第三章 夢見る羊は数えられない
第五話 降り落ちる硝子
お前が森の外に出ても幸せに生きてくれるなら、おれはなんでもしよう。苦しみでもなんでもどんと来い。
―ある森に住む兄から、妹に向けて―
その日はついに来た。
「ハイドっ!今、今一瞬、祈りの力の発動と付与両方成功したよ!」
「ッ…、おめでとう……。」
発動と付与が成功したタイミングで何故夢の創造を続けなかったと言われれば、変な感覚がしたからである。自分の中の白い光の熱が掌から溢れていく感覚、収まりきらなくなるような圧迫感がした。
一回止めておこう。
そう判断して何故か近くにいたハイドに報告して喜びタイムに突入したのである。
「ランジアちゃん成功したの!おめでとおお!」
「おお。」
「おめでとうさん。」
ぞろぞろと同じ仕事場にいたデファレやとんがりさん、フロス爺までもが寄ってくる。ここは温かい人間関係が構築されている、しみじみと感動してしまう。
しかし、一番喜んで欲しかったハイドの反応が微妙である。当の本人はフロス爺のところへ寄っていって何やらヒソヒソと耳打ちをしている。私の成功に何か気になる部分があったのかとでも思うほど、こちらを訝しげにチラチラ見ながら話すのだ。
デファレととんがりさんが捌けていった後、フロス爺を後ろに引き連れたハイドが再び寄ってきて真剣な声で私の名を呼んだ。
「…何ハイド。何か気になることでも…。」
「ランジア。暫く祈りの力は使わないほうが良い。」
「え…、なんで?」
急に告げられた言葉を上手く呑み飲めずに困惑してしまう。祈りの力を使われると何か不都合があるの?でも、さっきおめでとうって言ってたじゃん。やはりそれを、事を呑み込めないと言い表すべきでない。この困惑により理解できる程度のことを脳が受け入れることを拒否した、と表現すべきである。
心の困惑による間違った解釈により、ハイドのことを誤解していることに私は気づかなかった。
「ランジアにはまだ制御できない。…危険すぎる。」
「え、嫌だよ。私早く一人前になりたいし。」
この時はまだ、素直に拒否できていた。何かの冗談だと思っていたからだ。
「ねぇ…。」
「いーや!」
少しムカついていたけどこの時ハイドが謝れば許していたと思う。
「聞いてって…。」
「嫌だって言って…。」
半ば意地になって、私の手を掴もうとしたハイドの手をはたいてしまったことが引き金になった。
「ランジアッ!俺の話を聞け!」
怖かった。
聞いたことのないほど低く大きな声は私にこれが冗談でなく本気であったと知らせるに十分だった。それと同時に私のわかりきっている勘違いを加速させるきっかけにもなった。私を応援してくれていたハイドの言葉は嘘だったのか、と。
三階まで吹き抜けの広い仕事場には声が響き渡り、二階で仕事に戻っていたデファレたちも何事かと顔を覗かせる。
「っ、ごめ……。」
「もういい。」
私がハイドとすれ違う瞬間、小さく謝る言葉が耳に入った。もっとも、そんなことで許してやれるほど私の心にもう余裕はなかったのだが。
私は力任せに重いドアを押して仕事場を出た。現在時刻は十八時過ぎであり仕事の終了時刻はとっくに過ぎていたからサボったというわけではない。
いつもは一緒に摂る夕食も自室に持ち帰って一人で食べた。
途中フロス爺に背中を押され、無理矢理連れてこられたハイドが申し訳無さそうに口を開こうとした。しかし私はそれを無視して自室のドアをわざと音が鳴るように閉めた。
私はすぐにでも追いつきたいのに、どうしてそれを否定するようなことを口にするのだ。問い詰めたい、怒りとも言い切れない感情が喉の上のあたりで渦巻いていた。私はそれも無理やり飲み込んで手を握りしめた。
手のひらに爪が食い込んで痛かった。
***
祈りの力の量には大小がある。
基本的に、祈りの力が夢の創造で使われる量はほんの少しであり夢創造人の創る夢の品質に影響するわけではない。
本来祈りの力とは、花の記憶の気配を感じ取り、そこから自分の想像を花の中に構築していくときに、イメージという建造物を構築する為の柱となる部分である。それ故夢創造人に一番必要とされる力として、その柱を安定して建てることが求められる。
では、その柱が大きすぎて自身の力では支えられないとしたらどうなるだろうか。自身が柱の下敷きになるか、誰かが柱の犠牲になるか…。どちらにしろ危険が伴う。
この問いに当てはまる人物がランジアである。
ランジアの祈りの力は大きすぎる。
膨大な祈りの力の気配に気づけたのはフロス爺と、俺だけだった。
幸い俺は祈りの力の制御に長けているようで、ランジアの祈りの力の発動が安定化してきてからは、《力の波長が合う創造人の創る夢に干渉できる》という祈りの力の特性を利用して力の暴走を抑えることができていた。
何故、ランジアにその事を話さなかったか?
