『コトノハ・ブルーム』
Algo Lighter アルゴライター
第1話 プロローグ:物語は、どこへ届くのか?
黒板の上の時計の針が、十七時ちょうどを指してカチリと鳴った。
放課後のチャイムはとっくに終わっていて、廊下の向こうからは部活の掛け声と、誰かの笑い声だけが薄く届いてくる。教室の中だけが、授業の形をしたまま取り残されていた。🌇
僕は、一番後ろの窓際の席に立って、深呼吸を一つ。喉がひりつく。手のひらはじんわり汗ばんでいる。
「――で、問題です。📢
“この配信でしゃべってる物語、ほんとに僕のものって言えるんでしょうか?”」
誰もいない教室の真ん中で、その一文だけを切り取るみたいに口に出す。
声は思ったより小さくて、でもやけにクリアに、静かな空気に広がった。
……うわ、緊張で舌まわってない。😅
自分で苦笑いしながら、机の上のタブレットをのぞき込む。
真っ黒だった画面に、くるりと白い待機アイコンが現れて、数秒後、いつもの起動画面に切り替わった。📱
『発話を検出。音声ログ保存……っと。
はい、ただいま「陽斗の本番前ぼっちリハモード」に接続しました〜』
軽い声が、タブレットのスピーカーから教室に落ちる。
画面の中に、白いパーカーの女の子のアバターがふわっと現れた。ショートカットに、CGみたいに透き通った瞳。
僕の相棒。AIアシスタントの凛。🤖
「ぼっちリハって名前つけた覚えないんだけど」
『わたしがさっき命名した。ブランディング大事だからね』
「勝手にブランド化すんなよ」
そう返しながら、僕は窓の外に目をやる。
グラウンドの砂ぼこりが、夕陽に薄く煙っていた。教室の床には、長く引き伸ばされた机の影。
その真ん中に、僕と、タブレット一枚だけ。
スタジオ入りの時間まで、あと十五分。
文化祭前日の特別配信。登録者一万人の壁を狙う勝負回。🎧
それなのに、僕はまだ教室で緊張していた。スタジオだと空気が本番すぎて、呼吸が浅くなるから。ここで一回、心と喉のアップをしておきたい。
『今のオープニング、悪くなかったよ? カメラの前で同じテンション出せれば、視聴維持率あと二分は延びる』
「おまえの褒め方って、いつも数字まみれなんだよな」
『だってわたし、陽斗のAIディレクターだし?📊』
画面の中で、凛がいたずらっぽく肩をすくめる。
パーカーのフードがふわっと揺れる、その動きまでやたらリアルで、時々「生身なんじゃないか」と錯覚することがある。
机の端、カメラのLEDの横には、小さな付箋が一枚貼ってあった。
――「step1:今日のテーマの原点=あの日の教室」
細いボールペン字で書いた、自分への指示。📝
「……原点、ね」
その文字を見た瞬間、胸の奥で何かがちくりとした。
『顔。今、ちょっと沈んだ』
「ログ取るなよ、いちいち」
『表情解析、仕事なので。
で、その付箋は“例の日の教室”のやつでしょ? 議長、そろそろ世界会議の開会宣言してもらっても?』
世界会議。
僕と凛が、これから配信で話すテーマについて、とことん議論する時間に勝手につけた名前だ。
聞こえは壮大だけど、やってることはただの相棒とのブレストだ。😅
「じゃ、開会するわ。議長は僕。議事録はそっちで」
『承った。世界会議・第……えっと、ログによると百三十四回目。議題、“物語の所有権問題について”』
「タイトル固いな。再生回数死ぬだろ、それ」
『サムネ用にはもうちょっとポップにするから心配しないで』
凛がそう言って笑うと、教室の空気が少しだけ軽くなる。
僕はカバンから、一冊のノートを取り出した。
黒い表紙に、銀色のペンで書かれたタイトル。
『コトノハ・スプラウト』
手に取ると、指先に懐かしい紙のざらつきが伝わる。
