第四章 二人は互いを記憶に残す、花は鏡越しに見ている

第七話 君は眠っているの?

 暗闇の中に金色に反射する長い髪を揺らして瓦礫の上を歩いている。

 息を吐いて、滝のように流れる汗を拭って、また歩き始める。

 男の子の髪色は本来桑色で金ではない。

 どうして、夜なのに髪が光っているかって?

 周りが燃え盛り、一人炎の中に浮かんで照らされているからだ。

 まだ、歩いている。

 街は広い。大きな炎環が街を取り囲んでいる。

 小さな男の子の足では街を出るのに三十分はかかる。

 君は何故、歩き続けるの?

 外に出ても人はいないのに。

―一人の星が望まれた時 普通だった子供と宿った炎―



 眼の前が真っ暗で、ひとり今迷っている。行くべき方向がわからなくなって、赤子のように地べたに座り込んだ頃、人の腕の中にいるような温かみを感じて目が覚めた。重い瞼を擦りながら眼を開く。私の顔に影がかかっている。一瞬怖さを感じた暗い人影の主の頬には涙が滲んでいた。

 ベッドの横の椅子に腰をかけたハイドが心配そうに顔を覗き込んでいた。目元には隈が目立つ。

 今、見たのは夢だ。何度も、何度も私を襲う悪魔の夢。御伽噺でしかでてこない幻想の中での現象。私にとって一番恐ろしい行為。

 ふと気がつく。今、ハイドに見られた?


「い、今」


「今は何にも考えなくてもいいよ。大丈夫だから。」


 掠れた低い声が響く。少し喉が枯れている。

 覚えているのは静かに頭上から降ってくる白雪のような輝き、見たことのないようなぐしゃぐしゃの顔をしたハイド、そして後から集まってくる大人たち。

 全てが私を元凶に起こったことであると自覚したのはフロス爺と話してからだった。

 フロス爺に聞いて後悔した。

 私はなんて事をしでかしたんだと思った。握りしめた手には血が滲んでいた。


「ハイドはランジアの膨大な祈りの力の気配を察知して、暴走を危険視していた。だから、ランジアに忠告をしたのだよ。あの口ぶりは確かに誤解を生みそうではあるがな。許してやれ。」


 まともにハイドの話を聞こうとしなかったのは私だ。劣等感、焦燥感、一時の怒り、感情に振り回されて周りが見えなくなっていた。悪夢から目覚めたばかりで、ベッドの上で暫く落ち着く時間を過ごしていなかったこともあり、私は一層頭がおかしくなっていた。

 私はこんな余裕がない人間だっただろうか。本来なら人のペースにのまれる性格ではなかったはずだ。

 

「ごめんなさい…。」


 謝った時、ハイドは目を伏せて服の袖を弄っていた。すぐに顔を上げて、破顔する。

 

「いいよ…、もう。俺も、ごめん。きつい言い方した。」

 

 ハイドの声は安心する。

 カレンダーは四月三十日にめくられて、無造作に四月二十九日と書かれた紙がゴミ箱の横にほっぽってある。今日は外暦八十一年五月一日のはずであるが、一日ずつ遅れてカレンダーが捲られている。何処かの日で捲るのを忘れてしまったのだろう。昨日のカレンダーが四月二十九日だったのを思い出して、くだらないなと思った。

 眼球が渇いて痛くて、頬が涙の跡で突っ張って、垂れた鼻水は口の中に入って少し塩っぱい変な味がする。安心しているはずなのに、満たされているはずなのに、どうにも消えない痛みと、狂気が精神を蝕んでいた。