深夜まで祈りの力をモノにしようと頑張っている人に、「君は祈りの力が膨大すぎて制御できないだろうから、祈りの力を使うのを一度やめてほしい。」なんて言えるだろうか。
出来れば俺は言いたくなかった。
でも、ランジアの祈りの力はどんどん増していって、遂に俺の制御できる範疇を超えようとした。ランジアが祈りの力の付与を自ら止めていなければどうなっていたことか。
ランジア以外の創造人全体には事情を周知していたが、創造人の中で祈りの力の波長がランジアと合致するのは俺しかいなかった。フロス爺だったらもっとしっかりサポートできていたかもしれない。
あの段階では、ランジアにああ言うしかなかった。
……。
「と、いうことなんだけど…。」
夕食後、フロス爺がランジアの話を聞きに行っている間、「暫くハイドは静かに考える時間を取れ。」という言葉の通りに静かにボソボソとアネモネに事の経緯を語っていた。
「ハイドは馬鹿だね。人でもこんなに不器用な人っているもの?人自身の感情を理解しているからもっと器用な行動を取るものかと。」
「考えすぎたがゆえ今こんなことになっております…。」
「普通に話せばよかったのよ。ランジアは話のわからない人間じゃないし、ハイドのことも信頼している。祈りの力を使うなと言われたって自分にできることを探す子だよ。」
「アネモネは…よく理解ってるねランジアのこと。」
アネモネは自信満々にうなづく。
「取り敢えず、しつこく謝りに行きなさい。今頃は冷静になっている頃だと思う。あと、ハイドに夢創造人として認めてもらえる方法を模索し始めると思う。ワタシの推測ではそうでている。」
「うん…。そうする。」
「ハイド…。ランジアは…怖かったんだと思うの。」
「ランジアの気持ちがわかる…?」
普段から俺は声を抑え気味で話す癖がある。そのリミッターが外れたら怖いに決まってる。アネモネがそういった細かい事情を把握して人の気持ちを予測していたことに少し驚いた自分がいた。多分、それはアネモネが機械人形だから…。
「最近、ワタシ…。分かってきたの。ワタシは自身に感情を持つプログラムは搭載されていないと伝えられているけれど、ランジアとハイドが大切、一緒にいると楽しい。これを感じることを感情以外になんて呼べばいいと思う?」
あの、意味の分からない言葉じゃないか?
正解はこれじゃないだろうと思いながら、言葉を紡ぐ。
「……プログラム?」
「正解は感情。感情以外の何物でもない。ワタシには、感情がある。機械人形なりに出した答えだよ。……。」
「そっか、良かった。」
俺はアネモネの真剣な顔を見届けると、座っていた建物の屋根を後にし、滑らないように気をつけながら窓から自室の部屋へ飛び込んだ。アネモネの声には少し迷いが含まれていた。一人にしてあげた方が良いと判断したのだ。
俺も、暫くの間一人になりたかった。
「そう思いたいって…、悩んでるの。これも…、感情と言わずに何と云う?」
小さなアネモネの声は誰にも届くことなく風に呑まれてどこかへ運ばれていった。
***
「ハイド!ランジアが何処にもいないぞ!」
焦ったように俺の部屋の扉を叩くフロス爺ととんがりさんの声。
時間をおいて、明日謝ろうと部屋の椅子に腰をかけてため息をついたところだった。嫌な予感がして椅子を蹴り飛ばして扉を開けた。ランジアが仕事場を後にしてすぐ、後を追ったフロス爺が姿を見失い、夕食にも来ず、ランジアを説得しようとした大人組が心配したようだ。
「……まさか。」
『ハイドに夢創造人として認めてもらえる方法を模索し始める。』アネモネの言葉が反芻される。
その方法が一人で祈りの力を使えることを証明することだとしたら。
「仕事場は探した?もしかしたら、戻ってるかも。」
「まだだが…。さっきはいなかったとデファレから聞いた。」
「行ってくる!」
いるとしたらそこしかない。