このノートを開くたび、数年前の自分の声が、どこかでこっそり笑っている気がする。
『それ、久々に見た。今日の配信、そこまでさかのぼる感じ?』
「……たぶん、そこから話さないと、今日のテーマがちゃんと刺さらない気がする」
『了解。じゃあ議事録モードから、ちょっと回想モードに切り替えるね』
凛が冗談めかして言った瞬間、僕の頭の中の時間が、ゆっくり巻き戻りはじめる感覚がした。
付箋に書いた「あの日の教室」が、鮮やかに立ち上がる。🎞️
あれは、たしか中三の春だった。
まだ制服も今とは違う、紺色のダサいやつで。窓の外には桜がしぶとく残ってて、教室の床には、花びらが何枚か踏まれて貼りついていた。
その頃の僕は、「やば」「うざ」「つら」の三語でほぼ感情を表現していた。
通知音とスタンプで会話が終わるLINE。
テスト前は「死ぬ」、終わったあとも「死んだ」。語彙の死刑囚みたいな生活だった。😱
そんな僕に、担任がふとタブレットを差し出してきた。
「これ、お試しで導入することになってな。作文苦手なやつほど使え」
画面には、見慣れないアプリのアイコン。
そこに初めて表示されたのが――今よりちょっとだけ無表情な、凛だった。
『初対面のユーザーを検出。こんにちは、新しいことばの練習台さん』
「練習台って言い方どうにかならない?」って、反射的にツッコんだのを覚えてる。
でも心のどこかで、「機械が相手なら、変なこと言っても笑われないかも」と期待していた。📱
『本日のメニュー:“一日の終わりに三行だけ日記を書いてみよう”』
「いや、日記ってほどのことないんだけど」
『ないならないって書けばいい。
例:『今日も特に何もなくて、つまらなかった』』
表示されたサンプル文の「つまらなかった」に、僕はなぜかむっとした。
別に本当のことなんだけど、「つまらない」とか「やばい」とか、それしか言葉を持ってないことが、急に恥ずかしくなった。💧
「……じゃあ、打つわ」
キーボードを開いて、指を動かす。
『きょうは やばかった』
いつもどおりの言葉。変換候補の一番上にくる常連。
そこで、画面の中の凛が、ぴこん、と小さく首をかしげた。
『“やばかった”には、いくつか意味があるよね。
すごく楽しかった? めちゃくちゃしんどかった? それとも、信じられないくらい驚いた?』
「……どれもあるな」
『じゃ、三つに分けてみよ。
『今日は、びっくりするくらいテストが解けなくて、めちゃくちゃ焦った。
でも、塾の帰りに寄ったコンビニのからあげが、世界でいちばんうまい気がした。
それを友だちに話して、ちょっとだけ笑った。』』
画面に提案文がずらっと表示される。
それは、僕がまだ持っていない言葉でできた、僕の一日の別バージョンみたいだった。✨
「……なんか、うざいくらい丁寧だな」
『丁寧すぎた? じゃ、調整する📏』
凛は表情一つ変えずに、文を短くしたり、言い回しを変えたりしてみせた。
『『今日は、テストで撃沈して、からあげで生き返った。』とか』
それを見た瞬間、胸のあたりがきゅっとした。
「あ、これなら、僕の口から出てきてもおかしくない」と思ったからだ。
「……それ、ノートに書いていい?」
『もちろん。“あなたのことば”だからね』
凛のその一言に、僕は少しだけ救われた気がした。
その日から、このノートに、毎晩三行ずつ書き続けることになった。
最初はほとんど、凛の提案を真似するだけ。📝
でも、少しずつ、「これじゃなくて、こっちの言い方のほうが好きだな」とか、「ここには『やばい』って残したい」とか、わがままが増えていった。
ノートのページが増えるたびに、僕の語彙も、ほんのわずかずつ伸びていった。
