第二話 幻影郭

「ようこそ。ミラージュ・オブ・グレーテへ。」

 

 いつの間にか大きな花畑を抜け、時折見知らぬどこかでおりては御飯を食べ、何日馬車に揺られただろう、やっとついたのは紫の花が咲き乱れる大きな館だった。

 爽やかな青色の海と空に挟まれるように、白の煉瓦で建てられたマンサード屋根の古い建物だ。建物の壁はよく手入れされているが、所々植物が這っている。


「ミ、ラノ・オブ・グラタン…?く、ふふっ。」


「何でそうなるの。」


 全く違う言葉を発するハイドの肩を軽く叩く。聞き取れているのにわざとふざけたな。自分でツボにハマっているハイドを見ながらため息をついた。

 頭にチョップでもかましてやろうかと思ったが、あいにくまだそんな距離感ではない。そもそもほぼ真上にある頭に手が届きにくい。何故だ。同じぐらいの年のはずなのに。


 「シレネ、ここからはよろしく。じゃ、私はこれから行かなければいけないところがあるから。またね、期待の新人!」


 ベイアが「任せたっ!」と、隣に備えていたガーディアンの肩を強く叩いた。大層痛そうな音がしたが、愛があれば良いのだろうか。 

 それから、一瞬のうちにベイアは消えた。

 …あれが核の使いの魔法か。


 「魔法…。」


 ハイドも唖然としている。

 魔法は祝福も含めて、核の使いの起こす奇跡のことを言う。魔法はこの世界で一人、核の使いしか使えない。

 核様の力を借りて魔法を使っているとかいないとか。真実はわからない。恐らく、真実は核の使い以外は誰も知らないのだろう。

 魔法を使って移動できるのなら最初から馬車なんかに乗る必要があるのだろうか。自分以外を移動できないとか?しかし、複数人いたガーディアンは一人を残して核の使いと一緒に消えた。不思議なものだ。

 シレネと呼ばれた若い女性のガーディアンが、張りのある音をたてて手を叩く。昨日、私の家に来た人だ。


「はい、ベイア様に任されたので説明しますねぇ。私、シレネ・ルメニアスです。よろしくお願いしますね。」


 自己紹介を聞いたからには、私も礼儀として自己紹介をしないといけない。核の使いがいるときにしたから、シレネは知っているのだろうが。


「私は、ランジア・ネピアです。よろしくお願いします。」


「俺…私はハイド・ルフレスと申します。よろしくお願いします。」


 最初こそ間違えそうになっていたが、ハイドは第一印象とは裏腹にしっかりとして落ち着いた挨拶をした。やはりどこかのお金持ちの家の人だったりするのだろう。

 ここまで話してわかった。ハイドは行動こそ「チャラ」の片鱗があるが、性格はイイヤツだ。軽率な誤解をしてごめん、ハイド。


「ここは、ミラノ・オブ・グラタン。…ではなく、ミラージュ・オブ・グレーテですねぇ。」


 随分ゆっくりとした喋り方で、ハイドの間違いをからかいながら、この館の説明を始めた。

 さっきまでは、ガーディアンとして核の使いを必ず守るといった殺気とも取れる雰囲気を漂わせていたのに今はその面影がまるでない。ガーディアンとは皆そうなのか?


 「俺の間違い、面白がってないです?」


 ハイドが不満そうに文句を言うと、シレネがニヤリと笑って反応を返した。


 「ふふ、面白がってます。」


 素が読めない人だなぁ。殺気もりもりが素なのか、ほんわかふんわりが素か。


 「私も、面白がってる。」


 「ランジア?」


 「事実をいったまでだよ。」


 悲しそうなハイドに首をかしげて、理解できないような素振りを見せる。さっきは盛大に滑っていたから、拾ってもらえたようでよかったよかった。


「仲がいいですねぇ。では、続けますよ。ミラージュ・オブ・グレーテは夢創造人の仕事場です。長いので皆様、《幻影郭》と呼ばれますね。衣食住完備で、それぞれ部屋が与えられます。結構条件いいんですよ。申請すればいつでも休みがとれます。当日でも、それが奉納の日以外であれば大丈夫なことが多いです。」


