女王様の、やんごとなき茶会譚 〜お悩み相談室じゃないんだけど〜

卯崎瑛珠@角川ビーンズ『見た目幼女』発売

前編


 花が咲き乱れるガーデンに据え付けられたテーブルで、女王イルゼは優雅な仕草でティーカップを傾けている。

 豊かなピンクブロンドの髪の毛と、透き通るような青い瞳。青色のドレスは、華奢な二の腕と豊かな胸のあたりをしっかりと強調するラインであるが、装飾はシンプルだ。

 春という季節は芽吹き始めた草花だけでなく、人の才も眩しいなと思いながら。


「胸を張るが良い、エーミール」

「は、はい、陛下」


 金髪碧眼で見目麗しい甥に向かって、イルゼは目尻を下げる。

 成人としてのデビューを控えた十六歳は、瑞々しい希望と不安を、胸の中に内包していた。


「楽にせよ。そなたは、ドレスへの造詣が深いと聞いた」


 エーミールは、目に見えて動揺し始めた。

 イルゼの実の兄であるニクラウスは、よく言えば実直、悪く言えば頑固な男である。息子がドレス作りに傾倒していると知れば、何を言い出すか分からない。

 

「あああのそれは、その」

「案ずるな。兄には秘密にしておこう」

「っ! はい」


 ぎゅっと噛み締めた、エーミールの下唇が痛々しい。

 貴族という身分制度で構成される世界で、男性が女性の服を作るなど。ましてや王族が自ら手を動かし、人のために何かを作るなど、非常識なことだ。


(毒殺未遂で別人格になっちゃった女王も、非常識だけどね)


 イルゼはひと月前に毒殺されかけ、三日三晩高熱で寝込み、目が覚めたらまるで別人になっていた。自分でも、以前の自分とは異なる自覚がある。物の考え方や嗜好が大きく変わり、部屋のレイアウトや調度品を丸々替えたぐらいである。

 混乱しつつも、なんとか女王として演技している。うまくできているかどうかは、自分では全く分からない。

 なぜか、周囲で居心地が悪そうな人間に気づくと、手を差し伸べたくなる。エーミールは幸い甥という近しい間柄だったから、こうしてお茶会に誘ってみた。


「あの、それで。僕にどういった……?」

「それなんだが、エーミール。もうすぐプロムがあるだろう?」


 引っ込み思案の甥は婚約者どころか、アカデミーの卒業パーティに帯同してくれるパートナー探しすら、難航していると小耳に挟んだ。

 猪突猛進で脳筋の兄のことだ。独断と偏見で、エーミールの性格に釣り合わない女性を見繕いそうだ――イルゼがそんな懸念を持っていたところに、家柄だけは良い、気の強い女性が候補に上がってきた。


(息子の人生ぐらい、ちゃんと考えなさいよ)


 今でこそ、孤独で気高い女王として君臨しているイルゼだが、家族への愛情は持っているつもりである。


「父から、何か」

「ああ。おそらくアライダが選ばれるであろう」

「っ」


 名を聞いたエーミールの態度で、一目瞭然だ。顔中に『不本意』と書いてある。


「不躾なことを聞くが。個人的に親しい令嬢は、おらぬのか」

「……残念ながら」


 しょぼん、と首を垂れるエーミールを、イルゼは抱きしめたくなった。

 心優しく繊細で、手先の器用な自慢の甥である。


「それなら好都合だ」


 エーミールが、目を見開いた。責められる、と思ったのかもしれない。

 

「実は、ドレスに詳しいそなたに相談ごとがあってな。プロムに着ていくドレスが決まらない、と嘆いている令嬢がいるのだ。見繕ってやってくれぬか」

「え? 見繕う、だけですか」

「うむ」

「それならば、喜んで承りましょう」

「そうか。では段取りを進める」


 少々お転婆だけれども、好奇心旺盛で明るい性格の伯爵令嬢ならば、奥手のエーミールでも大丈夫だろう。

 

 ――イルゼの予想は当たり、後日、笑顔でプロムに連れ立っていく二人を見送ることになった。

 ついでに会場へ寄ることにしたのは、嫌な予感がしたからだ。

 そしてそれは的中した。イルゼの兄であるニクラウスから打診を受けたアライダが、エーミールに傲慢な態度で迫るのを、見る羽目になったのだ。


「あたくしこそ、エーミール様の婚約者に相応しくてよ!」


(すごい自信。あれこそ女王様ってやつかな。ある意味羨ましい)

 

 さてどのように場を収めるかとイルゼが思考しているうちに、意外にもエーミールは、アライダに向かって毅然と立ち向かった。


「それは違う。私自身が、ヴェロニカ嬢を選んだのだ」


 普段は天真爛漫な伯爵令嬢のヴェロニカが、乙女らしくぽっと頬を染めたのだから、もう大丈夫だろうと胸を撫で下ろした。

 兄のニクラウスは、「まぁ婚約者が決まったなら良いか」という態度だったが、問題は兄嫁の方だ。イルゼのことが何かと気に食わないらしく、扇の向こうから睨んでいる。

 あまりご機嫌を損ねても後が面倒なので、見なかったことにして、早々にきびすを返す。


「粛清しますか」


 背後から小声で物騒なことを囁くのは、女王専属護衛騎士のリッターだ。

 

「捨ておけ。相手にするな」

「は」

 

 後からエーミールに大丈夫だったかと尋ねると、「陛下が見ていてくださったから、頑張れました!」と笑顔で報告があった。行って良かったというものだ。

 