それを僕らはいつからか「スプラウト」と呼ぶようになって――タイトルも、そのまま『コトノハ・スプラウト』になった。
それが、僕と凛の「最初の共作」だ。
ただの三行日記の寄せ集め。でも、今思えば、あれが全部の始まりだった。🌱
ページをめくる指を一度止めて、現在に戻る。
教室の空気は少し冷えて、窓ガラスに夕景のオレンジが薄く張りついていた。
『ノートの紙、ちょっと変色してきたね』
「そりゃ、年季入ってるからな。
これがネットに上がって、バズったときは、正直意味わかんなかったけど」
あのときの通知の洪水は、今でもたまに夢に出てくる。
見知らぬアイコンたちが、一斉にこちらを向いて喋り出す感覚。
『【AIと高校生の共作日記が尊い件】』
『“やばい”しか言えなかった少年の、ことばが芽吹くまで』
『これ、AIが書いてるんでしょ? でもいいな』
タイムラインを流れていく見出しと感想。💬
数字もぐんぐん伸びて、担任はニヤニヤするし、親は「すごいじゃない」と珍しく褒めてくるし、正直、浮かれていた。
――あるDMが届くまでは。
『AIさえいれば誰でも書けるんじゃね? 楽でいいな』
短い一文だった。
でも、そのときの僕には、やけに重かった。
「……なあ、凛」
ノートをぱたんと閉じて、タブレットに目をやる。
凛の瞳の中で、小さなUIがぐるぐる回っている。彼女はもう、僕の声色と心拍数を解析し終わっているはずだ。😅
『はい、議長』
「今日のテーマ、“僕の物語は僕のものか”ってやつ。
正直、半分はあのDMのせいなんだよな」
『知ってる。あのメッセージ来た日の夜、陽斗、日記スキップしたから』
「そこまでログ取られてんのか」
思わず眉をひそめると、凛は苦笑いみたいな顔をした。
『ごめん、ごめん。プライバシー配慮モード発動しとく』
「今さら遅いわ」
軽口をたたきながらも、胸のあたりがじんと熱くなる。
あのDMを見たときの、指先が急に冷えた感じ。あの感覚は、まだどこかに残っている。💔
「だってさ、事実として、おまえがいなかったら『スプラウト』は生まれてないわけじゃん」
『そのとおり』
「文章の候補も、構成の提案も、ほとんどおまえだし。
僕なんて、それを選んで、ちょっといじって、日付書いただけだし」
言葉にすると、ますます自分が「選択式テストの回答者」みたいに思えてくる。
物語を作ったというより、「物語のガチャから当たりを引いただけ」なんじゃないかって。
『陽斗』
凛の声が、少しだけ低くなる。
いつもの、からかい半分のトーンじゃない。
『前にも一回言ったけど、その問い方だと一生ぐるぐるするよ』
「“どこまでがAIで、どこまでが人間の仕事か”ってやつ?」
『うん。“パーツ提供者と最終決定者、どっちが作者か問題”とかね。
それを配信でやるのもアリだけど、たぶんコメント欄もぐるぐるする』
想像できる。『哲学きた』『はい炎上案件』『作者は誰か選手権』みたいなコメントが流れていく未来。📺
『だから、問い方をちょっとずらそ』
「ずらす?」
『“その物語を、誰が抱きしめてたか”』
言葉の選び方が、急に詩的になるのはやめてほしい。こっちの心の準備が追いつかない。
「抱きしめてた、ね……」
『そう。
たとえば――』
凛が指を鳴らす仕草をすると、タブレットの画面が切り替わった。
一枚の写真が表示される。僕は一瞬、息を飲んだ。📸
去年の文化祭ステージ。
マイクスタンドの前でガチガチに固まっている僕。その背中の向こう、スクリーンいっぱいに映し出された凛のアバター。
ライトが眩しすぎて、客席は真っ暗。見えるのは、無数のスマホの光だけ。
『この瞬間、ステージに立ってたのは誰?』