 服を着替えながら、感情の整理をつける。 


「私は…。」


 ボタンを閉め終わって、小さく宣言すると、頬を叩いて自室の外に出た。

 この感情は、幸せと満足。

 向けられる感情は、純粋な恋慕。

 向ける感情は、…。

 表に、出してはいけない。

 今は、もっと前に進むことだけを考えろ。夢についても、もっと考えなければいけないことがたくさんあるのだから。


「わっ。」


「びっくりした?」


「ちょっとだけ…。だけど?」


「…色々ごめんね。本当…。」


「ランジア、気負う必要はないとだけ伝えておく。…それにしても、いや、なんでもない。」


 また何かについて考え込んでいる。私を部屋の外で待っている間、髪の毛を解こうとしたのか組紐が少し緩んでいて、こめかみにウェーブがかった髪が垂れている。

 ああ、私は――。


     ***


 その日の仕事は休みであった。天井のステンドグラスを破壊した私のせいで、今日はシレネとアネモネ、他のガーディアンがやってきて幻影郭の天井の修復に駆り出されている。ガーディアンの仕事の幅は少々広すぎやしないだろうか。核様の守護、幻影郭の守護、星望者の守護の他、雑用まで任されるとは。


「だから今日は休んで、ランジア。私も心配してたの。」


「分かった…。ごめんね。」


 様子を見に行くついでに仕事場の手前で出会ったアネモネと立ち話になった。抱えられた箱いっぱいのステンドグラスの残骸が視界に入り、申し訳ない気持ちで一杯になった。


「いいの、これくらい。核様が描かれたステンドグラスを壊したことはちょっと怒られるかもだけれど。」


「っあれ、核様だったの!?」


 ステンドグラスに描かれた柳の木と金髪の少女。神々しい雰囲気だと感じてはいたものの核様を模した代物であったと…。


「知らなかったの?ほら、早く行って。」


 私はなんて罰当たりなことを…。

 明日起きたら自分が誰の記憶にも残っていないとか、人形になって誰にも気づかれずに長い時を一人で過ごすことになるとか、そういった事態にならないことを願う。

 膝をがくがく震わせながらアネモネに手を振り場を離れようとしてハイドがついてきていないことに気づく。いくらか離れたところで二人が短い会話を交わしていた。


「……他のガーディアンはアネモネとは違うの?」


「ワタシだけよ。ワタシのお母様が作り出したから存在するだけ。」


「…そうなんだ。」


 何の話だろう。


「ハイド?」


「あ、行くよ!じゃーねアネモネ!」


「…何話してたの?」


「うーん、それはアネモネの口から聞いたほうがいいと思う。」


「うん…?」


 アネモネとハイドには何か私に共有されていない秘密があるのは、私のような馬鹿でもわかる。悪気はないとしても私だけが知らない事を二人だけで話されることについてはどうにも気分が晴れないというものである。

 でも、秘密は無理やり聞くものでないことは知っている。無理に頭をつっこんでアネモネとハイドとの関係が壊れるのは絶対に嫌だ。些細なモヤモヤには見ないふりをすることにした。

 丸一日やることがなくなってしまった私たちは暇潰しとしてボードゲームをやろうという話になり、一旦自室に戻ってからまた集合することにした。

 いつもとは少し違う日常、仲直りした後普通に話せていること。何も関係がない人が見たら平和な光景であろう。

 けれど、私はずっと大きな心の取っ掛かりが取れないでいた。


「はぁ…、私。もう祈りの力使えないのかな。」


 ふと、幻影郭へ来るときにトランクケースの奥に仕舞った宝物箱のことを思い出した。その中には何年か前に貰った匂い袋や父親の描いたフウロの花の絵、友達に貰ったハンカチ、小さな頃集めていた宝石のような石など、他人が見たらただのガラクタではないかと呆れるような代物がたくさん詰まっている。

 どれも私にとっては大切なものだ。

 中から見つけて手に取ったフウロの花の匂い袋は、《持っていれば願いが叶う》と言われている。何年か前にぶんどって…貰ってからずっと持ってはいたけど、願いなんて言ったことなかったな。

