第2話 志古津島編①
AM9:30
デッキのベンチに腰を下ろし、俺は潮風に顔をしかめながら、ひとつ深く息を吐いた。
(……落ち着け。状況を整理しろ)
さっきまでの混乱が、まだ胸の奥に残っている。
俺は転生した。しかも、昔読んでいた推理漫
『天野テルの事件録』の主人公・天野テルとして。
それまでの「俺」の記憶はちゃんとある。
ブラック企業で残業しまくってた社会人時代も、残業中で意識が途切れたところまで、全部。
だけど、「天野テル」としての高校生活だけは、まるで濃い霧の向こう側だ。
入学してから今までの出来事が、ところどころ抜け落ちている。
(なんで転生したのかも分からないし……この記憶のスカスカ具合も意味不明だよな)
潮の匂いを含んだ風を吸い込み、ゆっくり吐き出す。
(……まあ、現実世界に未練はないけどさ)
会社はブラックだったし、人間関係も最悪。
あの生活に比べたら、どんな世界でもマシだと思う。
(……だからってさ)
俺は思わず空を仰いだ。
(どうせ転生するなら、せめて“流行りの異世界ファンタジー”とかにしてくれよ。剣と魔法で無双とか、聖女に感謝されるルートとか、あるだろ普通)
そんなことを思い、海を眺めているとつい癖でポケットを探ってしまった。その時だった。
「良かったら、いる〜〜?」
すっと俺の視界に差し出されたのは、タバコの箱だった。
振り向くと、日焼け肌の爽やかな青年が立っていた。
「あ、ありがとうございます」
指先が箱に触れかけた瞬間だった。
(やっべぇ!!今の俺、高校生じゃん!!!
何喜んで受け取ろうとしてんだよ!!)
慌てて手を引っ込める。
「! い、いえ!大丈夫です!!」
全力で拒否すると、青年はぽかんとした顔をしたあと笑った。
「そんなに全力で拒否しなくても」
へらっと笑いながらも、どこか観察するような目つきだ。
ちょうどその時だった。
「テル!!何してるのよ!!」
ちょうど、タバコを受け取る場面を見ていたらしい。ユイが息を切らしながら駆け寄ってきた。
その顔には怒りと心配が入り混じっている。
「高校生が、タバコなんて!!」
「ち、違うんだユイ!俺はーー」
「ん?彼、未成年なの?」
青年が不思議そうな表情で首を傾げた。
「もちろん未成年です!!」
ユイがズビシッと指をさす。
青年は「あらら」と笑って後頭部をかく。
「それはすまなかったね。仕草が板についてるから、つい」
少し困ったように、眉を下げる青年。
ユイは、さっきからじっと俺を睨んでいる。
「アンタ……実は隠れて吸ってるんじゃ……」
「吸ってねえから!!」
俺は慌てて否定する。だけど、俺の訴えも虚しくユイは腰に手を当てて怒りの表情を見せている。
そんなやりとりを見たからだろうか。
青年はクスリと笑って俺たちをみている。
「ひゅ〜〜熱いねぇ、お二人さん!!」
「「違います!!!」」
俺とユイが同時に叫ぶと、青年は更に楽しそうに笑った。
ひとしきり笑うと、青年は胸ポケットから名刺を取り出した。
「いや悪い悪い。僕はこういう者でね」
差し出された名刺には
『桐原 悟 フリーライター』
と印字されていた。
「取材でね、志古津島は最近若い子に人気なんだよ。景色もいいし、食も歴史もあってね」
カメラを手に持ち桐原さんは語り始めた。
「ほら、あの子たちも観光らしいよ」
そう船内を指差すと、大学生らしきグループが賑やかにしている姿が見えた。
「確かに、雑誌にもそう書いてあったわ。
志古津島って本州から2時間くらいで来れる島なんだって!」
(何度も来たはずなのに……細かい記憶が霧みたいに曖昧なんだよな)
「ほら、夏は観光でけっこう賑わうって書いてあるわ」
(そうだったっけ……? )
顎に手を当てながらそんなことを考えていると、桐原記者が口を開いた。
「さっきは悪かったし……お詫びに写真撮ってあげるよ。
ほら、並んで並んで」
「えっ……わ、私は別に……」