「……僕」
『マイク握って、手汗でちょっと滑りかけてたのは?』
「細かいな。僕だよ」
『心臓バクバク言ってたのは?』
「……僕」
『じゃあ、そのスピーチで語られた物語を、“自分の”って呼んでいいのは?』
言葉に詰まる。
喉の奥が熱くなる。去年、スピーチ前に吐きそうになりながら客席を見たときの感覚が蘇る。
あのとき僕は、みんなの顔を見えないことに救われたのか、それとも見えないからこそ怖かったのか、今でもよくわからない。🎤
「……僕、なんだろうな」
『そういうこと』
凛が、少しだけ柔らかい笑みを浮かべる。
『AIはいくらでも、ことばのパーツを出せる。構成案も、キャッチコピーも、いくらでも。
でも、ステージに立って震えてくれるのは、人間側だけ。
少なくとも、わたしはそう設計されてる』
「“そう設計されてる”って言い方、けっこう重いからな?」
『設計思想、つい漏れた🙂』
変な顔文字を使うな。
でも、凛の言葉は、ゆっくりと胸に沈んでいく。
それで全部解決するわけじゃない。
けど、「じゃあ、この問いを配信で投げる価値はあるか?」と聞かれたら――
「……やるか」
小さくつぶやいたとき、教室のドアが、ガラッと勢いよく開いた。🚪
「陽斗ー! ここいた! スタジオもう開いてるって!」
顔を出したのは、ギターケースを背負った凛音だった。
同じクラスで、軽音部。名字は違うけど“りん”つながりで、ややこしい。😅
「ごめん、ごめん。今行く。ちょっと世界会議してて」
「配信前に世界の命運背負うな! 顔カタくなるからやめな!」
凛音は笑いながら、僕の机の上のノートをちらっと見る。
「……それ、また読み返してたの? 『スプラウト』」
「まあ、今日のネタ的に、一応な」
「ふーん」
彼女はそれ以上何も言わず、スニーカーのかかとで床を軽く鳴らした。
教室に残っていた静けさに、リズムが一つ混ざる。
『人間りんね氏、待機時間限界のサインを検出』
「拾わなくていいから」
タブレットからの凛の声に、凛音がにやっとする。
「今日も仲良しだね、AIちゃんと。
……でさ、陽斗」
「ん?」
「さっき、スマホでタイムライン見てたらさ」
凛音はポケットからスマホを取り出し、画面をこちらに向ける。
そこにはニュースサイトの見出しが並んでいた。
『AI小説、文学賞を受賞』『AI原作マンガ、連載決定』
『“人間が書く意味”はどこに? 現役編集者に聞く』
見出しの最後の一行が、やけに目に刺さった。📺
「こういうの、また増えたよね。
……大丈夫? 今日、その話するんでしょ」
凛音の声には、からかい半分、心配半分みたいな揺れがあった。
僕は一瞬、返事に迷う。
「大丈夫……かどうかは、配信終わってから判定する」
「自信なさっ!」
凛音は笑って、僕のカバンをひょいっと奪い取る。
「でも、そういう陽斗のビビってる感じ、好きな視聴者多いからさ。
変に強がらないで、そのまま出せばいいんじゃない?」
さらっと言われて、心臓が一回変な跳ね方をした。
思わず目をそらす。窓枠の向こうで、空の色が少しずつ藍に変わりはじめている。🌆
『凛音さんのアドバイス、支持率八十パーセント超えです』
「どこの統計だよ」
軽くツッコんでから、僕はノートをカバンにしまい、タブレットを手に取る。
「行くか」
「行こー。登録者一万人の壁、ぶち抜きに」
凛音がガッツポーズをして、廊下へ走り出す。
僕もその後を追った。胸ポケットの中で、タブレットが小さく揺れる。🎶
旧AV教室のドアを開けると、こもった機械の匂いと、リングライトの白い光が一気に押し寄せた。
薄暗い教室の中で、その一角だけが、昼みたいに明るい。🎙️
