悪魔なんかに推されたくないっ!!

灯玲古未

恵賜

 フードを被る。マスクを付ける。痛覚を抑える薬を注射し、眼鏡の情報補正機能のスイッチを入れる。

 ハンドガン、ライフル、グレネード。マガジンも忘れていない。

 見下ろした街は人口の灯りで溢れて夜空のようで、その中で一層輝き、目立つソレは、とても不気味に見えた。


 大きく、息を吐く。


 人は愛されるために生まれてくる。

 そして皆、愛し愛される権利を持っている。

 小学生の頃、誰もがそう教えられた。先生は何も間違ったことは言っていない。

 しかし、愛されるために自分は必要なく、人間が与える愛に、人間に与えられる愛に、価値はない。


 故に、今の人間は、社会は、間違っている。


「――乱入? 飛び降りるのね」

「ちょっと黙って」

「そう言われると……もっと喋りたくなるのだけれど」


 ところで、一体私は何を間違えたのだろうか。

 エクサエスと、それもよりによって、悪魔なんかと――。


 





「おはようございます!」


 頭上から朝日が降り注ぐ。冷たい空気が頬に触れ、白い息が口から漏れる。

 そんな、いつも通りの朝。

 小学生の集団が一様に無邪気な笑みを浮かべ、子供らしい元気な声ですれ違った零華にあいさつをする。

 

「……おはよう」


 ブレザーとミニスカートを身に纏った少女、東堂零華は小学生たちと目を合わせないようにしながら小さく挨拶を返した。

 スカートの下には生地の厚いタイツ。マフラーに口元をうずめ、手袋とコートを身に着けた零華は重たい前髪とも相まって、目元以外に肌色が見えないほど防寒具を着込んでいた。


「あ、持ちましょうか?」


 腰の曲がったおばあさんと、見ず知らずの若い男。

 何も珍しくない、普通の光景。

 この街に住む人間なら、大抵が同じ行動をするだろう。困っている人を助けるのは当然で、正しい行いなのだから。


「おはよう、零華ちゃん!」


 さっきの小学生と変わらないのではないかと思うほど無邪気な声。判で押したような朗らかな表情。

 この時間、この場所で零華に話しかけてくる人物といえば一人しかいない。

 桜間さくらが、背後から走り寄って来た。


「大変っ、決闘だってさ! 遠野先輩と、谷岡先輩が!」

「……誰? それ」

「えぇ……知らないの? 遠野先輩ってのは……」


 さくらのやけに詳しい解説が終わるころに二人は正門前へと辿り着いた。

 そこにあったのは円形の人だかり。その中央で向かい合う二人の男子生徒。


「3年C組、谷岡啓二」

「3年A組、遠野暖人――!」


 決闘といえど、命を奪い合うわけではない。どちらかというとパフォーマンス、ショーに近い。そして、その観客はこの場に集った野次馬ではなく、もっと高次の存在。

 歓声。2人の姿が変わる。

 中世ヨーロッパの貴族のような衣装に、時代錯誤な剣。

 そして、決闘が始まった。

 片や炎、もう片方は土を操りながら戦う。

 超人的な身体能力。一度地面を蹴れば数メートル跳躍し、剣を振れば風を切る音が零華の耳元まで届く。

 まるで漫画のように戦いながら喋り、魅せるような動きで戦う二人。


 その力の源は、エクサエスと呼ばれる生命体。どこか遠くから人間界に干渉してくる上位存在。

 それらに気に入られた人間は力を得て、それは直接社会的ステータスにも関わる。決闘というのもエクサエスの目を引き、気に入られるための手段に過ぎない。


 ――ああ、気持ち悪い。


 零華は二人の顔と名前を脳に焼き付けると、決闘から目を逸らして自分の教室へと歩いて行った。



  ◇




「レイカはたくさんの神様に好かれるような、立派な人になるのよ」

「ねえ、なんでそんなことするの?」

「怒りたくて怒ってるわけじゃないの! レイカのためなの!」


 子供の頃は最悪だった。

 私は清廉潔白で、聡明で、無邪気で礼儀正しい子供として育てられた。


「笑わないとだめ」

「挨拶は笑顔で、大きな声で」


 力を得た。偽物の私のままで。


「ねえ、ヴェタ」

 

 そんな名前のエクサエスだった。

 初めて認めてもらえた。初めて本当の仲間ができたような気がした。

 私は私として生きたい。


「え……なんで? 何やってんの?」


 彼女はひどい顔をして、血まみれの私にそう言った。

 結局、彼女が好きなのは親に作られた偽物の私だけ。

 また殴られそうになったから、必死になって身を守っただけなのに。

 うっかりだった。力加減ができなかっただけだった。

 でもそんなこと関係ない。

 清廉潔白な、正しい人間は暴力なんて振るわないから。人殺しなんて、するわけないから。

 彼女は私の元から離れていった。




   ◇




「ああ、最悪……」


 夜空を見上げ、零華は静かに呟いた。

 戦いの前は、いつも昔のことを思い出す。気分は最低だが、今なら平気で人を殺せる。

 

