第3章 ねじれた想い

11. 眠らない怪異

 河江ベンチャーキャピタルでの出来事から、早二ヶ月が経過した。

 祓いを行った夜以降、オフィスで怪奇現象が発生することはなくなったという。

 河江からは約束通り、今回の祓いにおける報酬がすぐさま入金された。河江は善興と詩鶴の業務上での活躍や、その場で祓いを目の当たりにしたこともあり、加殿家のことをかなり気に入ったらしく、報酬にも色をつけて、善興が提示した金額以上の額を支払ってきた。

 通帳で入金額を確認した寿之や芳美は思わず目を丸くし、さすがは天下の投資会社だとお祭り騒ぎの様子だった。それを清隆が窘めている光景も、いつも通りではあった。

          

 善興は神職用の白衣に身を包み、神社の本殿の真ん中に大の字で横になっていた。

 天井の木目を眺めながら目を閉じる。静かな境内には、木々を揺らす風の音だけが聞こえていた。

 ふと、辺りが暗くなった。

 目を開けると、巫女装束の詩鶴が憮然ぶぜんとした表情で善興を見下ろしていた。

「善興様、少しはやる気を出していただかないと困ります」

 詩鶴の声には呆れが滲んでいた。

「ここ最近、祓い関係の依頼はないとはいえ、参拝された方への御祈祷や、来月の祭事の段取りなど、本来やることはたくさんあるのですから」

 善興は少し眠そうに目を擦ると、勢いをつけて半身を起こした。

「いや、この間の河江さんとこの一件が思ったより尾を引いててね。あそこまでギリギリだったのも初めてだったからさ」

「まだおっしゃいますか?」

 詩鶴は眉をひそめた。

「あれからもう随分と時間が経ったではありませんか。今後はこれ以上があるかもしれませんし、あの程度で音を上げてどうします。あの程度で……」

 ふと、詩鶴の言葉が途切れた。

 善興は不思議そうに詩鶴の顔を覗き込んだ。

「善興様、あの祓いですが……」

 詩鶴は善興の側に正座し、自身の顎に手を当てた。

「やはり私はどうにも腑に落ちません」

「なにが? ちゃんと祓えたじゃない。実際、あれ以来あそこで怪異報告はないわけだし」

「あの場にいた霊は、それまでの調査では確認できていませんでした」

 詩鶴の声は真剣だった。

「あの土地に根付く火災絡みの地縛霊だと思いますが、なぜあそこに至るまでに、私が何の気配も感知できなかったのか」

「秘書業務なんてやってたから、勘が鈍ってたんじゃない?」

 詩鶴は善興のふともものあたりをパシッと叩いた。

「痛っ!」

 善興は声を上げてふとももをさする。

「見くびらないでいただきたい。少し生活リズムが変わったくらいで勘は鈍りませんよ」

 詩鶴は表情を引き締めた。

「それに紺野さんが目撃したという、全身がねじれていて顔面も崩れたような女の霊は、あそこにはいませんでした」

「ほんとに? 暗かったから霊の容姿までは確認できなかったけど、実際はあの場にいたんじゃないの?」

「話に聞いた霊の形状からして火災絡みではありませんし、強い怨念や由来があるのは間違いなさそうでした」

 詩鶴は首を横に振った。

「よって、仮にその場にいたとしても、あそこまであっさりと祓えたのがおかしいのです」

 善興は体勢を変え、あぐらをかき、片肘を膝にかけて頬杖をついた。

「つまり、あの怪異はまだ終わってないって言いたいのか?」

 詩鶴は真剣な眼差しで善興を見つめると、力強く頷いた。

 善興が息を飲んだそのとき、外からドタドタと慌ただしい足音が聞こえた。

 寿之が焦ったような顔をしながら、本殿に飛び込んできた。

「おい善興、これ見てくれよ!」

 寿之は息を切らしながら叫んだ。

「この間の河江ベンチャーキャピタルのことがニュースになってるぞ」

 そう言って寿之は、手に持ったスマホの画面を善興にぐっと押し付けた。詩鶴もそれを横から覗き込む。

 画面にはニュースを読む女性キャスターが映っていた。

『国内大手ベンチャー投資会社である、河江ベンチャーキャピタル株式会社に脱税の疑いがあるとして、東京国税局が税務調査に入っていたことが関係者への取材でわかりました』

 善興は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに「ついに入られたか」と納得した顔で腕を組んだ。

 画面には品川KWビルディングの外観が大きく映し出されている。

『河江ベンチャーキャピタルはすでに修正申告を行い、追徴分を全額納付したとし、現時点では刑事告発には至っていません。代表取締役を務める河江彰氏は「税務当局のご指摘を真摯に受け止め、現在適切に対応しております」とコメントしました。さらに、「詳細については、現在捜査中のため回答は差し控えます」としています』

 詩鶴が少し複雑そうな表情で善興の顔を見た。

「まあ実際に帳簿見たけど、ちょくちょく怪しい項目はあったからね」

 善興は肩をすくめた。

「それにしたってここまで出るとは、よっぽど優秀な調査官が入ったんだな」

 善興が感心して頷いていると、寿之は首を振りながらスマホの画面を指差した。

「そこはいいんだよ。肝心なのはこの後だよ、この後!」

 強めに言う寿之に促され、善興は改めて画面を注視した。

『一方、河江ベンチャーキャピタルの経理担当役員が先月、都内で死亡していたこともわかりました。警視庁が詳しい経緯を調べていますが、事件か事故かは現時点では明らかになっていません。税務調査との関連についても、今のところ明確な因果関係は確認されていないということです。税務当局は、引き続き申告漏れの内容や経緯についてさらに調査を進める方針です』

 善興と詩鶴は、驚いて顔を見合わせた。

「この経理担当役員って……小野さんのことですよね?」

「僕の記憶が正しければ、彼以外に経理担当役員と呼ばれていた人はいなかったと思うな」

 寿之はスマホを切って白衣の懐に差し込むと、腕を組んだ。

「これあれか? 実はあの会社にはもっと重大な秘密があって、それが露見するのを恐れて、担当者自ら命を絶ったパターンか?」

 善興はゆっくり立ち上がると、本殿の入り口まで歩き、少し考えてから振り返った。

「いや、僕はむしろ逆だと思うな」

 善興は腕を組んだ。

「少しの間一緒に仕事してたけど、彼はとても優秀な経理担当者だったよ。多分もう少し時間をかければ、そもそも脱税の発覚自体がなかったんじゃないかな。それこそ祓いをする直前に小野さんは河江さんと、まさにこの税務調査への対策を話し合おうとしていたからね」

 善興は視線を落とした。

「ま、実際に黒い部分を担っていたのは間違いないだろうけど、今更こんなことで自殺なんてするだろうか?」

「確かにニュースでは、自ら命を絶ったと断言していたわけではありませんでしたからね」

 詩鶴も立ち上がった。

「いずれにしても邪推になってしまいますし、私たちにはあまり関係ない話かもしれません。私たちは私たちの仕事に戻りましょう」

 詩鶴はそのまま善興を追い越し、本殿から出ていった。

 寿之もそれに続いたが、善興の横でぴたりと足を止めた。

「まあ、それくらいウチの帳簿もしっかり見てくれると、俺も仕事が楽なんだけどな」

 善興は寿之から目を逸らし、口笛を吹きながら本殿から出ていった。

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