主人公

@jinmuramoto

玄関のドアを開けて外に出ると、新緑の香りを乗せた春の風が鼻をかすめる。

ドアの外に出て顔を上げると、道路の向かい側にある集合住宅の掲示板に、この春に公開される映画のポスターが貼ってあるのが目に入った。タイトルは「映画」。「映画」というタイトルは監督が奇をてらってつけたらしい(どこかのネットニュースでそう読んだ)。監督の思惑通りこのタイトルのお陰で最近少し話題になっている(僕自身予告編をYouTubeで見たことがある)。確か内容は何の特徴もない主人公の男性が日常の中である日突然誰かの命の恩人になる-といった良くある感じのストーリーだったはずだ。タイトルが奇抜だがストーリーはありきたりで期待出来そうにない。まあ態々観ることはないだろうな。そう思いながら高瀬秀一は職場に向かった。

高瀬は突貫工事株式会社の建設現場で現場監督の仕事をしている。家から電車を乗り継ぎ小一時間、現場に着くと今日の作業はすでに始まっていた。皆んな朝から大変だな、高瀬はそう思いながら作業の様子を見るために建設中の建物に一階から入った。いつものように各階ごとに、時折作業員に話しかけながら様子を見ていった。最上階の五階では一人の作業員がモルタルを塗る作業をしている最中だった。各階には大体作業員が四、五名ほどいたが五階は彼一人だったのでなんとなく声をかけた。彼が振り返ったその時、頭上でミシミシバキバキッと音がして天井が崩れ落ちてきた。さすが突貫工事株式会社、昨日作ったばかりの天井がもう崩れてきた。高瀬はよろけたが幸い怪我は無かった。ふと脇を見るとモルタルを塗っていた作業員が落ちてきた天井の下敷きになっていた。高瀬は刹那、助けようか戸惑った。なぜなら高瀬達がいる五階の床にも亀裂が入ってきているのが目に入ったらたからだ。突貫工事株式会社の建物は一度崩れだしたら止まらない。一刻も早く避難しないと建物と一緒に5階の高さから崩れ落ちる事になる。そうなれば命はないだろう。しかしふと「上に立つ者には上に立つ責任がある」と誰かがワイドショーで言っていたのを思い出した。高瀬は生まれつき生真面目な性格で、その生真面目さを買われ今現場監督という立場にいる。高瀬はその事を思いだし、そしてこの状況でその事を思うのだからやはり自分は真面目なのだなと思いながら、この作業員を置いていくわけにはいかないと助ける事に決めた。必死の思いで瓦礫を押しのけ作業員を引きずりだした。作業員はとても歩ける状態ではなかったので高瀬が背負って1階まで降りるしかなかった。高瀬は崩れ落ちてくる瓦礫から逃げるように必死で階段を下った。よろめく高瀬に作業員は何度も私を置いていってくれと言った。だがその時の高瀬の中に置いていくという選択肢はもうなかった。高瀬にとって真面目さを捨てることは自分を捨てることだった。なんとか命からがら安全な一階部分に避難することができた。

一階は他の階から避難してきた作業員であふれていた。背負っていた作業員は涙ながらにあなたは命の恩人です、という様な事を言っていた。高瀬は、何処かで聞いたような言葉だなと思いながらも自分の命と彼の命を守れたことに安堵した。 十分程して外から消防の人達が入ってきた。

高瀬はいきさつを説明し、一服しようと敷地の外にでた。外に出ると向かい側のビルにこの春ロードショーの映画のポスターが貼ってあった。タイトルは「映画」。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

主人公 @jinmuramoto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