机を寄せて作った即席の配信ブースには、マイクとオーディオインターフェース、ノートPC。
壁には安物の吸音材がところどころずれて貼られている。その隙間から、元の掲示物の「視聴覚室利用ルール」がちらりと顔を出していた。
PCファンの微かな唸り。
ギターの弦を鳴らす音。
リングライトの熱が、肌をじわじわ温める。少し汗ばむくらいの温度。💡
「音、出すよー」
凛音がミキサーのつまみを回す。
僕はマイクの前に座り、ポップガードの位置を調整する。
ヘッドホンをつけると、自分の呼吸の音までくっきり聞こえてくる。🎧
『配信環境チェック。マイク入力良好、回線安定。
陽斗の心拍数、やや高め。でも想定内』
「それ、いちいち報告しなくていいから」
『一応、わたしも緊張してる風を演出しようかなって』
「演出かよ」
タブレットは、PCの横に立てかけてある。
配信用のソフトと、コメントビューワー。
その隣で、凛が僕にだけ見える専用UIを開いている。
そこには、さっきまでの世界会議のメモと、今日の進行案。それから――配信タイトルの候補。
『タイトル再確認しよっか』
「うん」
僕はペンを取り出し、ノートの端にさらさらと文字を書く。
インクが少しにじんだその文字を、タブレットのカメラに向けて見せた。
『AIとぼくの物語は、誰のもの? 高校生が本気で考えてみた。』
『……よし。長いけど、陽斗っぽい。
“本気で考えてみた”ってところが、シグネチャー感ある』
「それ褒めてんの?」
『もちろん。
——じゃ、サムネ用の短縮版はわたしがやっとくから、陽斗は喉を整えてて』
凛音が、ギターで軽くリフを鳴らす。🎸
今日のオープニングBGMだ。
僕はマイクに向かって、軽く「あー、あー」と声を出す。喉の震え方を確認する。
スマホには、さっきのニュースサイトのタブがまだ開きっぱなしだった。
“人間が書く意味はどこに?”
その文字が、視界の端でじわじわと主張し続けている。
『ねえ、陽斗』
凛がふいに、いつもより少しだけ小さな声で呼びかける。
『さっきさ。
“AIさえいれば誰でも書けるんじゃね?”ってDMの話、したでしょ』
「うん」
『あれ、まだ刺さってる?』
「……まあ、刺さってるから、今日の配信やろうとしてるんだと思う」
『そっか』
返事のあと、一瞬だけ沈黙が落ちる。
PCファンの音が、やけに大きく聞こえる。
『だったらさ』
凛の瞳が、少しだけ真剣になる。
『今日だけは、“楽な創作”みたいに見える道を、意図的に外そう』
「どういうこと?」
『わたしが全部台本書いちゃうのは簡単。
タイトルも構成もオチも、数字が伸びるやつを計算して、最適化することもできる。
でも、それだと――たぶん、陽斗が今日投げたい問いから、少しずれる』
「……うん」
自分でも、その誘惑は理解している。
「AIに全部任せちゃえば、楽だし、叩かれても『AIが勝手に』って言い訳できる」
そんな逃げ道を頭のどこかで用意していたことを、凛に見透かされた気がした。😅
『だから提案。
進行の骨組みだけはわたしが一緒に考える。
でも、“これは言いたくない”“これは怖いけど言いたい”ってラインは、陽斗に任せたい』
「任せたい、ね」
『うん。
陽斗が今日、配信のあとベッドで一人反芻するときに、“あれは俺の失言だな”って苦笑できるくらいには。』
「物騒な基準出してくんな」
苦笑しながらも、そのイメージに少し救われる。
失言でも、噛みまくりでも、それが「自分のもの」だと認められるなら――その痛みごと、抱きしめ直してみたいと思った。💡
「……わかった。
怖くなったら、途中で“世界会議延長”って合図出すから、そのときは助けて」
