脆弱性と弱酸性
マッチゃ
冬
『脆弱性と弱酸性』
きっとこれはみんなが想像するような冬とは違うんだと思う。それでも僕は。
殺菌効果のあるハンドソープのcmが増え、街中の店という店が赤と緑に染まってくる頃僕は今年も用もなく近所の商店街を散歩していた。僕は冬が好きだ。年末を迎え新年の準備のために人々が忙しなくなる季節、焼けたケーキの匂いが鼻腔を刺激し、毎年代わり映えのしないクリスマスソングが流れ、ステレオタイプに犯されたように揃いも揃ってサンタクロースの飾り付けをしている。子ども達はプレゼントを抱えて走り回り、カップルたちは人目につかない場所を探しているのを横目に通り過ぎる。冬というものは心地が良い。
ここまで読んで僕がそっち側の人間だと思った人はいるだろうか。まさか、僕にはこの国のクリスマスというものを心から楽しむには足りていないものが多すぎる。無条件の愛というものは愛したい姿形をしてるものにしか分け与えられないものさ。これは持論だけどね。冬以外にこんな景色を見せつけられた日には僕は舌を自ら食いちぎって死んでしまうと思う。でも今日は冬だ。1年で1番好きな季節だ。
家に帰り、寒さをとうに通り過ぎ痛みしか感じなくなった手をハンドソープで洗った。子どもの頃僕はハンドソープを悪者だけ殺菌してくれ、手を守ってくれるものだと思っていた。でも実際は違うらしい。知ってるかい?ハンドソープは手の表面をほんとうにごく微量、弱酸性で溶かすことで汚れごと洗い流すものらしい。なるほど、冬にぴったりだ。溢れ出る幸せオーラと参加ハードルで、不幸者をその日働くしかなかった人たちとともに追い出し街をキレイにする。冬は1年で1番街が輝いている。おそらくケーキを買って欲しかっただけなのだろうが、サンタの格好をしたお姉さんに、メリークリスマスと言われたことを思い出した。
そんな不幸者を排除する冬だが、逆に言えば街以外には不幸者しか居ないことになるんだ。僕はこれが心地が良い。街から追い出され陰鬱な空気を漂わせる灰色の電車は僕を無条件に受け入れてくれる。決して自分より不幸な人を見てほくそ笑んでるわけではない。ネットの海でなくても、陰鬱で、不幸でいることが許容されるのだ。素で生きていることが許容されること、自分を押し殺さなくても息ができること。僕はこの冬って季節が大好きなんだ。このほうがよっぽど無条件の愛だと僕は思う。救うんじゃなくて、ただただ存在を許すこと。まあ街で言ったら怒られるんだと思うけどね。
それならなぜわざわざ街まで行くのかと聞く人がいるかも知れない。でも僕も自分でも分からないんだ。ただ、そこにいることが許容されたあと、気づいたら脆弱性のある無条件の愛ってものに触れたくなるのかもしれない。そこには機関車の窓から蜜柑を投げる姿のような、本当の愛があると信じて。
その日の夕方、またテレビからは殺菌効果のあるハンドソープのcmが流れ、空虚で、脆くて、それでもたしかに温かいあの言葉が流れていた。その瞬間、無意味な妙案が浮かび、1回は頭の中で否定したが、でもきっとそれが正解な気がした。誰も居ないはずのテレビの奥に僕はメリークリスマスと返してみた。夕日が窓からさしこみ、部屋は真っ赤に彩られた。手を洗う子ども達が返してくれた気がした。台所からはケーキの匂いがした。
fin
脆弱性と弱酸性 マッチゃ @mattya352
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