16 大聖堂裏の揺らぎの穴

 大聖堂の裏口を押し開けた瞬間、館内のひんやりとした空気がヒースの顔を撫(な)でた。


 壁や天井の絵画や、柱に施(ほどこ)された美しい彫刻には目もくれず、終焉葬(アポカリプス)の後を追った。礼拝堂を抜け、突き当りの部屋まで来ても誰もいなかった。奥の扉を開けると外につながる。数メートル先に神殿らしき建物があり、そこへ繋(つな)がる幅(はば)数メートルの広い通路の両側には等間隔に常緑樹が植えられていた。


 木々の隙間から差し込む光がまだ低い角度で揺れている。ヒースは当たりを見まわしたが、終焉葬(アポカリプス)の姿はもう見えない。


 ――確かに、こっちへ逃げ込んだはずだが。


 奥の神殿とゆっくり歩きだす。その時だった。ふいに脳の奥に黒いものがまとわりつく感覚が走る。ヒースの足元に、本来の自然光とは別の、濃い影が重なっていたが気づいていなかった。ふっと、映像が蘇(よみがえ)る……。


 木々の空間に揺らぐ、腰の高さに位置する透明な丸い歪(ゆが)み。その前に立つミツヤの背中――。

 振り返ることもなく、ミツヤはその穴へ歩いていく。ヒースはその背中を呼び止めようとするが声が出ない。手も動かない。ただ見ていることしかできない。


 ミツヤは両手を入れると身を乗り出し、頭から穴へ入っていった。ゆっくりと体が透明な色へ飲み込まれていく。

 最後に見えたのは、ためらいのない背中だった。


 ――そして、ミツヤは消えた。

 

「いいねぇ、その顔。俺の見せる恐怖はなァ、一度植えつけられると真実だと信じ込むんだ」


 通路右側の植樹(しょくじゅ)の陰から、腕組みしてヒースの横顔を眺める終焉葬(アポカリプス)があった。彼の呟きは、ヒースには届いていない。


 ――もしミッチーが、俺を置いて帰ったら――?


 ふいにヒースの視界が現実へ戻り、気づけば神殿へ繋がる通路の真ん中に突っ立っていた。


「……ハッ」


 ようやく現実へと引き戻された。さっきの映像はあまりにも鮮明で、ヒースはその恐怖から逃(のが)れようと頭を何度も左右に振った。あれはただの幻覚だと分かっている。分かっているのに、頭の奥にこびりつく恐怖の残滓(ざんし)が消えない。


 その時、通路横の木と木の間に人影が見えた。


「……圭吾(けいご)?」


 ヒースが呼ぶと、圭吾はゆっくり振り向いた。行き倒れだった自分を助けた後、ミツヤと共に忽然(こつぜん)と姿を消したことなど、まるで問題でもないかのような平然とした顔だった。


「ヒース君、ですね」

「お前、ここで何してる……ミッチーはどこだ!?」


 ヒースの声には、明確に警戒の色が混じっていた。だが圭吾は慌てる様子もなく視線を左へ流して淡々と告げる。


「ミツヤ君なら……もう帰ったよ」

「帰った?」

「ここだよ」


 圭吾は何もない空間へ指をさすが、ただ木と木の間の空間が広がっているだけでヒースには見えない。


「どこだ?」

「君には見えないだけさ。ここに僕が使った穴がある。ミツヤと同じ世界に繋がる……揺らぎの穴だ」


 あまりにも平然とした説明にヒースの眉が深く寄る。


「ここを通ると東京に戻る。ミツヤから聞いたよ、君も僕らと同じ世界から来てたんだろ?」

「そうだ。だが揺らぎの穴は……そこを通ってきた者にしか見えないって聞いた。俺には見えないが本当にあるのか?」

 

 ヒースの問に圭吾は一度だけ頷(うなず)き、続けた。


「――ミツヤからの伝言だ。『今までありがとう。でも絶対に追うな』って」

「そんな……たったそれだけかよ」


 ミツヤが、何も言わず一人で元の世界へ帰るはずがない――そう信じていた。だが同時に、バルティエ広場で見た光景が脳裏をよぎる。あの時、ミツヤは確かに揺らぐ穴の中へ消えていった。その記憶が、今また恐怖となって胸を締めつけ、今も繰り返し襲っているのだ。


 ――ヒースは何もない空間を見つめたまま、力なく呟く。


「ミッチー……本当に帰っちまったのかよ……」


 圭吾は何も言わなかった。


 ヒースの視線は、なおも空虚な空間に固定されたままだ。ほんの数分前、終焉葬(アポカリプス)の植えつけた恐怖がまさに今この瞬間、効果を発揮していた。


(……いや、アイツには何か考えがあるはずだ。「追うな」だと――? ふざけんなよミッチー、ちゃんと話聞かせろ……!)


