32話 霊亀討伐
詩響が霊亀の前に立つと、陵漣に後ろから手を引かれた。
「詩響! 馬鹿を言うな! お前は対話すればいいだけだ! さがっていろ!」
陵漣は目を見開き、驚いていた。心配になるほどの必死さだ。けれど、詩響は一歩もさがらない。表情の変わらないよう、気を強く持って霊亀を見つめた。
「あなたを屠ると、この国と民はどうなりますか」
「……どうも。ただ滅びるだけ。いずれ、大陸ごと沈むでしょう」
「妖鬼になった民は、自然と人間に戻るのですか?」
「戻りません。みなさまで助けてやってください」
「わかりました。ではもう結構です」
ごうっと、炎の湧きおこる音を聴いた。炎はどこから出てきたのか、詩響には見えなかった。陵漣のように、体から出てきたのだろうか。
(これは加護じゃない。頼みだったんだ。陵漣さまを守りたい、鳳凰陛下の切なる願い)
鳳凰の炎は、巨大な竜巻のごとく渦を巻く。詩響と霊亀を中心に、炎は壁になっていった。ごうごうと炎の揺れる中、陵漣の叫ぶ声が聞こえてくる。
「詩響! よせ! お前がそんなことをする必要はない! 鳳凰! くそっ!」
陵漣は立ち尽くしていた。必死に身体を動かそうとしているのはわかったけれど、震えるだけで動きはしなかった。
(天子の体は瑞獣の意のまま、だったっけ。なにが創世の瑞獣よ。ふざけたことだわ)
瑞獣は敬うべき存在だ。感謝こそすれ、軽んじたことは一度もない。
それでも、流れるように悪態が出た。それはきっと、瑞獣も人間と同じく、愛と欲を持っていると知ったからかもしれない。霊亀はもはや、詩響と同じ女だった。
身動ぎしない霊亀を見下ろし、炎を纏った右手を掲げる。同時に、陵漣はさらに大きな声をあげた。
「民の手を汚すのか! お前こそ瑞獣失格だ! 詩響の中から出ていけ!」
陵漣は、次々に罵倒する言葉を投げかけた。汚い言葉の飛び交う中でも、鳳凰の放つ炎と舞い散る火花は、ただ美しい。
(鳳凰陛下の炎は人を焼かない。月瑤さまの体はそのままで、霊亀だけ消滅するはず)
霊亀は、まだ腹を撫でていた。膨れているだけの腹に、なにが入っていると思っているのだろう。母のようにふるまうことで、なにか手に入るとでも思っているのだろうか。
滑稽だ。けれど、霊亀の死に様を陵漣に見せずに済むことは、とても嬉しかった。
「瑞獣と人間は想いを通わせないと、鳳凰陛下はおっしゃいました。でも、そうじゃない。だって、鳳凰陛下は殿下を大切に想っている。私にあなたを屠らせるくらいには」
ぽとりと、霊亀の瞳から涙が落ちた。どんな意味を持つ涙なのかは、考えない。
「天子を通じて、瑞獣の愛は民に広がる。瑞獣の愛は、すべての民のものでなくてはいけないわ。たった一人を番にする人間と、同じ愛しかたをしてはいけないのよ!」
霊亀の涙は、鳳凰の熱で蒸発した。
「……さようなら。
なにも考えず、詩響は火花を握る。すると、詩響と霊亀を囲んでいた炎が、一斉に迫ってきた。激しい熱気が通り過ぎたけれど、詩響にはなんの変化もない。
変わったのは、霊亀の宿っていた月瑤の体だった。炎に埋もれた月瑤は、炎の消滅と同時に倒れた。生死のわからない月瑤に、兄の聖賢が飛びつく。
「月瑤! 月瑤! しっかりしろ! 月瑤!」
聖賢は月瑤を抱き起し、軽く頬を叩く。それでも月瑤は動いてくれない。
焦る聖賢だったが「落ち着いて」と、理人が背を撫でた。理人は月瑤の口元に手をかざし、手首に指先を当てる。
「呼吸はしてるし、脈も正常。腹も元に戻ったようだね」
霊亀の撫でていた膨れた腹は、平たくなっていた。まるで夢だったかのように、身体は少女になっている。聖賢は大粒の涙を流し、強く月瑤を抱きしめた。
(よかった。霊亀は健康に保ってたみたいだし、とりあえずは大丈夫なのかな)
鳳凰は月瑤を焼いたりしない。そう思っていたけれど、詩響は鳳凰の力を操れるない。もしかすれば月瑤ごと……と、少しだけ脳裏によぎった。
けれど髪の一筋も焦げていない。服の端々は焦げているのを見るに、きっと、鳳凰は注意を払ってくれたのだろう。
(鳳凰陛下。感謝申し上げます)
安堵し肩を撫でおろす。生まれた国が鳳凰国で良かったと、心から思った。
さあ、これからどうするか――陵漣に指示を仰ごうと思ったけれど、そのとき、後ろから勢いよく抱きしめられる。抱きしめてくる熱い腕は、陵漣だった。
陵漣の顔は詩響の肩に埋められ、どんな表情をしているか見えない。けれど、かちかちと細かく歯のぶつかる音は聞こえる。
「すまない……! 俺のせいだ。俺の未熟さを、鳳凰陛下は知っておられた……!」
ひどく震えていた。腕を抱き返そうとしたけれど、詩響よりも先に、鳳凰の炎が陵漣を包む。まるで、親が子をなだめるように見えた。
「それは違います。殿下のお優しさを、知っておられたのです。だから私に、殿下を守る役目をくださった。鳳凰陛下も、お優しいかたですから」
陵漣の腕に力がこもった。微かな震えと、隠しているであろう涙の音が聞こえる。
(廉心の小さい時みたいだわ。泣きたいのをこらえて、しがみついてきてたのよね)
最初に出会った時も、後ろから抱きしめられ。悪人のような、太子らしからぬ振る舞いに驚いたのを覚えている。
けれど、いまは幼い子どものようだ。鳳凰の炎に手を重ね、陵漣の腕を抱き返した。
「帰りましょう、鳳凰国へ。妖鬼を――霊亀の民を助けなくては」
「……ああ」
陵漣は、詩響の肩を抱いたまま歩き出した。異性に寄り添われ歩くのは、少し恥ずかしい。けれど、いまはまだ、陵漣の手を握っていたかった。
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