大きな扉を息を吸って力いっぱい押し開ける。夕方のひとけのない仕事場は天井のステンドグラスに夕日が射し込み、赤く染まっている。
怖いような赤さの仕事場に一人、見慣れた姿の少女が視界に飛び込んでくる。
少し違うことといえば、熱そうな橙色の薔薇の紋が頬に宿り、僅かに脈を打っていること。
気配が、膨張する――。
床を蹴る。
「ランジア!」
「……。」
白い光が空に太い一本線となって伸びていく。それは金髪の女性の描かれたステンドグラスを突き破り、果てしなく昇って細い線となって消えた。
キラキラと夕陽を反射して輝くその破片は、その美しさと裏腹に人を殺す凶器となって降り注ぐ。
必死になって手を伸ばした末に、俺は目を丸くしたランジアに覆いかぶさって息を荒げていた。
背後でガラスが床に衝突し砕け散る鼓膜の破れそうな音が響く。
床に衝突したガラスが飛び散って、近くに倒れ込んでいた俺の足を掠めて飛んでいった。
足首にズキズキとした痛みを感じる。
「ハイド…?」
「馬鹿!俺のいうこと聞かないから、こういうふうに危険な目に遭う!少しくらい…話聞いてくれたっていいじゃないか…。」
ランジアを怖がらせた低く大きい声で叫んだ。もう、声を荒げることはしないように気をつけようと決めたのに。でもまた、叫んでしまった。
俺はランジアの祈りの力の気配がいまだ周りを渦巻いているのを感じていた。制御できる状態でないランジアの祈りの力は暴走を起こして、天井を突き破ったのだ。
顔を見るのが怖い。恐る恐るその目を開けるとランジアの口角は上がっていて瞳孔はどの感情のせいか潤んで震えていた。
「ありがとう…ハイド。話聞かなくて、ごめん。……、青い。冷たい…。」
「……?」
ランジアの手が首筋に触れた時、へなへなぁ…と足から力が抜けた。感情に鈍感な自分なりに恐怖を感じていたようだ。身体がどっと酷い疲れを感じて重くなった。
相当な体力を消費したのであろう、眠りについたランジアを部屋に運んだ。一度力が抜けた足に再び力を入れるのには少し時間がかかった。ガラスの破片が当たって出血している足首に気づいたのはそれが終わってのことである。靴下と靴があまりの出血量に真っ赤になっていたので、何故すぐに言わないのですか、とシレネに怒られてしまった。
何針か縫った上に全治二週間ほどの結構深い傷だった。ついでにデファレとフロス爺にも怒られた。ガラスが体内に入り込んでいなかったのは幸いだった。
***
祈り。それは核の為だけに夢を創造する行為。
夢創造人について記載された書物にはこのように記されている。
その前提を基礎とすると、夢創造人はこの世界に影響を与えられる、裏の代表者と言える。なにせ、唯一この世界で核の脳内に干渉できる存在なのだから。言ってしまえば、核の考え方にさえ影響を与えうる存在なのだ。
これは俺が捻くれた捉え方をしているだけで、核が望んでいることは『現世の記憶、状況を眺めたい、確認しておきたい』といったものだ。民衆の前に姿を見せない核がこの国、この世界を創った本人としてこの世界の状況を確かめる為の手段に夢は使われているのだと思う。
いわば、世界と核、地上と神を繋ぐ役割を持つのが、夢創造人と云われる存在だ。この役割は核の代わりに国の執政を担う核の使いとも似ている。
そんな重荷をその幻影郭の人は表に出すことはしない。それは普段人々の前に出ることのない夢創造人たちの無自覚さから来る行動かもしれないし、慣れてしまった夢創造人たちにとってはわざわざ表に出さなくても、なんてことないのかもしれない。
そんな中ただ一人、夢創造人として選ばれ、急に民の代表になれと言われた、祈りの力を使えない一人の少女はどう思うだろう。
「置いて行かれたくない。早く…追いつかないと。」
痛いほど理解できる。
俺も…、そうだった。
でも違う。
気づかせてくれたのは、君だ。
ランジア。
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