獅子肉バーガー

 夕方までの時間ほど、残酷なものはなかった。


 私は街へ戻り、店主の店が見える位置で待機していた。

 最初は宿で寝ていようと思ったが、バーガーを食べる夢で目を覚ましてしまったのだ。


 空腹のせいで、視界がゆらゆら揺れて見える。

 いつの間にか腹の虫は定期演奏会を始めていて、今ではアンコール公演に突入している。


「……ぐ、ぐぅ……静まれ私の腹……」


 気合を入れても、お腹は返事を聞いてくれない。

 むしろ演奏が大きくなった気さえする。


 気を紛らわせようと空を仰ぐと、夕焼けが広がっていた。

 オレンジ色に染まった雲がゆっくりと流れ、建物の影が地面を長く伸ばしていく。

 美食の街カーボは、夕日を浴びるとまるで別の街のようで、黄金色の光に照らされた石畳は、焼き立てパンのようにおいしそうだった。


「……パン……」


 いけない。

 夕焼けすら食べ物に見えてきた。末期だ。


 そんな時、店の扉がガラリと開かれた。


「おう、ムチの嬢ちゃん!」


 店主が顔を出した。

 その手には、大きな桶。


「……店主ぉ……!」


 私は吸い寄せられるように駆け寄った。

 一歩歩くたびに腹の音が鳴るのは、もう気にしない。


「……その顔、限界ギリギリじゃねえか」


 店主は大笑いして、桶の中を見せてくる。

 獅子王の肉がぎっしりと詰まっていた。


「待ってな。ここからが俺の腕の見せどころだ。最高の獅子肉バーガー、すぐに作ってやる」


 その言葉に、私の胃袋が歓喜の雄叫びをあげた。

 夕焼けが、まぶしくにじんだ気がした。


 ようやく、この空腹に終止符が打たれる。


 店内に入れてもらい、カウンター席で調理場を眺めた。

 店主は無駄な動き一つなく、獅子肉を切り分けていく。

 太い腕が上下するたび、包丁がまるで獲物の急所を寸分違わず捉えるかのように滑らかに肉を断つ。さすがは凄腕の狩猟士だった男だ。迷いがない。


「良い肉だ。臭みがなく、筋の入り方も綺麗だ。王の名は伊達じゃねえな」


 店主は楽しげに口角を上げ、手際よく塩を振った。


 じゅう、と脂が鉄板に落ちた瞬間、店内に広がる香りが空気を変えた。

 濃厚なのに重たくない、獣肉独特の香ばしさ。その奥にほんのり甘い匂いが混じり合い、思考を奪ってくる。


「……う、うぅ、これは……っ」


 私はもう限界だった。

 目の前の光景に、口から勝手にヨダレが漏れる。


 鉄板の上では、肉がふつふつと音を立て、表面にじんわり脂が浮かび上がる。

 店主が軽く押すと、肉は弾力よく跳ね返り、また芳醇な香りを放つ。


「……ムチの嬢ちゃん、拭くものいるか?」


 店主が呆れた顔をして声をかけてきた。

 どうやら、私はヨダレを垂らしながら鉄板に覆いかぶさる勢いになっていたらしい。


「いただこう」


 私は布で顔を拭きながら、しかし視線は肉から外せない。


 獅子肉は程よく焼き目がつき、店主の合図を待つばかりになっていた。

 あとは、あの有名店主の手で仕上げられれば、究極のバーガーが完成する。


「残念だが、これはバーガーじゃねぇぞ。肉本来の味を味わってほしくてな。本番はこれからだ」


 店主の低い声に、私の心臓が跳ねた。

 その瞬間、またヨダレが垂れた。


「さて……くか」


 大木のような腕が動き、重厚な機械が唸り始める。

 店主が獅子肉を押し込むと、金属製の穴からほろほろと赤いひき肉が押し出されていく。

 肉の繊維がほどけ、柔らかく空気を含んだ――まさに“素材が変わる瞬間”だった。


「うぅぅ……」


 私は唾をごくりと飲み込む。

 これ以上ないくらい感情のこもった声が漏れていた。

 もはや理性で止められる雰囲気ではない。


「焦るな。旨味が逃げる」


 店主はそんな私の様子をちらりと横目で見て苦笑しながら、ひき肉に塩、香草、細かく刻んだ香辛料を振りかける。

 指先で軽く混ぜ合わせる度に、獅子肉特有の深い香りがふわりと広がった。


「よし。成形だ」


 ひき肉を手に取り、両手でぎゅっ、ぎゅっと空気を抜くように丸めていく。

 少し平たく押しつぶせば、立派な肉の塊に逆戻りだ。

 その表面は獣の力強さを感じさせる濃い赤色で、見るだけで腹が鳴りそうだった。いや、もう腹は鳴っている。


 煮える寸前の湯のように私は震える。

 視線はまな板から離れない。

 手は膝に置いているのに、身体ごと前に倒れそうになる。


「そんなに近づくと危ねぇぞ」


 店主は笑いつつ火加減を調整する。

 鉄板に油を垂らすと、すぐにじゅわっと音が弾け、香りが立ち上る。


「じゃあ、焼くぞ」


 店主が肉の塊を鉄板へ落とした瞬間――


 心まで揚げ焼きにされるような音が店に響いた。


 香ばしい匂いが一気に広がり、鼻腔の奥にまとわりつく。

 肉汁が弾け、湯気が立ち、鉄板の上で肉の塊がきつね色へ変わっていく。


 店主は大きなヘラで滑らかに肉の塊を裏返す。

 ひっくり返された瞬間、肉汁が噴き出し、香りがさらに濃くなる。


 私はもう限界だった。

 口の端から涎がこぼれそうになり、慌てて手でぬぐう。


