旅をする──世界のかけら アドベントカレンダー2025
くれは
20251130 最後のいつもの日
スマホのアラームが鳴っている。起きる時間だ。
だるい体を半分起こして、手探りでアラームを止める。あくびが出た。
寝巻きがわりのトレーナーのまま洗面台の前に立つ。顔を洗う。それでようやく目が覚めてきた。
台所からは甘じょっぱいタレのにおい。きっと今日のお弁当のおかずは、照り焼きだ。においにつられて、ぐう、と空腹を自覚した。
台所に顔を出すと、母さんがちらりと俺を見た。
「おはよう、朝ごはんもお弁当もできてるよ」
母さんはそのまま慌ただしく手を動かして、包んだお弁当をテーブルに置いた。その隣には、トマトとソーセージが乗った皿。
「ありがとう」
冷蔵庫から食パンを出してトースターにセットする。牛乳パックを冷蔵庫から出す。
コップを手にしたところで、父さんが顔を見せた。
「じゃあ、行ってきます」
父さんはいつものスーツ姿。俺と母さんの顔を順番に見た。
「いってらっしゃい」
いつも通りに軽く返して、俺はすぐに手元に視線を戻した。牛乳を注ぐのに忙しかったから。
「いってらっしゃい、気をつけて」
そう言って、母さんはエプロンを脱いだ。
俺はといえば、牛乳を注ぎ終えてパックを冷蔵庫に戻したところだった。顔を上げると、母さんと目が合った。
母さんはふと、表情を和らげた。
「じゃあ、わたしも支度して行っちゃうから。戸締り、よろしくね」
「わかってる、大丈夫」
そう、なんてことない、いつも通りの朝だった。
思い返しても、特別なことなんか何もない。普通の、朝。
いつものリュックに教科書やノートを詰める。いつもの青いペンケースも。お弁当も。
なんてことない紺色の制服に身を包む。スマホをポケットに入れて、マスクをして、ブルートゥースのイヤホンをする。朝だから、流す曲は気分が盛り上がるようなのが良い。
通学風景だってもう見慣れたものだ。流れ作業のように学校へと近づいてゆく。途中でクラスの友達と合流するのも、だいたいいつもの流れ。
曲を止めて、イヤホンを外してポケットに突っ込む。
「おはよう」
「よう、おはよう。優也、この動画見たか?」
友達が差し出してきた動画を見る。人気のアーティストの新しいミュージックビデオ。アップテンポな曲とともに、画面の中でアニメーションの少女が歌詞と一緒に踊っている。
歩きながら動画を見て、今のフレーズが好きだなんて話して、動画をシェアしてもらう。
それからは、なんだっけ。教室で他の友人たちと挨拶を交わして、授業が始まる時間まで、みんなで動画をシェアしあったりしてたんだ。
授業はいつも通り、少し大変で、少し退屈だ。英語は、小テストの結果が返ってきたし、数学では宿題のプリントが出た。
昼休みに照り焼きのお弁当を食べたけど、授業が終わる頃にはすっかりお腹が減っていた。
だから、学校の帰り道、友達と別れてからコンビニに寄った。ベーコンチーズパンを選んだことにあまり理由はなかった。たまたま目に入ったから。それから、ちょっと甘いものも食べたいなと思って、それでクリームパンを選んだ。
お茶も選んで、レジで会計してもらう。
「袋にはお入れしますか?」
「いらないです」
会計が終わったパンとお茶をリュックに放り込む。袋は断ったのに、レシートは断り損ねて受け取ってしまった。だから、それも一緒にリュックに突っ込んだ。それで数学の宿題を思い出して、帰ったらやらないとな、と思う。
「ありがとうございました」
コンビニ店員の声に小さく会釈して、店を出る。
曇り空だったのを覚えている。今にも雨が降り出しそうな空だった。天気予報では降るって言ってなかったのに。家に帰るまで、降り出さないと良いな、と思った。
イヤホンを耳に入れて、それから今日共有してもらった動画を流す。ポップソングが耳に流れ込んできた。
それから、それから──覚えているのは、そこまでだった。
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