第二章 機械人形は永遠の時間を夢に見る

第四話 このままずっと。

新キャラのビジュアルです。

https://kakuyomu.jp/users/ohanadaisuki-dess777/news/822139840710403677



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



この世界で…、君と平和に暮らせたらそれでよかったんだ。ごめんね、約束…守れない。

 ―導く者から核の器へ―


「今日は…皆に、特にハイドくんとランジアちゃんにお知らせがあります!暫くシレネと一緒にこの館を空けていたもう一人のガーディアンが帰ってくるんです!」

 

「……はあ。」

 

「なんとなんと、ランジアちゃんと同い年!」

 

「…!」


 もしかしたら、同年代の同性の友達ができるかもしれないということ、こんなに嬉しいことはない。

 昼が過ぎ、私は今日も夢の創造に失敗することを繰り返していた。その一方でハイドのセンスはピカイチのもので、徐々にネリネやデファレの実力に迫り始めている。

 本当の天才というものを見たのは私の短い人生の中でこれが初めてだ。

 この短期間での進歩を見ている限り、間違いなくハイドは夢を創るという分野に関して天才なのだ。またしばらくの間近くで過ごし、会話をしていてわかってきたことだがハイドは教養があり頭が回る。流石、イイトコ出身のイイヤツ(推測)である。

 鳶が鷹を生むということわざがあるが、鷹の子供は鷹であるということを忘れてはならない。

 キィ…。

 幻影郭の正面玄関が空いた音がしたのに気がつく。

 

「ねぇ、朝聞いた子が来たんじゃない?今音したじゃん。」

 

ウキウキしながら、隣で白い光を放ちながらスターチスに祈りの力を込めるハイドに声をかける。

 

「玄関の音とか聞こえないって。ランジアは耳いいねぇ。」

 ふわふわとした祈りの力を灯したスターチスのドライフラワーを机に優しく置くと、ハイドは少し感心して此方へ応えた。 

 

「創り終わったの?」

 

「うん。そんなことより様子見に行ってみよ。」

 

「そうだね。」


 合図がわりに肩を叩かれ、私は仕事部屋の重い扉を開けたハイドの後ろについていく。

 大人たちが今日帰ってくるという少女の出迎えに追われているのか仕事場前の廊下は私たち以外にひとけを感じない。それゆえか少し不気味である。

 

「はっ、くし!」


 ハイドが服の袖で口を押さえる。

 

「大丈夫?」

 

「うん、大丈夫。気にしないでいいから。」


 昨日私にケープを貸したまま、部屋までの少し遠い道のりを歩いていたせいで体を冷やしたのだろうか。

 悪いことしたな…。

 

「ハイド…。」

 

「ねっ、ランジア!あの子じゃない?」


 幻影郭の玄関口が見渡せる二階から身を乗り出して下を覗く。一階から階段を上がって来る寡黙な雰囲気の女の子がいる。私と同じということは、十三歳か。

 随分大人びている。

 

「ね、ねぇ。君は…。」

 

 ハイドの後ろに身を隠すようにして勇気を振り絞り声を掛けると、クールな印象の女の子が此方へ目をやる。見た瞬間心の中でつぶやいた言葉は「睫毛バサバサ」だった。

 

「ワタシですか?」

 

「うん…。」

 

「お初にお目にかかります。ワタシはアネモネと申します。御二人がこちらに来られたのは最近のことだと伺っております。仲良くしていただけたなら大変嬉しく存じます。」


 随分としっかりした敬語である。それも同年代である私たちに向かってだ。ガーディアンもイイトコの出の人が多いのだろうか。

 もしかして…、トラネスの西区みたいな貧民街の出身は稀なのかもしれない。

 私が最低限の教養を持っているのは、母の献身的な教育の賜である。文字が読めるだけで西区では天才扱いされたものだ。周りには文字の読めない子が五萬といたような環境であったから。

 教育を少しだけ受けることができたのは西区の中でも生活が困窮しているわけではない、比較的余裕のある層であったこともあるかもしれない。余裕があると言っても最低限暮らせるレベルをギリギリ超えているというだけでハイドの住む東区の暮らしとは天と地の差がある。