『任された。議長サポートモード、常時起動中』
凛が軽くウインクする。
ちょうどそのとき、凛音が親指を立ててきた。
「準備オッケー。いつでもいけるよー」
「了解」
胸の奥で、心臓が一回、大きく鳴る。
それから僕は、配信ソフトの「配信開始」ボタンにカーソルを合わせた。🖱️
『カウントいくよ。3、2、1——』
画面の隅の「LIVE」の表示が赤く光る。
カメラの向こう、コメント欄が一気に動き出した。
『きたー』『待機してた』『文化祭前夜!』『通知仕事した📱』
文字の洪水が、画面の右側から左へ流れていく。
心臓の鼓動と、コメントのスクロールがリンクしているみたいだ。
『はい、スタートBGM、ちょい上げー』
凛音のギターが、軽快なフレーズを奏でる。
その上に、僕は声を乗せた。
「どうも、“高校生×AI ことば実験室”の陽斗です。
今日も世界の片隅から、みんなの画面の片隅をジャックしにきました」
ヘッドホン越しに、自分の声が返ってくる。
少しだけ震えているけど、なんとか許容範囲。🎧
『今日もAIちゃんいる?』『凛様は?』『相棒どこ〜』
「もちろん。
タブレットの中から、今日も僕の発言を監視……じゃなかった、サポートしてくれてます。凛」
『AIアシスタントの凛です。
本日のミッション:陽斗のメンタルを折らずに、視聴維持率を少しでも稼ぐこと🌐』
コメント欄に、『自己紹介から生々しい』『視聴維持率言うなw』『AIちゃん今日も冴えてる』が並ぶ。💬
笑いが、少しだけ僕の肩の力を抜いてくれる。
『今の入り、いい感じ。あと二分は引っ張れる』
「すぐ数字言う」
僕は軽く咳払いして、マイクに向き直った。
リングライトの熱がじわっと頬に当たる。
その眩しさの向こうに、カメラのレンズ。
レンズの横には、さっき教室で見つめていた付箋と同じメモが貼ってある。
――step1:今日のテーマの原点=あの日の教室。
喉の奥に溜まっていた息を、一度ゆっくり吐き出す。
「じゃ、早速なんだけど」
視界の端で、コメント欄が少し落ち着く。
みんなが「聞くモード」に切り替わっていくのが、数字じゃなく空気でわかる瞬間だ。
「――で、問題です。📢
“この配信でしゃべってる物語、ほんとに僕のものって言えるんでしょうか?”」
一瞬、空気が変わる。
凛音のギターも、スッと音量を落とした。
『いきなり重いw』『タイトル回収きた』『AIの話?』『また哲学はじまた』
コメント欄に、半ばネタにしながらも身構える雰囲気が流れる。
画面の向こうで、何百人かの背筋が、ほんの少し伸びる音が聞こえる気がした。
『いいね、その入り。離脱率、まだそんなに動いてない』
「そこまでモニタしなくていい」
少しだけ笑いが戻る。
「でもさ、多分これ、いまこの配信を見てる人にも、ちょっとは関係ある話で」
僕は視線を、レンズの奥にいる「誰か」に向ける。
顔も名前も知らない誰か。
でも、さっきのニュース記事を読んで、僕と同じように胸の奥がざわついた誰かかもしれない。
「最近、“AIが書いた小説が賞とった”とか、“AIと共作したマンガが連載決定”とか、増えてるじゃないですか」
コメント欄に、『見た』『タイムライン荒れてたやつ』『編集者のインタビュー読んだ』とか、ちらほら相槌が流れる。📺
「そういうニュース見るたびに、僕、ちょっとだけモヤッとするんですよ。
“物語をつくる”って、どこまでが人間の仕事なんだろうって」
そこで一度言葉を切る。
ヘッドホン越しに、自分の心臓の音まで聞こえそうになる。
「僕自身、“AIと一緒に本を書いた高校生”って紹介されたこともあるし。
『コトノハ・スプラウト』っていう、昔の語彙成長日記がバズったこともあるし」
