おまえとの10個の約束
カラー
第1話
もうれつにアタマがいたい。
アタマを頭にへんかんするときぶんがもっとわるくなりそうだ。
あわてて…トイレをさがして、かけこんで…はいた。
少しスッキリした。
あたま。頭。
(うん、大丈夫だ)
ちょっと落ち着いただろうか。
(いやいや…落ち着いてる場合か?)
トイレに駆け込む前に…誰か別の人が寝ていたのが視界に映った気がする。
それどころじゃなかったから、無理矢理無視してやり過ごしたんだけど…。
俺はまだトイレにいる。
正直出るのが怖い。
だいたいこのトイレ…なんでこんなに派手派手しいんだ。
まるでラブホみたいな…。
あれ、ラブホじゃね?
…ってことは、だ。
あそこに寝ていた女は…。
待てよ。女とは限らないのか…。
男?
友達の誰かが俺を心配して…。
…なら、いいなあ。
俺、男と一夜を共に…。
「ねえ?いい加減出てきてくれない?こっちも使いたいんだけど」
苛立ったような、怒ったような声はどうやら女性っぽい。ドアを割と強めにノックしてる。
ほんとに使いたいんだろう。
まさかの同窓会の翌朝にこんな追い込まれたことになるなんて、昨日の夕方の時点では思いもしなかった。
・・・
二十歳を過ぎた秋に突然同窓会の話が舞い込んできた。
卒業後は進学、就職とそれぞれに別れ、さらに住むところもバラバラと、田舎あるあるだったのだが、誰か(ゆうべの幹事の誰かだろう)がおかしなノリで言い出したのが、偶然うまくいってしまい、実現したのだと聞いた。
俺は地元の国立大に進学して、彼女をつくったりバイトに精を出したりと、たぶん変哲のない生活を送り、大学院に進学する予定だった。
だから…まあ、大学の仲間とする飲み会と変わらないだろうと、気軽に出席をしたんだが…。
ちょっと最初からハメを外しすぎた。
0次会と称して集合時間の2時間前から待ち合わせ、友達数人と居酒屋で早いピッチで飲んだ。
結果はまあ…酔っ払いの絶好調気分で、本来の会に参加したんだ。
その頃からの記憶がとびとびで…。
どこか2次会とか行ったのか?
携帯も財布も枕元に置いたままだ。
現在の非常事態に役立つものがまるでない。
なんかノックが強くなった。
さすがに潮時だろう。
覚悟を決めろ、俺!
そうしてドアを開けたとき、見覚えのない女がいた。
礼儀正しいと自負する俺はこの場合でもきちんと挨拶する。
「はじめまして」
・・・
「ふざけるんじゃないわよ」
とトイレから戻った美女は怒った。もしかしたらもっと前から怒っていたのかもしれない。
それでもその口調は育ちの良さを感じさせる。
こういう時の宥め方は…シズカにする方法しか知らねーや。
抱きしめてキスする。
どうやってもセクハラどころか警察沙汰だよな。
トイレのドアを開ける前より追い込まれてないか?
仕方ない。一か八か賭けてみよう。
「知り合いにそんなに怒らなくても」
「さっきの…はじめましてはどういう意味?」
ハズレを引いたらしい。ますます美女はヒートアップしそうだ。
ぶっちゃけるか。
「誰…だっけ?」
殴られても仕方ない…たぶん俺の責任だ、と観念して目を閉じる。
数秒待った。
でも…何もない。
もしかしたら許してもらえるのかと、目を開ける。
途端に…中指。
本気のデコピンじゃねーか。
地味に…つーかすっげー痛いんですけど。
「ってーな」
「あなたが覚えてないから悪いんでしょ?」
「んなこと言われても、おまえみたいな美人、知り合いじゃねーよ」
はたと、相手が止まる。
「ほんとに覚えてないの?」
「だから」
「肉まん」
ん?
おかしな単語が聞こえた。
肉まん…って言ったよな?
そんなこと言われたって餡まんの方がうまいに決まってるってことくらいしか浮かばねー…。
…なんか前におんなじことがあったよな?
なんだっけ。
あー…思い出してきた。高校の時だ。
確かたまたま席の近い数人で、なんかの流れでテストの合計の最低点が最高点に、好きなものをおごるとかなんかの賭けをして、俺が負けたんだった。
誰に負けたんだっけ…。
えー…美術部の…眼鏡かけた…冴えない女…。
「小倉か?」
「どうしてまた間違えるかなあ」
そもそも小倉はこんな美人じゃなかった。
「大倉よ」
あっ。
そうそう。大倉だ。
「あー大倉…。あの冴えない…」
「ほんとに失礼はいつ止まるのかしら!」
大倉弥生…と名乗られた。
そんな可愛い名前だっけ?
「どうしてそう失礼と褒め言葉を行ったり来たりできるのかしらね」
まあ名前は分かったし、次。
「昨日…した?」
「だから…デリカシーもないの?あなた」
重要なことだから。
「意識のないあなたをここまで運んできた苦労…語ろうか?」
つまり…。
「あなた、ずーっと寝ていたのよ?」
頑張ったな、昨夜の俺。
「寝てただけじゃない」
で、どうして大倉が俺を?
