第2話 通販で買ったカイロを貼ってやったら、メイドに「着衣プレイ」の性癖を誤解されつつ感謝された

 緊急事態が発生した。


 いや、魔物の襲撃とか、領地の財政破綻とか、そういうレベルの話ではない。

 もっと切実で、個人的で……命に関わる問題だ。


 トイレに行きたい。

 それも、大きいほうだ。


 だが、行けない。

 なぜなら、この屋敷のトイレは石造りで極寒だからだ。


 今朝は今年一番の冷え込みだった。

 今の室温は氷点下。

 便座の表面温度は、おそらく絶対零度に近い。

 あんなところに尻を乗せてみろ。

 瞬時に皮膚が石に張り付き、剥がすときに大惨事になる未来しか見えない。


 これが小さいほうなら、まだ救いはあった。

 行儀は悪いが、最悪立って済ませるという選択肢もなくはないからだ。

 だが、今回ばかりはそうはいかない。

 物理的に座る以外の選択肢が存在しないのだ。

 ゆえに、俺はこの冷たすぎる便座に臀部を密着させねばならない。


(我慢か……? いや、決壊する……)


 布団の中で身をよじり、強烈な便意と寒さの天秤に苦悩していた、その時だった。


 バンッ!!


 無礼極まりない音と共に、扉が開かれた。


「アルヴォ閣下!! ご報告いたします!!」


 入ってきたのは、暑苦しい髭面の騎士団長、テラスだ。

 朝から声がでかい。

 腹に響くからやめてほしい。


「……なんだ」


 俺は布団から目元だけを出し、不機嫌全開でドスの利いた声を絞り出した。

 今の俺は、トイレに行けない苛立ちと腹痛で殺気立っている。


 テラスがビクリと震え敬礼する。


「はっ! 領地の北壁に、イエティの群れが接近中とのこと! その数、およそ二十! 至急、討伐隊を編成して迎撃に向かいたく!」


 イエティだぁ?

 知るか!

 こっちは今、自分の中の土属性の魔王(便意)と戦っているんだよ。


 だが、今「行っていいぞ」と言ってしまうと、こいつは「では!」と大声を出してバタバタと動き回るだろう。

 そんな騒音を聞かされたら、俺の括約筋が緩みかねない。

 今は静寂が必要なんだ。


 俺が覚悟を決めてトイレに駆け込むまでの、ほんの数分の静寂が。


 俺は布団の中で下腹部に力を込め、震える声で言った。


「……待て」


「えっ」


「まだ動くな。そこで待機してろ」


 俺がトイレに行って戻ってくるまで、大人しくしてろという意味だ。


 だが、テラスは感涙にむせび泣いた。


「な、なんと……! 『敵の動きを十分に見極めるまで、軽挙妄動は慎め』と……!? 確かに、吹雪の中で突出するのは危険……さすがは閣下、冷静沈着なご判断!」


 違う。

 漏れる寸前なだけだ。


「……わかったら、とっとと失せろ」


「はっ! では中庭に全軍を集結させ、閣下の次なるご命令をお待ちします!!」


 テラスは敬礼し、去っていった。


 静寂が戻る。

 よし、今のうちだ。


 俺は決死の覚悟でベッドから飛び起き、極寒の廊下をダッシュした。


◇◇◇


 地獄のトイレタイムを終え、俺は部屋に戻ってきた。

 尻の皮は、なんとか無事だったが……。


 身体が芯まで冷え切っている。

 ガチガチと歯が鳴る。

 着る毛布だけでは、この底冷えする石造りの屋敷には対抗できない。


(くそっ、文明の利器だ……! 科学の力で熱を寄越せ……!)