 この屋敷に来たときも、幻影郭自体の大きさや家具一つ一つのしっかりとした装飾の豪華さに驚いたものだ。


「私はランジア・ネピアです!こっちは…。」


「俺はハイド・ルフレス…、そんなかしこまらないで、俺たちは同年代なんだから。」


「かしこまりました。では、ワタシのことはアネモネとお呼びください。……いえ、アネモネと呼んで…。」


 これまでの人生で、ハイドも含めて初対面で変わった人物には多く出会ってきた。しかし、第一印象としてここまで感情を読み取れない人間に出会ったのは初めてかもしれない。

 端的に言うのであれば、私はアネモネという少女に何処か違和感を感じたのである。


「よろしくね。」


 私が少し考え事をしている間にハイドはアネモネと握手を交わしている。その後、私は先ほど感じた違和感に首を傾げたい気持ちと少しワクワクとした気持ちの両方を抱えながら、アネモネと握手を交わしたのである。

 アネモネの後ろでは幻影郭の大人組が階段の下から顔を覗かせて、微笑んでいた。


     *** 


「ハイド、私決めた。今週末フルーレスに行こ。がんばる。」

 

 夕食後、自分の部屋までもう少しという所で、私は歩くのをやめた。廊下から見える空は少し夕焼けが残っているものの、もう殆ど日は沈んで、なんという名前だろうか、トラネスでは聞こえない声の虫が鳴いている。

 ハイドの進歩は目覚ましく、私の歩みはまだ一歩にすら満たない。ならば、期限を決めてしまい無理やりできるようにすればいい。

 それを、伝えたくなっただけだ。

 打ち込んでしまえば最近また気になり始めた『夢を見る』という案件についての気も反れるだろう、と別の思惑もある。

 

「……そっか!じゃあ、アネモネも誘おうか?」

 

ハイドは少し驚いた顔をしてから嬉しそうに目を細めた。

 

「うん!それじゃ、頑張って誘ってみる。」

 

「じゃあ、また明日。」

 

 自分の部屋の扉を開けると重い扉が開く時特有の軋むような音が鳴る。自分のベッドが「こっちにおいで…受け止めてあげる…。」と私に囁いてくる幻を見ながら、私は柔らかい布団に体を投げ出し意識を失った。


     ***


「おはよー…。誰もいない…。」

 朝、ピョンピョンとはねっぱなしの髪を放置して、朝食を食べに向かった。一階の食堂にハイドがいると思っていたものの、そこはがらんとしている。

 今日は早く起きちゃったから、ハイドはまだ寝ているのかも知れない。

 カンッ!

 大きなテラス窓から続く庭の方で金属がぶつかり合うような大きな音が響いた。なんだろう。

 

「はあぁ!」

 

「動きが遅い、で、もう少し踏み込む。」

 

「わかった。じゃあ、もう一回!」


 見ると、アネモネとハイドが鞘に入ったままの剣を交えているではないか。立ち回りとしてはアネモネが一枚…いや三枚上手と言えるだろう。それにしても二人共相当強いなぁ。流石に核の使い直属のガーディアンには見劣りするがハイドも相当な剣術の腕前である。

 

「もっと速く動く。」

 

「えっ⁉︎無理っ…、あぐッ。」


 っ!

 

「ちょいちょいちょーい!アネモネちゃん、やり過ぎやり過ぎ!」

 

 アネモネとの力量の差に対応することができず、腹への直撃を食らったハイドへ追撃しようとするアネモネの剣を受けとめて止めに入る。稽古試合といってもやりすぎは禁物である。

 

「えっ、あっ。すみません。」 


 アネモネは言われて初めて気づき、その表情に乏しい目の瞳孔が慌てて小さく揺れた。


「ハイド!大丈夫?」


「このくらい、大丈夫!ってか、ランジア今素手で受け止めた…?」

 

 いくら鞘に収まっているとはいえ、腹へ食い込むほどの直撃は痛そうだったが…。

 

「ごめんなさい…、ハイドさん。」

 

「いいよ~、手合わせ頼んだの俺だし。それにしても強いね!流石ガーディアン。」

 

「そんな事は…。」

 

私が起きてくるまでのうちにどんな交流があったのか、いつの間にか二人は仲良くなっているように思える。

 