 話を聞きながら、館へ続く道を通り、シレネは大きな玄関扉を開ける。出迎えや歓迎はなかったが、私たちは客間らしき部屋に連れていかれ、話はそのまま続いた。


 「あの、部屋ってどういう?」


 「後で案内しますね。お二人はお隣さんですよ。仲のよろしいお友達のようですので、お喜びになるかと。」


 シレネはにこやかに笑っている。


 「どこから見たらそう見えるんですか、シレネさん。」


 「え、ちょっと仲良くなれたと思ってたのに!」


 少しの冗談のつもりだったけれど、言いすぎたかと少しの罪悪感に駆られる。しかし、ハイドは少し言い返しただけで既に外の景色をご機嫌で眺めている。ほっと安堵のため息をついて、ハイドの視線の先に目をやる。


 「あ、あの花はなんて名前ですか?」


 窓の外の紫の花を指差して、シレネに聞いてみた。フウロの花のように何かしらの意味や花言葉があったら、ロマンチックだなと思ったのだ。

 ちなみに街の周りに咲くフウロの花の花言葉は「君ありて幸福」だ。


「あの花の名前はスターチスですよ。核様が好きだということで植えてるんですよ。夢の創造にも使われるそうです。」


「花言葉は?」


「え、っと…たしか…。」


 シレネが忘れてしまったのか、顔をしかめて言葉に詰まる。


「途切れない記憶。ですよね?」


 思いもよらない方向から声が聞こえてきた。ハイドだ。得意気な顔をして私の方を見ている。心情が手に取るようにわかる。あれは「どうだ、凄いだろう。褒めても良いんだぞ。」だ。


「あ、そうそうそれですよ!ハイドさん凄いですねぇ。」


 シレネが感心したように褒める。ハイドの得意気な顔がもっと得意気な顔になった。ハイドの顔は整っていて、見ていて飽きない部類の顔だろう。あれだ、笑いかけるだけで、大半の女の子がきゃあきゃあと盛り上がるような顔だ。しかし、その顔で自慢気にされると少しムカつく。

 …仕方ない。


「やるじゃん、ハイド。」


「っしゃ、どう、もっと色々聞いてくれてもいいんですよ?例えばスターチスには色ごとにも…、」


 ハイドは満足げに笑って花について語り始めようとしていたので、華麗にスルーを決めた。  


「館の案内をお願いします。」


「了解しました。」


 シレネはおでこに手をかざして、広間の方に着いてきてくださいと言って、ゆっくり歩き始めた。


「ねぇえ、俺の話を聞いてよ!」


 後ろで何かが叫んでいる。 

 振り向かないようにしよう。

 ただ、少し興味があったことは認める。今聞くと話が長くなるというだけだ。後で話の続きを頼んでみるのも良いかもしれない。

 幻影郭の内装は外の爽やかさのある建物とは裏腹に、明かりがついていなければ相当に暗い。


「シレネちゃーん、終わったのね。お帰り!」


 階段を上がったところで、テンションの高い声が上から聞こえた。若い綺麗な女の人がシレネと話し始めた。


「うわぁー新人ちゃん来たの!」


 こちらを目にすると女の人が笑顔で目の前へ飛んできた。


「あえっと、ランジアで……、」


「もう知ってるから大丈夫!二人ともまだ小さくって可愛いぃー!」


 ハイドと顔を見合わせて自己紹介をしようとすると、遮られてしまい、次の言葉を発する間もなく腕の中に抱かれる。


「べ、別に小さくはないですよ!ほら、俺は背ぇ高い方だし、うわ!」


「わ、私もっ、平均ぐらいですよ。」


 知らない人に急にくっつかれて身体が硬直する。

 一方のハイドは女の人の腕を華麗に避けた。よって、私だけが迫ってくる大きな胸の犠牲になった。


「んゔー…。」

 自身にはないものを感じるとこんなに虚しくなるものなんだなぁ…、としみじみする。まぁ、私だってまだ伸びしろ、いや膨らみしろがあるし。

 なんだか勢いのある人だが、上手くやっていけそうな気がする。


「二人とも後ろのとんがりさんよりはまだまだよ。まだ成長盛りだからね。」


「おいデファレ、ここらで辞めておけ。」


 ふと上を見ると、背の高い男の人が私たちを見下ろしていた。驚きで身体がびくりと揺れた。幸い声は出なかった。

 何故か異様に頭がとがっている。魔女の帽子を誇張したような…。上に伸びたウンコにも見える。そういう髪型なのかな?