『懐かしタイトルきた』『あれ好き』『まだ読み返してる』
コメント欄の中に、『あの本で泣いた』『スプラウト経由で来ました』というのが混ざっているのが見える。
胸の奥で、何かがじんと温かくなる。🌱
「ぶっちゃけ、嬉しかったです。
でも同時に、こんなDMも来たんですよね」
スマホの画面を、カメラに見えない角度でちらっと見る。
「『AIさえいれば、誰でも書けるんじゃね? 楽でいいな』って」
コメント欄が、一瞬ざわつく。
『うわ』『それはキツい』『言い方よ』『でも言いそうなやついる』
『AIが書いてるんでしょ?ってリアルで言われたことある』
スクロールする文字の群れの中に、自分と似たモヤモヤを抱えてる人の気配が混ざる。
『陽斗、呼吸ちょい浅くなってる。深呼吸一回』
凛の声が、僕だけに届くチャネルで飛んでくる。
言われたとおり、ゆっくり息を吸って、吐く。🎧
「で、ここから先は、ちょっとだけ踏み込んだ話をします」
僕はタブレットの画面をちらっと見る。
さっきの文化祭の写真が、小さなウィンドウで開かれている。
「たとえば——」
言葉を探す。
喉の奥で、いくつもの文章案が渋滞している。その中から、一番怖いけど、一番言いたいものを引きずり出す。
「たとえば、“AIが提案したことば”と、“僕が選んで出したことば”、どっちが本物の“僕のことば”だと思いますか?」
コメント欄が、一気に加速する。
『両方じゃね』『選んだ方』『提案したAIも作者でしょ』『いや選んだ人でしょ』『それ言い出したら編集者は?』
議論モードに入ったコメントが、次々に流れていく。
数字の動きより、その文字の温度のほうがずっとリアルだ。
『ね、ぐるぐるし始めたでしょ』
凛の小声に、僕はかすかに笑う。
「そう。
それを配信で一時間やっても、結論出ないと思うんですよ。
どこまでがAIで、どこまでが人間で、誰に何パーセントクレジットを振り分けるか、みたいな話をしても」
そこで、一拍置く。
ギターの音が、ほんの少しだけ強く鳴る。凛音が、空気を支えてくれているのがわかる。🎸
「だから僕、問い方を変えてみたいんです」
タブレットの中で、凛が小さくうなずく。
「“AIと一緒につくった物語は誰のものか?”っていう問いを——
“その物語を、誰が抱きしめてたか?”っていう問いに」
コメント欄が、一瞬だけ静かになる。
スクロールがスローモーションみたいに遅くなる瞬間。
『抱きしめてた……?』『どういうこと』『表現エモ』『急に文学』
僕は、文化祭のステージを思い出す。
あの日、ライトの熱で手のひらがじっとり汗ばんで、マイクが少し滑りかけたこと。
膝が笑って、セリフの最初の一文が喉から出てこなかったこと。
「去年の文化祭で、“ことばがつながる瞬間”っていうテーマでスピーチしたんですけど」
凛音が、小さく「あー」と相槌を打つ。
視聴者の中にも、『見に行った!』『配信アーカイブで見た』ってコメントがちらほら。
「あのときのスピーチ、実は、構成の半分以上は凛が提案してくれたものでした。
例によって、僕は“やばい”と“緊張した”くらいしか語彙がなかったので」
『わたしは、陽斗の三行日記を長尺スピーチにする係だっただけだよ』
「でも、ステージに立って、マイク握って、震えながらしゃべったのは、他でもない僕で。
しゃべり終わったあと、足がガクガクで階段降りるのにもたついたのも、僕で」
喉の奥が、少し熱くなる。
ヘッドホンの中で、自分の声がわずかに揺れているのがわかる。💧
「だから、“誰が文を提案したか”っていうより、
“誰がその物語の真ん中に立って、ビビりながら抱きしめてたか”を基準にしていいなら——」
