ちょっと待ってよ汐入
安貴佐和渡 流士
第1話 猫と指輪
「なんでそうなるのかな?」
「仕方ないだろ。ワタシは猫アレルギーなんだから」
「依頼を断ることもできたよね?」
「無論、知っていればそうしたさ。でも、猫アレルギーって気がついたのは依頼を受けた後だったんだよ。クライアントが帰った後、なぜかくしゃみが止まらなくってな。蕁麻疹も出て来た。それでアレルギーに気がついたんだよ」
汐入は全く悪びれも遠慮もせず話す。おおよそ気遣いというものが感じられない。だが、こんなことを言われたら僕は断りにくくなるじゃないか。
僕、能見鷹士は個人事業主としてコンサルタントを生業としている。元は大手シンクタンクで働いていたが、ブラックな企業風土に嫌気がさし、三十路が見え始めた28歳で退職。一念発起し、中小企業に特化した地域密着のビジネスコンサルタントとして起業した。B級グルメ、クラフトビール、映えスポットやパワースポットの開拓、アニメとのコラボや聖地巡礼のツアー、プロモ動画、SNSの活用など、商店街復興、地域活性化の為にあらゆる企画を地域の人と一緒に伴走するのがモットーだ。
そして会話の相手は汐入悠希。亡き父親の残した探偵事務所を継いでいる。たまに今回の様にちゃんと探偵の仕事が舞い込んできているようだ。実を言うと汐入とは中学時代の同級生なのだが、当時はあまり親しくはなかった。女子剣道部にいたかな、ぐらいのうっすらした記憶しかない。高校は別だったが通学の電車が同じだったので話すようになり、それから親しくなった。
今日の夕方、汐入は、僕のコンサル事務所にブラリとやってきた。もう18時過ぎで仕事も終わっているから、特に弊害はないのだが、多くの場合、汐入は面倒な事しか持ってこない。今回もそうだ。
「わかったよ。ま、そんなに大層な案件ではないようだから手を貸そう。ただし、僕はアシスタントだ。指揮及び責任は全て汐入だぞ」
と、こんな感じでいつも巻き込まれてしまう。いや、突っぱねない僕に責任はあるのだけれど。
「もちろん。貴様は大船に乗ったつもりでワタシの指示を遂行してくれればいい。調査は同行する」
やれやれ。何て言い草だ。大船に乗ったつもりってそんな意味だったかな。
「で、猫探しって?具体的には?依頼の詳細を教えてくれないかな」
汐入は「ああ、そうだな」と言って説明を始める。
家出した猫を探して欲しいとの依頼だ。依頼人は小杉武蔵、37歳、男性。情報通信系の会社を経営している。小さいがそこそこ儲けている様だ。家族構成は妻と小学3年生の娘が一人。家で飼っている猫が二日前から帰ってこないらしい。今日で三日目だ。猫は所謂日本猫だ。名はチウネ。娘が杉原千畝の話を学校で聞き、いたく感動した為その名を拝借したとの事だ。知人から赤ちゃんの時に貰い受けて、1年が経つ。
参考資料として提供されたチウネの写真を見る。茶の地に黒の虎縞。キジトラという柄らしい。全体としてはアッシュブラウンのような印象を受ける。眼は白目がグリーンで黒目は黒だ、と汐入は説明した(人間の目の呼び方を当て嵌めると訳がわからないけど)。
「よく見るタイプの猫だね。個体を見分けるのが難しそうだ」
「うむ。そうだね。だがよく見ろ。口元が白いのは見分けるポイントになるぞ。目から頬にかけての黒縞は一筋。額の縞も丁度、川の字のような三本筋が特徴的だ。化学構造のスペクトル的な解析に例えるならば指紋領域と言う奴だな」
後半部分は意味がわからないからいつもの様にスルー。汐入は僕にスルーされた事も意に介さず続ける。
「柄の個性も大事だけど、最大の特徴は首輪だ。なんでも真紅の首輪をしているらしい」
なんだ。早く言ってよね。わかりやすい特徴があるじゃないか。
「うん。わかった。キジトラの柄と赤の首輪ね。チウネの特徴は把握したよ」
指紋領域とやらのくだりは丸っと無視だ。
「どうやって探す?猫を探して街中をブラブラする?」
と質問する。
「うむ。正直、最初はそこからかな、と思っている。ターゲットである猫がよく立ち寄る場所や行動パターンを把握しなくてはならないからな」
「案外、骨が折れそうだね」
「そうだね。でもコソコソ隠れて尾行する必要はないからね。人の行動パターンを把握するよりは楽かもね」
「確かにそうだね」
「でしょ。ま、気楽に街ブラといこう。休憩の喫茶店ぐらいは出してやる。貴様は大船に乗ったつもりでついてくればいい」
うん。汐入、ありがとう。一応、気遣いは伝わって来た。でも、本日二度目だけど、お茶代ぐらいで大船に乗ったつもりって・・・。この言葉、そんな意味だったかな。
◇◇◇
霜月も下旬に差し掛かりようやく涼しくなった街を、猫、猫、猫、チウネ、チウネ、と心の中で呟きながら歩く。頬にあたる空気が少しひんやりとして心地よい。
