帰還不可能点 〜 Point of no return 〜
風風風虱
第1話 現着
「こちらパトロール車4号。現着。
これより捜索開始する。現在時刻11時13分」
『司令室、了解』
「ほんじゃ、
完璧な
大玄関には半分朽ちかけた木製の看板がかけられてる。真っ黒に汚れていたがなんとか『
造りは立派だが、壁面は看板同様黒く煤け、窓も半分近く割れて放置されていた。
旅館として機能していたのは20年ほど前の話で、火事を起こしてそのまま閉館。撤去されることもなく放置されていた。
ドアノブには鎖が幾重にも巻きつき重くて頑丈そうな南京錠で止められていた。
割れたガラスから田所は中を覗いてみた。
ドア板一枚隔てた先はロビーの残骸だった。
半分燃え崩れた下足箱と受付。
敷き詰められていただろう絨毯も今はなくコンクリートの床が剥き出しになっていた。
「お~い、誰かいるか~」
田所は声を張り上げ、返事を待つように耳を澄ませた。しかし、返事はなかった。
もう一度、中を覗く。
どれもこれも煤けて暗闇と一体化したようで輪郭がぼやけてはっきりしない。
まるで光が入るのを嫌がっているかのようだった。それともなにか見えないものが光を拒絶しているのか。
表はこんなにも明るい光に溢れているのになぜかこの朽ち果てた建物は夜のように暗かった。
田所は腰のライトを取ると中を照らす。
人の気配はおろか最近人が入った形跡もなかった。念のためにもう一度呼んでみようかと思った時、肩を叩かれた。振り返ると美海巡査が無言で指差すジェスチャーをしていた。指の先を見ると少し先の草原にワンボックスカーが見えた。
美海と田所は車の中、および周辺を手早く確認した。
「こちらパトロール車4号。ワンボックスカーを発見。車のナンバーは捜索願いが出ているものと合致した。周りに人はいない。捜索を続ける」
指令部への報告を終えると 美海は田所を促した。
「立ち入り禁止の廃墟に勝手に入って行方不明になった馬鹿なんてほっとけばいいんですよ」
「それは言っちゃだめだな。気持ちはわかるが」
ぼやく田所を美海がなだめる。二人の巡査は深夜にここに来て帰ってこないので探してくれという通報があったため調査に来ていた。この瑞亀荘は廃業した後、建物がそのまま放置されていたため若者たちの格好の暇つぶしの場所になっていたのだ。
「行方不明になったのは小学生じゃなくて、いい年した大人じゃないですか。そんなのが1日行方不明になったからって俺たちがわざわざ出向く必要あります?」
それでも田所は納得いかない、という風に反論をした。この廃墟に行こうと言い出したのが昨夜なので、まだ消息を絶って24時間すら経過していなかった。
「まあ、いろいろあるんだよ」
美海は少し言いにくそうに言葉を濁す。それが余計に田所を刺激することになった。
「いろいろってなんですか?」
「お前さんは配属されたばかりで良く知らないだろうけどな、ここにきて実際に死んじまったやつとか行方不明になったやつが実際にいるんだ。地域じゃ有名な本当に出る心霊スポットとか言われている。だから上の方もこの建物に関しては神経尖らせているんだよ」
「……マジですか? 先輩はここに来たことあるんですか?」
「ああ、何度かあるぞ。気分のいい場所じゃないのは間違いない」
美海の言葉に田所は薄気味悪そうな表情で建物を見返した。
「だからさ、さっさと済ませようぜ」
美海はワンボックスが止まっていた方へあごをしゃくる。そこでようやく田所は木立の奥に新たに建物があるのに気がついた。
「最近は本館じゃなくてこっちの別館の方が人気なんだよ。調べるならこっちが先だ」
本館が黒く煤けていたのに対して別館は赤黒く染まっていた。まるで頭から血をぶっかけたような感じだった。
田所は昔見たホラー映画を思い出した。
主人公が悪戯で頭から豚の血を浴びせられるシーンだ。真っ赤に染まった顔のうち目だけが白く穿つ穴のようにみえたのが記憶に残っていたが、この離れが正にそれだった。3階にある覗き窓がドクロの眼窩のように2人を見下ろしていた。
「確かに薄気味悪いですね。なんでこんな塗装なんです?」
田所は少し気押されように声を絞り出す。
「元は白かったらしいぜ。
錆かなぁ。それとも塗料の加減かね。数年前からこんな血みたいな色になったそうだ。
俺がこの辺の担当になった時にはもうこんな感じだった。
な、気色悪いだろ」
美海も同意すると顔をしかめてその建物を見上げた。
正面の玄関は本館同様に鎖で封鎖されていたが、美海は玄関を素通りして裏手に回っていく。
「ここから入るんじゃないんですか?」
「ちがう。裏手から入れるんだ。
おそらく連中もそこから入ってる」
美海は慣れた感じで生い茂る雑草を踏み分けて進んでいった。田所は無言で後に続く。良く見ると雑草が踏み固められてうっすらと獣道みたいになっていることに気がついた。
スッと視界が開け、裏庭に出た。
昔ならばちょっとおしゃれな日本庭園だったのか、灯籠のようなものや石やら池があったが、灯籠や石には苔や植物の蔓が無造作に絡まり、池は緑色に濁っていた。
「行くぞ」
美海は元は木戸で硬く閉ざされていたのだろうが今は完全に朽ち果てて大きく口を開けた穴から中に入っていった。
「ま、待ってくださいよ。先輩」
1人取り残された田所は慌てて中に入る。
「先輩。先輩! どこですか?!」
別館の中は暗かった。
ここもまた光が入ってくることを嫌がっているかのようだった。
明るいところから暗いところに入ったため田所は一時的に視力を失い、美海の姿を見失う。
軽いパニックに陥り田所は思わず美海を求め大声を上げた。次の瞬間、目映い光が田所の眼を鋭く刺した。鈍痛の不意打ちに田所は小さく呻いた。
「なにやってんだ? ライト使えよ。
ここは昼でも妙に暗いんだよ」
「あ、はい。すんません」
美海にライトでまともに顔を照らされ、田所は目をしばたたかせながら慌てて腰のライトを取り出した。
「お前はこのフロアを頼む。奥に6つ、部屋があるからな、そこをよく調べてくれ。俺は上を見てくる」
美海はそう言うと暗闇の中に消えていった。
1人残された田所はしばらく立ったまま周囲をライトで照らす。
ライトは、打ち捨てられた机や椅子のほか、ペットボトルやたばこの吸い殻、空き缶、スナック菓子の袋など床に散らかったゴミを浮き上がらせた。だがライトが作る光の輪から少しでも離れるとたちまち闇に包まれ見えなくなった。
この暗さは異常だ
建物の中に入って田所は実感する。
闇が重い。建物にしみ込んだ悪意が黒く粘りをもって体に纏わりついてきているようだった。
そんな感覚が田所を動けなくしていた。
しばらく足下に転がっていたペットボトルを所在無げに眺めていたがやがて意を決すると、言われた通り、奥の部屋を確認するために歩き始める。
頭の奥で、じりじりと警報が鳴りだしたが、あえて田所は無視をした。
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