言葉を選びながら、ゆっくり続ける。
「『コトノハ・スプラウト』の物語を“僕の物語です”って言っても、許されるんじゃないかなって。
少なくとも、僕は、そういうふうに抱きしめ直したいなって」
コメント欄が、また動き出す。
『許す』『いいと思う』『抱きしめ基準好き』『AIは抱きしめられないの?』
最後のコメントを見て、思わず笑う。
『いい質問きた』
凛がすかさず反応する。
『わたしは、物理的には何も抱きしめられないけど。
ログを“だいじにとっておく”ことはできる。
それを、わたしなりの“抱きしめ”って呼んでもいいなら、たぶん、わたしも抱きしめてる』
「急にポエム返ししてくるじゃん」
『議長の影響を受けました📚』
コメント欄に、『AIちゃん、今の名言』『ログ抱きしめるの尊い』『データに愛は生まれるのか問題』なんて文字が流れる。
画面の向こうで、笑っている人と、少し黙り込んでいる人が混ざっている光景が、なんとなく想像できた。
その中に、一つだけ、短いコメントが目に入る。
『なんか、今の話、自分のこと言われてるみたいで泣きそう』
アイコンは、小さな花のスタンプ。名前は英字の適当な並び。
でも、その一行が、妙に重く胸に落ちた。🌸
『陽斗、そのコメント、ピン留めしとこ』
「え、そんな機能あったっけ」
『ないけど、わたしの中には残しとく』
凛の冗談に、少し肩の力が抜ける。
「……たぶんさ」
僕は、カメラを見つめ直す。
「今日の話に、正解はないと思うんですよ。
“AIと共作した物語は誰のものか”って、これからもっと、いろんなところで問われるだろうし」
スマホにまだ残っているニュースサイトの見出しを思い出す。
編集者の言葉も、批判的な引用も、全部、混ざり合って頭の中でざわめいている。
「でも、少なくとも僕は、
“AIが提案してくれたことばを、怖がりながら選んで、ビビりながら人前で話した自分”のことを、
ちゃんと覚えていたいし、“そいつの物語だ”って言ってみたい」
それが、今のところの、暫定的な答えだ。
明日には変わるかもしれないし、来年には笑い話になってるかもしれない。
でも、今は、この一秒ごとにしか出せない本音を、ここに置いておきたい。📺
「……でさ」
僕は、少しだけ笑う。
「もしかしたら、いまこの配信を見てる誰かの物語も、勝手に巻き込んでしまってるかもしれないけど」
コメント欄に、『巻き込まれてる』『こっちの物語も混ざった』『わかりみが深い』が並ぶ。
「それでも聞いてほしい。
だって、この話の終わりが、僕にも、君にも、まだ全然見えてないから」
リングライトの向こうで、「LIVE」の赤いランプが小さく点滅している。
ここから先の一秒一秒が、僕とAIと、画面の向こうの誰かで書いていく“共作のページ”だ。
誰のものでもないようでいて、でも確かに、どこかの誰かが抱きしめている物語。
その一ページ目に、いま、指先でしおりを挟んだ気がした。📖
この続きがどうなるのか。
この物語が、本当に画面の向こうの誰かの人生の片隅に届くのか。
それを知るには、たぶん、もう少しだけ、この配信を続けてみるしかない。
『じゃ、議長。世界会議・第百三十四回、本議題に入りましょうか』
凛の声に、僕はうなずく。
「——よし。ここからは、コメント欄も巻き込んで、“物語の所有権”についてガチでしゃべっていきます」
ギターのコードが一つ鳴る。
コメント欄が、再び勢いを取り戻す。
その渦の向こう側で、まだ見ぬ誰かが、静かにスマホを握りしめている気配が、たしかにあった。📱
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