猫なんてそこら中にいると思っていたけど、こうして意識すると思ったほどにはいないものだ。僕らは、雑草の生い茂る空き地(ついこの間まで残暑だった)、路地裏、いい匂いのする飲食店の周辺、など、いろいろと見て回った。そこにチウネがいれば即、問題解決なのだが、そんな上手い話はない。猫は4匹見かけたが、ブチネコ、茶トラ、ハチワレ、クロ、だった。
休憩のため、喫茶店に立ち寄る。大森珈琲という喫茶店だ。「こんにちは、大森さん」
と僕。続いて
「よ、大森、邪魔するぞ」
とぞんざいな挨拶の汐入。
「能見くん、いらっしゃい。汐入、カウンター使っていいからな。能見くんの接客は任せたぞ」
と大森さん。さっぱりとした醤油顔。緩くパーマをかけたミディアムなツーブロックがよく似合っている。
「ああ、わかった」
と言い汐入はカウンターに入った。
汐入は探偵の仕事がない時、大森珈琲でバイトをしてなんとか凌いでいる(つまりおおよそはここに居る)。汐入にとって大森さんは雇い主の筈なんだけど、無愛想な受け答えだ。大森さんも汐入のキャラはわかっているから、いちいちそんなところに目くじらは立てない。
汐入が水を出してくれた。猫を探して歩き回り乾いた喉を、まず水で潤す。汐入は何も聞かず珈琲豆を取り出し、豆を挽き、ドリップをして、珈琲を淹れている。
「待たせたな。ホットコーヒーだ。今日はブラジルだ」
「ありがとう」
珈琲の良い香りが鼻腔に届く。一口含み、ほっと一息つく。
「汐入、これからどうする?」
「うむ。案外、路地裏とか空き地といったマクロな条件の特定のロケーションというよりは、車の下とかボンネットの上とか、もっとミクロな条件の特定のスポットに絞り込んでターゲットを探した方がいいような気がする」
説明してくれる言葉が難解だが、言わんとしている事はわかる。確かに今日見たネコ達の内、3匹は停車している車の周囲にいた。
「そうなるとクライアントの住所近郊の駐車スペースを巡回する感じになるのかな。どのぐらいのスポット数になるのか見当がつかないな」
「飼い猫の行動範囲はあまり広くないらしいから、先ずは半径200m内のコインパーキングから始めよう」
なるほど、と言って僕はスマホの地図アプリを立ち上げる。近くのコインパーキングを検索しピンを地図上に立たせる。
「だいたい20程度か。多くもなく、少なくもなくって感じだね」
「そうだね。全体を四分割して、扇形のエリアに分ける。その一エリアにつき半日。エリア内は中心から近い順に見る。それでどうだ?」
すぐさま汐入は方針を明確に言語化してくれた。中心から渦巻き状に回る手もあるが、この場合は中心から離れるほど歩く距離が長くなりそうだ。実行するのはちょっとキツいな。
「いいと思うよ。そうしよう。ただ僕も仕事の都合がある。今日の午後と明日の午前は急ぎの仕事を片付けさせて。明日午後、第一エリアを巡回しよう。明後日、土曜に第二、第三エリア。それでも見つからなければ日曜に第四エリアにしよう」
「もちろん、それで構わないよ。恩に着る。少し変則的だが効率化のため、明日は半径50mのエリアを螺旋状に巡回してから第一エリアの扇形を攻めよう。螺旋が黄金螺旋のように美しい曲線を描けばエレガントなのだが、そんな都合よく道路やパーキングはないだろうな・・・」
前半部はわかった。なるほど。ハイブリッド方式か。僕の考えた事も既に汐入は検討済みだったって訳だね。後半は、何を言っているのかわからない。汐入独自の冗談なので放っておこう。
「わかった。そうしよう」
と僕は答える。
翌日午後。スタート地点、つまりはクライアントの住所から最も近いコインパーキングに汐入と来た。ここに猫は一匹。クロだ。外れだ。
さて、ここから時計回りにあと3か所、巡回する。2つ目は車が止まっておらず猫もいない。3つ目も外れ。4つ目は茶トラ。ここから扇形の第一エリアを攻める。渦巻き状、いや螺旋状に回ったエリアの外側、つまり扇形の第一エリアにあるのはあと3つだ。次の本日5つ目は、中心から80mの円周上にあたる。外れだ。次いで中心から120mに位置するパーキング。これも外れ。車はあったが猫はいない。
次に中心から150mに位置するパーキングを目指す。扇形の直線部分の反対側にあたるので200mちょっと歩き、ようやく着いた。
駐車スペースは5台分。6メートル程度の道に面している。車は満車だ。期待に胸を躍らせて車を見回す。ボンネット上に猫がいたが、柄はサバトラだ。
惜しい!いや、チウネではないから全く惜しくはないのだが、柄が近いと何となく惜しい、と思ってしまう。
そして車の下も探してみると、いた!キジトラだ!口は白く、額には川の文字。目から頬にかけて一本の黒柄。それに何と言っても赤色の首輪だ!間違いない!見つけた!