 私は迷信は信じない派の人間である。それでも口に出して願い事を言ってみたのは何かすがるものが欲しかったからなのかもしれない。


「……祈りの力を使いこなせるようになりますように。」


 不恰好なフウロの花の匂い袋が少しだけ白く光ったような気がした。


「ランジア?」


「わっ、あッ!」


 びっくりして掌から匂い袋を落としそうになり慌てて受け止めて後ろに隠す。


「えっ、ごめん。驚かせるつもりはなくて。あんまり遅いもんだから様子見ようと思って…。あの…。」


 ハイドが悪いわけじゃない、自室のドアを開いたままにしていたのは私だ。


「なっ、なんでもないよ。行こ!」  


 聞かれてないよね?願いは目標にしている張本人にはあまり知られたくないものであるが…。

 なんとなく隠した匂い袋を見られないように背中を見せないように自室を出ようとして聞こえるか聞こえないかの、とても小さな声が耳に入ってきた。


「持っててくれたんだ…。」


 低い声だった。

 怒鳴られたときにも感じたが、感情が動くときの発声はやはりハイドの素の声なのだろう。いつもは落ち着いてはいるものの少しトーンをあげて喋っている。


「……ハイド。今、なんて言った?」

 

「え。な、何も。」

 

 また目を反らす。髪を下ろそうとする。

 

「私、耳いいんだよね…。……ね、クルクル?」


 不穏な気配を察知し後ろに下がろうとするハイドを取っ捕まえて、頬を挟んで無理矢理此方と目を合わせる。

 頬を挟まれて喋りにくそうにするハイドに顔を近づける。すると、ガァと、ハイドはトランクケースにつまづいて、勢い余って後ろ側に転けて床に尻餅をついた。

 

「わ、…あうッ!ランジア…知ってたの⁉︎」

 

「んーん、今気づいた。変わったね。」


 前髪を手で退かすと直ぐ目の前に碧い瞳がある。

 灰の髪に阻まれ左右の視界の逃げ道を失った瞳が行ったり来たりを繰り返してから諦めたように此方へ視線を向けた。 

 

「…特に何も変わってない。」 

 

「いや、昔のが可愛かったなーって。」

 

「俺は今だって可愛いでしょうが!……ね、そろそろどいてくださっても…?」


 ハイドが尻餅をついたまま後ろで体重を支えていた手を握りしめた。髪の組紐をほどくという表情を隠すための行動を封じられ為す術を失った可哀想な心情がよく表れている。

 

「よくない。ハイドは会ったときには気づいてたよね…なんで言わなかったの。」

 

「だって覚えてないと思って。」


 最初久しぶりに会えたことでテンパったのだろう、初めの頃は私と関わる際にハイドが話す時のキャラを間違えていたことが後々になって言い出しにくさを加速させたのかもしれない。今思えば柄じゃないことばかり口走っていた。

 

「私は馬鹿でも記憶力はある馬鹿だからそんなことないのに。」

 

「ふっ、ランジアは馬鹿というより…阿呆だね。」

 

「ンナッ。」


 ナンジャトコノヤロウ。

 

「…こんな状況だけど聞きたいことができた。君は…、ランジアは祈りの力を使いたい?」


 さっきまで必死にそらそうとしていたとは思えないような真っ直ぐな瞳が私を射す。少し暗い碧。濁りと言うには惜しいほどきれいな群青だ。

 

「使いたい。」

 

 此処で何もせずに置いて行かれたくない。

 

「なんのために?」

 

「……夢を見る人に会いたいからかな。」


 私が夢創造人に固執する理由。幻影郭の中で私だけ置いていかれる恐怖を感じているから。その他に自分以外に夢を見られる人、夢に関係する情報が得られる可能性があるからだ。

 何故、夢を見ない人々の中で私は夢を見るのか。

 理由を知りたい。

 

「そう。それはランジアが夢を見るから?」

 

「…うん。」


 ハイドは周りをよく観察しているが故に鋭い。朝の夢からの目覚め方だったらそりゃバレるだろう。

 

「それなら、力を貸すよ。俺だって…夢、見てみたいし。」 

 

 その言葉と同時に、ハイドの首元に青薔薇の紋が浮かび上がった。降ってきたガラスから助けられた瞬間も、微かな記憶では首元に青薔薇が脈打っていた。

 

