
この話は、多分…。
「夢創造人が祈りの力を失って全員弱って行くわけではない。引退した夢創造人の中で今でも元気に生きている人たちはたくさんいる。もう歳になって老衰したものはいるがな。」
「つまり、その女性だけが特殊な例であったと?」
フロス爺は苦しそうに語っている。
「そうだ。…こんな思い出話になってしまってすまないな。ランジア、君の参考になればと言ったが本当のところ誰かに聞いて欲しかっただけなのかも知れない。私が言いたいのは、自分の置かれている状況を、一回よく観察してみろと言うことだ。誰かに自分の状況を客観視してもらうのもいいかもしれない。そうすれば、何か発見があるだろう。…人のことを観察していないと取り返しのつかないことになることもある。時間をとらせてすまなかった。君には、膨大な祈りの力という素質があるんだ。頑張れ。」
これはフロス爺自身の話だ。
「……ありがとう、ございます。」
「しなかったことを後悔するのは良くない。若い時にやる時に思う存分やって、思いのままに言葉をぶつけて、後悔するのはそれからでいいんだ。私も、後悔していることが山ほどある。」
「フロス爺が、しっかりしたこといってる…。」
場を茶化すようにハイドは言葉を入れる。この気まづい空気をもたせるのは誰の手においても難しいだろう。ハイドはよく頑張ったと思う。
「君はこの立派な老人をなんだと思っているのかい?」
「えへへ。爺、ありがとう。持ってきたお菓子置いてく。行こ、ランジア。」
「…、うん。フロス爺ありがとう!」
体を痛めている時は特に安静するのが大切である。ハイドはそれも踏まえてあまり長居するのは良くないと判断したのかフロス爺にお礼を言うと私に目配せして部屋の外に出た。
前を歩くハイドの背中を呆けて眺めていると、突然その歩みが止まり顔から激突した。
「うぶ!」
「ランジア。もう一回聞くよ。」
「何?」
「ランジアは祈りの力を使いたいんだよね?」
「そうだけど…。それって何回も聞かれるほど難しいことなの?」
「…多分だけど、ランジアが何をすればいいか、わかったかもしれない。」
ハイドは後ろでまとめていた髪を解くとそのまま前髪を巻き込んでハーフアップにして組紐を結びなおした。考えに耽るハイドの姿を以前に増して最近よく見るようになったが、私はその姿が嫌いではない。
「また、教えて。ハイドの考え。」
午前中の気持ち悪い暑さが中途半端に残っている。屋外ほどではないけれど、あの手袋の光景を思い出すと少し気分が悪くなる。きっと明日には、天井の修復が終わる。そうしたら私はまた祈りの力を使う練習を始めるだろう。
もし、また暴走を起こして誰かに怪我をさせたら?
そんな考えが思い浮かばないわけではない。表向きは祈りの力を使いこなしたいと口にしてはいるけれど、ハイドのことを見る度に足に負った怪我のことが脳裏をよぎる。また私は独りよがりな行動を繰り返そうとしているのではないかと考えてしまう。あの手袋についた赤い液がアブラムシでなく大切な人の血だったらと、妄想してしまう。
「……一緒に、夢をみてみよう。」
「…はぁ?」
突拍子のない言葉に心からの何いってんのこいつという感情が漏れ出る。
…今は何をすればいいのかを探る時期だ。ハイドの言葉を信じてみよう。
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