「最後の方であたしがトイレから帰ったら、寝ているあなたしかいなかったの」
見捨てられたのか…俺。
「自分で…シズカさん、だっけ?迎えに来るから大丈夫だってずっと言ってたらしいじゃない」
あー…確かに言いそう。何度か迎えに来てもらったことがある。仲が良かった頃は。
だんだん真相が見えてきた。酔っ払いすぎて、つい甘えたことをしでかしちまったらしい。
そういや携帯。いまさらながらメッセージを見る。俺が送ったシズカに宛てたメッセージは未読の数をひとつ増やしていた。
もう限界なんだろうな。
そう思った瞬間、猛烈に申し訳ない気持ちが湧いてきた。
「ごめん。迷惑かけた」
携帯を眺める俺を、黙って見ていた大倉は心配そうに
「彼女…連絡つかないの?なにかあったとか…」
そんなんじゃないと思う。
カップルがダメになるほんの手前のおかしな時期に、大倉を巻き込ませちまった。
「ほんとにごめん」
それ以上大倉は質問もしないで黙り込む。
「ねえ。今も肉まんより餡まんの方がおいしいって思ってる?」
10分以上経過して、やっと口を開いて出てきた言葉がそれだった。
「それは世界の真理だから」
「嘘。高校の時、あなたは世界の真実って言ったわよ」
「事実から運命に昇華したんだ」
「減らず口は変わらないね」
その日大倉の初めて見せた笑顔だった。
とにかく朝まだ早い時間だ。だからと言ってここにずっといるわけにはいかない。
とにかく出よう。
大倉はワリカンを主張して譲らなかった。
さすがに俺の財布の中身がそれくらいしか入っていないことを知る理由はないだろう。
口調や話の中身からして、他人の財布を覗き込むような家庭の育ちでないことはわかっていた。
ほんとに善意から付き合ってくれたのだ。
ラブホを出ると昨日の会があった居酒屋がすぐ目の前だった。
駅前のファストフード店に入る。コンビニでお金をおろすつもりだったが、ここなら足りるだろう。
「なあ…」
「うん?」
とバーガーを頬張りながら、大倉は目だけを俺に向ける。
「化粧…綺麗だな」
ゴクンと飲み込み、
「失礼…でもないか。褒めてるの?」
「そのつもり」
「高校んとき、どんな目であたしを見ていたか分かったよ」
「そんなつもりじゃ…」
「ゆうべも散々言われたからなあ」
大倉は苦笑いする。
「だいぶすっぴんなんだけどね」
「そうなのか…」
「東京って怖いところだね」
意外な言葉。
「いろんなことに負けないように…痩せたし、肌もケアしてるし」
「努力の賜物の結果…なのか」
「うーん…。東京の人にそれを認めちゃうと、負けなんだよね」
「努力を認めることが?」
「努力する人間は元がダサいから、良くなろうって考え」
ああ…。場合によっちゃ俺も思うかもな。
「だから…やらなきゃならないの」
そっか。大人な考えなんだ。
「好きで行った大学がっこうだからね」
前からそんなしっかりしてたんだ。
「聞いてくる人いなかったしなあ。友達が多いわけでもないし」
高校の時の大倉は…一人でいるイメージはない。
つーか…
「そもそもどこにいた?あんまりクラスにいた覚えないぞ」
「秘密」
「なんでよ?」
と聞きながらも、本心ではない。
言いたければ自分から言うだろう。
また話題が変わる。
「じゅんしん主義ってなに?」
あ、そんなこと言ってたのか…。
ハズいにも程がある。
「ねえ、教えてよ」
「純心、な」
テーブルに指を走らせ、漢字を書く。
「簡単な漢字だけど聞いたことないねー」
明るく微笑む大倉。
意味を理解してくれたのだろう。
「できれば…飲んでするのも、嫌なくらいなんだ」
「お酒飲んでするカップルなんていくらでもいるのに」
「うん。だから俺自身だけのルール。酔っ払ってそんなこと言ったのは…できれば忘れてほしい」
頭を下げる。
じっと俺を見る大倉。
なんだよ、穴が開くぞ。
「それなのにシズカさん…」
相性だってあることだ。
二年ってお互い努力したから、それだけ続けられたんだって思う。
「今は?」
その時、ふと自覚した。
俺からシズカに言うべきなのかもしれない。
「最後はきちんと話をする」
「なんの決意表明よ」
嫌味のない笑顔だった。
「まだ覚えてるかなあ」
「約束かなんかしたっけ?」
「肉まんおごってって頼んだのに餡まんを買ってきた人がいました」
それ、俺だ。
「文句言ったら、じゃあ将来ひとつだけ言うこときいてやるって。偉そうに」
うわあ…。言った記憶ある。
なんでそんなこと言っちゃったかなぁ。
仕方ない。
「どんなお願いなの?」
「10個のお願い聞いて」
「全部?しかも今?」
あわてて質問する。
「今はなにもお願いしないよ」
だって…。
「その代わり、あたしがお願いしたらいつでも来て。聞いて」
嘘だろ…。おまえ東京って言ってたよな。
理不尽すぎる。
「お家に朝までのこと連絡していい?」
脅迫か?家は真面目な家庭なんだよ。
「あら、あたしのうちも」
つまり…
「事実だけ。あなたのうちでもあたしのうちでも」
告白されたら、おおごとになるわけ…か。
したたかだな、おい。美人のくせに。
「約束だったよね?」
それは…まあ確かに。
「じゃあ10個のお願いも約束、だよね?」
そう…なるのか?
「成立。いい?」
否定の言葉は出なかった。
この朝、絶対的な約束を昨日まで忘れていた女と結ぶことになる。
距離にして列車で2時間。
「あら、電車代なら出すよ?」
そういう問題じゃねーよ。
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