第31話:狂気の計画
森の廃屋に、夜明け前の冷たい空気が満ちている。
ガストンたちが用意してくれたスープで暖を取った私たちは、最後の作戦会議に入った。
テーブル代わりの木箱に広げられた図面。
それは、クロードがこの数日間、軍の目を盗んで書き上げた「最終決戦仕様」の橋と機関車の図面だ。
「……いいか、状況を整理するぞ」
クロードが厳しい表情で切り出した。
「たった今、ガストンの偵察から戻った報告だ。……状況は最悪だ」
彼は地図上の両岸に、赤い×印をつけた。
「俺たちがここへ逃げ込んだことで、ゲルハルト将軍は完全に正気を失ったらしい。
奴は気づいたんだ。『重列車砲のための強度試験』という俺の進言が、すべて時間稼ぎと脱走のための嘘だったと」
私は息を呑んだ。
当然の帰結だ。私が将軍の立場でもそう判断するだろう。
「将軍は激怒し、全軍に命令を出した。『橋上の不審物は、脱走者ごと即時破壊せよ』と。
……さらに悪いことに、対岸のリベール軍も動き出した。
現場で『装甲列車(夜明け号)』が動く気配を察知し、『帝国軍による侵攻準備』だと誤解して、夜明けと同時に橋への予防砲撃を開始する構えだ」
挟み撃ち。
そして、タイムリミットは日の出まで。あと一時間もない。
「……詰みね」
私が呟くと、クロードは苦渋の表情で頷いた。
「ああ。……俺は、将軍を騙してレールを敷き、機関車を改造した。ここまでは計算通りだ。
だが……どうしても解決できない問題が残った」
彼は図面の一点を指差した。橋の中央部分だ。
「ここだ。……橋の接合部。
昨日の砲撃の振動で、仮止めのボルトが緩み、レールに『断絶』が生じている。
長さにして約3メートル。……さらに、地盤沈下で対岸のレールが数十センチ下がっている」
3メートル。
人間なら飛び越えられるかもしれない。
だが、数百トンの鉄塊にとっては、それは「死の崖」だ。
「今の装備じゃ修復不可能だ。クレーンも動かせない。
……機関車で突っ込めば、間違いなく脱線して谷底へ真っ逆さまだ」
クロードは拳を握りしめ、悔しげに言った。
「すまない、エリザベート。……舞台は用意したが、主役が踊る床が抜けていた。
機関車での突破は不可能だ。……リスクは高いが、ガストンの手配したボートで川を下るしか……」
「待って」
私は彼を遮った。
ボートで逃げる? 泥のようにコソコソと?
そんなの、私の美学に反する。
それに、逃げれば現場のみんなは見殺しだ。
私は図面を凝視した。
断絶されたレール。段差。そして、機関車のスペック。
頭の中で、歯車が噛み合う音がした。
「……ねえ、クロード。
この『夜明け号』、最高速度はどれくらい出るの?」
「は? ……設計上は時速80キロだが、今の改造で重くなってる。いいとこ60キロか? ……それがどうした」
「ボイラーの安全弁を固定して、限界まで圧力を上げたら?」
「……壊れるぞ。だが、一時的になら100キロ近く出るかもしれん」
100キロ。秒速にすれば約28メートル。
私はニヤリと笑った。
いける。
「飛びましょう」
「……は?」
クロードが間の抜けた声を出した。
「飛ぶのよ。
3メートルの断絶? 数十センチの段差?
……むしろ好都合じゃない」
私は図面を指で弾いた。
「計算してごらんなさい、天才技師様。
時速100キロで3メートルの断絶を通過するのにかかる時間は、約0.1秒。
その間に重力で落下する距離は……?」
クロードがハッとして、空中で指を動かし計算を始めた。
彼の顔色が、驚愕から興奮へと変わっていく。
「……約5センチ。
対岸のレールは、それ以上に下がっている。
……つまり、落ちる分を含めて、ちょうど『着地』できる計算か!?」
「ご名答。
段差があるからこそ、私たちはこの穴を飛び越えられる。
……神様がくれたラストチャンスよ」
それは、技術者の発想ではない。
計算と狂気が入り混じった、破れかぶれのギャンブル。
だが、理屈は通っている。
「……正気か? 速度が足りなければ即死だぞ」
「このままボートで逃げて、一生隠れて暮らすよりはマシよ」
私は立ち上がり、全員を見渡した。
「それにね、クロード。
貴方は言ったわよね。『俺たちの橋だ』って。
……自分の作った橋が、たかだか3メートルの断絶くらいで『通れない』なんて弱音を吐くの?」
挑発。
技術者としてのプライドを刺激する、最高の劇薬。
クロードの目が大きく見開かれた。
そして、その奥に、理性を焼き尽くすほどの熱い炎が宿った。
「……へっ、言いやがる」
彼は悪童のように、獰猛に笑った。
