空き容器回収所
ささやきねこ
都市は人間を飲み終えている
――これは、俺がまだ「容器」だった頃の回収ログだ。
【回収ログ 02:17 – オフィス街 第三ブロック】
深夜二時。ビルの谷間に自販機の白い光だけが浮いている。
人の気配はない。あるのは、パッカー車のアイドリング音と、リサイクルボックスの膨張した腹。
先輩が無言でボックスの扉を開けた。
「……今日は“空き”が多そうだな」
中から引き抜いた透明袋は、異様に軽い。
持ち上げた瞬間、カサカサと乾いた紙屑のような音がした。だが、形はゴツゴツしている。角張って、ところどころが不自然に尖っている。
俺は思わず袋を見た。
袋の内側に、潰された人の耳が、まるでアルミの飾りみたいに薄く貼りついているのが見えた。眼鏡のフレームは、レンズごと平たく歪んでいた。
「……先輩、これ……」
「見るな。持て。中身はもう“飲まれた後”だ」
俺は言われるままに、袋を荷台へ運ぶ。
軽い。驚くほど軽い。なのに、重たい形だけが残っている。
【材質選別 02:21】
先輩が次の袋を逆さにして、作業台に中身をぶちまけた。
アルミ缶、ペットボトル、スチール缶。そこに混じって、くしゃくしゃに折り畳まれたスーツ姿の“何か”。
顔の部分だけが、名刺サイズに平らになっている。ネクタイは帯金属のように光っていた。
先輩はためらいなく、それを安全靴の底で踏みつぶした。
ベコッ。
軽い。乾いた。
まるで空き缶と同じ音。
「……スチールだな、こいつ」
「スチール……?」
「社畜根性が芯まで染みると、ここまで硬くなる。プレス機が嫌がる材質だ」
先輩はそう言って、別の袋から取り出した“それ”も確認する。
ひとつは指の形だけが残っていた。
「こっちはアルミ。意思が弱い。簡単に潰れる」
指先を軽く折り曲げただけで、バキッと軽金属の破断音がした。
「……人、ですよね」
「“素材”だ。人だった素材」
先輩は当たり前のように言った。
【圧縮投入 02:34】
回転板が唸りを上げる。
俺は袋を持ったまま、一瞬だけ手が止まった。
中には、さっきまで残業していたであろうサラリーマンがいたはずだった。
だが袋の中でそいつは、もう“形”にすらなれていない。
「ほら、早く放れ」
言われて、反射的に投げた。
回転板に吸い込まれる袋。
次の瞬間、音の洪水。
ガリガリ、ベコン、バキバキ……。
アルミが潰れる音。
スチールが軋む音。
そこに混じって、骨が砕けるような乾いた空洞音。
液体の気配は一切ない。
飛び散るのは粉でもなく、水でもなく――ただ形だけが、圧縮されていく。
一瞬だけ、袋の隙間から“顔”が見えた。
笑っていたのか、疲れていたのかもわからない。
名札のように、ぺたりと貼りついた薄い顔。
次の瞬間、回転板の縁で削がれて消えた。
俺はその時、胃の中まで軽くなったような感覚に襲われた。
【作業中の会話】
「……先輩」
「ん?」
「自販機って、飲み物を補給するためのもんじゃ……」
先輩は袋を投げながら、鼻で笑った。
「あれは回収口だよ。人間の“中身”を都市が吸い上げる場所だ。
時間、気力、判断力、感情……全部抜いた後の“空き容器”が、ここに溜まる」
「……じゃあ、俺たちがやってるのは……」
「リサイクルだ。都市の代謝」
先輩は回転板を一瞥した。
「最近は特に回転が速い。中身の消費が追いつかない連中が多い」
【作業終了 03:10】
回収は終わった。
オフィス街は相変わらず静かで、まるで何も起きていない顔をしている。
先輩が自販機の前に立った。
「休憩だ。一本買え」
俺は言われるまま、缶コーヒーを買った。
取り出した瞬間、缶はやけに冷たかった。重さは、普通のはずなのに、どこか不自然だった。
プルタブを引くと、カシュッと乾いた音。
一口飲んだ。
――味が、鉄っぽい。
コーヒーの苦味より先に、舌に金属の渋みが広がった。
「……これ……」
先輩が言った。
「飲むなよ。それ、お前の“中身”が補填されてるだけだぞ」
俺は思わず自分の腕を見た。
街灯の光の下で、皮膚がうっすらと金属光沢を帯びている。汗でも油でもない、鈍い反射。
「……冗談ですよね」
「さあな。だが今夜、お前は何本分“消費”された?」
答えられなかった。
俺は無意識に、飲み終えた空き缶を握りしめた。
ベコッ。
軽い力だった。
なのに缶は、作業台のスチールと同じ音を立てて凹んだ。
――その瞬間、同じ感覚が腕の内側に返ってきた。
皮膚の奥で、何かが乾いた音を立てて折れた。
先輩はそれを見て、淡々と告げた。
「明日は、お前の材質判定からだな」
街の自販機が、いつものように白く光っている。
次に膨らむのは、どの“空き容器”だろうか。
俺の中身は、今もどこかで、誰かの缶の中に詰め直されている。
――ログ、ここまで。
空き容器回収所 ささやきねこ @SasayakiNeko
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