「汐入!見つけたよ!ど、どうしよう」
「何言ってんだ、どうしようじゃないだろ。何のために貴様と手分けせず二人で来てると思ってるんだ。ワタシは猫アレルギーなんだぞ。当然、捕まえるのは貴様の役目だろ」
と言って汐入はマスクを着用する。
「あ、そうか。そうだったね。えっとどうしよう」
「ふふっ。秘密兵器があるのさ」
と汐入はほくそ笑み、得意げにトートバッグから猫じゃらしを取り出す。
「これをネズミのように、止めて、動かして、を繰り返しながら猫を誘き出すんだ」
と言って僕に渡す。
「いいか、ネズミだぞ。チュ~、シャシャシャ、チュ~、シャシャシャ、のリズムだぞ」
とよく分からない指導をしてくれる。
半信半疑ながら
「チウネ~、ネズミだよ~。ほ~ら遊ぼう。チュ~、シャシャシャ、チュ~、シャシャシャ」
と話しかけ、汐入に言われた通りにやってみる。
するとどうだろう、チウネは猫じゃらしに興味を示し、シャシャシャの動きの軌跡を追い、止まってチュ~のタイミングで猫パンチをしてきた!
しばらくそのまま遊んでやり警戒心がなくなったところで撫で撫でする。安心し切ったところで抱っこして、汐入の持ってきたトートバッグに入れ、僕が持った。
汐入が直ぐにクライアントに電話し、家の近所で合流。支払いなどはまた後日と言って、取り急ぎチウネを引き渡した。これで僕は晴れて開放!のはずだったのだが、話はこれで終わりではなかった。
◇◇◇
迷い猫の捜索は、一旦、解決を見た。
だが、チウネを引き渡した1週間後、汐入から
「話があるから休憩がてら喫茶店に来て。奢ってやる」
と連絡があった。
僕は今、大森珈琲でカウンターに座り汐入がコーヒーを淹れるのを待っている。
「コーヒー。今日はハワイコナ。贅沢品だ。心して味わえ」
「ありがと」
コナコーヒーの柔らかな香りが心地よい。僕は心して珈琲に口をつける。
僕が一息ついたのを見計らい汐入が話を始める。
「このあいだ貴様も一緒に、クライアントにターゲットを引き渡したね」
汐入よ、言い方、何とかならんか。確かにその通りだが言葉が無機質なんだよね・・・。汐入が続ける。
「それはそれでいいんだけど、翌日、報酬を支払いに来るついでにもう一つ相談があると言われた」
あ、なんか嫌な予感。また何かに僕を巻き込もうとしているな。
「ふーん。それで?」
と、素っ気ない返事をしてみる。
「それでな、猫の首輪にアクセサリー、ま、聞けば石は入ってないプラチナの指輪らしいんだが、それが付いていなかったかって、聞くんだ。特になかった、猫は確保して直ぐにそのまま引き渡した、と答えると追加の依頼でその指輪を探してくれって頼まれた」
「そっか。指輪、探せばいいじゃん。金属アレルギーはないんでしょ?」
と軽く皮肉を言う。
「ああ。だからこの1週間、探したよ。猫を見つけた近郊で、猫を可愛がりそうな人を探して、その人を捕まえて、聞き込みをして。クライアントは気が気ではないらしく聞き込みに同行したいって言うから仕方なく連れて行った。話を聞く時は余計な圧をかけたくないから離れていてくれって条件はつけたけどね。見ず知らずの男性と街ブラするのは流石にワタシも疲れたよ。常に後ろに人の気配を感じるし。猫アレルギーだから、クライアントが近くにいる時はワタシはマスクを余儀なくさせられるし」
「なーんだ、愚痴かぁ。何かに巻き込まれるのかもって心配して損した」
「ほほう。流石に察しがいいな」
「えっ?」
「話はこれからだ」
マジかぁ・・・。絶句する僕に構わず汐入は続ける。
「猫の首輪についた指輪の行方を追って、猫の目撃者に話しを聞いた。道ゆく猫を分け隔てなく可愛がっている小学生の女の子と、道端で日がなぼんやりと過ごしている老婆だ。でも残念ながら、首輪にアクセサリーが付いていることは確認できなかったよ。いつ見たのかを聞くと、家出をしたその日から既に目撃があった。かなり早い段階で指輪は猫の首から消えていたようだ。方々手を尽くしたが、結局、指輪は見つからなかった。だからこの依頼は聞き込みの日当だけ頂いて終了とさせてもらった」