「……。アネモネちゃん!」

 

なんか、仲間はずれみたいで嫌な感じ。私も仲良くしたいのに。

 

「はい。」

 

「君に、手合わせを申し込もうではないか!」

 

「……、はい。わかりました。……わかった。」

 

 アネモネはぎこちないタメ口を紡ぎながら再び定位置につく。

 お互いを知る為にはやはり手合わせが一番である。よく言うじゃないか。

 

「ハイド、その剣貸して!」

 

「いいけど。ランジア、剣使えるの…?」

 

 当たり前だ。

 西区は身の危険がつきものであるから、護身用の武器的なものは常にもつようにしていた。一回、数人の人攫いに襲われた時、思い切りパンチした衝撃でそのうちの一人の歯を全て折ってしまったことがある。傭兵の人たちに引き渡した後、犯罪者コミュニティのようなもので私のことが広まったのだろうか、私の住居周辺で事件が起こることが少なくなった。近所の子供達が攫われることも多かったから、私がその盾になれていたなら良かったと思う。

 

「いいから見てて!じゃー、行くよアネモネッ!」

 

「はい。」


 ハイドから受け取った剣はずっしりと重く感じる。スタート、と呟いた時点でアネモネは既に私の目の前にいる。

 ガキンッ!

 そのまま剣を構えて斬撃を受け止めた。まんま、力の押し合いである。

 

「うゔ!」


 アネモネの剣をはらいのけて、怯んだところで決着をつけようとしたが、隙を見つけられずに後ろに下がった。

 私のいた場所には切り裂くような金属音が響き渡る。私が後ろに下がらなかったらどうなってただろう。

 痛そう…。


「ランジア。もうワタシ、いるよ。」


「ッ…!」


     *** 


 カンッ!

 兄の試合を目の前で見た時のような高揚感と、劣等感を覚える。俺よりもずっと強い二人が目の前で激戦を繰り広げている。

 アネモネ、アレはとても人の動きの範疇ではないようなスピードで動く。斬撃の速度も物凄い。本当に、…人の体でなし得る動きなのだろうか、あれは。

 ランジア、細い体からとても剣が使えるなんて思っていなかった。それでも、アネモネのスピードに反応できる反射神経と、攻撃をはねのけるほどの力を持つ。アネモネにはスピードこそ敵わないものの、自身の力と反射神経の良さのみで攻撃を受け止めるその才覚は笑えるほどの規格外さである。


 「……凄いな。」


 そういえば、ランジアは力が強かった。立て付けが悪く開きにくい扉を無理矢理開けようとしてドアの金具ごとミシミシ言わせているところを見たことがある。幸い壊れることなくその扉は開いた。

 カンッカーンッ!

 金属が弾く音がひっきりなしに鳴り響く、俺とアネモネの時よりもアネモネは遥かに速く、それに台頭してきているのがランジア。


 「あ。」


 アネモネがランジアの斬撃を真っ向から受け止めて跳ね飛ばした。ランジアが体勢を崩した瞬間、その喉元には剣先が存在している。

 まるで自分が剣先を突きつけられたような錯覚を感じて唾を飲み込んだ。


 「アネモネちゃん。君、凄かったね!」


 「……、ランジアも凄かった。楽しかった。あと…、アネモネでいいので。」 


 「わかった!」 


  あんなに拮抗した戦いの後だと言うのに、目の前の二人は全く疲れたそぶりを見せず楽しげに話しているだけだ。


「あ、ハイドと話してたんだ!今週末、一緒にフルーレスに遊びに行かない?」


「ワタシも、…いいの?」


「いいに決まってるじゃん。アネモネがいたらきっと楽しいかなって。」


 アネモネは感情を読み取ることのできない通常の状態のまま、ランジアの頭を撫でた。

  

「えっ?」

 

 ランジアは急な行動に少し戸惑い、俺と目を合わせた。

 

「アネモネ?」

 

「わからないです。でも、少し胸がキュンとしたので。」


 顔に出さないクールなアネモネであるが声色は明るく嬉しそうであった。周りが嬉しそうにしている自分俺まで嬉しくなってくる現象は誰もが人生で一回は経験するものだと思う。