 決意したかのように、ヒースは拳を握りしめる。


「圭吾。俺はアイツの口から自分の考えを聞くまで、誰も信用しねぇ」


 すると圭吾はポケットを探り、小さな紙をヒースへ差し出す。


「……そうか。なら、せめてこれを持っていくといい」


 差し出された紙には、見慣れない文字が並んでいる。


「ミツヤの家の住所だ」


 ヒースは思わず顔を上げた。


「お前、どうしてそれを」

「ここを通過すると出る場所は僕の大学の研究室――東京なんだ。そこからこの住所を人に見せれば、いつか辿り着ける。だいぶ遠いけどね」


 と言って軽く肩をすくめる。


「僕は大教皇様と最後の仕事がある。それが終われば僕も日本へ帰るつもりさ。ミツヤとはそこで会う約束をしたからね。前に聞いてメモしてたんだ」


 ヒースは紙を見つめた。そこには日本語で書かれた文字があったが、この世界の人間には読めない。ヒースはしばらく考えていたが、ゆっくりと森の奥へ視線を戻す。


「揺らぎの穴は……どこだ?」


 圭吾が再び指さす。


「そこだよ」


 ヒースはゆっくり歩き出した。草を踏みしめながら近づいていく。やはり何も見えなかったが恐る恐る手を伸ばす。すると、指先がそこに触れた瞬間――手首から先がすっと消えたのだ。


「……!」


 ヒースは息を呑む。肘(ひじ)の先までが透明になり見えなくなった。腰の高さの位置に、直径70センチほどの丸い空間があった。周囲の景色に溶け込みながら、そこだけ空気がゆらゆら揺れている。


「ここを通ればミッチーのいるところまで行けるのか……」


 そしてメモを握り直した。

 そこから先、ヒースは躊躇(ためら)わなかった。ついにその揺らぐ穴へ身体を滑り込ませる。

 透明の空間が腕を、肩を、頭を飲み込む。最後に足が消えた。


 森には再び静寂(せいじゃく)だけが残る。




 圭吾はしばらくその空間を見つめていたが、やがて口元をわずかに歪(ゆが)めた。


「……やるじゃん終焉葬(アポカリプス)。全部君の筋書きどおりだ。まぁ、僕が先に片翼(かたよく)をもいでおいたおかげでもあるけどね」


 すると圭吾の隣に人影がスッと現れた。


「恐(こえ)ぇ演技力だぜ。苦衷葬(トリブラ)、お前とは一生仲良くできそうもねぇな」


 終焉葬(アポカリプス)が、圭吾のすぐそばの木の陰に腕組みをして立っていた。


「僕は誰も信用しない。最初から誰とも馴れ合う気はないよ」


 と、言った彼の目は何かへの怒りを感じさせる色をしていた。


「『火焔(かえん)のヒース』はもう消えたし『雷撃(らいげき)のミツヤ』はこっちの手の中だ。これで『青い疾風(ブルーゲイル)』も終わりだな」

「そうだね、元々イントルのヒースはもう異世界(こっち)へは帰って来られない。だって万が一にも再び戻ろうものなら――――だろ……?」


 その声は、まるで待ち望むかのようだった。


 ◆


 大聖堂の内部。石の回廊に重い足音が響く。

 背と腹にダメージを負ったアラミスは壁に手をつきながら歩いていた。


「ヒース――ウッ!」


 静まり返った早朝の大聖堂にジェシカの叫び声。しかし返事はない。礼拝堂の扉が半開きのまま揺れている。アラミスはギリッと奥歯を鳴らした。


「……クソッ、あいつどこへ行った……」


 ジェシカが不安そうに辺りを見回す。

 壁や天井には絵画が描かれ、美しい彫刻を施された石柱が立っている。中央のドーム状になった天井の窓からは朝陽が差し込み、磨かれた石床に朝の光を落としていた。しかしそれらがいくら美しくとも、2人の目には留まらない。静まり返った大聖堂にヒースを呼ぶ声だけが虚(むな)しく響き渡る。


 しかし、ヒースの姿はどこにもなかった――――。




 ***《次回予告》***


ジェシカ:ね、アラミス。ヒースがどこにもいないわ。

アラミス:あいつほんと一人で勝手に行動するからな。今度会ったらガツンと言ってやらんとな。

ジェシカ:ミッチーもいないし。なんだか心細くなってきた。

アラミス:大丈夫、俺がついてる!

ジェシカ:(あーそれ、一番不安なのよ……)でも、なんだか1人ずつ切り離されてる気がしない?

アラミス:確かに妙だ。でも俺とジェシーちゃんはどこまでも一緒だ!

ジェシカ:(前言撤回。誰か切り離して!)次回第4章、第1話。「ミッチーの家まで800キロ」。みんな見てね!

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