なんだ?まだ話が見えてこない。
「で、その翌日、つまり今日のことなんだけど午前中に電話があった。明日、妻と事務所に赴くから話を聞いて欲しい、って。さらにはその時に、この間、猫を引き渡した時にいた男性も一緒にいて欲しい、だってさ」
「どういうこと?」
「うん。まぁ概要は聞いたけど説明が面倒なんだよね。明日どうせクライアントの夫人が説明するだろうからその時に聞いてくれ。とりあえず、明日15時に事務所に来てね。よろしくな!」
あ、やられた。断る余地を与えず外堀を埋めてきたな。いつもながらハッキリと断らないのが悪いのだけれど。仕方ない。明日、話を聞いて全てをクリアにしよう。
そして翌日。僕と汐入は隣に並び、テーブルを挟んだその前には小杉夫妻が座っている。
夫人が開口一番、
「この写真を説明して頂戴!」
とテーブルに叩きつけた手のひらの下には数枚の写真。見るとマスクをした汐入と小杉氏が並んで歩いている。
「ご丁寧にマスクで変装までして。でもそんな変装なんて意味ないわ。明らかにアナタよね!」
と汐入を睨み声を張り上げる。
すぐさま動揺した口調で小杉氏が答える。
「いや、違うんだ。この探偵さんとはそんな関係じゃない。依頼の対応を一緒にしていただけだ」
「依頼って?チウネはもう見つかっていたじゃない。この写真はチウネが見つかった後のものよ」
「いや、まあ、その・・・。指輪を・・・」
「指輪って、貴方、指輪してないじゃない。この女と会う為に指輪外してたんでしょ?知ってるわ、私。前から貴方が指輪を外してよく出掛けているの。だからこの一週間、貴方を尾けていたのよ。そしたらこの女とデートしているのを目撃したってわけ!さあ、説明して頂戴!」
「奥様。自己紹介が遅れましたが、探偵の汐入悠希です」
お、汐入が敬語を使っているぞ!?どこまで持つかな?などと僕は本筋とは全く関係ないことを考えている。完全に傍観者だ。
「お話はわかった、わかりました。先ずはこの写真から説明す・・、します。これは旦那様がおっしゃる通り、一緒に指輪を探していた時のもの。マスクは私が猫アレルギーの為だ。猫の近くにいた人からも私のアレルギー反応が出る為、マスクをさせて頂いていた。今日は先ほど市販のアレルギーの薬を服用したのでマスクなしでもなんとかな。旦那様とワタシは決してご想像している関係ではない。です」
汐入よ、慣れない言葉を使うものではないな。いや、逆だな。もっと敬語に慣れておくべきだな。しどろもどろな敬語をおり混ぜ汐入が説明を続ける。
「ワタシも本日はパートナーを同席させている。彼は先週、確保したチウネちゃんを引き渡す際に旦那様とも会っております。なので、旦那様がワタシとそのような関係となるのはそれなりにリスクを伴う」
あ、そーゆー・・・。僕を同席させたのはその為だったのか。なんて、面倒臭い。ある意味、事前に聞いていなくてよかった。聞いていたら今日は来なかったかもしれない。僕は全くもって汐入のパートナーではないのだが、仕方がないから余計なことを言わず流れに身を任せよう。
「そ、そうだとも。探偵さんがいう通りだ。この写真はやましいものではない!」
と小杉氏。
「じゃあ、それよりも前に何度も指輪を外して出掛けているのはどう説明するのよ!さ、探偵さん、説明してみなさいよ!」
「そう仰られましても。ワタシが旦那様に初めてお会いしたのは十日ほど前。つまりチウネちゃんの捜索を依頼された時が初対面だ、です。なのでそれ以前のことは説明し兼ねる」
「そうやってシラを切るつもりなのね。騙されないわよ。今日は納得いく説明をして貰うまでは帰らないからね!」
汐入は小さくため息をついた。
「そこまで仰るのなら、ご説明し・・差し上げましょうか」
「いいですとも!説明してみなさい!」