 ところで、…少し疑問に思うことがある。手合わせが終わった瞬間ランジアから感じた膨大な祈りの力のような気配は…なんだろう。少し、気になる。


     *** 


「えへへ…。まさか皆見てたなんてね。」


 手合わせが終わって、三人で食堂へ帰ろうとすると、デファレやネリネ、シレネ、フロス爺が此方をこっそりと覗いていたのに気付いた。

 皆が私たちの試合を褒めてくれた。

 アネモネはシレネを見ると顔がパァッと明るくなった。それはもう私たちには向けたことがないほどに。まるで実際に核様に出会った信徒のようだといえばわかりやすい。この国の大半の人がそうであるが、中でも狂信的な人のことを私は言っている。

 アネモネのことについて、今日、少しは仲良く慣れたのではないかと思っている。

 だが、まだ昨日感じた違和感が拭えない。それどころか比較して今日のほうがより大きな違和感を抱えている。

 言葉に表すのは難しいがアネモネは人間的でない。その言葉遣い、表情、感情を感じない機械的な物体に見えて仕方ない。剣技での動きも一切無駄がなく、完璧な計算による動きのようで…。

 そんなことを思うのは失礼極まりない、わかっている。

 アネモネと仲良くなりたい、もっと知りたいと思っているのは本心である。

 

「ハイド、アンタは…アネモネのことどういう人だと思う?」

 

「俺?俺は…、不器用だけど人間的な人だなって思う。」


 思っていたものと全く反対のことを言われて、全く拍子抜けであった。しかしやっぱりハイドはハイドだなと思うと、少し安心した。

 こんな失礼極まりない違和感、胸の奥にしまっておくに限る。

 

「それにしても、私たちより全然動いてないのにハイドはなんで疲れ切って汗びしょびしょなの?」

 

「え、ランジアたちが平然とし過ぎなだけだよ⁉︎あんな動きしたら普通腕ビキビキの筋肉痛だ。」


 私も汗は掻いているには掻いているが少しだけである。あれだけ動いて汗の一滴も出さないアネモネには私も驚いたものだが、それにしてもハイドは汗を掻き過ぎである。

 

「ハイドが貧弱なだけだよ。すごかったけどね。」

 

「……お世辞はいい。ランジアの方が凄い。」


 あ…。

 ハイドの碧い瞳が薄暗く濁る。それ、何か、嫌だ。

 口に残りのトマトを全て放り込むと、先に食べ終わって私を待っていたハイドに近付いて、瞳が少し隠れるほどに長い前髪を耳にかけ直してやった。

 

「ち、ちょ……ランジア!」

 

「嫌だった?」

 

「眼がそのまま出る髪型苦手なんだ。」 


 耳にかけられた髪をいじりながら目線をそらす。人にまっすぐ目を合わせられた時、慌てたように目を逸らすのはハイドの癖である。

 その癖はきまづい雰囲気になったときにでやすい。

 

「そうなの?その碧綺麗なのに。」

 

「…………部屋帰る。」

 

「あっ…。」


 後ろで無造作に結んでいた髪を雑に振りほどくと、ハイドは私に背を向けて歩いていってしまった。

 

     ***


「間に合わなかった…。今日までに祈りの力をモノにするって誓ったのに…。」

 

「祈りの発動まではできるようになったじゃん!ランジアは頑張ったよ。あとは祈りの力をスターチスに注げるようにするだけだよ。」


「ワタシも見てた。大丈夫、もうすぐ出来る。」

 

「今日は一旦忘れよ?ね、ランジア?」

 

「うん…。」


 私なりに結構頑張ったと思う。昨日だって、夜遅くまで仕事場でスターチスに向かい合っていた。

 大人が居なくなって、後ろでウトウトしながら見ていたハイドに「もう寝よ?明日眠くなっちゃう。」とぼんやりとした低い声で言われたのが最後の記憶である。

 昨日は気が抜けてそのまま眠ってしまったのだろう。運んでもらったのか、今日目覚めたのはアネモネの部屋だった。おそらく私を部屋に送り届けようとしたハイドは私の部屋に鍵がかかっていて入れずにアネモネに預けていったのだろう。迷惑をかけて申し訳ない。

 

