薄幸令嬢は発光聖女になりました。~なり行きで推しの次期公爵様の婚約者(のフリ)もやってます~

庭咲瑞花

第1話 突然の発光

 秋のはじめの、満月が輝く夜。

 その日、山に囲まれた盆地の国、ペネトレイク王国の王都一の大聖堂では、雲ひとつない夜空に見守られながら成人の儀が行われていた。


 乳白色を基調とした王都一の大聖堂の一番奥。少し高くなっている舞台の上でしゃがみ、水路を通じて奥の部屋から流れてくる水を口に含むことで、成人として認められる。


 ──私も水をちょっと飲むだけのはず、だった。




「なにこれ」


 しゃがんだまま、思わず声がもれた。

 水も飲んだので私の番は終わり。本来なら早く次の方に変わるべきだって分かっている。


 でも、この状況はさすがに誰だって固まってしまうと思うの。


「あの子はカトラ子爵家の──」

「そうそう、『薄幸令嬢』のアナベル様よね。どうして光っているの?」

「聖女として認められたとしても、光はすぐ消えるはずだよな」


 ざわざわと、小さな声が大聖堂内に反響する。伝統的な儀式が行われているはずの大聖堂に、似つかわしくないそれ。

 私も神聖な場でうっかり呟いてしまったけれど、この状況なら祭司の方に聞かれていても怒られることはなさそうだ。


「これ、どうすればいいのかしら?」


 しゃがんだまま、両手を見てみた手からオーラが出ているというか、光っている。

 我ながらものすごく神々しく見えてしまっているのだけれど、人が光るなんて建国神話でしか聞いたことがないわよ。


 部屋の隅の方にいるお年を召した典礼官のおじいちゃんたちも腰を抜かしたり、眼鏡をつけたりはずしたり忙しそうにしている。


 こういう時は一旦状況を整理するに限るわね。

 室内をほのかに照らしているアロマキャンドルのゆらゆらと光る炎をぼーっと見つめながら、今までのことを振り返る。


 曲がりなりにもこの国の子爵家に生まれた私、アナベル・カトラは成人の儀を受けるために大聖堂に来て、水を口に含んだ。


 そうして気がついたら光っていた。

 ……それも、今日のために唯一の肉親であるお兄様に用意してもらった紺色のドレスごとだ。


 お母様譲りの銀糸のような髪は月のように透き通っていて、お兄様と同じでお父様譲りの瞳は、夜を思わせるような藍色。


 茶髪が多いので、私の容姿はとにかく目立ってしまう。

 その上、光ってしまったとなったら──。


「悪目立ちした子みたいに認知されたら私、耐えられな──」

「……あれ薄幸令嬢じゃなくて発光令嬢だろ」

「違いない」


 ざわざわと落ち着きのない会場のどこからか、そんな笑い声が聞こえる。

 思わずぐっと握りこぶしを作ってしまったけれど、許してほしい。


 今の私は間違いなく悪目立ちをしてしまっているわね。


 我が家は子爵家ではあるのだけれど、家計が火の車なのは社交界では有名な話、らしい。

 らしいというのは、婚約者がいないながらも成人して舞踏会にも出席しているお兄様から聞いた情報だからだ。


 とにかく。貴族社会でなめられないためにも、お兄様からは「街中では目立たないように」と言われている。


 ごめんなさいお父様、お母様、お兄様。

 私は悪目立ちしながら生きていく、家不孝者にならないといけないかもしれません──。


 あと個人的な趣味のためにも悪目立ちするのは避けたかった。


「もしかして私の人生、詰んだ?」

「──静粛に!」

「!」


 お兄様に怒られるし、推し目当てにこっそりここに来ることもなくなるのだろうな……と諦めかけたちょうどそのとき。


 突然降ってきた声により、会場は水を打ったように静まり返る。

 それまでのざわめきが嘘のようだ。


 でも、それも当然よね。

 ちょっと低めのバリトンボイス。叫ぶようでなく、それでいてはっきりと力強く響く声で注意されたら、誰だって口をつぐむに決まっている。


 視線を声の聞こえてきた斜め上の方へと見やると、はどうやら正面の大きなステンドグラスの真横にある扉から入ってきたらしい。

 上階の方から螺旋らせん階段をコツコツと降りてくる足音だけが響く。


 階段の上、このホールの左右に設けられた吹き抜けの二階通路は、聖職者や聖騎士しか入れない場所だ。

 私の記憶が間違いなければ、そこに立ち入ることが許されていて、この素敵なお声を発することができるお方は、たった一人しかいない。


 やがて私たちのいる一階まで降りてきた男性は、まっすぐに私の方へと近づいてくる。

 顔を見れば、薄暗がりの中でも分かるほどに整った容姿をした青年が私をまっすぐに見据えていた。


 この世のどんな闇よりもずっと暗い、黒色の髪。

 同色に思われた宝石のような瞳は、室内に淡く燃えるキャンドルの光に照らされた瞬間、ルビーのように純粋な赤に変わる。


 その宝石のような瞳を縁取る睫毛まつげもぱっちりと伸びていながらも整えられていて、女性の私でも羨ましいぐらいだ。

 まとう気配は鋭利な黒曜石のようで。


 一方で、夜の世界ではどこまでも深い闇を思わせる頭髪やとは異なり、身にまとっているのは白を基調とした、差し色に金糸で複雑な刺繍ししゅうがほどこされた、立て襟の衣装。