夫人の隣では小杉氏が緊張の面持ちで、汐入が何を言い出すのかと怯えている。これは黒だな。やましい事があるに違いない。
「わかった・・わかりました。ではワタシの推理を話そう。恐らく―――」と汐入は話し始めた。
恐らく、旦那様は浮気をしている。勿論それはワタシ以外の誰かとです。ご夫人が気がついている様に旦那様がワタシに依頼をするよりずっと以前からでしょうね。そしてその人と会う時は旦那様は指輪を外している。外した指輪の保管場所はというと―――それはチウネちゃんの首輪だ。
首輪にアクセサリーとしてつけていたのだろう。なぜそんなところに、と疑問が沸くが、恐らく自身で保管すると、財布か、鞄か、ジャケットのポケットか、などと忘れて紛失する恐れがあった為だろう。うっかりズボンのポケットに入れたまま洗濯をしてしまう懸念もある。
ある日、いつもの様に外した指輪をチウネちゃんの首輪につけて旦那様は出掛けた。その事はきっとご夫人もご存じな筈。だからチウネちゃんからその指輪を回収した。チウネちゃんはその日もいつもの様にご自宅の猫専用の出入り口から出かけて行ったが、その時、既に首輪には指輪は付いていなかったのだろう。
チウネちゃんが家を出たのを見届けて、ご夫人はその出入り口を自然な形で塞いでおいた。恐らく鞄か何か、そこにあっても不審には見えない何かで塞いだんだろうな。なのでチウネちゃんはその日は帰って来れずに、諦めて放浪することになる。それはご夫人にとっても都合が良い。なぜなら、暫くチウネちゃんが帰ってこなければどこかで指輪を無くしたと言うストーリーを仕立て上げる事ができる。でも実は指輪はご夫人がお持ちですよね?
そのあとチウネちゃんを心配に思った旦那様が、チウネちゃんの捜索を私に依頼したのは知っての通りだ。チウネちゃんが見つかってそれは解決したのだが、ここからがご夫人の知らなかった部分だ。
指輪を無くしたことに後ろめたい事がある旦那様は引き続き指輪の捜索をワタシに依頼してきた。旦那様は指輪の行方が気が気ではなく私の調査に同行までしてきた。この写真はその時のものだ。
今にして思えば、なんか常に人の気配を感じていたんだよね。ご夫人の気配だったんだな。旦那様がワタシに依頼をしていることを知らないご夫人は、出かけていく旦那様を見て、浮気相手に会いにいくのだと勘違いしたわけだ。尾行するとワタシと街を散策していた。だからこの写真がご夫人にとっては浮気現場の位置付けになってしまった。私のマスクは変装ではないことは先ほど説明した通りだ。
旦那様、あなたは浮気をしていますよね?そしてご夫人は結婚指輪を持ってますよね?恐らくは浮気現場の写真を突きつけて、離婚をご夫人に有利な条件で成立させた後、旦那様から拝借した指輪を質にでも入れて慰謝料の足しにしようとしたのだろう。
言葉遣いはチグハグだが、理路整然と汐入が説明し、事務所には沈黙が訪れた。
すっごく気まずい。隣を見ると汐入が目で何かを僕に訴えている。
この沈黙を僕に打開しろって言うのか?僕を呼んだ本当の目的はこっちか。やれやれ。きっと汐入の推理通りなんだろうけど、その真実を明らかにする事は依頼されてない。とりあえず推理は推理のままにして、うやむやに場を終わらせよう。
「あのう・・・写真の件は誤解が解けた様ですし、探偵事務所として受けた依頼は完了しています。なので、今日のところはとりあえず・・・」
と場をとりなす僕。
「そ、そうだな。ここから先はここで話すことではないな。帰ってから話し合おう」
と小杉氏。
ふん、そのようね、と、ものすごい棘のある口調でご夫人が応じ、席を立つ。写真を置いたままそのままスタスタと事務所を出て行ってしまった。小杉氏も黙ってお辞儀だけして出て行った。
こうして猫と指輪の捜索はなんとも後味の悪い幕切れで終わったのだった。
(猫と指輪 終わり)
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