「ランジアは…元気?」

 

「うん、私は元気!」


 会話の中で自然に聞かれた体調、ハイドの口ぶりの中には本気の心配の感情が混じっているような気がした。私が無理をしたこととはまた違う、どこか見えない存在へ目を向けていたような…。何に対してだろう、そんな疑問を抱えながら、私はなんとなく返事を返した。

 

「じゃー!」

 

「「しゅっぱーつ!」」

 

「出発ー…?」

 

ハイドと私が勢いよく手を挙げてフルーレスへの馬車に乗り込んだのに対して、アネモネは困惑して恥じらいながら小さくグーを空に突き上げたのであった。

 アネモネは初めて会った時より表情がわかりやすくなってきた。今だって、一見無表情に見えるかもしれないが微妙に口角が上がっていて、嬉しそうである。

 フルーレスに着くとまず一番に視界に飛び込んでくるのは、街の上空にそびえる大きな白百合の姿である。海沿いの白い建物を穏やかに見下ろして、悠々と聳えている。

 何千年も昔からあの大きな白百合は咲いたままだという。一歴史あるこの国が生まれる前からあったのではないかと言う説もある。ちなみにこの知識はご飯の時に聞いたハイドの蘊蓄のごく一部である。

 この白百合が枯れる日はやってくるのだろうか、とふと疑問に思った。

 

「あわ…凄い…。こんなとこ初めて来た…。」

 

 呆気にとられたように呟くアネモネ。  

 

「感動した?」

 

「わからない。ワタシに感情はわからない…。」

 

「いーや、その表情は感動してるね。私最近わかるようになってきた!」

 

 絶対に嫌がられるだろうなと思いつつ、頬をつつくと、思いの外アネモネは受け入れの姿勢をとって、その後私にも同じことをやり返してきた。

 お土産を買った後、表通りの上品な仕立屋に入った。洋服屋での買い物でアネモネと大盛りあがりして、夢創造人として貰えた初の給料の殆どが溶けていく。家に送る分をあらかじめ抜いて持ってきてよかった。

 もっとも、私が合わせ室の薄いカーテンの向こうで、容姿端麗なアネモネを着せ替え人形にして一人で盛り上がっていただけである。

 殆ど一方的にだが女二人が盛り上がっている中、ハイドが店の隅で上の空でいるのが視界の端に映る。

 

「ハイド、どした?」

 

「あっ、いや、なんでもない。あ、これなんてどう?お仕立てになるけど、アネモネは綺麗系の服、ランジアは…、か、可愛い系のやつ。」


「え、じゃ、うん…着てみる。」


 誤魔化されたような気もするが、せっかく選んでくれたのだ。仮縫いの服を受け取ると、アネモネを試着室に押し込み私も隣に入って着替えた。

 

「ハイド、もしかして天才なのでは…?」

 

「そんなそんな。」

 

「でも、私、めっちゃ似合うくない?」

 

「似合ってる。と、思う。」

 

「……。」

 

 ジトぉ…という視線を感じ振り返ると、アネモネが頬を膨らませていた。

 

「「どうしたの?アネモネ。」」

 

 思わぬところで声が揃う。

 

「別に…。」

 

「わぁ!めっちゃ似合う、綺麗っ、アネモネ綺麗!」  

 

 姿を見て、感想を言いながら抱きつきに行くと、拗ねていたアネモネは小さくため息をついて微笑んだ。

 それにしても大人っぽい服が似合う。

 やっぱり人に似合うものを選ぶ才能ではハイドを超えるものはいない。夢創造人の才能と、こんな使い勝手の良い才能を二つも持っているなんて、狡いにも程があるだろう。…皮肉的な意味ではなく素直に良い意味での話だ。

 底をつきかけていたお金でギリギリ支払いを終えると私たちは店を出た。ほくほくと大きな袋を抱えて、ご機嫌である。大きな袋はほとんど買い物をしていないはずのハイドの手にまで渡っている。

 西区で暮らしてた頃はこんな贅沢したことなかった為、その反動が来てしまったのだろうか。…

 

「次はあの百合の花の上、行こう?」


 後ろの方で晴れている二人に声をかけた。

 


