混沌（こんとん）より芽吹いた世界樹の枝先に、二つの世界が成（な）った。

　命在るモノ達の住まう〈命世界（めいせかい）〉と、精霊達の住まう〈精霊界（せいれいかい）〉。

　それらは強く結びつき、互いに影響を及ぼしていた。

　原初の神は、命世界の繁栄と発展の為に持てる力と自らの全てを使い、隠されし神となった。神を失い秩序を失った命世界は、精霊界を脅かす勢いで繁栄を続け、やがてそれは精霊界を統べる精霊王の怒りに触れた。

　ふたつの世界に在るモノは、全てが還る処である世界樹を巡り、整い、互いの為に存在せねばならない。

　精霊を拝（はい）さず、力を食いつぶしては、いずれ均衡を失い、それは命世界の禍（か）ともなる。

　隠されし神の残光に縋（すが）り、身勝手な繁栄を成そうとする命世界を、かつてのように満たされたものへと還す為、精霊王は命世界への強い干渉を開始した。

　精霊王は自身の力を分けた精霊を次々に生み出し、その力をもって命世界を満たしていった。

　踏み荒らされた地を割り均ならし、穢れを大水で流し、驕るモノに雷（いかずち）を落としたが、それは命世界のモノにとっては不当なものでしかなかった。

　ついに、ふたつの世界は衝突した。

　戦は永く続いた。精霊王にとっても、決死の再生となった。

　しかし、命世界の繁栄のままに置いては、世界そのものが世界樹の枝先より枯れ落ちてしまう。

　それならば、全てを消し去り、その後に力を満たせばいい。

　力を揮う精霊王の許に、ある時グランディウスという者が現れ、世界の平穏を求め願った。後に英雄と称えられることとなる彼は、精霊の声を聴き、その力を導くことが出来たという。

　グランディウスは戦友と共に命世界を旅し、原初神信仰に縋る世界で、今一度精霊信仰の重要さを説き、ついにふたつの世界の繋がりを取り戻した。

　永い戦いの末に混乱を極めた命世界は、精霊王により九つに分けられ、それぞれをグランディウスとその戦友達が治め、調和の為に尽くすと誓い合った。

　グランディウスが治める、精霊が最も力を揮（ふる）える地は〈精霊国〉と名付けられた。

　精霊国で生を受ける者の多くは、精霊と対話し、その器として成る為の素質を備えていた。いつしか彼等は〈精霊人（せいれいびと）〉と呼ばれるようになった。

　英雄王グランディウスの子孫には、稀にその力がきわめて強く発現する者が生まれた。その証に、花開いたような輝きを灯す瞳と、光を受けて色を変える髪を持ち、命世界に生を受ける瞬間に精霊達が歓喜と祝福に舞い踊り、大気を震わせ歌うという。

　彼女達は〈精霊姫（せいれいひめ）〉と呼ばれた。

　見上げた空に輝きが舞い、大気が歌う光景に、アントニオは心を震わせていた。

　その輝きは陽が照らすには早い空を照らし、国中を舞い包んでいく。やがて城の方角から角笛の音が響いて、アントニオは姫の誕生を知った。

　精霊の祝福を受けた姫である。

「この命が在る間に、精霊姫と同じ時を生きることが出来るとは──」

　呆然と呟いたアントニオは、突然力のうねりに襲われ、頭を抱えて屈みこんだ。

　アントニオの身の内に流れ込んだのは〝知識〟だった。まるで洪水のように頭の中で溢れ、掴もうとする間に駆けていく。知識は次々に注ぎ込まれ、ただ呆然とそれに身を任せるしか出来なかった。

　荒い息を吐きながらよろめいた筈の体の感覚がない。全ては知識に翻弄されるままになっている。

　意識の端で、角笛の音に起き出して来た両親が、頬を上気させながら喜びに満ちた顔でアントニオの肩を擦るのが判った。

　──感動して唸っている訳じゃない。これは……。

　アントニオの混乱に気が付かず、両親は一心に城に向けて祈りを捧げている。

　痺れた頭でその様子を見やりながら、アントニオは溢れる知識の中で精霊の呼び掛ける歌を捉えた。言葉ではなく、発音出来るものでもない響きの歌。しかし、今のアントニオは、それが何を意味するのかを知っていた。

　枝葉が伸びるように麗しい音を感じ知るうち、自然と涙が零れ落ちる。ゆっくりとそれを拭い、深く息を吐いた。

　自身が何を成すべきか既に理解している。

「あの方の許へ参ります」

　呆（ほう）けたようにアントニオを見つめる両親を尻目に、再び見上げた空は陽の色に染まり始めた。

　祝福の輝きが、より一層煌めく。