16 大聖堂裏の揺らぎの穴
大聖堂の裏口を押し開けた瞬間、館内のひんやりとした空気がヒースの顔を
壁や天井の絵画や、柱に
木々の隙間から差し込む光がまだ低い角度で揺れている。ヒースは当たりを見まわしたが、
――確かに、こっちへ逃げ込んだはずだが。
奥の神殿とゆっくり歩きだす。その時だった。ふいに脳の奥に黒いものがまとわりつく感覚が走る。ヒースの足元に、本来の自然光とは別の、濃い影が重なっていたが気づいていなかった。ふっと、映像が
木々の空間に揺らぐ、腰の高さに位置する透明な丸い
振り返ることもなく、ミツヤはその穴へ歩いていく。ヒースはその背中を呼び止めようとするが声が出ない。手も動かない。ただ見ていることしかできない。
ミツヤは両手を入れると身を乗り出し、頭から穴へ入っていった。ゆっくりと体が透明な色へ飲み込まれていく。
最後に見えたのは、ためらいのない背中だった。
――そして、ミツヤは消えた。
「いいねぇ、その顔。俺の見せる恐怖はなァ、一度植えつけられると真実だと信じ込むんだ」
通路右側の
――もしミッチーが、俺を置いて帰ったら――?
ふいにヒースの視界が現実へ戻り、気づけば神殿へ繋がる通路の真ん中に突っ立っていた。
「……ハッ」
ようやく現実へと引き戻された。さっきの映像はあまりにも鮮明で、ヒースはその恐怖から
その時、通路横の木と木の間に人影が見えた。
「……
ヒースが呼ぶと、圭吾はゆっくり振り向いた。行き倒れだった自分を助けた後、ミツヤと共に
「ヒース君、ですね」
「お前、ここで何してる……ミッチーはどこだ!?」
ヒースの声には、明確に警戒の色が混じっていた。だが圭吾は慌てる様子もなく視線を左へ流して淡々と告げる。
「ミツヤ君なら……もう帰ったよ」
「帰った?」
「ここだよ」
圭吾は何もない空間へ指をさすが、ただ木と木の間の空間が広がっているだけでヒースには見えない。
「どこだ?」
「君には見えないだけさ。ここに僕が使った穴がある。ミツヤと同じ世界に繋がる……揺らぎの穴だ」
あまりにも平然とした説明にヒースの眉が深く寄る。
「ここを通ると東京に戻る。ミツヤから聞いたよ、君も僕らと同じ世界から来てたんだろ?」
「そうだ。だが揺らぎの穴は……そこを通ってきた者にしか見えないって聞いた。俺には見えないが本当にあるのか?」
ヒースの問に圭吾は一度だけ
「――ミツヤからの伝言だ。『今までありがとう。でも絶対に追うな』って」
「そんな……たったそれだけかよ」
ミツヤが、何も言わず一人で元の世界へ帰るはずがない――そう信じていた。だが同時に、バルティエ広場で見た光景が脳裏をよぎる。あの時、ミツヤは確かに揺らぐ穴の中へ消えていった。その記憶が、今また恐怖となって胸を締めつけ、今も繰り返し襲っているのだ。
――ヒースは何もない空間を見つめたまま、力なく呟く。
「ミッチー……本当に帰っちまったのかよ……」
圭吾は何も言わなかった。
ヒースの視線は、なおも空虚な空間に固定されたままだ。ほんの数分前、
(……いや、アイツには何か考えがあるはずだ。「追うな」だと――? ふざけんなよミッチー、ちゃんと話聞かせろ……!)
決意したかのように、ヒースは拳を握りしめる。
「圭吾。俺はアイツの口から自分の考えを聞くまで、誰も信用しねぇ」
すると圭吾はポケットを探り、小さな紙をヒースへ差し出す。
「……そうか。なら、せめてこれを持っていくといい」
差し出された紙には、見慣れない文字が並んでいる。
「ミツヤの家の住所だ」
ヒースは思わず顔を上げた。
「お前、どうしてそれを」
「ここを通過すると出る場所は僕の大学の研究室――東京なんだ。そこからこの住所を人に見せれば、いつか辿り着ける。だいぶ遠いけどね」
と言って軽く肩をすくめる。
「僕は大教皇様と最後の仕事がある。それが終われば僕も日本へ帰るつもりさ。ミツヤとはそこで会う約束をしたからね。前に聞いてメモしてたんだ」
ヒースは紙を見つめた。そこには日本語で書かれた文字があったが、この世界の人間には読めない。ヒースはしばらく考えていたが、ゆっくりと森の奥へ視線を戻す。
「揺らぎの穴は……どこだ?」
圭吾が再び指さす。
「そこだよ」
ヒースはゆっくり歩き出した。草を踏みしめながら近づいていく。やはり何も見えなかったが恐る恐る手を伸ばす。すると、指先がそこに触れた瞬間――手首から先がすっと消えたのだ。
「……!」
ヒースは息を呑む。
「ここを通ればミッチーのいるところまで行けるのか……」
そしてメモを握り直した。
そこから先、ヒースは
透明の空間が腕を、肩を、頭を飲み込む。最後に足が消えた。
森には再び
圭吾はしばらくその空間を見つめていたが、やがて口元をわずかに
「……やるじゃん
すると圭吾の隣に人影がスッと現れた。
「
「僕は誰も信用しない。最初から誰とも馴れ合う気はないよ」
と、言った彼の目は何かへの怒りを感じさせる色をしていた。
「『
「そうだね、元々イントルのヒースはもう
その声は、まるで待ち望むかのようだった。
◆
大聖堂の内部。石の回廊に重い足音が響く。
背と腹にダメージを負ったアラミスは壁に手をつきながら歩いていた。
「ヒース――ウッ!」
静まり返った早朝の大聖堂にジェシカの叫び声。しかし返事はない。礼拝堂の扉が半開きのまま揺れている。アラミスはギリッと奥歯を鳴らした。
「……クソッ、あいつどこへ行った……」
ジェシカが不安そうに辺りを見回す。
壁や天井には絵画が描かれ、美しい彫刻を施された石柱が立っている。中央のドーム状になった天井の窓からは朝陽が差し込み、磨かれた石床に朝の光を落としていた。しかしそれらがいくら美しくとも、2人の目には留まらない。静まり返った大聖堂にヒースを呼ぶ声だけが
しかし、ヒースの姿はどこにもなかった――――。
***《次回予告》***
ジェシカ:ね、アラミス。ヒースがどこにもいないわ。
アラミス:あいつほんと一人で勝手に行動するからな。今度会ったらガツンと言ってやらんとな。
ジェシカ:ミッチーもいないし。なんだか心細くなってきた。
アラミス:大丈夫、俺がついてる!
ジェシカ:(あーそれ、一番不安なのよ……)でも、なんだか1人ずつ切り離されてる気がしない?
アラミス:確かに妙だ。でも俺とジェシーちゃんはどこまでも一緒だ!
ジェシカ:(前言撤回。誰か切り離して!)次回第4章、第1話。「ミッチーの家まで800キロ」。みんな見てね!
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