「ハイド、ランジアに可愛いって言わなかったでしょ。」


「はっ⁉︎なんで…。」


「ワタシの中のプログラムの推測では、君はランジアを好いていると出ているの。」


「確かにそうだけど……。……今、なんて言った?意味の分からない…、やっぱり君は―――。」


 後ろの方で二人が何かを話している。しんとした幻影郭の中では遠くの音もよく聞こえるのに対して、フルーレスのような街中では人混みの雑音が邪魔をして二人の話す声がよく聞こえない。


 「何話してたの?」


 後から追いついてきた二人に聞いてもはぐらかされるだけであった。ハイドが一瞬頰を赤らめてたじろいでいたのが印象に残っている。


     ***

 

 大きな白百合の上に登るには花糸からやくに吊るされるような形で建造されたゴンドラに乗って昇る必要がある。登って行くゴンドラは風が吹くとグラグラと揺れ、昇って行く道筋が消石灰で出来た高い建造物に囲まれていることもありぶつからないだろうかとヒヤヒヤする。

 鳥籠のような鉄格子に囲まれたゴンドラ自体は頑丈な作りになっていることから考えれば事故の心配は少ないだろう。が、高い場所というものは人間の精神をゴリゴリと削っていく。心配になるのはごく自然なことだ。

 高いところにしばらく怯えていたのは私だけのようで、アネモネもハイドも平然として外を眺めている。

 やめろハイド、はしゃいでゴンドラ揺らすでない。楽しんでるのは君だけ、いやアネモネも楽しんでるな、やめて?

 しばらく経つとその不安定さにも慣れ、景色を楽しめるほどになっていた。

 

「アネモネ。今日、楽しかった?」

 

 隣のアネモネの満足げな横顔に目が留まり、話しかける。おそらく無意識だろう、微妙に口角が上がっている。今日のことは楽しんでくれていたのだろう。

 

「ワタシは…多分今、楽しいんだと思う。感情は、ワタシには難しすぎる。だけれど……。」

 

「うん。」

 

「この時間が永遠なら良いなって思った。」

 

「良かった!」


 アネモネが満面の笑みを私たちに見せたのはこれが初めてであった。

 ゴンドラが建物群から抜け出し、目の前の景色が拓ける。百合の大きな花と夕焼けが一つの美しい絵画のように見える。

 もう何年、この大きな百合の花は街の上に聳えているのだろう。ゴンドラが頂上にたどり着いた時、アネモネが降りようとする私の手を取って言葉を紡ぐ。

 

「ランジア、ワタシは今、楽しいの。」

 

「私も楽しいよ。…?」


 ゴンドラを先に降りたハイドに急かされて二人して不安定な足場から飛び降りた。百合の花の上に載ったという自覚はない。巨大なものとはいえ、その足場は岩のように固く、花の銅像なのではないかと疑うほどだった。

 帰りの道筋でふと思う。アネモネはなんだか、引っかかる表現をしていたな、感情がわからないなんて。自我が薄くてもアネモネにはしっかり喜怒哀楽があることはわかりきっているではないか。

 眠気に誘われて、そっと目を閉じる。


 揺られる馬車の中、アネモネは二人を観察していた。

 よくこんな乗り心地の悪い状況で眠れるものだ。

 寝息を立てるハイドとランジアに備え付けの毛布をかけてやった。

 

 


      *** 


 

「おかえり。アネモネ。」

 

「ただいま帰りました。今日、ランジアとハイドが…。」

 

「楽しかった?」

 

「…?楽しかったです。」

 

「そう。ただし、アネモネ。ガーディアン足る者、感情を感じることはしてはなりませんよ。あなたの仕事は幻影郭、そして、夢創造人を守ることです。まぁ…、感情を持てというプログラムは施されていませんから大丈夫でしょう。」


「………了解しております、シレネ。」


 歯車の心が軋む音がする。ワタシが機械人形でなければ、ガーディアンでなければ、自由に感情を表せただろうか?

 この心を『感情』と言わないのであれば、私の心は一体なんと呼べばよいのだろう。所詮楽しいという言葉もプログラムで計算され出た言葉に過ぎない。 

 ハイドを観察していて理解したことだ。人はワタシのこの状態を『悲しい、辛い』と云う。

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