 ビルの上から見下ろす決闘。時代錯誤の武器と、現実離れした異能。

 零華は冷たい心臓のまま、スコープ越しにその男を睨む。

 決闘の勝敗は単純。首飾りを落とされた方の負けだ。


 閃く。街灯の灯りを反射する宝石。鎖を断ち切られたそれが、宙を舞う。

 決闘が終われば一礼を交わし、握手。

 瞬間、火薬の弾ける音がする。

 ビルの合間を縫って響く轟音。閃光と共に放たれた銃弾。長身のライフルから放たれた大口径のそれは一直線、先程まで激戦を繰り広げていた男の頭を貫いた。

 

 鮮血。一瞬の静寂。それはざわめきに変わる。

 それは喧騒には変わらない。混乱は収まっていく。それは皆が聡明で理性的であろうとしているから。


 そして零華は立ち去っていく。感慨に浸ることもなく、ただ静かに、背を向けて。


「恵賜者狩り……だな?」


 瞬間、ライフルをその場に放棄し、零華は駆け出した。

 ポケットから取り出したスモークグレネードのピンを抜き、地面に落とす。

 回転し、音とと共に煙を吐き出すそれを飛び越え、一瞬にして襲撃者は零華の背中を捉える。


「っ……!」


 連続する銃声。それは零華の手元から放たれた。

 ハンドガンによる射撃をものともせず、その男は銀の鎧に身を包み、槍を手に持っていながら尋常ではない速度で動く。

 気付けば零華はビルの端、あと一歩でも踏み出せばそこは奈落。


「悪いが……消えてもらう」


 槍の先端が、零華の心臓を穿とうと放たれた。

 凄まじい速度。

 人間、それも女の体では見てから回避することなど到底不可能。

 既に今際の際。

 緻密な予測と大胆な断定。それによってようやく成立する針の穴を通すような回避。


「……っ!」


 確かに、槍は回避した。

 だが、槍によって引き裂かれた空気がまるで水面を伝う波のように槍の周囲を切り裂いていく。

 横腹、赤い血。一滴、否、ひとかたまり、滝のように地面に落ちる。


 熱い。神経が熱した鉄に置き換わったかのように痛い。

 一秒が無限に引き延ばされる。

 不思議と頭は冷静で、なんだか寒くて、一瞬ごとに体が死に近付いていくのがよく分かった。


 白く、もやのかかった視界。思考する余裕すらなく、ただ反射的に、腰のホルダーに手を伸ばす。

 その拳銃は冷たかった。

 詰まっている弾は一発のみ。しかしそれは対物ライフルに使われる大口径の物。たとえどんな装甲だろうと、撃ち抜く。


 外したら死ぬ。視界がぶれる。思考が痛みに上書きされる。



 そんな中、外を見た。

 黒い塊。触手とも腕とも、腸とも言えるそれを全身に巻いた脳みそだけの生物。瞳が33個。唇はないのに歯が付いている。


「……力、貸してあげようか」


 雑音としか聞き取れないその音が確かな意味を伴って脳みそに伝わる。

 

「ふざけるな。誰が……」

「死ぬか、私の力を頼るか。その二択よ」


 エクサエス。

 そんな力に頼るぐらいなら、大人しく死んでやる。


「……お前が死ね」


 手元の銃を眼前の怪物に向けて、放つ。

 ”ソレ”の歯だけの口元が、僅かに歪んだような気がした。


「……やっぱり、あなたは美しい」


 ――光。

 その中から、錆びた鎧を身にまとった騎士が姿を現す。


「要らない、こんなもの――!」


 零華は即座に変身を解き、再び銃を構える。

 この時、変身の時発した光によって槍の男は視界を失っていた。

 

 決死の覚悟で、飛び込む。

 視界がぼやけるなら、視界いっぱいに標的が居るほど近づけばいい。


 接近。外しようのない距離。

 零華は引き金を引き、銃弾は鎧を貫いた。



   ◇



「……で、何の用?」


 傷口をきつく布で縛り、重たい銃を抱えながらようようと歩く零華の後ろをついて来る一つの足音。

 振り返ると、そこにあるのは白く、長い髪と赤い瞳。闇の中でよく目立つその輪郭は零華よりも少し大きい。


「……いいの? 手当てしなくても」

「逃げるほうが先」


 エクサエスには現在二つの種族が確認されている。一つは神様などと呼ばれている存在。一つは近年になって姿を消した、悪魔と呼ばれる存在。

 精神世界で見た異形。それは確実に悪魔の物だった。

 悪魔は力に対価を要求する。それは大抵命や魂で、目を付けられた人間は間もなくして命を落としてしまう。


「……付いてこられても、何も渡すつもりはないけど」


 零華は淡々と歩みを進めながら、冷たい声を投げかける。

 