「あーほんとーに。よかったなぁーっと……げえ」


 執務室で気を抜いて伸びをしていると、手に書類を持ったリッターが入室してきて、冷たい目を向けられる。長い黒髪を後ろでひとまとめに結び、金色の鋭い目をしている長身の彼は、黒い騎士服姿だ。

 毒殺未遂事件以降、いつも重そうな黒鎧を身に着けていたが、イルゼはせめて城内では騎士服にしろと文句を言った。渋々従わせた形である。

 鎧は見た目が物々しいのももちろんだが、動くたびにガシャガシャと耳障りだったからだ。今は全く物音がしないため、気配すら分からないことがあり、逆に不便だったりする。


「ユア・ハイネス。今のは?」

「なんでもない。ノックしなさい」

「いたしましたが」

 

 三十歳のリッターは、女王に忠誠を誓っているという名目の下、独身。存在そのものが怖すぎて、本当か嘘か分からないが、婚約者候補たちが靴を置き去りにしてまで、皆裸足で逃げ出したという逸話がある。

 二十五歳のイルゼも、女王という役目に全てを捧げていると言いつつ、面倒が勝って未だ独身。

 それでも残念ながら、二人の間に甘い空気は皆無である。


「あ、そう。で、何の用?」

「エーミール様よりご相談が。ご学友である伯爵子息について、陛下への拝謁許可を申請されたいと仰せです」

「ふーん?」


 リッターが滑らかな所作で机に置いた紙の上部には『拝謁許可証』とある。訪問希望者の氏名と目的が、エーミールの几帳面な筆跡で書かれていた。

 イルゼは紙の右隅をつまんでぺらりと持ち上げると、ひとりごちた。


「この大層な書式決めたの誰だろ」

「陛下であらせられますが」

「うそー」

「真実です」


 リッターに対してだけは、イルゼは気を抜く。毒殺未遂を境に人格が変わってしまった、と知られているからだ。

 一方のリッターは、変わらずである。


「はあ。分かった、困ってるのね? 会うわ」

「では、こちらへサインを。それからこちらが、背景の調査書になります」

 

 護衛なのか、諜報員なのか、侍従なのか。

 リッターが全部兼任している気がしてならない、イルゼだった。


  *


 ひと月前。

 女王が、毒によって死線を彷徨っている時。

 リッターは、城内の中庭で、犯人と思しき人物に剣先を突きつけていた。

 バラバラと焦った様子で集まってきた近衛騎士や役人、メイドたちへは「この役立たずどもめ、黙って見ていろ」と気迫で牽制しながら。


 四方を様々な国に囲まれたイルゼの治める小国クォーレは、互いを牽制し合う周辺諸国の政治的パワーバランスの上に成り立っており、かつ貿易の主要街道を行き来できる『移動の魔法陣』を有す。

 最近魔法陣付近で怪しい動きがあるという報告はないし、内部犯行であると推測していたリッターだったが――当たった。


「女に支配されるなど! ニクラウス様こそが相応しい!」


 暗殺未遂を謀った近衛騎士の妄言に、リッターからは溜息しか出ない。一族と親戚筋の末端に至るまでくまなく調査し、粛清――まで頭の隅で考えてから、リッターは思う。

 脳みそに筋肉しか詰まっていないニクラウスのが、そんなに良いのか? である。

 政治的センスも知略もイルゼが上、剣術の腕は自分にすら及ばない。さらには国王としての素質――魔法陣を維持するための、強大な魔導源クォーレを御せる――のも、イルゼだけ。

 世界中の移動手段を牛耳っているからこその繁栄だが、平和が続くとる人間も多い。

 

「そのニクラウス様は、クォーレを操れるのか?」

「……ぐ」


 御しやすいニクラウスを玉座に据えて、外からクォーレを支配する。そんな算段を持った誰かに唆されたのかもしれないが。


「女王陛下暗殺未遂の罪。命で償え」


 リッターは躊躇いなく剣を横一線に振るった。

 背後で悲鳴がいくつも聴こえたが、悪魔騎士と揶揄される自分には、関係ない。

 顔に血飛沫を浴びたまま、リッターは振り返る。青ざめ、恐怖を浮かべる人間たちに向かって、眉一つ動かさずに告げた。


「以後、自分以外は決して、貴いあのお方に近づけてはならない。良いな」


  *


 伯爵子息に関する報告書を一通り精読してから、イルゼは顔を上げる。

 

「リッター。顔が怖いぞ」

「今さらですね、ユア・ハイネス」

「その呼び方、むずむずするんだけどぉ」

「慣れてください」

「いっちゃん、とかなんとか、可愛く呼べない?」

「……」

「無理かぁ」

「無理です」


 リッターをからかうのは、リッターの顔より憂鬱なことがあるからだ。

 

「えーっとこれってつまり、いじめられっ子を助けて欲しい、だよね?」

 

 杓子定規な筆跡で調査書に書かれていたのは、端的に言うと「アカデミーでいじめられている友人がいる。どうしたらいいの」である。

 顔も名前も知らない男の子のことなど、全力で知らんがなと言いたいところだが、鍛治が盛んなヘンケル家の長男と言われると否とも言えない。刃物作りの技術は、生活にも武力にも直結する貴重なものだ。

 そんなヘンケル伯爵家の長男ヨーゼフ・ヘンケル、十五歳。思春期真っ盛りの少年に、一体何を言えと、とイルゼは思わず天井を仰ぐ。


(まぁ、会うだけ、会おう)

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