「だってネリネぇー!!」


 首根っこを掴まれて、私たちから引き剥がされる女性。

  後でゆっくり話したときに聞いたのだが、二人の名前は、女性はデファレ・ロヒーム、男性はネリネ・アマリスというらしい。逆にした方が響き的には二人の容姿と名前が合っている気がした。


「とんがりさん…?」


 ハイドが、首をかしげて呟く。


「あ、それね!こいつの頭めっちゃとんがってるから皆とんがりさんって呼んでるの。ね、シレネ?」


「そうですねぇ。ふふ、とんがりさん。」


 ネリネの幻影郭での立場が今の一瞬でわかった気がした。

 女性陣がネリネをからかう一方、ネリネは少し頬を染めて照れくさがりながらも満更でもなさそうだ。

 自分で気に入って、魔女帽子がふと髪の毛になってしまったような髪型にしているのだろう。毎朝セットに何時間かかっているのか気になる。


「そうなんですね。じゃあ、とんがりさん!俺もとんがりさんって呼んで良いですか。」


 許可とる前から呼んでるじゃねぇか。


 「あぁ、良いよ。ランジアさんもどう?」


 いいんかい。そして、私にも勧めてくるんかい。


 「あ、じゃ…じゃあ、とんがりさんで。その髪、イカしてますねっ!」


 「ありがとう!」


 空気を読んでぎこちなく口にした言葉であったのだが、ネリネ…とんがりさんは嬉しそうにしていた。

 ちなみに後で私が暮らすことになる部屋には案内されたのだが、ハイドの部屋が左隣、とんがりさんとデファレの部屋は空いている一部屋を挟んで、右隣にあった。

 夢創造人の先輩である二人は恋人同士なのだそうだ。そのため、申請して同部屋にしてもらったとのこと。

 それとあともう一人、超ベテランの先輩がいるらしい。今は新しい同居人が来ることに興奮しすぎて、腰を壊して部屋で呻いているそうだ。


 「面白い人いっぱいいるんだな。ね、ランジア。」


 仕事場という名の夢創造人が神への対価として夢を創る場所へ案内されている途中、隣を歩くハイドが私の目を覗きこんで話しかけてきた。


 「そうだねぇ。ハイドも面白いし。」


 「え、何処が?」


 「そういうところ。」


 ハイドがイイヤツなこととか、シレネさんが優しいお姉さんなこととか、今日一日関わってみて新たにわかったことはたくさんある。

 聖職者に良いイメージは全然なかったけど、夢創造人は何か違うのかもしれない。 


 「着きましたよ、二人とも。ここが、夢創造人の仕事場です。」


 ほんの少しだけ他より装飾が豪華で重たい、漆喰の塗られた扉を開けると、眩い光とともに大きな空間の全貌が見えてきた。それと同時に、甘い匂いが鼻を突く。

 匂いは壁に掛けてあるスターチスのドライフラワーから漂ってきている。こんなに匂いが強いものなのかぁと、匂いを嗅ぎながら思った。

 大きな空間は三階に分かれていた。

 螺旋階段を上るほどに、二階、三階へと続く空間は徐々に幅を細める。空に向かって吹き抜けの空洞が大きく開き、視線を上へと誘う。吐息が吸い込まれそうなほどの高さへ延びる天井には、荘厳なステンドグラスが嵌め込まれていた。

 そこに描かれているのは、祈りを捧げる金髪の少女。柔らかな曲線で形作られた柳の木の枝が、彼女の背後でそよぐように広がり、淡い緑や金色のガラス片が織りなす光の葉を生んでいる。少女の伏せられた睫毛の影、祈りを捧げる指先のわずかな震えまで、繊細な色彩とガラスの継ぎ目が巧みに表現していた。

 夕刻になって、外の空を染め上げる茜色の光がステンドグラスを透過し、内部の吹き抜けを幻想的な光で満たす。赤や金、翡翠色の輝きが空間に散り、階段の手すりや床に揺らめく影を落とす。その光は、まるで天から降り注ぐ祝福のように澄んでいて、一瞬息をするのも忘れてしまうほど神々しく感じられた。

 昼にここに来たらステンドグラスが昼間の白色光を透過して、また違った趣を楽しめるだろう。

 幻影郭に来た時点で日は傾きかけていた。 

 今は宵の時間だ。


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