そう話しつつも満更でもなさそうだ。
ユイは頬を赤らめて俺を見る。
「て、テル……写って“あげなくもない”わ」
そんなユイを見ると思わずこう思ってしまう。
(かわいいな……)
そして、桐原はカメラを構えてニヤリと笑った。
「はい、いいね〜〜。お似合いだよー?」
「「だから違います!!!」」
そして、パシャリとシャッター音が響いた。
* * *
AM11:30
フェリーが島に近づくにつれ、空気が少しひんやりしてきた。
風に揺れている木々、古びた漁港の建物。
どこか“時間が止まった”ような景色。
思わず背筋がぞくりとした。
フェリーを降りると、海風がふわりと頬を撫でた。
鼻の奥に潮の香りが入り込み、どこか懐かしいような気さえする。
「うーんっ、風が気持ちいいわね!」
ユイは大きく背伸びをした。
胸を張り、腕をぐっと伸ばして、眩しいくらいの笑顔を浮かべる。
「久々の旅行って感じするわ。ね、テル!」
「……ああ」
俺は曖昧に返した。嬉しいは嬉しいんだけど。
(気持ちよさより……胸がざわつくんだよ。
ここで事件が起きるって知ってるから)
島を歩くほどに、その違和感は増していく。
漁港の寂れた建物、古い石垣、小さな雑貨屋。
どれも、妙に現実感が薄い。
ユイはそんなこと露知らず、キラキラした目であちこちを見回していた。
「ほら、テル!早く早く!」
「わかったって……」
引っ張られるように歩く。
ああ、ユイは本当に楽しそうだな。
この島に危険が潜んでいるなんて、微塵も思っていない笑顔。
(絶対に……守らないと)
PM0:10
そんな決意とともに、旅館の前へとたどり着く。
「ここね!いい雰囲気じゃない?」
ユイが弾む声で振り返る。
その笑顔は、旅の始まりへの純粋な期待に満ちていた。
俺は……少し息をついた。
(そうだ……原作には“島の事件”はあったけど、
“旅館で起きる事件”の記憶はない。
ここは大丈夫……なはずだ)
ほんの少しだけ、緊張が緩む。
だがーー
建物全体から漂う、湿った木の匂い。
人の気配が薄く、静かすぎる空気。
わずかに歪んだ廊下の影。
(……なんだ、この胸騒ぎ)
記憶になくても、身体だけが警告しているようだった。
そんな不安を振り払うように、玄関の戸がカラリと開いた。
「ようこそ、神村旅館へ。私、ミオっていいます。今日からよろしくお願いします 」
玄関先に立っていた少女は、同年代らしい元気さに溢れていた。
肩までのボブヘアが海風にふわりと揺れ、
太陽の光を吸ったような、健康的な小麦色の肌。
そしてーー何より。
(……でっか)
着物越しでも分かる、しっかり主張のある胸元。形もサイズも……ずるいだろ。
「よろしくね!」
ミオが満面の笑顔で手を差し出す。
(……天使かな?)
思わず口元がゆるんだその時だった。
ゴスッ!みぞおちに衝撃が走った。
「ぐえっ!?」
痛っ、反射で変な声が出てしまった。
思い切り肘を入れてきたのは、もちろんユイだ。
「……テル?」
笑っていない。目が全然笑っていない。
まるでブラックホールだ。
「いやっ、その、ちょっと眩しくて……」
必死に弁明しているが、言葉が続かない。
多分ユイから見たら今の俺は目が泳いでいる。
「ふぅ〜ん。眩しい、ねぇ?」
ユイは腕を組み、じとっ……と俺を睨む。
そんな表情もかわいいと思ってしまう。
(え、嫉妬してんの?
いやでもユイって、原作でもこういう時だけ反応デカいんだよな……)
「し、仕方ないだろ! ミオさんが太陽みたいに輝いているんだからさ……」
「太陽みたい? それって胸の話?」
「なんで分かった!?」
「分かるわよ。あんたの顔に全部書いてあるんだから!」
そう言いながらも、ユイの耳がほんのり赤くなっている。怒ってるけど、やっぱり可愛いな。
そして、ふと思い出した。
(……そういえば“天野テル”も
女の子が好きでちょっとニヤつくキャラだったな。俺、完全に引きずられてる……?)