「上等だ。……俺の計算じゃ『成功確率1%』の針の穴を通すような所業だが、お前のその度胸に乗ってやる」
ガストンたちも立ち上がる。
彼らの顔から、恐怖の色が消え失せていた。
「面白え! 空飛ぶ機関車か!」
「やってやろうじゃねえか! ボスの狂気に付き合うぜ!」
現場の男たちは、基本的に馬鹿だ。
そして、理屈よりも「面白さ」と「心意気」で動く生き物だ。
「決まりね」
私はクロードに手を差し出した。
「行きましょう、相棒。……将軍が腰を抜かすような、最高のショーを披露してあげるわ」
「ああ。……乗った」
クロードが私の手を強く握り返す。
痛いほど熱い、契約の握手。
***
作戦は決まった。
私たちは隠れ家を出て、夜明け前の森を駆け抜けた。
目指すは現場の裏手、機関車が眠る格納庫。
現場の周囲は、異様な緊張感に包まれていた。
将軍は本気だ。ゲート付近には増援部隊が集結し、バリケードには機関銃が据え付けられている。彼らは「外からの敵」を警戒している。
まさか、「中」から怪物が飛び出してくるとは夢にも思っていないだろう。
「……やるぞ」
クロードの合図で、ガストンたちが音もなく忍び寄る。
格納庫の裏口を守る見張りを、背後からレンチの一撃で気絶させる。
鮮やかな手際だ。
「よし、入れ!」
私たちは格納庫へと滑り込んだ。
ひんやりとした空気の中に、鉄と油の匂いが漂っている。
そして、暗闇の中に鎮座する巨大な影。
『夜明け号(オーロラ)』。
それは、私の知る試験用機関車とは変貌を遂げていた。
クロードが改造させたその姿は、まさに鉄の要塞。
運転席は分厚い鋼鉄板で覆われ、覗き窓はスリット状に細められている。
先端には、障害物を粉砕するための巨大な排障器(カウキャッチャー)が、牙のように突き出している。
「……すごい」
「俺たちが三日間、将軍の金で仕上げた最高傑作だ」
クロードが愛おしそうに車体を叩いた。
「装甲の厚さは20ミリ。小銃弾なら豆鉄砲だ。大砲の直撃さえ食らわなきゃ、どこまでも走れる」
彼は運転席へとよじ登り、私に手を差し伸べた。
「乗れ、エリザベート。……ここからはノンストップだ」
私は彼の手を取り、鋼鉄の巨体へと乗り込んだ。
狭い運転席。計器類がびっしりと並んでいる。
ここが、私たちのコックピット。
「野郎ども! 配置につけ!」
クロードの号令で、作業員たちが次々と炭水車や屋根の上に飛び乗る。
彼らは手にツルハシやスコップ、そして奪った小銃を持っている。
まるで海賊船のクルーだ。
「エリザベート、お前は釜焚きだ。……ドレスが汚れるぞ」
「構わないわ。黒は強さの色よ」
私は深紅のドレスの裾をまくり上げ、腰に革ベルトを巻いた。
白い手袋の代わりに、厚手の作業用手袋をはめる。
私はもう、守られるだけのお嬢様ではない。
この鉄の心臓を動かすための、熱源になるのだ。
「……火を入れろ!」
クロードの声と共に、私は釜の重い扉を開けた。
まだ種火が残っているのか、微かな熱気を感じる。
私はスコップを握り、山積みの石炭をすくい上げた。
ザッ、ジャララッ!
黒いダイヤが炉の中に吸い込まれる。
ボッ!
炎が爆ぜ、赤橙色の光が私の顔を照らす。
次々と放り込む。
私の腕が悲鳴を上げるが、止まらない。背中の傷が痛むが、それすらも燃料に変える。
炎が勢いを増し、ボイラーの水が沸騰する音が聞こえ始める。
シューッ……シュゴオオオッ……!
圧力計の針が、ゆっくりと、しかし確実に上がり始めた。
眠っていた巨獣が、目を覚ます。
車体が小刻みに震え、まるで武者震いをしているようだ。
「圧力上昇! 定格の80パーセント!」
「まだだ! まだ足りねえ! 臨界点まで上げろ!」
クロードが計器を睨みつけながら叫ぶ。
格納庫の外から、軍隊のラッパが聞こえ始めた。
東の空が白み始めている。
夜明けだ。砲撃開始の合図だ。
時間はもうない。
だが、中途半端な圧力で飛び出せば、加速が足りずに谷底へ落ちる。
ギリギリの見極めが必要だ。
「……来い! 上がれ!」
私は祈るように石炭をくべ続けた。
汗が目に入る。
心臓の音が、蒸気の音と重なる。
ピーッ!
安全弁から、鋭い蒸気が吹き出した。
準備完了。
クロードが私を見た。
その瞳は、静かに、しかし激しく燃えていた。
「……行くぞ」
彼の手が、汽笛のレバーにかかる。
私は頷き、ハンドレールを強く握りしめた。
次の瞬間、私たちの咆哮が世界を震わせることになる。
今はただ、その直前の静寂の中で、互いの呼吸だけを感じていた。
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