第37話 出発
森の奥深く——薄い朝の光が差し込む場所に、ティナの小さな墓があった。
摘んだ花をそっと置き、平らな石を重ねる。
静かに手を合わせると、森の風が枝葉を揺らし、サラ……と音を立てた。
それはまるで、ティナがそこで眠りについたことを優しく告げているようだった。
誰も言葉を発さなかった。
ただ、彼が願った“これから”を胸に刻むように、しばらくその場に立ち尽くした。
——前へ進まなければ。
蓮たちは、一連の報告のため、マアト村へ向けて歩き出す。
森の空気にはまだ昨夜の余韻が残り、ひんやりと胸の奥を撫でていった。
「……なあ、リリス」
振り返ったタオの横顔は、いつになく真剣だった。
「俺さ。お前が……ティナになったとき。
分かってたのに……なにも言えなかったんだよ」
リリスは足を止める。
「……」
沈黙に、タオは苦笑もせず、まっすぐ続けた。
「本当は、一番そばにいた俺がお前を支えて、フォローしてやらなきゃいけなかったのに……悪かった」
少し息を吸い、絞り出すように告げた。
「……本当は俺も、ティナに会いたかったんだ」
その本音に、一行の足が自然と止まる。
蓮は驚き、美穂とスミレは互いに視線を交わし、そっと二人から距離を取って見守る。
——一番驚いていたのはリリスだった。
「……あたしが二重人格になった時、タオ……すごく素っ気なくて。
てっきり……あたしのことも、ティナのことも……嫌いなのかと……」
震えた声に、タオは目を見開き、困ったように眉を寄せた。
「そんなわけねぇだろ。嫌えるかよ」
低く、優しい声だった。
「ただ……混乱しただけだ。
お前のこと、どう扱えばいいのか……分からなかった」
リリスの肩の力が、すこし抜ける。
「でも、もう——あんな無茶はすんな。
お前まで消えたら……嫌だ」
リリスの胸に、ゆっくりと温かさが戻ってくる。
蓮は横で、いつもより柔らかいリリスの口調に戸惑いながらも、二人の空気を壊さないよう静かに歩みを合わせた。
美穂とスミレは、くすりと微笑みながら「やっと素直になった」と言いたげに二人を見守る。
歩みはまだ重い。
けれど、確かに前へ進んでいた。
* * *
森を後にしてから、いくつもの時間が静かに流れた。
やがて、一行はマアト村へ戻ってきていた。
夕暮れの群青が空を染め、家々の屋根に長い影を落とす。
日中の喧騒は嘘のように消え、村はゆっくりと日常へ戻ろうとしていた。
村の中心に立つ、年季の入った会合所。
吹き抜ける風が乾いた地面を撫で、転がる小枝がかすかに音を立てる。
その中で、五人の足音だけが静かに響いていた。
「……うむ。お主らが無事に戻ってきてくれて、本当によかった。まずは──おかえり、じゃな」
出迎えたのは、マアト村の長・ヌト。
年老いた身体ながら背筋は伸び、灰色の髭を湛えたその姿は威厳と温かさを併せ持っていた。
落ち着いた声が、会合所の空気を優しく満たす。
その言葉に応えるように、タオが一歩前へ出て小さく頷く。
「……ヌト。心配かけたな」
短いひと言に、彼なりの悔しさや安堵が含まれていた。
ヌトは静かに頷き、次にリリスへと視線を向けた。
リリスの身体にはまだ疲労の色が濃く残っている。
それでも、その瞳だけは澄んだまま、まっすぐ前を見据えていた。
「……リリス。お主が一番苦しかったろう。だが、よく戻ってきたのう」
リリスは一瞬だけ視線を伏せ、それからゆっくりと顔を上げて微笑んだ。
「ありがとう、ヌト。……ティナは、ずっとあたしの中にいる。だから……もう大丈夫」
その言葉に寄り添うように、スミレがそっと肩に手を添える。
美穂は黙って、その強さと危うさを見守っていた。
そして、後ろに立つタオは何も言わない。
ただ静かにリリスを見つめるその眼差しには、言葉にできない思索と葛藤が、確かに宿っていた。
蓮は少しだけ視線を彷徨わせ、それから静かに口を開いた。
「……あの、ヌトさん。俺たちが墜落の王宮に行ったあと……村は、その……ミアちゃんは、大丈夫でしたか?」
その名が出た瞬間、タオとリリスが顔を見合わせる。
何かを察しつつも、まだ理解が追いつかない表情だった。
ヌトは深く息を吐き、重く首を振った。
「……うむ。残念じゃが──ミアはあのあと息を引き取ったよ。
完全に“魔物”として成り果てておった。
わしがもっと早く気づいておれば……助けられたかもしれんの」
静寂が落ちる。
タオが、押し出すように声を発した。
「……おい。ミアってまさか──蓮、あの時の子どもか?」
蓮は、ゆっくりと、苦しげにうなずいた。
初任務でタオも見逃してしまった魔族の少女。
その“結末”をようやく聞いてしまった今、タオの顔には深い険しさが刻まれていた。
蓮は小さく息を吸い、仲間たちを見回して口を開く。
「……ひとつ気になることがある。魔族の……“暴走”について」
その低く静かな声に、リリスが反応した。ぴくりと耳を動かし、視線を蓮へ向ける。
「ミアちゃんはあの時、ティナに連動するように暴走した。引き金が何だったのか……」
「暴走の源を探る必要があるわ」
スミレが重く言い、続いてタオが口を開く。
「けどそもそも、ティナは獣人だった。魔族じゃねえ。なのにあいつ……“五大魔”とかいうやつに血を飲まされて魔族になったって――」
タオの言葉は、迷いと確信の狭間を揺れていた。会合所の空気が張りつめる。
リリスは目を伏せ、思い出を手探りするようにゆっくりと話し始めた。
