第10話 星5つの評価と長文メッセージ
図書室を出て昇降口へ向かう廊下。すれ違った久我莉々の姿が、脳裏に焼き付いて離れなかった。画面を埋め尽くす不穏な通知と、彼女の爪を噛む仕草。そして、すれ違いざまに漂った甘いココナッツの香り。
「……関係ない。関係ないったら関係ない」
僕は呪文のように自分に言い聞かせ、早足で下駄箱へと向かった。僕には、他人の恋愛トラブル(しかも昼ドラ並みにドロドロしてそうなやつ)に首を突っ込む余裕なんてない。なぜなら、僕自身がすでに「特大の爆弾」を抱えてしまっているからだ。
帰宅後。自室のベッドに倒れ込んだ僕は、意を決してスマホを取り出した。図書室で確認した『Secret Connect』の評価画面。そこに輝く満点の星5つと、「ワイルドで素敵でした」という、僕の陰キャ偽装(ボサボサ髪)を好意的に解釈しすぎている追伸コメント。
「……これだけでも十分、胃もたれする量なんだけどな」
僕はため息をつき、そっとアプリを閉じようとした。その時だった。
ピロン♪
軽快な通知音が部屋に響いた。画面上部に新たなポップアップが表示される。
『ユーザー:Karen_T から、追加のメッセージが届きました』
「……は?」
追加?評価コメントとは別に?嫌な予感が背筋を駆け上がる。恐る恐る通知をタップすると、トーク画面(DM機能)が開かれた。そこには公開されるレビュー欄には書けなかったであろう、長文の「独白」が綴られていた。
『夜分遅くに申し訳ありません。レビュー欄では書ききれなかったこと、そしてどうしても貴方に伝えたかったことがあり、個別にメッセージを送らせていただきます』
冒頭から漂う、重厚な手紙のような雰囲気。
『今日の学校での貴方の姿を見て私はある確信を得ました。貴方が学校で気配を消し、あえて目立たないように振る舞っているのは、きっと「爪」を隠すためなのですね。周囲の雑音から身を守り、孤高を貫くための、貴方なりの処世術なのだと理解しました。そう思うと、ボサボサの髪も、分厚い眼鏡も、すべてが貴方を守るための「鎧」に見えてきます。私は、そんな不器用で、誰よりも思慮深い貴方の生き方に……どうしようもなく惹かれてしまっています』
「…………待ってくれ」
僕は思わず声を漏らした。解釈が深い。深すぎる。ただの「陰キャ」で「コミュ障」な僕を、彼女の中のフィルターを通すと「孤高の賢者」に変換されてしまうらしい。
『貴方は「仕事だから」と言うでしょう。でも、私はもうこれを単なる契約関係だとは思えません。貴方の「鎧」の下にある本当の素顔。それをもっと知りたい。触れたい。また会いに行きます。今度は依頼人としてではなく――天童かれんという一人の人間として』
スマホを持つ手が震えた。これはもう、実質的な宣戦布告(告白)じゃないか。 「婚約者撃退」というミッションは成功した。けれど、その代償として僕は、彼女の中に眠っていた「乙女心」という名の休火山を大噴火させてしまったようだ。
ブブブッ。
タイミングを見計らったように別の通知が割り込んできた。悪友・冴島恭平だ。
『やあ、S級彼氏殿。さっきからサーバーのログがすごい勢いで更新されてるよ。天童会長、君へのメッセージを下書き保存しては推敲し、を十回くらい繰り返して送信してる。熱烈だねぇ』
『……盗み見するな。そして頼むからBANしてくれ、あの垢』
『まさか。優良顧客(ロイヤルカスタマー)を追い出すなんて経営者としてありえないよ。それに、「鎧の下の素顔」か。傑作だね。君のただの寝癖と猫背が彼女には高尚な哲学に見えているわけだ』
文面からニヤニヤと笑う冴島の顔が透けて見えるようだ。僕はスマホを放り出し、枕に顔を埋めた。
「……詰んだ」
前門の生徒会長、後門の……いや、後ろには誰もいないと信じたいが。とにかく、嵐が過ぎ去るのを待つしかない。学校内では彼女も立場がある。そう簡単に接触してくることはないはずだ。そう自分に言い聞かせて、僕は重い瞼を閉じた。
◇
翌日。重い足取りで登校した僕を待っていたのは、昨日とはまた違った種類の違和感だった。
「……なぁ、生徒会長、なんか今日すげー綺麗じゃね?」
「分かる。なんかこう殺気が消えたっていうか……」
「今朝、挨拶したら聖母みたいな顔で微笑まれたぞ!俺、今日が命日か?」