 鋭利な黒曜石のごとき気配をまとっているけれど、その本質は聖騎士となるべくして生を受けたとしか思えな──。


「アナベル・カトラ嬢だな?」

「ひゃいっ!」


 思いっきり舌を噛んでしまった。痛い。


 見とれすぎて「推し」がパーソナルスペースの倍くらいの距離まで来ていてくれたことに気づかなかったなんて失態すぎる。


 浮世離れした白皙はくせきの美丈夫──私の「推し」が、まぎれもなく私の目の前に立っているのだ。

 冷静になれなくて当然よねと何とか自分を正当化する。


「なるほど。まさかこうなるとはな」


 すでに静かになっていた会場は、ついに完全にしんとなる。


 けれどそれも当然よね。

 私の「推し」こと彼はアルメー公爵家の嫡男ちゃくなん──この国の次期筆頭公爵となられるお方、ターラル・アルメー様なのだから。


「こう、なる?」

「……」


 ターラル様にじっと見つめられて「私、何かしてしまったかしら?」となること一瞬。


 ……返事だけしてうっかりお辞儀を忘れていたことを思い出す。

 今まで推しと会話したこととかないからどうすればいいか分からなさすぎるわ……!


 慌てて頭を下げてはみたけれど、取ってつけたようなお辞儀になってしまっている気がする。

 頭を下げたまま、ターラル様の許しが出るのを待つ。


 一瞬だけ視界の端にうつった、先ほど水をすくうために手袋を外した右手どころか、つけたままの左手もほんのりと光っている。


 推しに認知されたけれど、こういう流れを望んでいたわけではないのよね。

 心なしか、周囲からの視線が痛い。


「顔を上げろ」


 お許しが出たので顔を上げる。

 やっぱり綺麗だ。美形は何度見てもいい。見ているだけで若返る気がする……ではなくって!


「……俺の顔に何かついているか?」

「いえ一片の曇りもなく今夜も完璧ですっ」


 静かな大聖堂の中に私の声が思いっきり反響する。


 ターラル様からは「何を言っているんだこいつ?」という表情をいただいた。

 困惑させてしまった罪悪感と、普段は絶対見せてくれない貴重な表情を誰よりも近い距離で目視できた喜びで板挟みになる。


 現実逃避のために周囲の会話に耳を立てる。


「なぜ筆頭公爵家のアルメー公爵のご子息が……とっくに成人していらっしゃるよな」

「聖騎士団の団長だし、仕事なんじゃないか?」


 やっぱり彼がここにいるのは仕事だからなのかしら? でもどうして私にお声を──。


「私が光ったから?」

「……ああ」


 私の疑問兼ひとりごとにも律儀りちぎに答えてくださるターラル様。

 彼はそのまま、降りてきた階段を見上げながら淡々と告げる。


「ついて来い」

「はい?」

「まさかそのまま帰れると思っているのか?」


 疑問をていするかのような上がり口調になってしまったからか、振り返ったターラル様からやや鋭めの眼光がんこうを頂戴する。


 もちろんこのまま無事帰れるだなんて思ってなんておりません。ええ。


「思っていません」

「なら俺の後に続くように。逃げても無駄だ」


 こちらに背を向けるターラル様。

 「逃がさない」という言葉までいただけるなんて。


 ……ってこれ、逃げないと思われていたら普通言われない言葉ね。

 推しからの第一印象が間違いなく最悪すぎてちょっとつらい。


「……どうした? こっちだ。ついて来い」


 あれ? 受け入れられ……た?

 なんてことはないわよね。誰に対しても紳士な彼のことだ。典礼官のおじいちゃんたちが困っているのを見逃せなかっただけよ。悲しいけれど。


 推しに続いて螺旋らせん階段をのぼっていくと、だんだんと会場のざわめきも遠のいていく。

 上までのぼりきると、そのまま彼は先ほど出てきたらしい扉のもとへと歩みを進めていく。


 大聖堂の左右にある吹き抜けの通路からは、普段は関係者しか入ることが許されていないより奥のエリアへと続く扉があるのだ。


 彼は扉を開くとこちらを一瞥いちべつして立ち止まる。

 けれどそれはほんの一瞬のことで、私がついてきていることを確認すると再び歩き出す。


 再び大きくなり始めていた大聖堂のざわめきを背に、私たちは大広間をあとにした。

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