「ムチの嬢ちゃん、さっきから見てるだけで体力削れてないか?」


「……削れている。お腹が……空きすぎて……」


「だったら良かったな。こいつはすぐ出来る」


 店主が丸形のパンを横半分に切り、香りを閉じ込めるように、肉の隣で温める。

 そして、その上に脂がじゅわっと乗った獅子肉の塊を置き、特製のソースをとろりと垂らす。


「はいよ。獅子肉バーガーだ」


 私は、涙が出そうになった。

 本当に、もう言葉にならなかった。


 ------


 【今日のメニュー】

 ・獅子肉バーガー

 ・焼いた獅子肉

 ・ポテト(揚げた芋)


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「感謝を」


 私は両手を合わせた。


 まずは、バーガーからだ。


 バーガーを両手で掴み、大きく口を開けてかぶりつく。


 ……うまい。


 言葉はいらない。

 脂がしっかりのっているのに、驚くほど淡白で食べやすい。

 今は味を語るより、ただ欲望のままに食べたい。


「うちはポテト食べ放題でやってるからな。まあ、嬢ちゃんなら全部食べ放題でいいが」


 店主が入口の扉を開けながら言った。


 なんて良い情報だ。

 細長く切って揚げられた芋──ポテト。それが食べ放題。最高じゃないか。


 私はバーガーをむさぼり、ポテトを食べ、またポテトを食べ、さらにバーガーを貪る。

 途中で焼いた獅子肉も食べ切ったが、これもまた絶品だった。

 バーガーとは違う、肉本来の野性味が口いっぱいに広がった。


 気づけば私は、自分だけの世界に沈み込み、無心で食べていた。

 いったい何皿のポテトを食べたか分からない。

 食べ終えたはずのバーガーも、いつの間にか追加されていて、幸せの無限ループにおちいっていた。


 やがて、心地よい酩酊めいてい感が襲ってくる。

 頭がふわふわしてくらくらする。


 ここで倒れるわけには……いや、まだ足りない。決め手が欲しい。


 そんなとき、一つのメニューが目に入った。


「このシェイクというのを、持ち帰りで」


 正体は知らない。

 けれど、私の直感が『飲め』と囁いていた。


「砂糖の量はどうするかい?」


 店主がニヤリと笑って聞いてくる。

 砂糖量を選べるとは……さすがドカグーイ卿の街だ。分かってる。


 私は壁に貼られた札を見て、一瞬で決めた。


「もちろん、致死量で」


「はいよ!」


 店主は上機嫌に、金属製の容器へ大さじ一杯、二杯……二十杯ほど砂糖を投入した。

 そこへ白い液体──おそらく乳を注ぎ込み、容器ごと金属の機械に固定する。


 そして、ぐるぐると取っ手を回し始めた。


 しばらくすると、どろりとした甘い香りの液体が、持ち帰り用の巨大な木製カップに注がれた。


「感謝する。いくらだ?」


 私は腰の袋に手を伸ばす。


「いや、全部サービスだ」


 店主が手を伸ばして止めてきた。


「それは悪い」


「嬢ちゃんのおかげで、客入りがいいんだよ。気にすんな」


 周りを見渡すと──

 いつの間にか店内は満員で、客たちがこちらを興味深そうに見ていた。


 ……なんだか得した気分だ。


 私は嬉しさを胸に店を出た。

 さて、ここからが本番。




 宿屋へ戻った私は、ベッドに腰掛け、シェイクを一気に飲み干した。


「……あま〜」


 甘さと冷たさが、波のように押し寄せてくる。


 そして、私が一番好きな“あの感覚”がやってきた。

 抗いがたい眠気が、心地よく脳を包み込んでいく。


 起きたらちゃんと、記録を残さないと——


 だめだ。意識が……遠のいて……


 幸せ。



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 【獅子肉バーガー~ポテトを添えて~】

 完璧なバーガー! ポテトとの反復横跳びが止まらない!


 噛みしめた瞬間にまず驚かされるのは、その力強い旨味だ。獅子肉は一般的な食肉とはまるで別物で、野性味あふれる濃厚な風味が一気に口いっぱいへと広がる。それでいて臭みはまったくなく、丁寧な下処理が施されているのがよく分かる。赤身が主体でありながら繊維はきめ細かく、しっとりとした食感を保っている点も印象的だ。

 脂は他の肉より控えめだが、鉄板で丁寧に焼かれたことで香ばしさが際立ち、肉本来のコクを引き立てている。肉を挟むパンは素朴なもの。獅子肉の存在感を邪魔せず、むしろ噛むほどに甘みを添える名脇役といえる。

 ソースはスパイスを効かせた柑橘系。わずかな酸味が肉の野生的な香りをやわらげ、最後まで重さを感じさせない。食べ終えたあとには、まるで大地の息吹を味わったような深い満足感が残る。強靭さと繊細さを併せ持つ、まさに“王のバーガー”の名にふさわしい逸品だ。

 残念な点を挙げるとすれば、獅子肉の淡白な一面が"あの感覚”をやや和らげていることだろう。そこはポテトでカバーしたいところだ。

 そして最後に、シェイクという飲み物は本当に最高だということを記しておく。

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