 俺は震える指で空中にウィンドウを展開した。

 『NILE』起動。

 検索ワード『カイロ 貼る 即暖』。


 表示されたのは、見慣れた赤いパッケージの商品。

 メーカーは信頼と実績の『KIRI-ASH(キリアッシュ)』。

 これだ。

 前世の冬、寒い朝の通勤で、こいつには何度助けられたか分からない。


 俺は迷わず『貼るカイロ(レギュラーサイズ)30個入り』をポチった。


 決済完了。


 ドサッ。


 空中に現れた段ボール箱。

 俺はすぐに開封し、懐かしのカイロを取り出した。

 そして、下着の上から背中にペタリ。


「……ふぉぉ……」


 数分もしないうちに、じんわりとした熱が伝わってくる。

 天国だ。

 背中が温かいだけで、人間としての尊厳が回復していく気がする。


 その時、部屋の隅で気配がした。


「……ッ」


 メイドのスヴィだ。

 俺がトイレに行っている間に部屋に入り、清掃をしていたらしい。

 彼女は俺が虚空から怪しげな箱を取り出し、背中に何かを貼って喘いでいる姿を目撃し、硬直していた。


 その身体は小刻みに震えている。

 メイド服は薄手だ。

 この極寒の部屋で、あんな恰好で掃除をしていれば当然だ。


 見ていて痛々しい。

 というか、ガタガタ震えられると気が散る。


(……チッ。30個もあるんだ。減るもんじゃないしな。いや減るもんだけど、まあいいか)


 俺は手招きをした。


「おい、スヴィ。こっちへ来い」


「は、はいっ……!」


 スヴィは怯えた様子で近づいてくる。

 俺は未開封のカイロを一つ手に取り、封を切った。


「後ろを向け」


「え?」


「背中だ。服を捲れ」


 俺の命令に、スヴィの動きが止まった。

 その顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。


「背中……ですか……? い、今ここで……?」


「早くしろ」


 カイロは発熱を開始しているのだ。


 スヴィは潤んだ瞳で俺を見つめ、何かを覚悟したように一度だけ強く頷いた。


「……つたない身体ですが……っ!」


 彼女は震える手でエプロンの紐を解き、背中の服をたくし上げた。

 さらに、彼女は躊躇いつつも、その下に着ている肌着にまで手をかける。


「待て」


 俺は慌てて止めた。

 バカか。

 そんなことをしたら低温やけどを起こすだろうが。


「……全部脱ぐな。肌着の上からでいい」


 俺が指摘すると、スヴィは一瞬きょとんとして、それから真剣な顔でうなずいた。


「……わかりました。アルヴォ様は着衣プレイをお好みなのですね……」


 何を言っているんだこいつは。


「アルヴォ様の性癖、受け入れます……っ!」


 スヴィは恥ずかしそうに身体をくねらせながら、肌着の上から背中を突き出した。

 白い木綿の生地越しに、華奢な背中のラインが浮き出ている。

 寒さで震えているのが分かった。


(痩せすぎだろ……もっと飯食えよ……って、食えてないのは俺のせいか)


 俺はその無防備な背中の、一番冷えそうな腰のあたりに狙いを定め――。


 ペタリ。


 文明の利器、『KIRI-ASH』を貼り付けた。


「ひゃうっ!?」


 スヴィが可愛らしい悲鳴を上げて身をよじる。


「……動くな。剥がれる」


 俺は上から手で押さえつけ、粘着面をしっかりと定着させた。


「あ……あぅ……熱ぅい……」


 スヴィの口から、甘い吐息が漏れる。

 カイロの熱が、冷え切った彼女の肉体に染み渡っているのだろう。


「下がっていいぞ。……また寒くなったら言え」


 俺は服を戻させ、シッシッと手を振った。


 スヴィは顔を真っ赤にして、涙目で背中に触れていた。


「あ、アルヴォ様の手のひらの熱……こんなに、熱くて……ずっと、消えない……」


 いや、それは鉄粉と活性炭の酸化反応熱だ。

 俺の体温ではない。


「ありがとうございます! この御恩、一生、忘れません……!」


 スヴィは部屋を出ていった。

 使い捨てだと言いそびれたが、まあいいか。

 冷めたら捨てるだろ。


――――――――――――――――――

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