「……五大魔のことはあたしも知らない。でもね。墜落の王宮にいた時……記憶の隅で、“知らない男”があたしとティナに血を与えていたのを覚えてる。あれが引き金で……あたしたちは暴走した」
場が静まり返る。
その“誰か”の正体を、誰もが思い描きながら言葉を失った。
「じゃあ五大魔の血を与えられると魔族になる……? そして魔族になったティナが、今度はミアを操った……? でもどうやって、そもそも何のために……」
「……わからない。でもね――その"知らない男"だけど、あたしとティナのことを“よく”知ってた。そして……タオ。あんたのことも」
そこでリリスはふっと口をつぐんだ。
言うべきか迷っている——そんな気配が露骨に伝わる。
タオは眉をひそめ、慎重に口を開いた。
「……俺のことを知ってる? けど……思い当たる節はねぇ。今のところは、な」
疑念が空気を濃く染め始めたその時――
「──はい、そこまで!」
ぱん、と明るい音が空気を弾いた。スミレが手を叩き、微笑みで硬くなった空気をほぐす。
「まずは一度ネイトエールに戻りましょう? リリスも疲れてるでしょうし、みんなも今は休んだ方がいいわ」
その言葉に、美穂がほっとしたように頷く。
「ホクト様には、私の方から伝令鳥で報告しておくわ」
スミレは指先をひらひらと動かし、一羽の鳥を呼び寄せた。
空気が落ち着きを取り戻した頃、蓮が何か思い出したように首をかしげる。
「あれ、そういえば……タオとリリスって、前に伝令鳥じゃなくて直接連絡してなかった? なんか、テレパシーみたいなやつ。スミレは使わないの?」
問いかけられたリリスは、少し懐かしげに微笑んだ。
「それはね、特別なの。タオ、ティナ、あたしの三人で、昔“夢の精霊”と契約したことがあるの。心でつながる術をね。だから、言葉がなくても届くのよ」
どこか温かな響きを帯びたその説明に、タオがわずかに目を細める。
「……リリスがどうしてもって言うからだ」
その声には、ほんの少しの照れと優しさが滲んでいた。
「タオって、恥ずかしがり屋なのね」
美穂がぽつりと呟くと、タオはふいっと視線を逸らし、わずかに頬を赤らめるのだった。
***
旅立ちの準備が整い、馬車へ向かおうと歩き出したその時――
蓮がふと思い出したように立ち止まり、振り返った。
「──あ、そうだ! 思い出した! ヌトさん!」
突然声を上げた蓮に、一行が一斉に振り返る。
蓮は大慌てで荷物を漁り、一冊の小さな、けれど温もりのある手製のノートを引っ張り出した。
「これ……シロとクロ……じゃなくて、ミーニャとクロネから!
ヌトさんに渡してって。秘伝のレシピらしいです!」
ノートを受け取った瞬間、ヌトの目が大きく見開かれた。
驚き、懐かしさ、そして胸いっぱいの感情が表情に滲み出る。
「これは……あの二匹が……わしに……」
そっと表紙を撫でる指先は、かすかに震えていた。
年老いた目の奥に、柔らかな光が宿る。
「ミーニャとクロネ、元気にしておったか?」
「はい。ちょっと喧嘩してましたけど……いつも通りでした」
「ふむ……あの子たちらしいわい。まったく……」
寂しさと嬉しさがほどよく混じった笑顔に、蓮も思わず頬を緩ませる。
「ちなみに、その秘伝って……どんな料理なんですか?」
蓮の問いに、ヌトは一度咳払いをして、妙に慎重な動作で顔を寄せた。
「……ふふ。それはの。“にゃんにゃんスーパーヒーリング・シチューDX”じゃ。
この村でも選ばれし者だけが知る、伝説のレシピよ……」
「な、名前のインパクトが強すぎません!?」
蓮が盛大にツッコむと、ヌトは肩を揺らして笑った。
「ふざけた名じゃが、侮れんぞ。体の芯から温まり、心の傷まで癒す……。
一度食べた狼獣が、嬉しすぎて歌い出したという逸話すらある」
「え……それ本当ですか?」
「うむ。半分くらいはな」
にやりと笑うヌトの声を背に、会合所の木柱がギシ、と鳴った。
それはまるで、一行の旅立ちを静かに告げる合図のようだった。
蓮は笑いながら頭をかき、「じゃあ、また来ますね!」と軽く手を振る。
ヌトはその背をやさしく見送りながら、目を細めて呟いた。
「……いつでも帰っておいで」
木漏れ日が揺れるマアト村をあとにして――
一行は次なる目的地、ネイトエール城へと向かうのだった。
* * *
その少しあと。
村の外れ、誰もいないはずの林の奥で――空気がひやりと沈んだ。
風もないのに、木々の影がわずかに揺れる。
まるで何かが、そこに“立っている”ように。
低く押し殺した声が、森の奥に落ちた。
「……タオ。まだ逃れられると思っているのか」
返事はない。
ただ、影がひとつ揺らぎ、森の闇に溶けて消えた。
その存在に、誰ひとり気づく者はいなかった。
𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄
第1章はこれで完結です。
ここまで読んでくださっている方がもしいたら、本当にありがとうございます!
第2章からは少し更新ペースを落とし、
〈月・水・土〉の週3更新に変更したいと思います。
詳細はノートにまとめました⤵︎ ︎
https://kakuyomu.jp/users/kanzaki-shion/news/822139842996311136
最後に……
応援、☆、感想、とても励みになります。もしよければ是非よろしくお願いします!
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