「えっと……け、喧嘩してるの?」
ミオが不安そうに首をかしげる。
「いや大丈夫!仲良しなんで!」
「仲良くないわよ!!」
俺とユイの声が重なり、ミオがくすっと笑った。
旅館の空気が一気に柔らかくなる
「あ、あとでお茶淹れますから」
そう、ほほえむミオの後ろからーー
「……あんたら、島に来たんだねぇ」
ひょっこり顔を出したのは、おばあちゃんだった。そんなおばあちゃんにミオが慌てて言う。
「おばあちゃん、いきなり出てこないの!」
しかし、おばあちゃんは気にせず語りだした。
「昔はねぇ……今みたいに“志古津島”なんて呼ばれてなかったのさ」
静かに、ゆっくりと、語る。
「“死骨島(しこつじま)”と、そう呼ばれていたんだよ」
空気が、一瞬にして冷えた。
ユイがひぃっと肩を震わせる。
ミオが慌てておばあちゃんの腕を叩く。
「ちょっとお客さんに怖い話やめてって言ってるでしょ!」
おばあちゃんは、ゆっくりと息を吐き、さらに声を低くした。
「……あんたら、知っとるかね。
あの防空壕で消えた命は、今も土に還りきれずにおるんだよ」
ユイがごくりと喉を鳴らす。
「え……還りきれないって、どういう……」
「戦の頃、人が“骨”ばかり残して死んでいったろう?
島ではね、その時の恨みが、夏になるとふっと顔を出すと言われてるんだよ」
おばあちゃんの目が、ほんの一瞬だけ細くなる。
「“死骨の亡霊(しこつのぼうれい)”ってね。
恨みを買った者は……決して許さない。
ヒタ……ヒタ……と足音を立てて、真っ暗な廊下を追ってくるんだよ」
ユイが小さく悲鳴を呑み込む。
「なっ……なんで、そんな……」
「恨みってのはねぇ、生きてる間に晴らせんかったぶん、骨になっても残るのさ。
“なんで自分だけ助かった”とか、
“どうしてあの時見捨てた”とかね。
そういう思いは強いもんだよ。
夏は戦の影が強く出る季節だから、余計にねぇ……」
ミオが青ざめておばあちゃんの腕を引く。
「お、おばあちゃん!その話はもう……!」
「怖かないさ、昔から島にある言い伝えだからねぇ。
ほら、夏の夜に防空壕の近くで“ヒタヒタ”いう足音がするなんて、
島の子なら誰だって知っとるよ」
おばあちゃんは、まるで当たり前のことを語るように微笑む。
「だからね。恨みを買うようなことをした者は……
夏の志古津では気をつけな」
旅館の古い窓が、ガタリ……と鳴った。
ユイは反射的に肩を震わせ、俺の袖をつかんだ。
そのときミオが慌てて笑顔を作る。
「ご、ごめんなさい! ほんとに古い旅館で音がするだけです!
祟りなんてありませんから!!」
(いや……そう言われると逆に怪しいだろ)
胸の奥がざわりと騒ぎ、俺は無意識に拳を握りしめていた。
昼間のはずなのに、背中にじんわり汗が滲む。
「おや、なんの話をしていたんだったかな?
とにかく荷物置いてきな。夕飯までゆっくりしておいで」
おばあちゃんはまるで先ほどの“亡霊”の話など最初からしていなかったかのように、穏やかな笑みを浮かべていた。
だがーー
(……忘れた、なんて顔じゃなかった)
あれは一瞬だけ、
“何かを見た人”の目をしていた。
昼下がりの光が差し込む玄関口なのに、
胸のざわつきは止まらなかった。
ユイが袖をそっと引く。
「……テル? さっきから顔色悪いわよ?」
「なんでもないよ」
自分でも驚くほど声が硬い。
喉の奥で、見えない警鐘が静かに鳴り続けていた。
(始まった……
この島での物語が、確実に動き始めたんだ)
自然と拳に力が入る。
(絶対に……この島では誰も死なせない)
昼間のままなのに、どこか“夜の気配”だけが胸に落ちていく。
そしてその決意とともにーー
志古津島での不穏な旅が、静かに幕を開けた。
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