教室のあちこちで男子生徒たちがヒソヒソと噂話をしている。その中心にいるのはもちろん天童かれんだ。廊下の向こう、A組の前を通った時、僕もその変化を目撃してしまった。彼女はいつもの氷のような無表情ではなく、憑き物が落ちたように穏やかな、それでいて内側から発光するような美しさを纏っていた。
西園寺という重圧から解放された安堵感。そして――昨夜のメッセージにあった、「恋する乙女」としての高揚感。それが化学反応を起こし、彼女を無敵のヒロインへと進化させてしまっている。
ふと、雑踏の中で彼女が顔を上げた。数十メートル離れた距離。彼女の視線が、レーザーサイトのように正確に僕を捉えた。
ドキン。
心臓が跳ねる。彼女は会話を止め、僕をじっと見つめた。話しかけてはこない。周囲の目があるし、昨日の真壁梓による監視(イエローカード)もあるからだろう。 だが、その瞳は雄弁に語っていた。
『メッセージ、読んでくれましたか?』
『今日も素敵ですね、その“鎧”』
『……大好きです』
そんなテレパシーが、ビビビッと飛んできた気がした。彼女は僕に向けて、誰にも気づかれないほどの僅かな角度で首を傾げ、はにかむように微笑んだ。
(……やめてくれ、ライフが削れる)
僕はサッと視線を逸らし、逃げるように教室へ飛び込んだ。その微笑みだけで白米三杯はいける破壊力だ。すれ違う男子たちが「えっ、今、会長こっち見たよな!?」「いや俺だろ!」と勘違いして色めき立っているが、残念ながらその視線の先には、一番冴えない「モブ」がいるのだ。
席に着き、机に突っ伏す。心臓の鼓動が収まらない。怖い。彼女の純粋さが怖い。 あれは「仕事」だった。ドライな契約関係だった。それなのに、彼女は僕という人間に価値を見出し、勝手に物語を紡いでしまっている。
「……はぁ」
早く一日が終わってくれ。そう願って教科書を開こうとした時だった。
「ねえ、ニシナくん」
甘く、少しハスキーな声が頭上から降ってきた。ビクリとして顔を上げると、そこにはミルクティー色の髪を揺らす、クラスの中心人物(カーストトップ)が立っていた。久我莉々。昨日の廊下で見かけた、追い詰められたような表情はどこへやら。彼女はいつもの派手なメイクで、僕の机に手をついて上目遣いで覗き込んできた。
「え、あ、はい……?」
「あんたさ、今日、放課後ヒマ?」
教室が一瞬で静まり返った。ギャルの頂点である莉々が、最底辺の陰キャである僕に声をかける。それだけでも異常事態なのに、「放課後」という単語が出たことで、周囲の男子たちの視線が疑惑から殺意へと変わっていくのが肌で感じられた。
「え、えっとぉ……ボ、ボクは……」
「ヒマだよね?帰宅部だもんね?」
「あ、いや……用事が……」
「ないよね?」
彼女の目が笑っていなかった。口元は笑みの形を作っているが、瞳の奥は真剣そのものだ。昨日の廊下で見たあの切羽詰まった色がそこにある。彼女は身を乗り出し、僕の耳元に顔を寄せた。ココナッツの香りが鼻腔を満たす。
「……お願い。あんたにしか頼めないの」
「!」
「昨日の……『見た』でしょ?」
ささやき声。昨日の廊下での一件だ。僕が彼女のスマホの画面(ストーカーからの通知)を見たことに、彼女は気づいていたのだ。見て見ぬ振りをしたはずだった。関わらないようにしたはずだった。だが、運命の女神(あるいは冴島という名の悪魔)は、僕を平穏な日常に留めてはくれないらしい。
「……拒否権、ないから」
彼女は最後にそう告げると、パッと身を離し、いつもの明るい声で言った。
「じゃ、放課後、裏門で待ってるから!バックレたら許さないよ~!」
ヒラヒラと手を振って去っていく莉々。残されたのは、ココナッツの甘い残り香と、クラス中の男子からの突き刺さるような視線。そして、再び鳴り始めた『Secret Connect』の通知音。
僕は机の下でスマホを確認した。そこには、昨夜のかれんからの熱烈なDMに続き、新たな依頼(クエスト)の発生を告げる赤いアイコンが表示されていた。
『依頼者:K_Riri』
『依頼内容:今すぐ、あたしの彼氏になって』
僕はそっとスマホを裏返し、机の上に伏せた。前門の生徒会長(激重DM付き)、後門のギャル(ストーカー案件)。僕の「モブ生活」は、音を立てて崩壊しようとしていた。
神様、どうか教えてほしい。ただ静かに暮らしたいと願うことが、そんなに大きな罪なのだろうか。
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