「別に、何も取らないわよ」


 悪魔は静かに笑うと、小さく地面を蹴って数メートルの距離を跳躍する。

 ロングスカートと白い髪をなびかせ、零華の直上を飛び越し、正面へと着地した。

 惚れ惚れするような美しい動き。それを零華は鋭く睨む。


「私、あなたのことが好きなの」

「……は?」


 それはまるで、神が人間に力を貸すときのような理由。


「あいつらと同じ。好きだから。応援したい。ただそれだけよ」


 妖しく笑う、病的なほどに白い肌の悪魔。

 綺麗で、可憐で、美しいその姿は思わず数多の幻想を抱いてしまうような、人間を魅了する形をしていた。

 だが、零華はかたくなにその姿を見ようとせず、前に進むその足を止めようともしない。


「……やめたほうがいいよ」


 家に帰るまでの間、零華が話したのはその一言だけ。

 街外れの廃墟の集う区域の中央、小さな倉庫に辿り着くと零華は一人でその中に入り、すぐに内側から鍵をかけた。


 壁際に掛けられた制服。机の上に積み上げられた教科書、棚の外にまで積まれた本の山。普通の女子高生のような部屋の一角に、無骨な銃が置かれていた。

 零華は物置に銃や爆弾を置き、床に座り込む。

 

「はぁ……痛っ」


 ようやく緊張が解け、大きく息を吐く。

 薬の効果も解けてきて、みるみるうちに大きくなっていく痛み。

 零華は血を吸った服を脱ぎ捨て、傷口をまじまじと見つめる。


「縫わなきゃだめかな……」


 局所麻酔を打ち込み、専用の糸と針で自分の肉を塗っていく。

 目を細めながら、振るえる指先を動かす。痛くないとはいえ、何度繰り返そうとこの作業には慣れることはない。


「お金もかかるし、お風呂入れないし……」


 濡らしたタオルで体の汚れをふき取ると、裸のまま布団の上に倒れる。

 横になった瞬間なだれ込んでくる疲労感。服を着ることすら億劫で、そのまま目を瞑ればいつでも眠りに沈んで行けそうだった。

 ――小さく、足音が聞こえた。

 気配、目線を向けると、人影。


「え……ちょ、今……っ」


 咄嗟に両手で体を隠し、赤らめた顔で、上目遣いに見上げた人影。

 それは、悪魔だった。

 零華は視線を床に向けたまま、強がるように両手を体の前からどかす。


「残念。こんなの……見ても楽しくないでしょ」


 いくつもの、数えきれないほどの傷跡。やけどで歪んだ皮膚。少女の白い肌の上に、それらは痛々しく積み重なっていた。


「……そんなことない」


 悪魔は身にまとった服を脱ぎ捨てると、その体を惜しげもなく零華の前に晒す。


「ちょっと、何……」


 零華は一層顔を赤らめ、悪魔をキッと睨みつける。

 透き通るような白い肌。整った形の乳房の上、鎖骨の少し下に、瞳が付いていた。眼球。三つ目の、瞳。


「たまに見るでしょ? 人の形になって街を歩いているエクサエス。そいつらはみんな普通の形。私は人の形になっても、違う。――悪魔は迫害されているのよ。一時期から人間の前に姿を現さなくなったのも、そのせい」


 その言葉は今までの心地よい音色ではない。それはどこか必死で、あるいは憐憫のようで、そこには確かに感情があって、零華にはそれが切実な、叫びのようにも聞こえた。


「きっと、似てるの。私たちは。……でも、私には戦う勇気もない。だから、あなたが好き。居てくれれば勇気をもらえる。生きていけるんだって、戦えるんだって、負けてたまるかって、思えるから」


 悪魔が話し終えるまでの間、零華は一秒たりとも彼女から目を逸らさなかった。それは上位存在特有の力などではなく、純粋な零華の意志によるもの。


 話の後、零華はそっぽを向いて服を着ながら、小さな声で呟いた。


「使えるなら、利用する。……邪魔しないなら居てもいいから。……それだけ」


 そして、さらに小さな声で囁く。


「……あと、服着て」


 悪魔はぱっと顔を輝かせ、零華の元へと歩み寄る。


「エルトレイヒア。エルって呼んで」


 そして零華のの頬へ、小さく口づけをした。


「……えっ……っ……」


 頬を抑え、蹲る零華。何か間違えたのを察しつつも、エルは悪びれることなく言葉を投げかける。


「人間は好意を伝える時にはこうするって聞いたのだけれど……」


 その時、零華はようやくはっきりとした声色で話し出した。


「っ……次やったら、殺すから」




 

 

 

 

 


 





 

 



 


 

 


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