廻る刻の河

@mochimaruKA

第一章 閉ざされた河

第1話

 ローカル線鈍行列車のシートに、今日何度目かの違和感を覚えて座り直す。座り直したからといって、窓の外を進行方向と反対側へ流れていく景色にはもちろん特に何の変化もない。とはいえ、別に何かを期待して窓の外を眺めているわけではなかった。ただ持ってきた読み古しの文庫本の活字が鹿尾菜のようにページの上をのたうちまわり始めたあたりで、鹿尾菜の群れを視界に入れるのをやめただけだ。つまるところ、僕は電車酔いを始めていたのかもしれない。

 家の最寄り駅から電車を乗り継ぐこと3回。近所の自販機で買ったペットボトルを傾けても、かつて麦茶だったと思われる生ぬるい雫がかろうじて喉に湿り気を与えてくれるだけで、渇きと気だるさが癒されることはなかった。頭上では時代錯誤な扇風機が、からからと軋むような金属音とともに気休め程度の微風をそこら中に振りまくべく奮闘している。冷房車の名が泣きそうだ。

 田舎とは聞いていたけど、これはさすがに遠いよ、沙耶。

 僕はこの場にいない友人の顔を思い浮かべながら恨み言を発してみた。路線図を見ると、まだ5駅もある。


 僕は白瀬悠しらせゆう。大学3回生だ。名前を聞けばどこかで聞いたことがあるかどうか、かなり微妙なラインの知名度の大学の文系学部に通っている。大学3回生の夏ともなると、真面目な学生はやれインターンシップだ卒論の準備だと活発に行動を始めるのかもしれないが、無論全ての学生がそうであるはずもない。なんとか前期の単位を目標数確保し、バイトに明け暮れてみたり、夏を満喫すべく海だ川だ心霊スポットだとあちこち遊び回る者もいる。いうまでもなく後者に分類される僕だったが、8月も初旬を過ぎ、さあ盆を迎えようかという折、ふと脳裏にゼミの課題の存在が呼び起こされ、呑気な夏休みの空気を一変させた。

 民俗学ゼミの課題‥曲者だ。『地域に伝わる伝承を1つ選び、フィールドワークなどを通じてレポートにし、提出すること』。目の奥が笑っているのか笑っていないのかよく分からない、初老の眼鏡の助教授の顔が浮かぶ。これをすっぽかしたらたぶんゼミは追放だな‥


 翌日朝から、僕は大学の図書館に入り浸り書架とPCコーナーを忙しく行ったり来たりしていた。傍から見れば働き蟻のようだっただろう。最初は威勢よく書架を調べていた僕だったが、だんだんとページを繰るのに飽きてきたというのもあり、途中から目に見えてPCコーナーに滞在する時間が長くなっていた。百科事典サービスのめぼしい記事を見つけてはコピペし、しまいにはネットニュースで全く興味のない芸能人同士の熱愛報道までうっかりクリックして眺めるという無為の時間すら生まれ始めたあたりだった。

「おっ、白瀬じゃん!あんたが夏休みに図書館とは珍しいね」

 僕の肩をぽんと叩いたのは同じゼミ所属の川名沙耶かわなさやだった。1回生のときに同じ専攻の課題グループワークで同じ班になって以来の友人だ。いつもどおりボーイッシュな出で立ちで、小脇にはノートと本2冊を抱えている。

「図書館では静かにしてくれたまえ。僕はいま民俗学ゼミの夏課題で忙しいのだ」

「何その口調、気持ち悪っ!あーゼミの課題ねぇ。おっ、もう結構書いてんじゃん!どれどれ‥」

「おい、見るなよ」

「‥はぁー、呆れた。ほとんどWik◯pediaの丸パクリ、コピペじゃん。あんたこれ、さすがの松本助教授だって怒るよ」

 沙耶は肩をすくめた。

「これはまだプロットさ。第一、これからフィールドワークをして固めるんだから。完成形を見ずして文句を垂れるもんじゃないぜ」

「へぇ。じゃあ白瀬、これから夏休みの間に北海道の利尻島と沖縄県の石垣島でフィールドワークするわけ?あんたの課題のタイトル『利尻アイヌと石垣島のユタ伝説における関連性』ってなってるけど」

 ぐうの音も出ない。沙耶の勝ち誇った顔が不快だ。

「仕方ないね、もしよかったら、私と共同研究ってことにしない?」

「共同研究?」

 思わぬ救済提案に僕は裏返った声で聞き返す。

「そ。私、地元に伝わる伝承をテーマに課題やろうと思うんだけどさ、やっぱり地域が遠いからか、あんまり図書館の資料調べても出てこないんだよね。で、明後日から地元に帰って帰省がてらフィールドワークしようかと思ってるの。一緒にやるつもりがあるなら、両親に相談してうちに泊めてあげるよ」

「えっ、地元に?そんな!いきなりご両親に挨拶だなんて‥」

「バカ!ちげーよ!‥地元の村も人手が足りないから、祭りの準備とかで若い男の人がいるといいって、言われてるからさ!」

 僕の渾身のボケは見事にはね返された。さて、どうしよう。乗るべきか、断るべきか‥正直、課題の当てはないしなぁ。

「分かった。じゃあ1回ご両親に相談してみてくれる?彼氏を紹介したいんだけどって」

「キモっ!やっぱ他の人誘うんでいいですー」

「待った!冗談冗談!」

 そんな言い合いをしているうちに、図書館の職員が来てこっぴどく叱られたのは言うまでもない。


 その夜、沙耶から連絡が来て、両親にも無事に許可を取ったことを知った。僕は外せないバイトのシフトがあったため、沙耶の1日後に向かうことになった。沙耶の実家がある最寄りの駅と、そこまでのルートを控え、出発当日を待った。

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