「まただ。青薔薇…。」


 部屋にまだ寒さの残る風が流れ込んできてヒヤリとした感覚がする。五月も近いというのにまだ風には雪解けの匂いと新芽の匂いが混じっている。冷たい感触が肌を撫でる。


「んっ…、何?」


 無意識だった。おもむろに首筋をなぞって青薔薇に触れてみた。身体に彫るようなタトゥーなどではなく、確かに本物の皮膚であり身体自体から浮かび上がっているモノに違いない。

 感触として、紋の部位のみひんやりと冷たく、部分的に体温が冷やされているようである。

 暫くはおとなしく触れられていたハイドはとうとう痺れを切らして、私の肩を掴んで押し返す。

 気付いていたけど口には出さなかった。ハイドの耳も顔も仄かに血色良く思える。顔を隠さないでと暗に示したのは私なのだから、指摘してはただの性格の歪んだ奴になってしまう。

 

「ランジアっ…、首…ど、どうかしたの?」

 

「なんでだろ、今…。」


 全く、ハイドは根っからの真面目である。私の意味不明な衝動的行動の理由までも静かに聞いてくれるのだから、優しすぎるのも罪である。


「ううん、何でもない。鏡見てみて、分かるから。」 


 渡された鏡をじっと見つめハイドが自身の首筋をそっと触ると、青薔薇の紋がすっと静かに消えていった。その感触にも気になるところがあるようで、暫く紋のあった後も首筋を撫で続けている。


「…ランジア。君も自分の姿をみてみるといい。」


「?」 


 押し付けられた鏡の中に反射する自分を見てぎょっとした。妙に熱い頬への不思議な感覚は持っていたものの、ハイドのそれと似通った橙色の薔薇が自分にもあるとは思うまい。


「なにこれ⁉︎」


「この紋からは祈りの力の気配がする。…多分関連のものなんだと思う。祈りの力由来ってことは悪いものじゃないはず。しばらくはそのままでいいと思う。暇なときにフロス爺に聞いてみよう。」


 異様に落ち着いて紋の正体を推理するハイドの様子からして、私の紋のことも自身のことも知っていたに違いない。そして、正体についても多少の仮説は立てているのだろう。

 そういった大切な情報を自身の頭の中で完結させてしまうことが彼自身の致命的な欠点でもある。


「なんか、思うところがあるなら教えて。」


「いや、もう少し確定させてから…。うーん…、わかった。あくまで仮説だからそんなに気にしすぎないように。」


 圧力に負けたのだろう。はぁ…、と深い溜め息をついて椅子に体重を乗せる。窓から吹き込んでくる冷たい風に耐えきれなくなり窓を閉め切ると私もハイドに向き合って座る。

 

「それで?」

 

「さっきも話したように、この紋からは強い祈りの力の気配がする。つまり、祈りの力の結晶体のようなものだと考えられる。…ランジアの膨大な祈りの力が暴走を起こす直前にも橙薔薇が浮かび上がっていた事を考えると、暴走の前兆か、それほど膨大な祈りの力を保有している証か。…でもこれだと俺に現れた理由に説明がつかない。」

 

「ハイドの祈りの力が大きいんじゃなくて?」

 

「俺の祈りの力は小さくはないけど…デファレやネリネ達より少し大きいくらいだ。フロス爺にも及ばない。ましてやランジアとなんて歴然の差がある。考えられるとすれば、俺がランジアの祈りの力に長く接触していたことで何かしらの影響を受けたか…。いや、発現した場面の共通性を考えると…」

 

「なんか…難しくてよくわからん…。」

 

「今はそれでいいよ。俺も、考えがよくまとまってないんだ。」

 

「うーん…。」  

 

「…あ、ボードゲームの約束は?」


 ハイドは不思議な現象の話ですっかり頭から抜けてしまった娯楽のことを口に出して、隣の自室から面白そうなものを引っ張り出してきた。初めて見る形式のゲームであったが、なかなかに面白そうだ。

 

「やろやろ、負けないからね!」


 私が最大限頭を使ってゲームに集中している間、ハイドは別の思考に集中していた気がする。

 まぁ、私は全敗したのだが。頭の使うゲームは私には向いていない。

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